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029 過剰歪曲アヴェンジャー

 



 ジャンプし、飛び乗った塀を足場にさらに跳躍、屋根の上に飛び乗る。

 ここからは全体の景色がよく見える。

 見渡す限り続く極彩色の異形の世界――眺めるだけで気分が悪くなりそうだ。


「案外、ここに閉じ込めることで相手の精神を攻撃することが目的だったりしてね」


 屋根から屋根へと飛び移りながら、そうぼやくプリムラ。

 移動しながらも、足元の家に気配があるかどうか探るのは怠らない。

 こんな高い場所を逃げていてはどうしても目立つ、早いところどこかに身を潜めたいところだ。


「手っ取り早く殺すのもよし、相手が壊れるのを待つのもよし、か。手強い相手だな。私も一人なら心が折れていたかもしれない」


 軽口にも聞こえる会話を交わすのは、平常心を保つためだ。

 背後からは例の化物たちが大群で迫ってきている。

 家の壁を巨大な腕で這い上がったり、巨大な足で高く飛んでみたり。

 そのくせ口からは人間の言葉を発するのだから、全面的に精神衛生上よろしくない。


「次、下ね」

「承知した」


 二人は同時に屋根から飛び降りる。


「こっちに!」


 そして見つかる前に、すばやく前身。

 入り組んだ路地にあえて入り込み、敵のいないルートを選び、そして民家らしき建物に体を滑り込ませる。

 幸い扉らしき部分に鍵はかかっておらず、“赤”もなかった。

 どのみちそうでなかったとしても壊すか別の場所から中に入るつもりではあったが。


「この家は、大丈夫なのか?」

「空き家みたいな感じ? ひとまず誰もいないから、隠れるのにはぴったりだと思って」

「つまり他の家には全て、あの化物が住んでいるということか?」

「ここまで移動しながら探った限りでは、そんな感じだったかな」

「気が滅入るな……」


 あまりに途方もない数だ。

 その全てが再生するというのなら、相手にするだけ無駄である。

 考えるべきは、いかに見つからずに移動するか。


「しかし……外とは少し色合いが違うが、どちらにしろ独創的な内装だな」

「あのタンスとか動くのかな」


 平坦な壁を見つけ、そこを背もたれにして座り込むプリムラ。

 アリウムは少しだけ距離を取って隣に座った。

 間には微妙な隙間が空いている。


「……」


 その空白をじっとプリムラは見つめた。

 そしてぽんぽん、と軽く床を叩く。


「……?」


 首をかしげるアリウム。

 鈍い彼女に向けて、プリムラは先ほどより少し強めに床を叩く。


「いい、のか?」

「気にしてたってしょうがないよ」

「じゃあ……お邪魔する」


 アリウムは腰を浮かし、ぴたりとプリムラとくっついた。

 互いに少しだけ気恥ずかしかったが、同時に懐かしくもある。

 以前はもっと、べたべたと密着していたのだから。


「これから……どうするんだ?」


 とはいえ、アリウムも平常心ではいられないようで、プリムラから視線をそらし彼女に問いかける。


「しばらくここで休もっか」

「体力は問題ないが」

「心のほうがしんどいでしょ、特にアリウムちゃんは。それに、外が落ち着くまでは出られそうにないし」

「囲まれているな」

「囲んでるっていうか、数が多すぎてあたり一帯が埋め尽くされてるって感じかな」

「範囲が広いとそうなるのか。奴らが諦めるまで待つしかないな」


 しらみつぶしで屋内を調べられれば終わりだが、今のところ奴らが建物の中を調べている様子はなかった。

 ならばなぜルビーローズ邸は襲撃を受けたのか、という問題があるが――シェルターまでやってきておいて見つけられたなかったことを考えるに、“話し声”に反応した可能性が高い。

 そしてさほど聴覚が鋭いわけでもなさそうだ。

 二人の会話は小声だが、彼らがそれに反応する様子はないからである。


「こんなに長く二人きりになるのは、久しぶりだな。前は毎日のようにずっと一緒だったが」

「そうだね。アリウムちゃんと話せなくなるなんて、あの頃は考えもしてなかった。大人になって成長しても同じ関係が続くと思ってた」


 プリムラは膝を抱え、遠くを見ながら言った。

 思い出される苦痛の記憶。

 力もなく、味方もいない五年間の月日は、プリムラからいろんなものを奪っていった。

 そして代わりに手に入れたものも、別にほしかったわけではない。


「もしも事件が起きなかったら……お父様は私に、本当のことを話してくれたんだろうか」

「姉妹だってこと? どうだろうね、教団のメンバーだったことすら気付いてなかったし、黙ったままだったかもよ。そっちのほうが幸せだもん」

「だが、その幸せは薄氷だ。ふとしたきっかけで、粉々に壊れてしまうかもしれない」


 それはただの仮定である。

 しかし――五年前で確かに存在した幸せにも、いくらかの嘘という名の毒が含まれていたのは事実だ。

 陳腐な茶番だったんじゃないか。

 家族四人で過ごしたあの日々は、虚実にまみれていたのではないか――


「……すまない、プリムラ」

「どうして謝るの」

「こんなときに触れる話題じゃないと思ってな」

「それは、明るい話ができるに越したことはないけど、触れずにはいられないよ。でもさ、実際のとこどうなの? アリウムちゃんは、私と姉妹だって聞いてどう思った?」

「腑に落ちた」

「前から、そう思ってたってこと?」

「従姉妹にしては仲が良かったからな。その関係性以上の近さを感じていたのは事実だ。だから、その感覚がようやく明確な言葉になったと感じたよ」

「ふーん……」

「なんでそんなつまらなそうな反応をするんだ?」

「んー、理屈っぽいなと思って。もっとシンプルに、どう感じたかが聞きたかったな。喜怒哀楽で」

「それなら、“嬉しかった”だろう。図々しいとは思うが、切れない縁ができたんだからな」

「ふふっ、そっか」

「そういうプリムラはどうだったんだ。お前を傷つけてきた私と姉妹なのは、嫌だったんじゃないのか」

「そんな顔に見える?」


 アリウムはプリムラの顔をまじまじと見つめた。

 実を言うと、室内は薄暗くてよく見えない。

 だから目を凝らして、距離を縮める。


「アリウムちゃん、そんな目が悪かったっけ?」

「不安なんだ、本当に笑っているのか」

「じゃあこれでわかる?」


 プリムラは人差し指で頬をむにっと持ち上げ、無理やり笑顔を作る。

 アリウムは思わず「ふふっ」と噴き出し笑った。


「あー、笑ったー。人が真面目にやってるのにー!」

「どこが真面目なんだか、まったく……ふふふっ」

「そこまで愉快な顔になってた……?」

「なってたな」

「やりすぎたかも……」


 神妙な表情のプリムラを見て、アリウムはさらに肩を震わせ笑った。

 非常時とは思えないのんきさだが、イカれた世界を黙ってみているよりは精神衛生上こちらのほうがいい。


「さーて……そろそろ諦めてくれた、かな」

「気配が散りつつあるな」

「思ったよりしつこくはないみたいだね。問題は数かぁ……」

「身を隠せば見つからずに移動できる程度の密度ではある」

「二人ならね」


 探しているアトカーたちは四人。

 しかもうち二人が、操者ではない一般人である。

 プリムラたちよりもよっぽど危険な状況にあるのは間違いない。


「屋根の上にのぼったとき、他にあの化物が集まってる場所はなかった?」

「私が見る限りは見当たらなかったな」

「わたしもそうだったから、まだ見つかってはないってことなのかな……フォルミィ先輩とラスファ先輩がうまくやってくれてるってことか」

「あの二人はいいコンビだからな。一人よりも二人のほうが力を発揮できるタイプだ」

「本人たちは認めないだろうけどね」

「そればっかりはラスファ先輩の性格が変わらない限り無理だろうな」

「未来永劫無理なんじゃない?」

「まあ、頃合いが来ればフォルミィ先輩が強引に押し切るだろう」

「ああ、あの人意外と強いよねぇ」


 押しもそうだし、精神面でも。

 両親の死後、ずっと一人で弟たちの面倒を見てきたからだろうか、とにかくめげない。

 だからこそ、ラスファとの距離をあそこまで縮められたのだろうが。


「もしうまく隠れてるとしたらさ、見つけるの大変だよね」

「よっぽど運が良くない限り、今日中に見つけ出すのは無理だろうな」

「となるとどっかを拠点にしたほうがいいと思うんだけど、どう? また入り込んでくる可能性あるけど、アリウムちゃんちにする? それともここを使ってみる?」

「あまり長居すると頭がおかしくなりそうなんだが――ひとまず調べてみるか」


 外の気配はさらに散りつつある。

 もう歩き回っても大丈夫だろう。

 アリウムは座っていた廊下らしき場所から、前方の扉に似た物体を押し開き、ダイニングのような部屋に入る。


「さっき外を移動してて思ったんだけど、このあたりの地形、コロニーと似てる気がするんだよね」

「プリムラもそう思うか。この部屋もそうだが、どこかの家を再現しているようにも見えるな」


 食卓に四つの椅子が並び、壁や棚の上には前衛芸術としか思えないオブジェが置かれている。

 だがじーっと観察してみれば、元が家族写真であることがわかった。

 本来は画像を映し出す装置が置かれているはずだが、それをいびつに再現した結果、油絵の具をべったりと塗りつけたような芸術品が生まれてしまったのだろう。


「こっちがキッチン……つまりこれがプラントで、こっちが冷蔵庫か」


 アリウムは冷蔵庫と思しき物体に近づき、ゆっくりと開いた。

 するとにちゃっ……という嫌な音とともに糸が引き、腐った発酵食品のような臭いが溢れ出してくる。

 彼女は『まずい』と思ったのか、すぐにドアを閉めた。


「他の棚もうかつに開かないほうがいいかもね」


 口を抑えながら、こくこくとうなずくアリウム。

 それだけ強烈な臭いだったようだ。

 一方でプリムラは水道らしき物体に近づく。

 うかつに開かないほうがいいと言った手前、蛇口はひねらないほうがいいのかもしれないが、人間が生きていくのに水は欠かせない。

 この建物を隠れ場所に使うのなら、水分補給が必須だ。

 ぐっと手に力を込めて、出しすぎないように、ゆっくりと栓を開く。

 じゅぶっ、と水道管の奥のほうから液体がせり上がってくる音が聞こえ、出口から赤い水が吐き出された。

 この瞬間で『あっ、ダメだ』と判断したプリムラはすぐに栓を閉じたが、その直前に固形物がべちゃりとシンクに叩きつけられる。


「キー、キー」


 それは、小さな小さな人だった。

 外の化物とは違い、比率はまともだが、サイズは小指ほどしかない。

 全身を真っ赤に染めたそいつは白い目をぎょろりと開き、プリムラを凝視しながら手足をばたつかせた。

 危害を加えてくる様子はないものの、見ているだけで不愉快なので、魔術で燃やす。

 耐性や再生能力が無かったのが救いか、そいつはすぐに燃えカスになった。


「ここは使えなさそうだな」


 いつの間にかすぐ隣に来ていたアリウムが、灰になった小人を覗き込む。


「うん……不安だけど拠点はアリウムちゃんちにするしかないみたい」

「あそこならシェルターに食料は山ほどあるからな」

「二年分だったっけ?」

「一人ならな。二人なら一年だ」

「どっちにしたって勘弁してほしいよ」


 長居するつもりはないし、できるはずもない。

 その前に頭がおかしくなってしまう。


 二人はその建物を出ようと、ダイニングをあとにし、玄関に向かった。

 だがそこで、彼女らは同時に足を止める。


「こっちに来てる……」

「三体か。前を通り過ぎてくれるといいが」

「いや――まっすぐこっちに向かってる感じがする」

「家主の帰宅(・・)というわけか」


 空き家だと思っていたが、ただ留守だっただけのようだ。

 その数から察するに、おそらく“家族”なのだろう。

 元のコロニーにも、この家には三人家族が暮らしているに違いない。


「アリウムちゃん、裏から出よう」

「裏口があったのか?」

「無いけど階段の途中に窓があるから」

「目立つがやむ無しだな」


 二人は向きを変え、階段を上って途中にある窓から外に出た。

 着地した先は、すぐに道だ。

 それなりに広く、人通り(・・・)も多いため、ちらほらと化物の姿がある。

 だが幸いなことに、彼らの視線は二人の方を向いていない。

 当然、音がすれば反応してこちらに視線が移る可能性もあるが、すぐさま向かい塀を越え、別の家の敷地内に飛び込んだ。


「気づかれていないようだが……」

「怪しまれてはいる、かな。こっちに来てる」

「どちらに向かう?」

「右っ!」


 プリムラには、明確な目的地があった。

 そこを目指して、警戒する化物がいる間は素早く、そいつらを撒けたなら慎重に、気付かれないように前に進む。


「私の家から離れてないか? それともお祖父様たちの居場所に心当たりがあるのか?」

「ううん、ぜんぜん。ただ確かめたいことがあって」

「確かめたいこと?」

「この状況を作り出した犯人が誰なのか……っ、てね」


 屋根から飛び降り、転がってすぐさま塀の影に身を隠す。


「っ、と。心当たりがあるのか?」


 アリウムもそれに続き、すぐに角から顔を出して敵がいないか目視で確認する。


「わたしの勘が当たってればってぐらいの憶測だけどね。たぶん、何箇所か見て回ったらわかると思う」

「お祖父様たちの痕跡も見つかればいいんだが……」

「行き先としてはありえると思うよ」


 二人は大通りに面するビル付近に到着すると、侵入口を求めて細い路地に入る。


「中にいる数はそう多くない……」

「気のせいか、家を出たときより暗くなってないか?」

「夜……なのかも」

「時間の概念もあるわけか。だが、あの空では私たちには判別できないな」


 アリウムはグロテスクな空を見上げ、苦笑した。


「でも、夜のほうが動きやすいかもね」

「どうしてそう思うんだ?」

「あの化物たち、人間の行動パターンを模して動いてるんじゃないかと思って。だから夕方になると、家の人間が帰ってきた」

「じゃあ、コロニーではオフィスビルだった建物も……」

「うん、今の時間なら化物の数は少ない。とはいえ、まったくいないわけじゃないから音は立てないようにしないとね」


 しかし裏口らしき扉は見つけたものの、立て付けが悪く開かない。

 この世界特有の歪んだ形になっているせいだ。


「完全に設計ミスだよぉ……窓を壊して入るしかない、か」


 トイレの窓らしき場所まで移動する二人。

 一応、ガラスと似た素材で作られているらしく、炎の魔法で溶かすことができた。


「歯がゆいな、こういうときに私も魔術が使えたらいいんだが」

「今度教えてあげよっか? アリウムちゃんの頭なら、簡単な魔術ぐらいは覚えられると思うよ」

「ふ、なら無事に戻れたら頼む」

「ふふっ、頼まれたからね。忘れないでよ?」


 そう言ってプリムラは飛び上がり、窓のふちに指を引っ掛けて中を覗き込んだ。

 紫色に怪しく照らされた女子トイレ――ひどい臭いだが、生物の気配は無い。

 中に侵入、すぐさまアリウムも呼び寄せる。

 足音を殺しながら歩き、トイレから出て廊下へ。

 近くにあった階段からひたすら上を目指す。

 幸い、気配があるのは屋内のオフィスだけで、しかもそこから動く様子はなかった。


「残ってる化物はみんな残業してるんだろうな」

「世知辛いな」

「なんの仕事してるかわかったもんじゃないけどね。五階――よし、このあたりでいいかな」

「なあプリムラ、そもそもどうしてこの建物に?」

「高いほうが街全体を見渡しやすいでしょ? 屋根に立ってるとどうしても目立つし、だったら高い建物から見渡したほうがいいと思って。ちょうどここなら、見たかった場所も全部見えるしね」


 見たかった場所――それがどこなのかを知りたいアリウムだったが、プリムラは『見ればわかる』と言わんばかりに五階に進んだ。

 そこには壁で区切られたいくつかのオフィスが立ち並らんでおり、中にはまだ明かりがついている部屋もあった。

 もちろんそこは避ける。

 窓より低い高さに腰を落とし、プリムラはある扉の前で止まった。


「電子キーは面倒だな……どういう挙動するかわかんないし」

「破壊するとアラームが鳴るかもしれないな」

「そうなればまた追いかけっこだよね。いっそ壁を壊したほうが安全かも」


 そう言って壁に手を当てたプリムラは、まず風の魔術で切りつけ、壁の強度を見る。

 元から強いのか、はたまた材質が変わっているせいか、それでは細かな傷が付く程度だった。

 もっとも、音を立てないためにあまり強い魔術は使えなかったが。


「頑丈だな」

「陣の形勢が少し面倒だけど、光の魔術じゃないと突破できないかな。アリウムちゃん、ちょっと目をつぶってて」

「ああ、わかった」


 白い魔法陣が手の上に浮かぶ。

 それは手の甲に接触すると、その指先に力を与えた。

 人差し指を伸ばす。

 その先端から放たれる光が、ジジジ……と壁を焼き切る。

 ペースはゆっくりだ。

 音と光の問題から、これ以上は強くできない。

 これでバレずに壁に穴をあけられるはず――だったが、


「プリムラ、足音がする。隣の部屋からだ」

「帰宅の時間ってこと……?」

「そうらしい。廊下に出てくるぞ、奥に隠れよう」


 一足先に、アリウムが角を曲がった先に向かう。

 だが彼女はそこでぴたりと止まって、慌てた様子でプリムラにストップをかけた。


「どうしたの? もしかしてそっちにもいるの? でも気配はなかったけど――」

寝てる(・・・)らしい」


 アリウムの背中に手を置き、一緒に角の向こうを覗き込むプリムラ。

 確かにそこには横たわる化物の姿があった。

 だが実際に見ても、それが睡眠と同じ行動かどうかは判別できない。

 プリムラですら気配を察知できない状態なのだ、どちらかと言えば、睡眠より仮死に近い状態なのかもしれない。

 だが胸らしき部位は上下している。

 近づけば目を覚ます可能性は十分に考えられる。


「先に穴をあけて中に入ったほうが早いかもね」

「間に合うのか?」

「とにかくやってみる。最悪、倒してすぐに外に脱出ってのも考えとかないとね」


 すぐに壁の前に戻り、穴あけを再会するプリムラ。

 だがもちろん、化物はすぐに扉を開き出てくる。

 彼女はそちらに手をかざし、光の魔術とは別に、氷の魔術を発動させた。

 魔術の二属性同時行使――神話の時代でも、ガラテア以外にはそんな芸当は不可能だろう。

 まあ、一属性を極めた魔術師たちは、そんな器用貧乏さを単純に求めなかったということでもあるのだが。

 部屋から出ようとした化物は、がちゃがちゃとドアノブを繰り返しひねる。

 中から「ふしゅるるるるぅ、ふしゅるるるるぅ!」と苛立たしげな呼吸が聞こえてきた。


「すぐに扉ごと壊して出てきそうだな」


 そうなれば、電子ロックは大きなアラームを鳴り響かせるかもしれない。

 プリムラは焦りからかこめかみに汗を浮かばせたが、急いで仕損じることはしない。

 落ち着いて、頭の中で立てた筋道通りにことを進めれば、見つからずに入れるはずなのだから。

 そして――ガタン、と切り離された壁板が部屋の内側に落ちる。


「アリウムちゃん、開いた。先に行って」


 頷く時間すら惜しい。

 四つん這いで素早く中に入るアリウム。

 次にプリムラが侵入し、氷の魔術を解除した。


「……んん?」


 部屋から出てきた化物は、扉を見て首をかしげて訝しむ。


「うへっひ。うえへへへへっ! へへへへへっ! へっへへへへへへ!」


 だがすぐに口の端からよだれをこぼしながら、小走りで階段のほうへと向かっていった。

 見届けたプリムラは、ほっと胸をなでおろす。


「化物がバカでほんとよかった……」

「なあプリムラ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのか? なにを見たかったのか」

「見ながら話したほうがわかりやすいと思うよ」


 二人は窓際に近づく。

 窓の柄もマーブル模様で、まともに外が見える場所のほうが少ないぐらいだが、まったく見えないわけではない。

 それに、おかげでプリムラたちの顔も外から見えにくい。

 彼女たちは安心して外の光景を見ることができた。


「まず前にあるのが、操者訓練センター」

「そうか、あれが……広さこそ一緒だが、まったく印象が違うな。だがあの建物にどんな意味が? みたところ、他の建物と特に変わりはないようだが」

「うん、そこはちょっとあてが外れたかな。でもわからない? 街の中に何箇所か、やけに赤くて刺々しい場所があるの」

「言われてみれば……確かに、一見して無秩序に見えるが、際立って異様な姿をしている建物があるな」


 プリムラは一つずつ指をさして、施設の中を口に出す。


「訓練センターの右側にあるのが、学園ね」

「……赤いな」

「かなりキてるよねぇ。あとついでに、近くにある寮も」

「心なしか、寮のほうが激しいようにも見えるな」

「しかも、寮の中でも差があるのわかる?」

「ああ……あの部屋のあたりは確か……プリムラが住んでるところじゃないのか?」

「正解」

「まさか、この世界を作ったのは、プリムラを憎んでいる人間だとでも?」

「わたしはそうだと思ってるし、この景色のおかげで答え合わせができると思ってる」


 その後も、プリムラは特に異形化の激しいいくつかの建物を発見した。

 大通りに面する娯楽施設。

 そこからほどちかいコンビニエンスストア。

 歓楽街のバー。

 どこも、ガラの悪い連中が集まるような店ばかりだ。

 そして最後に――とあるアパートメントの一室を指差す。


「あの部屋は?」

「犯人の住処。コロニーだったらね」

「それは誰なんだ」

「まず前提として、わたしはこの現象を引き起こしたのは操者だと思ってる。もっと言えば、ドールに乗った操者ね」

「規模が大きいことに関しては?」

「わたしの予想が正しければ、そいつはまともな操者じゃない。なぜなら、あいつはとっくにアニマを失ってるはずだから」

「アニマを失った操者……」


 そこまで言えば、アリウムにも犯人が誰なのかわかった。

 もっとも、どうしてこんなことができたのか、そしてこれがどういう能力なのかまではわかっていないが――判明しただけ、大きな前進である。

 動機もはっきりしているのだから。


「ザッシュか」


 アリウムがその名を言うと、プリムラは「正解」と一瞬だけ微笑み、すぐに視線を移し例の部屋を睨みつけた。

 そこは、かつて彼が暮らしていた部屋だ――




 ◇◇◇




「くへひゃひゃひゃはへへはははははっ! 気付いたって、気付いたって無駄なんだよプリムラぁ、アリウムぅっ!」


 ザッシュは笑う。

 まるで海のように深く、暗い、なにも無い空間にぷかぷかと浮かびながら。


「オレは勝てるっ、勝てるんだよぉっ! この力があれば! うへへひひゃはははははっ! はひゃははははははっ! 殺してやるぅ、コロシテヤルううぅぅぅうううッ!」


 彼の頭にあるのは、殺意のみ。

 自分の心も身体もプライドも立場も未来も全てを奪ったプリムラたちを滅ぼすという意思のみ。

 そんな彼の背中には、へばりつく大きな()があった。

 そこからずるりと女性の顔が生え、血管が浮き出る顔を耳元に近づける。


『そうよザッシュ、あなたはとてもツよいコ。大丈夫、あなタは勝てル。勝って、あのコを食べましょウ。あたマから、パクっと』


 彼女は優しく囁く。

 するとザッシュは嬉しそうに笑い、さらにその殺意を暴走させていくのだった。




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