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027 心象風景サイケデリア

 



 地下に続く階段を下りると、その先には金属で作られた重厚な扉があった。

 アトカーはすでにネット経由で入り口のロックを解除している。

 殴りつけるようにボタンを押すと、自動で扉は開いた。

 焦るプリムラは滑り込むようにシェルター内に入り、倒れ込むアリウムに駆け寄る。

 抱き上げても意識を失った彼女は、ぐったりと脱力している。

 しかし呼吸はあるようで、ひとまず一安心といったところか。


「意識を失ってるだけ……か」


 必死になっているところを見られたら気まずいので、まだ目覚めていなかったのはプリムラにとって都合がよかったのかもしれない。

 だがまだ油断するには早い。

 ただ意識を失っているだけならともかく、何らかのウイルスを仕掛けられていたら、このまま覚醒しない可能性もあるのだから。


「アリウムちゃん、起きて。アリウムちゃん!」


 頬に手を当ててプリムラは呼びかける。

 すると「うぅん」とうなりながら、アリウムはうっすらを瞳を開いた。


「プリムラ……?」

「はぁ、よかった」

「ここは……うちの、シェルター……? どうして私はこんな場所に……」


 言いながら、アリウムは起き上がる。

 そして片手で頭を抑えると、自らの記憶を想起した。


「そうだ、私はお祖父様に話を聞いていて、そこで、急に抱きしめられて……」

「スタンガンの類だと思う。首の後ろに痕が残ってるかも」

「お祖父様が、私にそんなことを?」

「本人はアリウムちゃんを守るためだって言ってるけど。どうだか」

「そう、秘書が……教団から、バラバラになって送られてきたんだ」

「次の犠牲者がアリウムちゃんだと思われてるってこと? にしたって、もうちょっとやり方があると思うけど」

「プリムラ、怒ってくれているのか?」

「そんなの当たり前じゃん!」


 即答するプリムラを前に、アリウムはきょとんと目を丸くする。

 だがすぐに嬉しそうに頬をほころばせた。


「そうか、怒ってくれたのか」

「そりゃあ、まだアリウムちゃんに対して思うところはあるし、恨んでもいるよ。五年前もそうだし、わたしがコロニーから追放されそうになったときのことだってそう。忘れられるわけがない」

「当然だと思う」

「これから先、どんなにアリウムちゃんが謝ったり、償ったりしても、その事実は消えない。一生、もやもやしたまま嫌な記憶を抱えてわたしは生きていく」

「……ああ」


 アリウムの表情が曇る。

 だがそれはプリムラに対してではない。

 自分の行いを反省してのことだ。


「ただ、まあ、なんていうかな……マイナスはマイナスのままだけど、トータルでプラスにならないわけじゃない。これから先の未来にいい記憶を積み重ねていけば、元通りは無理でも近い関係にはなれるんじゃないかと思ったし、そうなれればいいと思っただけ」

「なれればいいと、思ってくれているのか?」

「思わないわけないよ。わたしにとってアリウムちゃんと過ごした時間は、人生で一番幸せだったんだから」

「私はそれを、裏切ってしまったんだな。本当にすまなかった」

「いいよ、謝ったってどうにかなる話じゃないから」


 謝罪で過去が変わるわけじゃない。

 それよりは、プラスになる記憶を重ねていけたら、とプリムラは望む。

 少なくとも、最初の頃ほど強い憎しみは、今は無かった。

 急に変わったわけではない。

 本音をぶつけ合えたことや、アリウムが自分のために力になろうとしてくれたことも一因だ。

 しかしそれとは別に――アリウムが唯一の近い肉親だとわかったことも、それを後押ししているのかもしれない。

 今やプリムラの親は誰かわからない。

 わかったところで、おそらくこの世には残っていない。

 もはやまともに家族として接することのできる可能性が残っているのは、アリウムだけなのだから。


「アリウムちゃん、体は大丈夫?」

「ああ、少し頭がふらふらするが……問題ない、起き上がれる」


 二人は立ち上がる。

 だがやはりアリウムの顔色はあまりよくない。

 プリムラは少し休んでから出たほうがいいと判断し、話題を探すついでにシェルターを観察することにした。


「しっかし、すごいシェルターだね。わたしの寮の部屋より広いぐらいなんだけど。大型プラントも完備されてるし、あっちは非常用の水と食料? どれぐらい保つようになってるの?」

「一人なら二年はここで過ごせるようになっている。お祖父様はおそらく本気で、事が終わるまで私をここに閉じ込めておくつもりだったんだろう」

「ちょっと笑えない年月だなー……でも、なんでこんなものを」

「うちに限らず、このあたりの住宅地に居を構える人間はみなシェルターを持っている。いつコロニーが崩壊してもいいようにな」

「そんな話があるの?」

「無い。だが1キロメートル級のフォークロアが現れれば、全滅するかもしれない」

「いないとも限らない。崩壊の可能性もあるから、こんな豪華なシェルターを作る、か。お金もあって権力もあって人生を謳歌してるだろうに、そこまで長生きしてなにしたいんだろうね」

「謳歌しているからこそ、死ぬのが怖いのかもしれないな」


 幸せがある日、突然に途切れる。

 満たされているからこそ、それを恐れる。

 あるいは、自分の金が他者の犠牲の上に成り立っていることを理解しているからこそ、潜在的な罪悪感が嫌な想像をさせるのかもしれない。


「ありがとうプリムラ、気を遣ってくれたんだろう?」

「なんのこと?」

「ふ、私はもう大丈夫だ。お祖父様の元に戻ろう」

「まあ、それもそうだね。ラスファ先輩とフォルミィ先輩も待たせてるし」

「あの二人と一緒だったのか」

「病院を出ようとしたタイミングでちょうどお見舞いに来ててね。あの二人、教団のことにも興味あるみたいだし。ラスファ先輩は相変わらずとっつきにくいけど」

「あの人はフォルミィ先輩以外には誰に対してもそうだからな」


 アリウムの無事が確認できたからか、二人を取り巻く空気は軽く、会話も弾む。

 何気ない話をしながらシェルターの出口に近づくと、開きっぱなしだった扉が1人でに閉まった。


「……あれ?」

「時間が経つと自動で閉まるようになっているんだ。鍵はかかっていないからまたボタンを押せば開くはず――」


 扉に取り付けられたボタンに触れるアリウム。

 しかし、うんともすんとも反応しない。


「ん? おかしいな、鍵は――なっ、閉まっている!?」

「またロックがかかってるってこと?」

「ああ、外部からネット経由で閉じるようにはなっているんだが、その権限を持っているのはお祖父様だけだ」

「またあいつが……!」


 プリムラは扉を睨みつけると、苛立たしげにつま先で蹴った。

 だがそこで、ふいに違和感を覚える。

 こんな状況なら、ヘスティアとハデスが苦言の一つで代弁してくれそうなものなのだが。

 さっきからやけに静かだ。


「これは……」


 同時に、アリウムもなにかに気付いたらしく、眉間に皺を寄せ険しい表情を見せる。


「アリウムちゃん、これってなんかおかしくない?」

「プリムラもそう思うか。私も、ちょうどネットに繋がらないことに気付いてな。アヤメさんが現れたときと同じ現象だ」


 シェルター内の照明は消えていないが、これはネットワーク対応機器が使われていないためだ。

 非常用の設備なのだから、想像しうる最悪の事態でも使用できるようにしてあるらしい。


「プリムラもなにかに気付いていたようだが、私と同じか?」

「ううん、わたしの場合は、ヘスティアとハデスと意志の疎通ができない」

「それはどういう状態なんだ?」

「アニマとの約定は維持されてる。魂はちゃんと繋がってるし、魔力も見ての通り普通に使える。でも……なんかやけに遠くにいる感じがするんだよね、ありえないことなんだけど」


 オリハルコンを使って実体を持っているならともかく、霊体の状態で彼女たちはプリムラから遠く離れることはできない。

 せいぜい数十メートルが限界だ。

 だが今は、その範囲内にも姿が見当たらない。


「シェルターにそういう機能が付いてるってことは……無いよね」

「アニマが自意識を持つだけでもイレギュラーだからな」

「だよねぇ。ってことはわたしたち、なんか知らないけど誰かに隔離されたってこと?」

「だがそんな予兆は無かったぞ。今だって、魔力は感じられない」

「んー……考えたってわかりそうにないし、とりあえず外に出てみよっか」

「出られるのか?」

「これぐらいの扉、余裕で壊せるよ。じゃなきゃ、閉じ込められる可能性のある部屋に一人で突入しないよ」


 決して不用心だったわけではない。

 もしも魔術で破壊不能な扉だったなら、アトカー本人と一緒に入るなりして、対策を講じただろう。

 要するに、部屋ごと隔離される今の状況は完全に予想外だったわけだが。


「アリウムちゃん、危ないから離れてて」


 プリムラは扉に手を当て、意識を集中する。

 またもやネットから隔離され、魔法陣の呼び出しは使えない。

 せっかくシステムを構築したのになかなか活躍させられないことを内心嘆きながら、陣の構築を開始した。

 そしてあとは魔力を流し込むだけの段階まで至ったところで、


「……ん?」


 プリムラは首を傾げ、魔術の発動を中断する。


「なにか起きたのか?」

「うん……誰かの気配が近づいてくる」


 彼女はそう言って、扉に耳を当てた。

 そして向こう側の音を確かめる。


「足音もする。でも誰のだろ、走ってるわけじゃないけど歩幅がやけに広くて、体重も重そう」

「お祖父様ではないのか。それか、複数人が一緒に来ているとか」

「だったらどんなに足並みを揃えたとしてもわかると思う」

「この家にいないはずの誰かが、近づいてきている……」


 気配が近づくにつれて、プリムラの表情が険しくなっていく。

 扉越しでも、殺気とも異なる、その異様な空気を感じ取ったからだ。

 強烈な威圧感。

 しかしでたらめだ、達人とかそういう類の人種ではない。


「こっちに来て」


 離れていたアリウムと身を寄せ合う。

 いつでも逃げられるようにするためだ。

 そして扉から少し距離を取り、手をかざして、空中に魔法陣を浮かび上がらせた。

 入ってきた瞬間に相手の顔すら見ずに、殺傷能力の高い魔術を発動する。

 そのつもりだった。

 そうするべきだと、ガラテアから引き継いだ経験が語っていた。


「なにが来るんだ……」


 自然とアリウムの声も小さくなる。


「わからない」


 それはプリムラが聞きたいぐらいだった。

 ただはっきりしているのは、それは屋敷にいた人間のうちの誰でもなく、そして人なのかすら怪しい存在だということ。

 そしてそいつは扉の前に止まり、しばらく動こうとしなかった。

 プリムラとアリウムは緊張した面持ちで、そちらをじっと見つめている。

 アリウムのこめかみを、一滴の冷や汗が伝った。

 その直後――ドンッ、と強い衝撃がシェルター全体を揺らした。

 さらに続けざまにドンドンドン、となにかが扉に叩きつけられる。

 ついには扉は変形をはじめ、直径1メートル弱はある拳の跡がくっきりと残っている。


「っ……な、なんだこれは。殴っているのか!?」

「このままじゃ破られちゃう。アリウムちゃん、こっちに」


 この部屋は見通しがよく、入り口から全体を見渡すことができる。

 だから隠れられる場所は、扉の真横――死角になっている隅だった。

 プリムラはアリウムを抱き寄せ、体を縮こませる。

 なおも衝撃は続き、ついに分厚い金属の板が、まるで紙のように破け穴が開いた。

 入り口から死角になっているということは、プリムラたちからも穴の向こうは見えない。


「ふしゅううぅぅ……ふしゅうぅぅぅぅ……」


 聞こえてくるのは、そんな異様な呼吸音だけだ。

 およそ人のものとは思えない。

 いや、拳で扉を突き破っている時点で、人のはずがない。


(シェルターの扉を閉じたのは……もしかして、こいつからわたしたちを守るため……?)


 プリムラは考える。

 シェルターの入り口に到達するためには、必ずのあのエントランスを通るはずだ。

 つまりこいつは、アトカーたちと遭遇しているのだ。


(ラスファ先輩とフォルミィ先輩を置いてきたのは正解だった。あの二人は操者だから、老人二人を連れてもどうにか逃げられるはず)


 だがその仮定だと、隔離されたのはシェルターだけでなく、屋敷全体ということになる。

 それを確かめるためにも、まずはここから脱出する必要があった。

 このままなにもせずに、扉の前で立ち止まる何者かが離れてくれればいいのだが――

 そううまくいくはずもない。


「ふしゅうぅぅ……んん?」


 まるで人のような声が聞こえた。

 だがやけに低く、反響している。

 そしてそいつは、開いた穴から腕を突っ込んだ。


「……なんだ、あれは」


 アリウムが小さな声で、大きく驚愕する。

 現れた手は、確かに形は人間のものだった。

 だが異様に大きい。

 指から手首までの長さだけで、人一人分ほどあるサイズだ。

 なるほどあれが力いっぱい拳を握れば、1メートル弱の穴も開けられるかもしれない。


 肘まで突っ込まれた腕は、なにかを探るように部屋の中を動き回る。

 かろうじて二人が身を寄せる隅までは届いていないが、生じる生ぬるい風に、プリムラの全身は粟立つ。

 アリウムも今は自分たちの関係を忘れ、強く彼女に抱きつき、体を密着させていた。


 動く手は、やがて壁や床に叩きつけられ、再び部屋全体を揺らす。

 開いた穴に生じた尖った部分で腕はズタズタになり、ぐじゅぐじゅと大量の血を流していたが、一切気にする様子はない。

 どんどん、ぐちゅぐちゅ、どんどん、ぐちゅぐちゅ。

 無意味に続けられるそれは、もはやただの自傷行為だった。


「うへっ、へへっ、うへへへへっ、ひゃひゃっひ、へへへへ!」


 化物は笑う。

 人間のように、しかし人間とは明確に異なる声で。

 低く響くその音に怯えながら、プリムラたちは目をぎゅっと閉じて、それが終わるのをひたすらに待った。

 それが終わったのは、三十分ほど経った頃。

 飽きたのだろうか、急に腕の動きがぴたりと止まり、引き抜き、そのまま足音は遠ざかっていく。

 残ったのは血溜まりと、鉄臭い臭いだけだった。


「行った、のか?」

「うん、戻ってくる気配は無い。遠ざかってくれたみたいだけど……はあぁ」


 プリムラがくたっと体から力を抜くと、アリウムも同時に彼女の体にしなだれかかった。

 今は仲がどうとか考えている余裕もない。

 ただあの化物が離れてくれたことに安堵し、心を休める。


「なんだったの、今の……」

「プリムラが知らないなら、おそらく誰にもわからないな」

「そうだね、ガラテアの知識にも無いんだもん。一番近いのはフォークロアだけど、こんな血を流したりはしないよね」

「まず街中に出てくること自体がないはずだ」

「じゃあ別の化物――って、そんなのが存在すること自体異常なんだけど」


 だが二人の頭には、同じ言葉が浮かんでいた。

 教団。

 現状が、彼らの仕業であることは間違いないだろう。


 息を整えると、二人は立ち上がり、シェルターからの脱出を試みる。

 扉は壊れ、自動では開かなくなっていたので、プリムラが魔法で残骸を吹き飛ばした。

 そして血が点々と続く階段を上り、屋敷の一階に出ると、近くにあった窓から外の景色を見る。


「こんなことが……私は悪い夢でも見ているのか?」


 アリウムは立ち尽くし、そう嘆いた。

 プリムラは無言で窓の外を眺めていたが、彼女とまったく同じ感想を抱いていた。


 薄暗い景色に、赤黒い空。

 街には物理学を無視したぐにゃぐにゃの建物が立ち並び、その全てはサイケデリックな色で塗りたくられている。

 悪趣味。

 広がっているのは、その一言に尽きる、地獄めいた光景だった。




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