025 熱を帯びる
その日、夕方になってもアリウムはプリムラに連絡を入れなかった。
さすがにこの時間になればアトカーたちは起床しているはず。
そうなれば、今の彼女ならば多少強引にでもなんらかの話を聞き出そうとするはずだし、聞けなかったとしても連絡ぐらいは入れてくるだろう。
「今日は議会は開かれていないから、自宅から出ていないこと自体はおかしくない。でもそうなると、アリウムちゃんが連絡を入れてこない理由がわからない……」
「過保護ですのね、つい先日まではあんなに険悪にしていましたのに」
「いいことだ。友達とは仲良くするべきだからな、あたしとラスファみたいに」
ベッドの隣には、訓練帰りでお見舞いに来たフォルミィとラスファが腰掛けている。
プリムラは二人とそこまで親しくなったつもりなないのだが、フォルミィはすっかり友達のつもりでいるようだ。
「……勝手に仲良し扱いしないでくださいません?」
相変わらず振り回されてばかりのラスファが、呆れたように言った。
もっとも、彼女は望んでフォルミィと一緒にいるようなので、自業自得なのだが。
「だったらどうしてあたしと一緒にお見舞いに来てくれたんだ」
「それはあなたが強引に誘うから……はぁ、まあそれはいいですわ。で、どうしてプリムラはさっきからそうやってそわそわしていますの? わたくしたちの相手もせずに」
「カズキ先輩から聞き出した情報を教えてほしいなら、大人しくそう言えばいいのに」
「それだけではありませんの。どういう経緯で彼のアニマとあなたが組むことになったのか、そのあたりの説明も要求しますわ」
「気にしたって仕方ないと思うけどね……」
プリムラは一昨日の出来事をすべて二人に語った。
フォルミィはさておき、ラスファを信用していいかは怪しいものだが、しかし仮に彼女が教団側の人間だったとするのなら、プリムラの語る話など最初から知っているはずである。
「なんというか……ややこしいな! もういっそ気にしないほうがいいんじゃないか?」
「そうはいきませんわよ、当人からしてみれば」
「それはそうだが、従姉妹だと思ってた相手が姉妹だったとかいきなり言われても、どうしていいかわかんないと思うぞ?」
「狙ってたんじゃないかしら、それを。きっとカズキ先輩からの最大限の嫌がらせだったんですわ」
「回りくどい嫌がらせだなー」
プリムラもそれには同感だが、実際こうして苦悩しているのだ、彼の作戦は成功したと言っていいだろう。
だがしかし、嘘ではない。
彼からもたらされた情報が、事件の真相を暴くための足がかりになることは間違いないのだ。
「つまりアリウムは、お祖父さんたちがそれに関連するなにかを知ってるんじゃないかと思って、家に戻ったってことか?」
「うん……今日の早朝だったから、とっくに話は聞けてるはずなんだけど」
『さすがに心配よねぇ』
『過保護すぎると思うけどー』
黙って話を聞いていたヘスティアとハデスが、何気なくそうつぶやいた。
今は二人とも必要がないため実態は持たず、魂の状態だ。
「藪蛇を突いて、始末されているかもしれませんわよ」
「アリウムちゃんがアトカーさんに?」
「ええ、あれだけの大政治家なら、教団の一員である可能性が高いですわ。彼らなら目的のために孫ぐらい簡単に殺してみせますもの」
ラスファは意地悪に笑いながら言った。
「それはないかな」
しかしプリムラは即座に否定する。
「どうして言い切れますの」
「わたしが説明するのは面倒だから、本人に聞いてみたら?」
そして彼女はベッドから出た。
それを見るラスファは目をまん丸くしている。
『プリムラ、行くの?』
「ここで連絡を待ってやきもきするぐらいなら、直接出向いて話を聞いたほうが早いし」
『そうね、アリウムのことも心配だし、それがいいかもしれないわ』
ヘスティアも今回ばかりは止めなかった。
元々明日には退院する予定だった。
体の状態は回復しているし、義手に若干の違和感はあるものの、日常生活には支障のないレベルだ。
その違和感が一日二日で治るとも思えないし、だったら今日退院しようが明日退院しようが変わらない。
「なんだ、もう退院するのか。食べるかと思って果物の詰め合わせを持ってきたんだが……プリムラ、持っていくか?」
「それを持っていくわけにはいかないかな……ありがたいけど」
「弟さんに持って帰ってあげればいいのではなくて?」
「あんまりいいものを食べさせるとあいつら『またよこせ』って言ってくるんだ。でも仕方ないか、食べ物を無駄にするわけにはいかないからな」
フォルミィとラスファがそんなやり取りをしている間に、プリムラは素早く着替えを済ませていた。
元が急な入院だったため、ほとんど持ち込んだ荷物はない。
彼女はほとんど手ぶらで病室を出た。
◇◇◇
見つかることなく病院からの脱出に成功したプリムラは、そのまま自らの足でルビーローズ邸に向かう。
ラスファとフォルミィも同行するつもりのようだ。
先程プリムラの放った『本人に聞いてみれば?』という言葉は半ば嫌味のつもりだったのだが、ラスファはそれを理解した上で本気でアトカー本人に問いただすつもりらしい。
一方でフォルミィは、今回の一件には関わりが無いはずなのだ。
だが少なからず教団が絡んでいる可能性がある。
両親の自殺――彼女はその真相を知りたがっている。
その手がかりがつかめるのなら、どんな些細な可能性も逃したくない、その想いゆえの同行か。
あるいは、ただ単にラスファと一緒に居たいだけの可能性もあるが。
ルビーローズ邸のある高級住宅街は、病院からは割と近くにある。
というのも、この住宅街にはアトカーをはじめとした政治家や資本家など、コロニーにおいて大きな影響力を持つ人物が多く暮らしている。
そんな彼らの命を優先的に守るために、病院は近場に建設されたのだ。
「そういえば、ラスファの家はこのあたりじゃないんだな」
「デルフィニアタワーがある以上、わざわざここに家を持つ必要がありませんもの」
「ラスファ先輩、あのどでかいビルに住んでるんだ?」
「いやそれがな、ラスファはあんまり家に帰ってないみたいなんだ。普段はあたしの家かホテルに泊まってるからな」
「フォルミィ、わたくしが頻繁にあなたの家に泊まっているかのような流言を吹聴するのはやめてくださいません?」
「でもこの前も泊まってたじゃないか」
「この前だけですわ、あなたが強引に引き止めるから。おかげで狭い部屋に詰め込まれてあの三人まで泊まる羽目になるんですもの」
「あの三人?」
「あれですわ」
ラスファは振り返り、後ろからついてくる黒服三人組を顎で指し示した。
プリムラと目が合うと、ぺこりと会釈する。
「……なにあの怪しい連中」
「わたくしの使用人と思ってくださって構いませんわ」
「さすがデルフィニア家のお嬢様……親も過保護なんだね」
「そういうわけではありませんわ、あれをわたくしに付けたのは父ではなく姉ですもの」
「姉っていうと、あのクラスS操者の?」
「フィエナさんだな。ラスファと顔もそっくりなんだ、まああたしはラスファのほうが可愛いと思うけどな!」
「やめなさいよそういうの……」
ラスファはそう言いながらも、まんざらではない顔をしている。
「二人って仲良いんだね」
「別にそういうわけじゃありませんわっ!」
「そろそろ認めてもいいんじゃないか?」
「認めるとか認めないとかではありませんから! わたくしとフォルミィはあくまでライバル、いつか潰し合う運命ですもの」
「素直じゃないなあ」
「わたしもそう思う」
「うるさいですわ。というかプリムラ、あなたカズキ先輩に殺されたかけたばかりだというのに、思ったより元気ですわね」
「……そう?」
『そうよ、腕だってちぎれたばっかりなのに』
さらにヘスティアが追い打ちをかける。
プリムラは口をへの字に曲げて「むぅ」と唸った。
確かに、カズキやアヤメから色々と聞かされたばかりだというのに、思ったよりも落ち込んでいない自分がいる。
いや、アリウムと姉妹だとか、アヤメが母親でないという話に関しては、まだ実感が湧いていないだけかもしれないが。
それを差し引いても、彼女の表情がどこか明るく見えるのは――
(一人じゃないから、かな)
本心をさらけ出しぶつけ合って以降、アリウムとの距離は少しずつ縮んでいる。
一緒に真相を暴いてくれようとする人もいる。
単純に、利害の一致など関係なしに支えてくれようとしている人だっている。
全員が全員、素直に信用できるかと言われると微妙なところだが――しかし、このコロニーで孤独に生きていたときよりは、プリムラの周辺は賑やかだ。
それが彼女自身にも影響を与えているのかもしれない。
『カズキが嫌がってたの、たぶんそういうとこだよねー。あれは嫉妬だしー、一般的にはそういうの“いい傾向”って呼ぶと思うけど』
ハデスはプリムラの心を見透かすように言った。
『どういうことよ?』
「カズキ先輩は、わたしが孤独でないことを妬んでいた。それが逆に、なんていうか『自分にも他人が嫉妬するようなものがあったんだな』って確認させてくれたっていうか……」
「希望に満ち溢れた回答ですわねぇ」
「いいことだな、ラスファも見習ってもっと友達を作るべきだ」
「必要ありませんわ」
「フォルミィ先輩だけで十分だから?」
「なんだラスファ、そんなふうに思っててくれたのか。でもさすがに照れるな……」
「そんなんじゃありませんわっ!」
頬を赤らめるフォルミィに対し、声を荒らげるラスファ。
そうやって騒いでいるうちに、ルビーローズ邸が見えてきた。
高い柵に囲まれているためここからでは中の様子はわからない。
だが少し離れると、二階にあるアリウムの部屋の窓を見ることができる。
「カーテンが閉まってる……」
「他の窓は開いているのにあの部屋だけ。不自然ですわね」
まさかあのアトカーが、アリウムに危害を加えるようなことをするとは思えない。
しかし不安は大きくなる一方だ。
少なくとも、“なにも起きていない“わけでは無さそうである。
三人は門の前に移動し、インターフォンを押した。
『あなたは……』
カメラを見た女性は、プリムラを見てそんな反応を返す。
「お久しぶりです、フィーシャさん」
プリムラもまったく面識が無いわけではない。
事件より前に、アトカーやフィーシャとは顔を合わせたことがある。
「アリウムちゃんに用事があって来ました」
『アリウムなら体調を崩していて、部屋で眠っています。遊びに来たのならまた今度にして……』
「今日会ったときは元気でしたよ」
『帰ってきて急に具合が悪くなったみたいで』
「はぁ……」
わざとらしくため息をつくプリムラ。
フィーシャがどうにかして彼女を追い返そうとしているのは明らかだった。
「下らない茶番はもうやめにしませんか。アリウムちゃんは教団についてあなたとアトカーさんに話を聞いて、その結果をわたしに伝えると言っていたんです。なあ、そんなんでわたしを誤魔化せると思ってんのか?」
『それでも……会えないものは会えませんので』
「なら強行突破するまでだ。門がぶっ壊れても文句言うんじゃねえぞ」
『な……そんなことしたら、警察を呼びますよっ!?』
「警察呼ばれたら困るのはそっちじゃねえのか? 手足縛られてたってネットワークに接続できりゃ連絡ぐらいは取れる。つまりだ、あんたらは実の孫をそういう状態にしてるってことだよなぁ!」
『ち、違います、私たちがアリウムにそんなことをするはずが――』
『……もういい、フィーシャ。開けてやれ』
低い声が、フィーシャの言葉を遮った。
「どうも、ご無沙汰してますアトカーさん」
『呪われた子か。以前に比べるとそれらしくなったものだな』
「あなたがわたしをそうさせたんでしょう」
『ふん……』
アトカーはもはや返事すらせずに、無言で門を開いた。
悪態をつくわりに、素直に招きいれたことに若干の違和感を覚えつつも、プリムラたちは前に進む。
「広い庭だなあ、うちが二十軒ぐらい入りそうだ」
「何代にも渡って議員を務めてきた家ですもの、相当な財産を溜め込んでいるはずですわ」
「ラスファの家よりもか?」
「そこまでではないと思いますが、歴史はうちと比べ物になりませんわよ」
名家であるがゆえに、彼らは血にこだわる。
だからこそ、アリウムを溺愛してきたのだ。
仮に彼女が意識を奪われ、通信すらできない状態になっていたとしても、アトカーは自ら血を途絶えさせるような真似はしないはず。
中庭を抜け、屋敷の玄関まで辿り着く。
そこの鍵もすでに開けられており、両開きの扉をプリムラが押すと、ギイィと音を立てながら入り口は開いた。
アトカーとフィーシャは、エントランスで三人を迎える。
彼らは『ようこそ』の一言もなく、険しい表情でプリムラを睨みつけた。
「『お前さえいなければ』とでも言わんばかりの形相ですね、アトカーさん。でもそれ、責任転嫁ですよ」
「汚らわしい、あまり無駄口を叩くな」
「だったらなんのために招き入れたんです?」
「身分をわきまえないお前に説教の一つでもしてやろうと思ってな」
「違いますよね、わかってるんですよわたし」
プリムラの目つきが鋭くなる。
そして彼女はその瞳で、アトカーの背後の扉を見つめた。
「まずは話し合いから――と言いたいところだったんですが、事情が変わっちまった」
ポケットに手を突っ込むプリムラ。
そこから圧縮されたオリハルコンを取り出すと、魔力を流し込み、“鎌”へと形を変える。
湾曲した幅広の刃は、その見た目だけで他者を威圧する。
アトカーの体がびくりと反応しプリムラから距離を取ろうとしたが、一般人である彼は操者の動きに対応できない。
即座にプリムラは彼の背後に周り、鋭く尖った刃の先端を頸動脈に突きつけた。
『過激だぁ』
『プリムラ、またそんなことをっ!』
『かっかしちゃだめだよヘスティア、ちゃーんとそれなりの理由はあるみたいだからー。くんくん、くんくん。うん、確かに臭うよねぇ』
『臭うって、なにがよ……』
プリムラの表情に憎悪が満ちる。
向ける相手は当然、アトカーだ。
プリムラは彼を、この後の会話次第では本気で殺すつもりでいた。
「なんのつもりだ?」
「なんのつもりィ? そりゃこっちの台詞だクソジジイ! そんだけ死体の臭いを染み付かせておいて、よくもまあ平然と言えたもんだなァ!」
リビングからだけでなく、アトカー自身もそれを発していた。
家に入って彼と相対してすぐ、プリムラはそのことに気付いたのだ。
アリウムが連絡をしてこない。
不自然にカーテンが閉じられた部屋。
そして死体の臭い――彼女は最悪の事態を想像してしまった。
アトカーがアリウムに危害を加えるはずはない。
そう思っていたが、しかし彼が教団の狂信者だというのなら話は別だ。
“うっかり”、“激情して”、“なにかの拍子で”――そんな偶発的なものではない。
なぜならば、それは“血の匂い”ではなく、ガラテアが好んだ“死体の臭い”だったからだ。
「しかもただの死体じゃねえ。バラバラになった人体の臭いだ。血や肉や臓物が混ざりあって、腐ったゲロみてえな臭いを撒き散らしてやがる」
遠慮などしない。
真っ直ぐに、純粋に、心からの殺意をアトカーに向ける。
しかし彼は揺るがない。
隣に立つフィーシャは明らかに青ざめた顔をしていたが、当人は平然と平静を保っている。
それがさらに、プリムラの神経を逆なでする。
「てめえ、アリウムちゃんをどこにやりやがった!?」
屋敷に、少女の荒々しい怒声が響き渡った。




