022 美しく死ぬぐらいなら汚く生きろ
「ああ、そうだ――」
プリムラは思い出す。
世界がこんなにも赤くて黒くて、汚かったことを。
目を背けようとしていた。
強くなれた気がしていた。
けれど、それはただの現実逃避で、世界が変わったわけじゃない。
『どうして信じたんだ?』
ラートゥスが言った。
一時期はクラスS並の力を振るっていた、尊敬すべき操者だ。
家では優しく、大らかで、大好きなお父さんだった。
でも違う。
本当は嘘つきだ。
だってあんな危険な実験をしている教団と繋がって、結果的にそれが母の死に繋がったのだから。
『綺麗な思い出も、中身まで綺麗だとは限らないだろう』
正面に立つ父は、そう言うとプリムラに近づいてきた。
そして口元を歪ませながら、彼女の首に手を当てる。
「か……は……っ」
窒息とか喉が痛いとかそんなもんじゃない。
首がへし折られるほどの力。
そこには明確な殺意があり、愛情など欠片もない。
「いだ……い……ぐ、げ……っ、じぬ……やめて……おと、さ……」
『ずっとこうしたかったんだ、そのために生まれてきたんだお前は』
「ぢが……そんな、こと……っ」
『なのにお前だけ生き残って、どうしてなんだ? 汚らしい血を引いているんだから、それなりに死ななくちゃ。それが責任というものだろう』
「そんな……もの……違うっ、わだじ、はあぁぁっ!」
強く否定した。
それは父ではない、と。
するとプリムラの心に呼応するように、ラートゥスの体の内側から刃物が飛び出した。
びくん、と体が震えて、手から力が抜ける。
ふらふらと、胸から血を流しながら遠ざかる。
「げほっ、げほっ……お父さん……!?」
『ぐ……が……け、っきょく……お前が……殺した……お前の、せい……でぇっ!?』
「お父さぁんっ!」
さらに複数の刃物に切り刻まれ、ラートゥスは息絶える。
その亡骸をプリムラが抱き上げると、体は腐敗し、どろどろに溶けていく。
「そ、そんな……お父さん……」
『あははははっ、ははははははっ! 死んだ! 死んでくれたわ! やっと!』
次の笑いながら現れたのは、アヤメだ。
腐った死体を見下しながら、悪女のように下品に笑う母。
そんな姿、プリムラは一度だって見たことが無かった。
「どうして……笑ってるの……?」
『だってその人を殺したのは私よ? ずっと邪魔だと思っていたの』
「お父さんとお母さんは、仲のいい夫婦で……」
『上辺だけよ』
断言される。
心が刃で突き刺されるように痛かった。
『じゃなきゃ、殺したりしないわ。でも心配いらない、だってあなたはその人の子じゃないんだから』
「それは……」
『試験管ベイビーなら、遺伝子を誤魔化すこともできた。ティプロゥ兄さんは教団の関係者だったから、それも簡単だったのよ。ああ、もちろんセックスだってしてたわよ? だって私たち、愛し合ってたんだもの』
「やめてよ……やめて、お母さん……」
『ほら、あなたよく、父親より母親に似てるって言われてたじゃない? 当然よね、だって私と兄さんは似てるって言われてたもの。あ、もしかしたらクラースは気付いてたのかもしれないわね、プリムラが純粋な自分の妹でないことに』
「やめてえぇぇぇぇええッ!」
叫ぶ。
するとまた、アヤメの胸から刃が飛び出してきた。
しかし彼女はすぐには絶命せず、苦しげにプリムラに向かって笑いかける。
『ふ……ふふ……思い出なんて嘘だらけよ。これが、現実……なの……』
「違う……違うよぉ……!」
『くふふふふふふあははははははぎゃあぁっ! はびゅっ! うぐっ、ぶげっ、ひぎゅっ!』
突き刺し、抜いて、地面に倒れたのなら、その上に乗って何度も突き刺す。
繰り返される刃の抽送。
とっくにアヤメは死に絶え、体の腐敗も始まっていたが、それでもアリウムは腕を止めなかった。
憎しみに満ちた瞳で死体を睨みつけながら、繰り返す。
原型が消えてなくなるまで。
「アリウムちゃん……」
『お前さえいなければ、私の両親は死ななかった。お前さえいなければ、私は幸せになれた。お前さえいなければ、お前さえいなければぁっ!』
憎しみは――プリムラにも向けられる。
血まみれの刃の先端をこちらに突き出しながら。
『どうしてそうも被害者みたいな顔ができるんだ? 私だって辛かったんだ、私だって苦しかったんだ! 人の両親を殺しておいて、どうして私のことを憎める!?』
「だって……わたしたちは、一緒に生きていくって……」
『どうして私が、殺人鬼の娘と一緒に生きなければならないんだ? いや、違う。本当はお前だったんじゃないのか?』
「なにが……?」
『本当に、お前のせいだったんじゃないかって言ってるんだ。だって普通じゃないだろう、どう考えても。なぜ試験管から生まれてきた? なぜ私と姉妹なんだ? なぜ呪われてるんだ?』
“呪い”とは――カズキも自分のことを呪われた子と言っていたように、決してオカルトの話じゃない。
おそらく教団と関連するなにかを指し示す言葉だ。
確かにラートゥスは教団の関係者だった。
しかし、プリムラも無関係ではなかったのである。
五年前のあの日、急にアヤメが錯乱し、みなを殺してしまったのは――本当は、プリムラを殺すためではなかったのだろうか。
そういう可能性も、プリムラは考えなかったわけじゃない。
『お前さえ生まれてこなければよかったんだ』
耳元で、ラートゥスが囁いた。
視線をそちらに向けると、腐敗し、肉を露出した父の顔があった。
腐った臭いに、ねちゃりとした音、湿っぽい空気。
全ての感触が、リアル以上に生々しく感じられる。
『あなたを産んだのは私だけど、後悔しているわ』
続いて、アヤメが囁く。
『プリムラと出会わなければよかった』
アリウムが言った。
『お前のせいで』
『お前がいたから』
『呪われている』
『汚れた血のくせにどうして生きているんだ?』
『あのとき死ぬべきだった』
『生き延びるべきじゃない』
『懺悔しろ』
『この場ですぐに死ね――』
気づけばプリムラは大勢の人々に囲まれ、その憎しみを一身に受けていた。
理不尽だ。
そんなことを言われる筋合いなんてない。
ガラテアを取り込んだ今なら反論して、全て消し飛ばせる――はずなのに。
ここにいるプリムラの精神は、あまりに弱い。
傷口が化膿して、じくじく痛んで、思うように力が出ない。
だからあらゆる罵詈雑言が、ダイレクトに心を傷つけた。
「やめてよ……やめて……わたしじゃない、わたしは悪くないっ、どうしてわたしのせいになるのぉっ!」
喚けば喚くほど、向けられる負の感情は強くなる。
反論は許可されていない。
この空間において、プリムラに許されていることは、苦しみもがくことだけだった。
◇◇◇
『ほぉら、死んじゃいなさぁああいっ!』
絶頂に近い快楽を感じながら、カズキは鎌を振り下ろす。
「う……ううぅうぅ、うああぁぁぁああ!」
「プリムラっ、正気に戻ってプリムラぁっ!」
操者であるプリムラは、ヘスティアがいくら語りかけても動かなかった。
真っ青になった顔を両手で覆い、ひたすらなにかに怯え続けている。
このままではコクピットもろともあの鎌にやられて終わりだ。
「……やったことはないけど、私にだって魔力はある。だったら、動かせないはずはないッ!」
もう、それ以外に方法はなかった。
ヘスティアは身を乗り出し、プリムラの代わりにイメージデバイスに手をおいた。
そして強く祈りながら力を込める。
「お願い、避けてぇっ!」
ガラテアは――彼女の想いに答えた。
間一髪で横に転がり、ハデスの振り下ろした鎌を回避する。
地面に突き刺さる刃を見て、カズキはさすがに驚きを隠せない。
『そんな、どうして!? 一度発動した醜悪なる本性から逃げられるはずがないわ!』
『……ふーん』
通信の声に、初めて割り込む女性の声。
アニマ“ハデス”のものだ。
彼女は戦いが始まってからはじめて姿を現すと、眠そうな目で目の前に映し出されるガラテアの姿を眺めた。
『頑張ってるね、ヘスティア』
『ヘスティア……? まさか、あのアニマがドールを操ってるっていうの!?』
ありえないことだ。
だが不可能ではない。
今まで誰も試してこなかっただけで、魔力さえあればドールは動くはずなのだから。
もっとも――操者ほど器用に動かせるかといえば、そんなことはないのだが。
実際、ガラテアの背後に浮かぶ魔法陣の色も薄く、どこか頼りない印象を受ける。
『でも鈍いわね、その程度で私から逃げられると思わないで!』
「私だって逃げられるとは思ってない――だけどね、プリムラが目を覚ますまでは生き延びてみせる! 絶対に!」
ヘスティアはとにかく必死だった。
プリムラを守らなければと――ただその一心で、慣れないドールの操縦に向き合う。
再び転げるように鎌を避ける。
続けてスペルキャスターによる炎の魔術で相手を迎撃。
魔術はかき消されるも、続けざまに亡縛砲を放ちさらに隙を作る。
コンマ一秒でもいい。
ほんの少しの時間ができれば、バーニアを駆使して距離を取り、砲撃戦に持ち込む。
『悪あがきをやめなさい、ヘスティア!』
「断じてお断りよ!」
魔術も、砲撃も、全ての威力はプリムラが操っていたときよりも劣る。
当然動きだってぎこちなく、適当に射撃したところで鎌にかき消されるだけだ。
だからヘスティアは、ひたすらにハデスの足元を狙った。
直接当てる必要はない。
時間を稼ぐため、少しでもフィールドの足場を悪くする。
「うううぅ……怖い……怖い……やだっ、こないで……いやだぁっ……!」
「プリムラっ、大丈夫だから! それは全部夢なの! 幻なのっ!」
『無駄に決まってるじゃない。一度醜悪なる本性の悪夢に囚われた人間は、心が完全に腐敗するまで現実に戻ることはできないの!』
「ぐっ……うるさいっ! 魔術師同士の戦いに絶対なんてないの! 魔力による現実改変は、さらに強い魔力によって打ち破ることができる! プリムラなら、絶対に抜け出すわ!」
『そうなのぉ? だったら、その前に切り刻んで殺すまでよ!』
ハデスとて地面に叩きつけられ、氷が突き刺さり、満身創痍だ。
それでも機動性は落ちない。
もちろん無茶に動かせばドールにも影響が出る。
つまりダメージが無いわけではなく、カズキは“後のこと”など考える必要がないのだ。
どうせここで終わるのだから、ならば使い潰してしまえ。
すべてを。
ドールも、体も、魔力も、命も。
その捨て身が、ヘスティアを追い詰める。
振り払い、切り上げ。
ガラテアが仰け反りながらそれらを避けたところに、ハデスの足が伸びてくる。
蹴撃が命中すると、ガラテアは背中から倒れた。
振り下ろされる鎌。
横に転がり回避するガラテア。
しかし二回目は同じ方法では逃げられない。
捉えられそうになったところで、バーニアを吹かして浮き上がり、亡縛砲で牽制。
だがハデスは回避はおろか、鎌で消すことすらしなかった。
威力が弱いため、受けても大したダメージにならないからである。
(次が来る――)
両足で着地するガラテア。
すぐさまヘスティアは次の攻撃を警戒したが、前方に、先ほどまでそこにいたはずのハデスの姿がない。
アイドスキューネはすでに潰したはず。
ならばどうやって姿を消したというのか――答えに気づく前に、鎌は背後から振り下ろされた。
回避は間に合わない。
やむなく腕でガードすると、鎌が触れた左腕は当然消滅する。
「いつの間にそんな場所にっ!?」
『まだ手札を使い切ったつもりはないわ!』
後退するガラテア。
ハデスは当たるわけもない距離で、なぜか鎌を空振りする。
瞬間、黒い機体は忽然と消えた。
「また後ろにっ!?」
慌てて振り向くと、一瞬だけ黒い機体が見えた。
だがすぐに消え、また別の場所へと――
「まだあのドールには隠していた能力があるっていうの?」
『気付いただけよ、戦いの中で。死を間近に感じているからか、世界が広がって見えるわ。今までは消せなかったものも、今なら!』
姿を消しているだけではない。
それは完全に、“転移”という言葉でしか説明できない現象だった。
「消す……私たちの間にある距離を消してるってこと……?」
『考えたところで、答えがわかったところで無意味なのよヘスティア! あなた程度の力では、ハデスは捉えられないの!』
「そんなのやってみないと――」
勇ましく反論しようとするヘスティア。
しかしそんな彼女の声は、視界の端にプリムラの腕を見た瞬間に止まった。
「プリムラの腕が……変色、してる?」
ヘスティアも魔術師だ。
そういう状態の人体を、見たことがないわけではなかった。
『あら、そういえばアヤメとの戦闘で怪我してたのよねぇ、その子。なら残念ね、もうその腕は使い物にならないわ』
「どういうこと!?」
『醜悪なる本性は人を腐らせる力よ。一度命中すれば、体も心も、生じた傷口から腐敗していき、じわじわと全身へと広がっていく。つまり、じきにプリムラは身も心も腐り果て、ただの死体になるってこと! どうあがいたところで、あなたは隣でそれを見届けることしかできないのよ!』
プリムラが苦しげに喘いでいるのは、精神的な要因だけではない。
腕から上ってくる強烈な痛みに耐えていたのだ。
「やらせない……そんなこと、絶対に止めてみせる!」
『どうやってぇ?』
「あなたを倒せば魔術は止まる――そうでしょう!?」
『ええそうよ、でもできるの? 避けるのが精一杯なその体たらくで!』
ハデスが鎌を振るい、転移する。
前後左右、全方位を警戒するヘスティアだが――
『馬鹿ねぇ、どこを見てるのよ!』
現れたのは、上だ。
「ぐうぅっ!」
倒れ込むように転がるガラテア。
『いい反応じゃない、アニマの割には!』
刃の先端は左肩を掠める。
ガラテアの肩パーツの一部が消失した。
その程度で済んだのは、間違いなく奇跡である。
『どうしてヘスティアはー、そこまで必死にそいつを守るのー?』
通信で、ハデスはヘスティアに問いかけた。
隣にいるカズキは露骨に不機嫌な表情を見せる。
『邪魔よハデス、通信に割り込まないで!』
『ねえヘスティアー、答えてよー』
しかしハデスは操者の言葉には耳を貸さない。
元より二人は、プリムラとヘスティアとは異なり、“相棒”などという親しい関係ではなかった。
ハデスはこの時代にやってきてから、ずっと無気力に過ごしてきたし、カズキも他者に心を開くことはなかったからだ。
「放っておけないのよ!」
全方位から襲い来る鎌を必死に避け、しかし少しずつ機体を削られながらも、ヘスティアは声を荒らげた。
「だってプリムラは、操者ってだけで中身は普通の女の子なのよ!? それがわけのわからない事件に巻き込まれて、長い間苦しんできて、それでもあがいて前に進もうとしてる! たまに無鉄砲で乱暴なこともあるけど……でも、私は彼女の力になってあげたい!」
『わかんないなー。私たち、もう死んでるんだよ? ここにいるのは、ただの残りカス。そんな私たちが頑張ってなんの意味があるのー?』
ハデスは一貫して、そのスタンスを貫いてきた。
生前、人の死について追究し続けた彼女だからこそ、今の自分の存在を“虚しいもの”と感じるのだろう。
そういった一面が、カズキと彼女を引き合せたのかもしれない。
『体を作るのは気持ちの悪い金属。目の前に広がる世界は滅びかけの、腐った人間の掃き溜め。そんな価値あるー?』
「あるわ!」
『うわあ、断言するんだー』
「残り滓だろうと私は私なの! 私は、自分が死んでるとは思わない。生死を決めるのは肉体や理屈じゃない、そこに意思があるかどうかよ!」
『そっかぁ……なんか、変わらないね、ヘスティアは』
以前からヘスティアは、自らの感情にしたがって動くきらいがあった。
魔術師として、世の中の理屈は理解した上で、それをただ受け入れることはしない。
中には阿呆と罵る者もいた。
ヘスティア自身も、自分のことを“頭がいい人間“だとは思わない。
だが、そういった一面が人々の心を惹きつけてきたのもまた事実である。
『ヘスティアはそういう考えなんだー……』
『いい加減に引っ込みなさいよ、集中できないのよっ!』
『はいはい、わかりましたよー』
ハデスが黙ると、カズキは再びガラテアに猛攻を仕掛ける。
ヘスティアもドールの操縦に少しずつ慣れてきたのか、動きのぎこちなさは随分と薄れてきた。
だが、カズキも新たに見つけた力の扱いに慣れつつある。
高速で転移を繰り返されると、もはやハデスの姿を目視することすらできなくなる。
そして完全に見失ったタイミングで、回避不可能な斬撃を繰り出すのだ。
「ぐ、右腕まで……っ!」
両腕を失えば、バランスを取ることすらままならなくなる。
よろよろと、頼りない足取りで後ずさるガラテア。
『もう逃さないわよ、ヘスティア! 咎人と共に死に絶えなさい!』
もはや小細工すら必要ない。
ハデスはこれが最後の一撃だと言わんばかりに、大きく鎌を振り上げて、ガラテアに迫った。
「もう私だけじゃ……っ! プリムラ、お願いだから目を覚ましてっ! プリムラあぁっ!」
ヘスティアの必死な声が、コクピット内に響く――
◇◇◇
腐敗する。
自我が、傷口を中心に茶色く腐り落ちていく。
痛みにも少し慣れて、考える余裕が出てきた。
これがどういう理屈で、どう精神にダメージを与えているのかも、おぼろげにわかるようになった。
なるほど、つまりこれは耐えても意味がないのだ。
心の弱さとか、そういう問題ではないのである。
そう思うと、少し安心した。
自己を一部捨ててまでガラテアという“強さ”を受け入れたのに、それでもなお自分の弱さが死因になるのではやっていられない。
ただ、だからといってこの状況を打破できるわけではないのだが。
『お前が悪い、お前さえ生まれてこなければよかった、なぜあのとき死ななかったのか、呪われた子のくせに』
プリムラの意識に語りかけてくる何者かは、延々とそう繰り返している。
今はわかる。
それは決してカズキの魔術によるものではなく――源泉は、己の心の中にある悩みや自責の念だ。
今日までいくつかの真実を知ることで、少しずつ積み重なってきた疑念。
父の正体。
母がああなった原因。
自分の血縁。
教団。
呪われた子――そういったものが絡み合って作り出した、幻影に違いない。
それでも、苦しいものは苦しい。
悪意は、圧倒的なリアリティを持ってプリムラを苛む。
腐敗を食い止めるにはどうするべきか、考える。
やはり結論は一つしかなかった。
プリムラは――はっきり言って、ガラテアのことが嫌いだ。
脳には彼女のたどってきた記憶が残っているが、率直に言ってドクズそのものである。
人の命をゴミのように扱い、誰が死のうが心が揺れることはない。
例えば、通行人を拉致して脳を弄った挙げ句に、バラバラにしてゴミ捨て場に廃棄したことがあった。
後日、それを見かけた通行人の子供がガラテアを訪ね、『お前が殺したんだろう』と詰め寄った。
ガラテアは彼の話を一切聞かずに、その体を見ながら『いい実験体が自分からやってきた』と思ったらしい。
その後、その子供は拉致され親と同じように実験体にされた上で、同じゴミ捨て場に捨てられた。
そんなことは、一度や二度じゃない。
だから、彼女の転生魔術が不完全だったのは、幸いというほかない。
魂を皮膜で包むことで、他の神話に名を残した魔術師同様、死後もその存在を残した。
おそらく彼女はそのまま未来の世界に転生して、生まれ変わるつもりでいたのだろう。
だが今の時代にアニマとしてキャプチャされ、“孵化”した結果、人格は残らずそのほとんどをプリムラに吸収された。
もっとも、仮にうまく転生したとしても、あの不完全な魂ではガラテアがガラテアとして蘇ることはなかっただろう。
まあ、それはさておき――重要なのは、腐敗しているのはプリムラであって、ガラテアではないということだ。
腐敗してないというか、これ以上腐りようがないというべきか。
とにかく、無事なのである。
これを利用すれば、カズキの魔術から逃れることもできるかもしれない。
「ああ、でも……それはさすがに、怖いな」
ただでさえ苦しいのに、そんな賭けまでしなければならないのか。
元に戻れる保証などない。
そのまま自分はガラテアに似たなにかに変わってしまうかもしれない。
それは、プリムラにとって敗北に等しい。
瞳を閉じる。
周囲の幻覚たちが浴びせる呪詛から可能な限り目を背け、自己の所在を確認する。
私はプリムラ・シフォーディだ、と本来は必要ない確認を繰り返す。
戻ってくるための、一種のマーキングである。
『プリムラ、お願いだから目を覚ましてっ! プリムラあぁっ!』
誰かが必死に彼女を呼んだ。
呼ばれているなら、戻らなければ。
必要としてくれる誰かがいるのだから。
世界に満ちているのは、苦しみだけではないのだから。
「……ふぅ。行こう、ヘスティアが待ってる!」
腐敗した自分を、切り離す。
自分の中に存在する自分以外の誰かに、身を委ねる。
◇◇◇
『……なに、これ?』
カズキはガラテアより発される異様な空気に感づいて、振り上げたまま鎌を止めた。
「は――」
『っ!?』
そしてプリムラが息を吐き出すと同時、大きく飛び退き、離れた場所で着地する。
ガラテアの背後で輝く魔法陣の色が、毒々しい赤に変わった。
放たれる空気だけではない。
明確な殺意が、視覚化されたのだ。
だが別にプリムラは、殺気を放ったわけではない。
今の彼女から発されるデフォルトの“オーラ”のようなものが、人を寄せ付けない、冷たく残酷なものであるだけ。
「はあぁぁぁ……はは、あははははっ!」
そして彼女自らの腐った左腕に手を当てながら、吠えた。
その腕に絡みつくように、魔法陣が光る。
発動するのは、肉体強化の魔術。
得た力で肩の肉に指を沈ませ、そのまま力任せに引っ張った。
「邪魔だあぁぁあッ!」
ブチィッ、と引きちぎれる左腕。
「プリムラ……な、なにを……っ!?」
『馬鹿な……まさか、醜悪なる本性の効果から逃れるために患部を切り捨てて……』
『……ふーん』
三者三様の反応を見せる中、当のプリムラは額に冷や汗を浮かべながらも、表情は崩さない。
「人の肉体にどれだけの価値がある。生き続けることになぜ執着する! 人の命とは、なにかを成すための手段に過ぎないんだよ。ましてや、補う手段があるってんならなおさらにな!」
ガラテアがそうやって再生してきたように、プリムラは魔力でオリハルコンを操り、義手を形成する。
傷口は強引に塞いだ。
もちろん強烈な痛みが生じるが、あくまでそれは脳が発する信号にすぎない。
無視してしまえばいい。
人体の仕組みを知り、その道を究めようととした“ガラテア”という魔術師ならば、それが可能だ。
「さあ、仕切り直そうぜ先輩。こんなクソッタレた小細工なんて無しに、真正面から殺し合うんだ! それがお望みなんだろォ!?」
「あなた……プリムラ……?」
「ああヘスティア、心配かけたなァ。なんだそんなツラして、まるで幽霊でも見たみたいに。私だよ、私。お前の応援で感動的に戻ってきたプリムラ・シフォーディだよ」
「違う……あなたは……」
ヘスティアの声が震える。
握りしめた右の拳は、汗でぬらりと濡れていた。
困惑する彼女を見て、プリムラはニタァッと不気味に笑う。
「ガラテアだって言いてえのか?」
ドクン、と。
ヘスティアは、無いはずの心臓が、大きく跳ねるような感覚に襲われた。
その表情は――これまでもプリムラの中にその片鱗を見ることはあったが、しかし――
「だが生憎、私だって自分をガラテアだと言い切るだけの自信がねェ。なんたって在り方が歪だからなぁ! 強いて言えば、プリムラの中に残ったガラテアの残り滓ってところか」
『そう……そういうこと。そういうことをしてしまうのね、プリムラ! あなたはっ!』
なぜかカズキは歓喜する。
まるで己の勝利を誇るように、頬に皺を寄せながら心よりの笑みを見せる。
『やはりそうだわ! 私の憎しみは間違ってなんていなかった! あなたは、知らないからそういう風に振る舞えるのよ、呪われた子のくせにィ!』
「なにをトチ狂ったこと言ってんのか知らねぇが、勝ち誇りたいならせめて私を殺してからにしろよ」
『あっははははは! この際、命なんてどうでもいいのよ! 私はどうせ死ぬ! だから私はこの戦いの中で、あなたを踏みにじることで少しでも勝利の断片を集めたい! そして達したまま逝きたいのよ!』
「はっ、下品なんだよこのナルシストのカマ野郎が。大人しくパパにケツ差し出して喘いでりゃ幸せな人生送れてただろうによぉ!」
『ナルシストでなにが悪いっていうの!? 世界が私を愛さないなら、私が私を愛するしかないじゃない! いいや、むしろ自己愛こそが正しい愛の形なのよ、私たちにとっては! なのにあなたは、あなたという人は……腐った腕をそうしたように、腐った心を捨ててしまったのね? だから、あなたの心にある、“あなたではない”部分だけが残った! そんなもの自己犠牲じゃない! 人生と言う名のマスターベーションの片隅にも置けないぃ!』
「わけわかんねえ理屈で、私までてめぇの変態性に巻き込むんじゃねえぇぇぇッ!」
ガラテアが跳躍する。
いや――感覚は“一歩駆け出した”だけなのだが、この狭い競技場では、その一歩が端から端までの距離を詰めてしまうのだ。
空中を駆けるガラテアは、消失した腕の断面から液状のオリハルコンを吐き出し、成形――切断された腕を再生させる。
スペルキャスターの再生には少々多めのオリハルコンを使用したため、次の再生は厳しそうだ。
しかし他のパーツならばまだ余裕はある。
スペルキャスターにこだわらなければ、ただの腕なら、いくらでもはやせるのである。
『うかつなのよ、馬鹿正直に飛び込んできて!』
ハデスは空振りした鎌で“距離”を殺し、迫るガラテアの背後を取った。
そして小ぶりの素早い動きで、その胴体を狙う。
『もらったわぁ!』
「うかつなのはどっちだよ!」
ガラテアは振り向けない。
迎撃不可能。
カズキはプリムラの言葉を“強がり”だと判断した。
そして次の瞬間、ハデスの両腕は、無いはずの腕に拘束されていた。
なぜ無いと言い切れるのかと言えば――カズキの目には、ガラテアの両肩から伸びる腕が見えているからである。
届くはずのない腕。
ならば今、自分のドールを掴んでいるこれは、どこから伸びたものなのか――
「ほおら無様に這いずりやがれェ!」
その答えを知る前に、その“腕”によってハデスは投げられ、地面を転がっていた。
ガラテアが地面に突き刺した氷を砕きながら、横たわる黒い機体。
『ぐ……うぅ……』
叩きつけられれば、当然それ相応の衝撃がコクピットにも伝わる。
ある程度は姿勢制御のおかげで和らぐとはいえ、激しい揺れの拍子にカズキは額をぶつけ、流れる血が顔を汚していた。
「オリハルコンが魔力で操れる金属だって言うんならよぉ……そもそもどうして、私は二腕二足の人型にこだわってたんだろうなァ。なあ先輩、あんたもそう思わねえか?」
『そんな芸当……できたところで、私の力ならぁ……!』
「そうかい、だったら見せてくれよ。こっから巻き返せる力とやらをさァ!」
再び飛びかかるガラテア。
あえて魔術も遠距離武装も使わず、ハデスの得意とするクロスレンジで戦おうとするのは、カズキの心を折るためなのか。
『うわあぁぁぁぁあああああッ!』
もはやハデスは満身創痍。
なりふりかまっていられない。
『死ね! 死ね! 死ねえぇぇっ! 恵まれた人生を送っておいて! なにも知らずにぬくぬくと生きておいて! 平然と自分を捨てるお前なんか! 無知を晒したまま愚かに死んでしまええぇぇぇぇえ!』
「なぁにいきなり錯乱してんだよ!」
ガラテアに向かって鎌を振る。
触れれば消える必滅の刃。
これまでは“攻撃”と“転移“は別だった。
だが今は違う。
攻撃を仕掛け、同時に転移する。
『腕が増えようとも! 自分を捨てようとも! 自分を愛せないあなたに! 私が負けてたまるもんですかぁっ!』
「よっと、だったらさぁ、そんな見当違いなとこ振ってねえで、私に当ててみろよ!」
『言ぃわれなくともおォ!』
しゃがれた声で叫ぶカズキ。
もはやそこに女性らしさの欠片もない。
「なあ先輩さぁ、あんたはそれ、本当に自分だと思ってんのか? 女装して、男に股開いてよぉ! それが自己愛だって信じてんのか!?」
『私は! 私の! やりたいことをやっている!』
「そうかい。でもその欲求よぉ、あんたが自分の手で人形にした“パパ”から植え付けられた性癖だろ? 大嫌いな野郎から与えられたもんだろぉ? それがアイデンティティ? 笑わせんなよ! 結局は自分を見つけられねえから、そう思い込んで誤魔化してるだけじゃねえのか!」
『――ッ、黙れよぉおおおッ!』
「あっははははははは! 図星かよ構ってちゃんのお姫様! 結局、てめえは自分の不幸に酔ってるだけなんだよ!」
『人のことを言えた立場か、プリムラぁッ!』
「だからそういうところだっつうの!」
『うるさいうるさいうるさいっ、結局、勝てば僕が正しいんだッ!』
「そうかい、じゃあ――」
ガラテアは、不意打ちをしかけてきたハデスの腕を、あっさりと掴んだ。
『あ……』
これまでは、手加減されていたのだろう。
それに気付いた瞬間、カズキから血の気が引いていく。
「私が勝てば、正しいって認めてくれんだろ?」
右腕――スペルキャスターがハデスの腹部に押し付けられた。
魔法陣が始動する。
「三重増幅――吹っ飛べ」
ゼロ距離での、炸裂魔術発動。
カズキの座る操縦席内が、紅色の光で染まる。
そして――けたたましい破裂音が響いた。
思わず実況がだまり、シールドで守られた観客席の人々が身をすくめてしまうほどの威力。
『ぐああぁぁぁあああっ!』
だがそれでも、スペルキャスターにより増幅された威力は、敵機体が爆発四散しないギリギリのラインで調整されている。
まだ楽しみ足りないからだ。
ハデスは吹き飛び、シールドに叩きつけられ、ずるりと滑り落ち、両手足を投げ出すように地面に座り込んだ。
『う……うぅ……』
カズキは激しく頭を強打し、意識を朦朧とさせている。
その虚ろな瞳で、コクピット前方のディスプレイに写るガラテアの姿を見ていた。
まるで舌なめずりでもするように、赤と白の機体がこちらに歩み寄ってくる。
獲物が苦しむ様を見て楽しむのは、“魔術師ガラテア”の趣味だったのだろう。
それはプリムラが自我のうちの大半を放棄している今、色濃く出ている。
実際、彼女はコクピットの中でも興奮した様子で口元を歪ませていた。
そんな様子を、ヘスティアは不安げに、そして“アニマ”ハデスは冷めた目で見ている。
そしてガラテアは、倒れたハデスの前に立つと、ゆっくりと腕を伸ばす。
そのまま細い首を掴み、持ち上げた。
『ぐ……ぁ……』
本人の首が掴まれているわけではないが、カズキは苦しげに呻く。
通信から聞こえるその声を聞いて、プリムラはご満悦である。
「先輩、あんたの負けだ」
『そう……だね』
「ははっ、もう“本当の自分”とやらを演じるのはやめたのか?」
『プリムラ、君の言う通りだったからさ……確かに僕は、結局、一度だって、本当の自分を見つけることができなかった。クラスS操者ガフェイラ――みんなが憧れる有名人の代わりを求められただけだった。誰にもなれなかったんだよ、“ガラテア”になることでしか現状を打破できない君のように』
「この期に及んでまだそんなこと言えるんだな」
『言うさ。僕は僕の過ちを認めるよ。けれど君の正しさは認めない。見ている世界は、狭いほうが幸せなものさ。なのに君は真実とやらを追い求めようとしている。そんなことをできるのは、君が無知だからなんだよ』
「ははっ……ったく、いちいちムカつくやつだなぁ。生殺与奪の権利は私が握ってるってことわかんねえのか?」
ガラテアの腕に力がこもり、指が装甲にめり込む。
「どうもお前は、自分の死に方を決めてる節がある。言うなれば“理想とする綺麗な死”。それができるなら、自分が消えるのも怖くないと思ってるらしいな」
誰だって、死は怖い。
一見して悟っているような人間も、“死んでもいい理由”があるから平気な顔をしているだけで、その理由を潰されれば虚勢はすぐに暴かれる。
それを、数多の人間を手にかけてきた魔術師ガラテアはよく知っていた。
「だったらよぉ、その前に私が、美しさの欠片も残らないようお前のことを薄汚く殺してやるよ!」
ガラテアの姿に変化が生じる。
腕の装甲がスライドし、生じた隙間から炎が溢れる。
対アヤメ戦のときに、とどめを刺したあの武装だ。
「神獄――」
『く――』
ひときわ巨大な魔力が腕に集中する。
それに合わせるようにプリムラの表情も邪悪に歪み――見ていられなくなったヘスティアが、ついに動いた。
「プリムラ、もうやめてっ!」
イメージデバイスに置かれた腕にしがみつき、魔力の集中を途切れさせる。
プリムラは冷めた目で彼女を睨んだ。
「……おい、ヘスティア。邪魔すんなよ」
「今、殺すつもりだったでしょう」
「そりゃそうだろ。ここで私らは命のやり取りをしてんだろ?」
「プリムラの目的は殺し合いじゃないわ!」
別に殺すことそのものを非難しているわけではない。
プリムラが真実を知るための道程において、人の死に向き合う必要だって出てくるだろう。
だが今は違う。
カズキから情報も聞き出せていないのに殺してしまうのは、ただプリムラに宿った暴力的な欲望を満たすだけだ。
「関係ねぇな。私はあれを殺したい、なぜなら滑稽な道化で見ているだけでイライラするからだ。潰して、悲鳴を聞いて、すっきりしたい。それより大事なことがあるか?」
ニヤニヤと笑いながら語るプリムラを前に、ヘスティアは思わず手を振り上げた。
「……っ!」
逡巡し、震える手。
そのまま平手打ちを浴びせるかと誰もが思った。
ヘスティア自身も、そのつもりだった。
しかし――ゆっくりと手を降ろし、大きく息を吐き出すと、まっすぐにプリムラを見つめ、胸に抱きしめる。
「あなたは、あなたが幸せになるために真実を暴こうとしているのよね? だったら、あなた自身を捨てちゃダメ! そのためにそのクズを利用する分には構わないけど、プリムラはプリムラでいないと意味がないのよ!」
ヘスティアは優しい声で、しかし嘘偽りない、ただの本音を吐き出す。
「もう醜悪なる本性の効力は切れてるはずでしょう? いつまでそんなクズの好きにさせてるつもりなのよ。早く戻ってきなさいよ、プリムラ。じゃないと……私だって、寂しいのよ」
プリムラは抵抗するかと思われたが、意外にも大人しく彼女の言葉に耳を傾けていた。
「私はこの時代の人間じゃないわ。とっくに死んでいて、偉そうにものを言える立場じゃないかもしれないけど……でも……嫌なものは、嫌なの。だから……だから、プリムラぁ……」
ヘスティアの声が震えだす。
目は涙で潤み、抱きしめる腕にさらに力がこもる。
プリムラはそんな彼女を安心させようと、少し恥じらいながらも、その背中に腕を回した。
「……ごめん、ヘスティア」
「あ……」
聞こえてきた声に、先ほどまでのような“冷たさ”は感じられない。
体を離す。
見つめ合う。
表情で、それがヘスティアの知るプリムラであるこがわかった。
「えへへ。うまくやれるつもりだったんだけど、思ったより制御できなくて」
「いいのよ……」
プリムラのはにかんだ表情を見ると、今までのことはどうでもよくなった。
終わりよければ全て良し、だ。
「おかえり」
「うん、ただいま」
――そんな二人のやり取りを、首を掴まれたまま聞かされていたカズキとハデス。
ハデスはどこか羨ましそうに目を細め、カズキは呆れた様子でため息をついた。
『はぁ……僕の憎悪と羨望は紙一重なんだよ。そう……だから、君のそういうとこ、憎いし、羨ましいね』
彼の話す言葉の意味は、前と変わっていない。
しかし込められた感情が違うのは聞けば明らかだった。
激情から、諦観へ。
カズキは、敗北を認めたのだ。
『あれだけ落ちぶれておいて、殺されかけたくせに、なんだかんだでそういう相手がいるんだよね。セイカにしても、ルプスとかいう刑事にしても、あとはアリウムも結局は君の味方に戻ろうとする。不幸とか理不尽とか言っておいて、そういう“人並み”があるあたりが、憎たらしいんだ』
「私だってつい最近までは苦しんでばっかだったんだけどな」
『それでも甘いのさ』
話は通じない。
おそらくどれだけ語り合ったところで、カズキとわかりあうことはないのだろう。
致命的に、価値観が違うのだ。
「苦しみを共有したいなら、せめて“呪い”がなにか教えてよ」
少し苛立ちながら、プリムラは尋ねる。
しかし、カズキは即答した。
『教えられない』
「どうして? 教団への忠誠心ってやつ?」
『後になったほうが、きっと苦しいからだよ。裏切られる瞬間、君ができるだけ深く絶望してくれることを、僕が望んでいる。教団に従っているわけじゃない。僕の願望が、たまたま教団の意図と合致していただけだ』
かなり性悪だ。
それだけ、“呪われた子”という言葉に込められた意味が深いということになる。
まあ、それを察知させてくれたのは、彼なりの餞別なのかもしれない。
知らないよりマシだ。
心の準備ぐらいはできる。
「じゃあ、戦う前に『いくつか情報をやる』みたいな話はどうなったの?」
『だから別のことを教えてあげるよ。さっきの、アリウムと君が姉妹って話にも関連することだ。だけどその前に――ハデス』
カズキはじっとプリムラとヘスティアを見つめる彼女を見て、声をかけた。
『なーにー?』
気の抜けた返事が戻ってくる。
『行きたいなら行けばいい。どうせ僕は死ぬんだ、その先のことに興味なんて無いんだからね』
『あ、いいんだー。なかなかタイミングが無かったから、このまま私も魂に戻っちゃうのかなーと思ってたんだけどー』
「どういうこと?」
「ザッシュから私を奪ったときのように、ハデスも奪っていい……ってことじゃないかしら」
『そうそう。ヘスティアがあそこまでやる人にちょっと興味が湧いたからー、ついていってみたいなーと思って。まあ、必要ないならそれでもいいけどー』
プリムラにとっては、思ってもみない提案だった。
だが断る理由はない。
「信用はできるの?」
「悪い子じゃないわ」
『悪いことなんてめんどくさいからねー』
どうやらヘスティアとも知り合いらしいので、彼女の言葉を信じていいのだろう。
「わかった、じゃあまずは――補助術式設定、三重増幅」
スペルキャスターが起動し、三つの魔法陣が輝きを放つ。
「この魔術は、互いの了承があってはじめて成立する。ハデス、あなたはわたしの提案を受け入れてくれる?」
「そのくだり、必要なのー?」
「契約上必要なの」
「うぅーん、めんどくさいなー。わかった、受け入れるよ」
どこまでも無気力な彼女に若干面食らいながらも、プリムラは術式を次に進める。
「条件は揃った。契約の書き換えを実行する」
突き出された右掌に浮かび上がる白い魔法陣。
その光がハデスを照らし、カズキと“アニマ”ハデスをつなぐ約定が、魔術によって強引に書き換えられる。
そして――
「おぉー、ここがガラテアの中。意外と狭いんだねー」
ハデスがガラテアのコクピット内に現れる。
「よろしく、ハデス」
「よろしくねっ」
「うん、よろしくー」
軽く挨拶を済ませているうちに、カズキの操るドールは、真っ白なブランクへと姿を変える。
もはやなにをしようとも、彼のドールが動くことはない。
明確にギブアップの宣言や意識の喪失がなかったため、例外的ではあるが、これにて試合終了の判断がくだされた。
戸惑う実況者、ざわつく観客たち。
ドールがブランクに戻るところなど、見るのは初めてだったのだろう。
そして関係者たちが、これ以上の戦闘を止めるために軍用車に乗って二人のドールに近づいてくる。
試合続行の意思は互いにないため、彼らが慌てる必要も無いのだが、しかし第三者の介入が始まれば、教団についての情報をカズキから得るのは難しくなるだろう。
『さて、これが最後だけど』
カズキも義理は果たすつもりらしく、ハデスがプリムラの手に渡ったことを確認すると、口を開く。
心なしかその声は、軽く弾んでいるようにも聞こえた。
“生”からの解放は、彼にとってそれほどまでに救いだったと言うのだろうか。
『――アヤメ・シフィーディは、君の母親じゃない』
そして一呼吸置くこともなく、あっさりと彼はそれを話した。
プリムラは息を呑む。
先に示された、自分がアリウムと姉妹であるという情報。
そこから類推するに、自分の両親はティプロゥとアヤメだと思っていた。
しかしアヤメが母でないとするのなら――プリムラが両親だと思っていた存在はどちらも、自分と血の繋がりの無い存在だということになってしまう――
「え……? 待って、それじゃあ私はっ!」
プリムラがカズキに問いかけようとした瞬間、パンッ! となにかが弾けるような音がして、通信画面が真っ赤に染まった。
「カズキ先輩……?」
「う……これって……」
花が咲いている。
プリムラの――いや、サクラソウの花と言うべきだろうか。
カズキの頭があった場所は、白銀色の、オリハルコンの花に変わっていたのだ。
操者に対して例の爆弾が仕掛けられなかったことを考えるに、おそらくあらかじめ――ひょっとすると教団を裏切らないように――脳内に仕掛けられた仕組みが発動したのだろう。
「死んじゃったかー……そっか、そうだよねー」
ハデスはなにかに納得するようにつぶやく。
その横で、プリムラは体から力を抜き、椅子に背中を預けながら項垂れた。
「わけ、わかんない……お母さんが……本当のお母さんじゃない……?」
嘘である可能性もある。
だがプリムラの感覚が正しければ、彼の言葉は嘘ではない。
「だったら、わたしは一体、誰の子供、なの……?」
プリムラの左腕――オリハルコンの義手と肩の境目からは、今も血が溢れていた。
強引な止血がいずれ限界を迎えるのは目に見えていた。
先ほどまでは魔術師ガラテアの力で痛みからどうにか目を背けていたが、正気に戻った今はその効果も薄れつつある。
与えられた新たな事実。
それを考えるには、少しばかり、血が足りない。
やがて彼女の頭はゆらゆらと揺れ始め――意識を失った。
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