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024 人は過ちを犯す生き物である

 



 病院を飛び出したアリウムが『こんな時間に祖父母が起きているわけがない』ことに気付いたのは、数分経ってからのことだった。

 プリムラのためになにかしたい――そんな気持ちがから回っているのだ。

 考えなしの行動を恥じながらも、ここまで来たからには家に帰らないわけにもいかない。


「夜が明けたらお祖父様と話をして、すぐにプリムラに結果を伝えよう」


 まるで言い訳するようにそう口に出し、夜のコロニーを歩くアリウム。

 さすがにこの時間では人通りも少なく、シャトルの往来もまばらだ。

 ルビーローズの屋敷があるのが高級住宅街だからか、住民の眠りを妨げるような音は一切聞こえてこない。

 不気味すぎるほど、周囲は静かだった。

 ほどなくして家の近辺に到着すると、光の漏れる窓を見てアリウムは足を止めた。


「お祖父様たち、まだ起きているのか。仕事が忙しかったのだろうか……」


 本来なら安楽死を迎えるはずの六十歳は過ぎているのだ。

 できれば無茶はしてほしくなかったが、それを言って止める祖父ではないことをアリウムは知っている。


 アリウムの祖父、アトカー・ルビーローズは、良くも悪くも“筋を通す”人間だった。

 だからこそ民衆の支持を集め長年議員を続けていられるのだろうが、一方で融通のきかない一面もある。

 祖母であるフィーシャ・ルビーローズは、夫のそんな旧時代的な頑固さにも文句一つ言わずに寄り添い続けてきた。

 二人は、アリウムにとっての理想だ。

 祖父のように強くありたいと願うし、祖母のように優しくありたいとも願う。

 だが、だからこそ問いたださねばならないのだ。

 なぜ祖父が、プリムラをあそこまで忌避したのかを。

 彼の通そうとする筋から外れた――少なくともアリウムはそう感じている――命令を、孫に強く言いつけたのかを。


 玄関の前に立つと、顔認証で鍵は自動的に開いた。

 それでも扉自体は自動ドアではなく、自分の手で取っ手を引く必要がある。

 この家を作るときの、祖父なりのこだわりらしい。

 家に入ると、天井にぶら下がる華美なシャンデリアが来訪者を出迎える。

 はじめて来たときには誰もがそれを見てため息をつくものだが、毎日見慣れたアリウムが反応を見せることはない。


「おかえりなさい、アリウム」


 音を聞きつけてか、祖母が奥から現れ、アリウムを迎える。


「ただいま戻りました。お祖母様、なぜこんな時間に起きているのですか?」

「それは……」


 フィーシャは気まずそうに後ろのほうをちらりと見た。

 そちらにあるのはリビングだ。

 彼女は顔色は明らかに悪く、さらにアリウムが鼻を鳴らすと、かすかに血の匂いも流れてきた。

 悪寒を感じた彼女はすぐさま靴を脱ぎ、大股でリビングへ向かう。


「あ、アリウムっ、待ちなさい!」


 止めようと前に立ちふさがるフィーシャ。


「退いてくださいお祖母様、私とてルビーローズ家の一員。なにが起きたかは知りませんが、知る義務があります!」

「いいのよ、私たちでどうにかするわ。だからあなたは、自分の部屋に戻りなさい。お願いだから、ね?」

「お祖母様……」


 アリウムは政治家としてのアトカーが行ってきたことをあまり知らない。

 個人で知れることは自主的に学んではいるものの、彼は聞いても答えてくれなかったからだ。

 まるでわざとらしく、その世界からアリウムを遠ざけようとするように。


「私は無関係なことなのですか?」

「ええ、ええそうよ、あなたとは関係ないことなの」

「……お祖母様は、正直な人だ」

「アリウムっ!?」


 祖母の手を振りほどき、アリウムは強引に前に進んだ。

 そしてリビングに入り、いつになく真剣な表情を浮かべるアトカーを見つける。

 彼の視線の先には、テーブルの上に置かれた大きな箱。

 血の匂いは、そこから漂っているようだ。


「お祖父様、それは……」


 特に蓋もされていない箱の中身は、部屋の入り口に立つアリウムからでも確認が出来た。

 赤い。

 だがただの赤だけでなく、肌、桃、白、黄――いくつかの色が混ざりあった、淀んだ赤だった。


「対処の難しい出来事というのは、起きてほしくないときほど、連続して起きるものだ」


 アトカーはアリウムのほうに視線を向けることなく、それ(・・)を見ながら言葉を続ける。


「アリウムはあれほど近づくなと言っていたプリムラ・シフォーディに接触し、行方知れずになっていた秘書はこのような形で家に届き(・・)、それを見られてしまった。まったく、なぜこうも不運が重なるのか」


 彼の言葉で、アリウムは箱詰めになったバラバラの死体が誰のものか気付く。

 そうだ、あれはアトカーの秘書である男性のものだ。

 切断された頭部が一番上に置いてあるため顔はすぐに確認できたが、しかし生気の失せた生首というものは、生前の顔とはまったく印象が異なるものである。

 青白く、口は半開きで、虚ろな瞳はぱっちりと開かれている。

 どうやらご丁寧に死化粧まで施してあるらしく、それも記憶とのズレを生じさせる要因の一つとなっているのだろう。


「う……なぜ、なぜ彼がそのような姿にっ! 送り主は誰なのですか!?」

「アリウムよ、お前はプリムラとの接触でどこまで知った」

「そう多くのことは。しかし、“イマジン教団”と呼ばれる集団が、そういった異常な行いに及ぶことは知っています。競技場で命を落としたカズキ先輩が、その一員であったことも」

「そうか……」


 大きくため息をつくアトカー。

 その物憂げな表情を、アリウムははじめて見た。

 今日まで張り詰めてきたものがついに切れてしまった、そんな印象を受けた。


「フィーシャはこれを見た途端、気分を悪くして席を立っていたよ。アリウム、お前は想定していたよりも平然としているのだな」

「最近、人の死体は見たばかりですので」

「そうか。いや、そうだな。プリムラ・シフォーディと関わるということは、そういうことだ。だから私は言ったのだ、近づくなと」

「こうして私が死体と対面している以上は、“どのみち”ではないですか。まさかお祖父様は、その秘書の異常な死に様まで、プリムラのせいだとおっしゃるのですか?」


 アトカーはゆっくりと首を横に振った。


「いいや、これは自業自得だ。そろそろ頃合いだとは思っていたのだよ、どういった形で兆候が現れるかまでは読めていなかったが……最初の犠牲者が自分で無かったことを嘆くべきか、喜ぶべきなのか。“警告”の段階を踏む慎重さがあるのは意外と言えば意外だったな」


 悲しげに彼は言う。

 秘書の死を悼んでいる、というのも確かにあるだろう。

 だが一番の理由は、アリウムを巻き込んでしまったことにある。


「自業自得というのは――お祖父様はもしかして、教団について調べていたのですか? そのために彼を使っていたと。しかし政治の世界はとうに教団に汚染されていると聞きました」

獅子身中(しししんちゅう)の虫にでもなりたかったのかもしれん。別に青い正義感などではない、これは個人的な復讐のつもりだったんだ」

「お母様が……死んだから、ですか」

「私たちの娘、アフラーショ……あの子は、私たちの宝物だった。あの子が幸せでいてくれるのなら、他にはなにも必要なかった」


 絞り出すように、アトカーは語る。

 いつの間にかフィーシャも部屋に入り、不安げに彼の言葉に耳を傾けていた。


「だがそれは失われてしまった。責任はいくらでも他人に押し付けられる。だが最大の理由は、私が選択を誤ったこと(・・・・・・・・)にあるのだ」

「なにを、間違ったと言うのです」

「結婚を認めたことだよ、アリウム。お前の父ティプロゥ――いや、“天使の家”出身者との結婚をな」


 かつてアリウムの父が暮らしていた施設、天使の家。

 プリムラの両親やカズキもそこの生まれだった。

 彼らの共通点は、“ケミカルベイビー”であるという部分だ。


「お父様とあの事件に関係があると?」

「プリムラと話したのならば知っておるだろう、あやつの父であるラートゥスとティプロゥが、教団の関係者であったことぐらいは」

「それは……」

「あれは偶発的に起きた事件などではない。アフラーショたちがシフォーディ家を訪れたタイミングを狙い、その場にいた全員を始末するために引き起こされた、悪意に満ちた殺人だ! だがな、アフラーショは……あの子一人だけは、関係なかったはずなんだよ! 殺される必要はなかった! ただ巻き込まれただけだッ!」


 事実、あの場に集まった四人のうち、天使の家出身者でなかったのはアフラーショ・ルビーローズのみだ。

 クラースも直接の関係は無いが、ラートゥスとアヤメの息子である以上、無関係とは言い切れないだろう。


「私は教団が憎いのだ。だが無関係でいれば、教団は私たちのことを見逃しただろう。天使の家の関係者は全員死んだ。私もフィーシャもアリウムも、もはや教団とはなんの繋がりもない。目を背けて『あれはただの殺人事件だった』と信じ込めば、このようなこと(・・・・・・・)にもならなかっただろう」

「それでも……できなかったのですね」

「娘を喪ってじっとしていられる親などおらぬ」

「では、私がプリムラと近づくことを禁じたのは……」

「私は無視などできなかった。だからせめて、アリウムだけは無関係でいてほしかったのだ。お前は私たちに唯一残された、大事な大事な宝物なのだから……」


 それは“生きる意味”と言っても過言ではないだろう。

 アリウムに残る娘の面影を見るたびに、アトカーはそう思う。

 考え方によってはアフラーショの代用品とも言えるのかもしれない。

 親友であるプリムラと強引に引き離す過保護なやり方は、それゆえにだったのかもしれない。

 だが――アリウムも理解はできる。

 彼女も両親を失っているのだから。

 しかしだからこそ同時に、大好きな祖父が母の死ばかりを嘆き、父の死を悲しむ素振りを見せないことが気になる。

 むしろ憎しみすら感じられるほどだ。

 まあ、ティプロゥがあの事件を引き起こした原因の一つだと考えているのだから、当然と言えば当然だろうが――それでも、アトカーにとって彼が実の息子でなかったとしても、アリウムにとっては彼こそがたった一人の父なのだ。

 ゆえに完全に気持ちが噛み合うことはない。


「……アリウムよ、どうか今日の出来事は忘れてほしい。そして明日からは、またプリムラとの関係を断ち、なにも知らないフリをして生きてくれぬか」


 それがアリウムを守るための手段だと理解しても、なおも食い下がる。


「お断りします、お祖父様。どう逃げようとも、私は無関係でいられる立場ではないのです」

「なぜだ、知らなければいいだけのことではないか」

「私とプリムラが、血の繋がった姉妹だったとしても、ですか?」


 そんなアリウムの発言に、アトカーもフィーシャも目を見開き驚愕した。

 その反応に、首をかしげるアリウム。

 てっきり、すでに知っていると思っていたのだが――


「……それを、誰から聞いた。いや、カズキ・オーガスか。それしかあるまい。しかし――ああ、そうか、やはり(・・・)そうなのか」

「心当たりがあるようですね。でしたらっ!」

「いや、それでも変わらぬよアリウム。なぜならプリムラ・シフォーディは、ルビーローズの血を引いていないからだ」

「お母様は無関係だということですか」

「ああ、そうだ。そしてお前も……」

「それは、それはお祖父様の都合ではないですかッ!」


 アリウムははじめて、祖父に向かって声を荒らげた。

 怒りを隠しもせずに、ありのままの感情をむき出しにして。


「確かにお祖父様にとって、お父様は赤の他人かもしれません。ですが、私にとっては優しくて、頼もしくて、強くて、そんな尊敬できる父だったのです! その血を半分ずつ引いているのなら、私とプリムラは無関係などではない! いいえ、たとえ血が繋がっていなかったとしても……プリムラは、私にとって大事な人だ! 姉妹同然に育ってきて、ずっと、ずっと守りたいと思っていて……その道を踏み外したあの瞬間から、私はずっと間違い続けてきた(・・・・・・・・)! 」

「落ち着けアリウム、それは若さゆえに誤った正しさを見ているだけだ。感情の見せる錯覚なのだ」

「これを過ちと呼ぶのなら、それは私の存在そのものが過ちであるのと同義! 私にはとうに染み付いているのですよ、お祖父様。どれだけあなたの語る正しい理屈が説得力を帯びようとも、お祖父様の敷いたレールを歩く限りは、私は永遠に私自身の正義を見つけることはできないのです!」

「アリウム……そこまで」


 孫の本音を前に、アトカーは頭を抱えるように顔に手を当て、うなだれる。


「なぜ、わかってくれぬのだ。死ねば人は終わるのだぞ。信念も未来も、命が無ければ無意味だというのに……」

「あなた」


 フィーシャは夫に寄り添い、優しく語りかけた。


「あの子にも守りたいものがあるのです。私たちにできることは、それを遮ることではなく――」

「フィーシャ、お前まで……! お前だって苦しんだはずだ。アフラーショが死んだとき、己の無力を嘆いたのではないのか!?」

「ええ、嘆きました。もう二度と味わいたくないとも。ですが……そのためにアリウムに同じ苦しみを味わわせるのは違うのではないですか」

「同じ……苦しみ?」

「大切なお友達が苦しんでいるときに、なにもできない“無力感”です」

「……っ!」


 今まで一度も考えたこともない観点だった。

 アトカーがアフラーショの死で感じた虚しさ。

 それと同じものを、他でもないアトカー自身がアリウムに与えようとしているなど。

 あれは、ダメだ。

 今は憎しみでどうにか奮い立たせているが、無力感というものは、それ以外の人を動かす“エネルギー”を根こそぎ奪う。

 なにもせずに消えてしまいたいと思うほど、胸の中が絶望で真っ黒に埋め尽くされる。

 アトカーは当時、五十代後半だった。

 当時から今日にいたるまでの五年間ですら、想像を絶するほどの苦しみを味わってきたのだ。

 まだ若いアリウムが同じ淵に沈めば、待っているのは四十年以上の地獄。


「ああ、そうか……そうだな……私は……」

「お祖父様……」


 アトカーはアリウムを抱きしめる。

 少しでも自分の愛情をわかってほしい、と。

 別に嫌がらせをするために、プリムラとの接触を禁じていたわけではないのだ。

 ただひとえに、アリウムに幸せに生きてもらうため――それだけである。

 そしてアトカーは、片手で孫を抱きしめながら、ズボンのポケットに手を入れる。

 そこからなにかを取り出して、アリウムの首に押し付けた。


「……それでも、親代わりとしてやるべきことがあるのだ」

「えっ?」


 ボタンを押すと、バチッと音がして先端の針が光を放つ。


「はぐっ!? う……ぁ……」


 アリウムの体がびくんと震え、彼女はふっと意識を失った。

 体から力が抜け、アトカーにしなだれかかる。


「あなた、なにをなさるのですっ!?」

「仕方がない。こうするしかないないのだ……」

「いくらなんでも……アリウムにも自分の意思があるのですよ!?」

「手伝えフィーシャ。このまま、シェルターまで運ぶぞ」

「あなた……」


 やがて夜が明ける。

 その晩、ルビーローズ家の灯りが消えることはなかった。




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