021 果実は蕩けるように甘く
不気味な鎌が、炎の剣と交わる。
プリムラは、相手が近接戦闘を得意とするドールであることを理解したうえで、あえてバカ正直に力比べに乗った。
カズキの操るハデスは、どこからどう見たってパワータイプとは思えない。
速度で相手を翻弄するスピードタイプ――そう思ったのだが、しかしハデスの持つ鎌は、機体の細さに比べて異様に肉厚の刃を備えており、お世辞にも取り回しがいいとは言えない。
しかし彼はためらわなかった。
その理由を――刃と刃で競り合った瞬間、プリムラは知ることとなる。
『もらいましたわ』
コクピット内で、カズキは悪意を具現化したような笑みを浮かべた。
そして――炎の剣は、最初から存在しなかったかのように消滅する。
実況の女性はなにやら盛り上がっているようだが、プリムラはそれどころではない。
「消えただと!? パワー以前の問題かよ!」
『プリムラ、次が来るわ!』
「チィッ!」
ガラテアはバックステップでハデスから距離を取る。
ギリギリだった――だがそのギリギリの回避すら、『なにかあるかもしれない』と警戒した上での攻撃だったからこそ成立したものである。
『うふふふっ、戸惑ってるわねえ』
「そりゃ戸惑うだろ。ただでさえ、んな格好してんだからよォッ!」
ガラテアの右腕がハデスに向けられる。
スペルキャスターが起動し、半透明の腕の中で、三つの魔法陣が光を放った。
「補助術式設定、三重加速! どでかいのを喰らいやがれッ!」
さらに手のひらの前にも青い魔法陣が展開され、そこから全長がドールと同程度の氷塊が射出される。
それだけの大きさだとどうしても速度で劣り、避けられやすくなるものだ。
そのための三重加速による射速の向上。
あの細い体を仕留めるだけの威力は十分にあるはず。
(機動性を生かして避けねえと体ごとへし折れちまうぞ、どうするカズキ先輩!)
もちろん、これで終わるとは思っていない。
あれだけの自信をもって喧嘩を売ってきたのだ、カズキには勝算があるに違いない。
だから、次の瞬間にプリムラが見た光景は、想定内の出来事だった。
『ふふっ! 甘いわよプリムラぁ!』
振り払われる鎌。
そして刃に触れた瞬間、氷塊は一瞬で姿を消す。
解けたとか、蒸発したとか、そんな話じゃない。
文字通り消えて無くなったのだ。
『また消えた!?』
プリムラは続けて、ハデスから一定の距離を取りつつ両腕の砲門から亡縛砲を放った。
紫の炎は、ゆらゆらと不気味にゆらめきながらハデスに近づいていく。
もちろんそれだけではない、貯蔵していたオリハルコンから弓を作り出すと、同じ材質で矢も作り出し、亡縛砲から逃げる敵機を射抜く。
『そんな武器まであるなんて初耳だわ』
そう言いながらも、ハデスは容易に矢を回避していく。
見た目通り、それなりの敏捷性も備えているようだ。
だが、競技場のグラウンドはさほど広くない。
じわじわと炎は相手を追い詰めていく。
『ねえプリムラ、あのままじゃまた――』
「わかってる、今は確かめてんだ」
亡縛砲を前にして、ハデスの鎌がまた振り払われる。
炎は予想通りかき消された。
もはや考えるまでもない、シンプルな話だ。
「ハデスは冥府の主って言われてんだよな」
『神話ではそうみたいね。でもハデス自身は、“人の命”をテーマに魔術の研究をしていただけで、そんな偉い子じゃないわよ』
それはあのだらけた姿を見ればわかる。
そもそもペルセポネと結婚したという話まで残っているのに、女だった時点で驚きなのだ。
つくづく、神話というのがどれだけ後の世で適当に肉付けされたものなのか痛感させられる。
だが、重要なのはその神話である。
「文字通り冥府に送ってるってわけか。そういうことだろ、カズキ先輩」
『ええ、そういうことよ。私の鎌に宿る力は――触れたもの全てを“殺す”能力、我が存在意義の証明! 実体があろうとなかろうと関係ないの。魔術も、ドールも、そしてあなたの命も、触れた瞬間に消えてなくなるの!』
タッタッタッタ――と金属人形にしては軽い足音とともに、ハデスはガラテアに近づいてくる。
プリムラは亡縛砲と魔術を連発して足止めを試みるものの、やはり無駄だ。
「ザッシュもそうだったが、どいつもこいつも滅茶苦茶な力を持ってやがる!」
『ど、どうするのよプリムラっ!』
「んなもん、避けるしかねえだろ!」
ガラテアは武器も握らないまま、ついにハデスとエンカウントする。
『回避できる程度の攻撃しかしないと思っているの? この私が!』
プリムラは相手の動きを観察することに集中し、まず最初の振り下ろしを回避した。
続けてくるりと一回転してからの袈裟斬りをのけぞってやり過ごし、素早く刃を反転させての足払いはバク転でやり過ごす。
両手で着地すると、今度は腕を狙った斬撃を繰り出そうと、ハデスは鎌を振りかぶる。
だが動きはそこでピタリと止まった。
足元の異変に気付いたのだ。
飛び退くハデス。
その直後、地面から鋭く尖った岩がせり出した。
少しでも遅れていたら、今頃串刺しになっていただろう。
『着地と同時に魔術を使ったのね!?』
「こっちだって避けてばっかりなわけねえだろ!」
『くうぅっ!』
岩の槍は単発ではない。
連続して、ハデスを追うようにしていくつも地面は隆起する。
カズキは下顎を掠めるほどに追い詰められたところで、タイミングを見計らって横に跳んだ。
そして飛び込んだ先には――当然、罠が仕掛けてある。
『地面から植物がっ!? こんのぉっ!』
湧いて出てきたツタを、鎌を振って消し飛ばすハデス。
だが無理に武器を振るったことで、バランスを崩し、機体は砂埃をあげながら地面を転がる。
「三重加速ッ、今度こそ喰らいやがれよぉッ!」
ガラテアはスペルキャスターを起動。
加速の術式を三つ重ねた氷塊で、ハデスを撃ち抜いた。
迫る大魔術を前に、しかしカズキは身動きを取ることができない。
見開かれる目。
そして氷塊はなにかに衝突すると同時に、盛大に砕け散った。
(消えてないってことは、鎌で切られたわけじゃない。やったか……?)
散らばる氷片や砂埃が邪魔で、倒れたハデスの姿は見えない。
プリムラは油断せずに、スペルキャスターを敵に向けたまま様子を見た。
しばらく待っていると、視界を塞いでいた障害は消え――なにも無い空間が現れる。
もちろん、ハデスだってそこにはいない。
『どうして……? 確かに命中したはずよね!?』
「残骸すら残ってないのはおかしいだろ、姿を消しやがったのか?」
だとしても、歩けばもちろん音がする。
音を消せたとしても、地面に足跡が残る。
いくらハデスが軽いと言っても、ドールはドール。
空も飛べない機体が、なんの形跡も残さずに移動することは不可能なはずだ。
(幻覚を見せて足跡をごまかしてる……? いや、だったら近づいて触ればわかるはずだよな)
先ほどまでハデスがいた位置に移動するガラテア。
そして足裏で、足跡が残っていないか確認する。
だがやはり、地面が凹んでいる感触はない。
『魔力も感じられないわ』
「逃げたってわけじゃあ――まあ、ねえだろうな」
それだけは無いと断言できる。
カズキは教団に狙われているはずだ。
競技場の外に逃げたところで、コロニーの外にでもいかない限り、すぐに始末されるのがオチだろう。
なにより、ドールのまま街中にでたら大騒ぎだ。
「音もしねえ、見た目でもわからねえ、魔力も感知できねえ……亡縛砲を使ってみたって――」
亡縛砲には敵の位置を探知する力がある。
プリムラは試しに放ってみたが、特になにかを見つけた様子はなく、炎はまっすぐに飛んでいき、観客席を守るシールドに当たって爆ぜた。
「やっぱり駄目か。なあヘスティア、あのハデスってやつのこと知ってるなら、姿を消すような魔術に覚えは――」
『プリムラ、後ろっ!』
プリムラとヘスティアは同時に“殺気”を感じた。
だがそれは、ハデスがすでに至近距離まで迫っていたからこそ察知できたもの。
背後から振り下ろされた刃はすでにガラテアに触れる直前で、そこから反応したところで、完全な回避などできるはずもなかった。
とっさに左腕でガードしたものの――鎌に触れれば当然、左腕は“殺される”。
「クソが……やりやがったな、てめえッ!」
『ふふふふっ』
プリムラが声を荒らげると、カズキは楽しそうに笑った。
◇◇◇
ガラテアとハデスが激しい戦闘を繰り広げる中、観客席にはセイカやルプス、そしてアリウムの姿があった。
三人とも別の場所に座っているものの、それぞれ真剣な表情でその戦いを見守っている。
するとアリウムの近くに、やけに焦った様子の女性が駆けてきた。
慌ただしい足音、そして荒い呼吸が気になって、アリウムはちらりとそちらを向く。
二人の目が合った。
「ボタン先生、どうなされたんですか?」
「あぁ、アリウムさんっ! 良かったです、知っている人がいて……どうもうこうもないですよ、いきなりこんな決闘が始まるなんて! ただでさえ外は大騒ぎなんですよ!?」
あまりにナンセンスなタイミングでの決闘開始に、どうやらボタンは困惑しているらしい。
いや、彼女だけでなく、学園の教員のほとんどが戸惑っていることだろう。
それだけカズキは強引に許可を取り、この会場を確保したのだ。
「しかもプリムラさんとカズキさんがどうして……それに爆発事件が相次いだ直後だっていうのに、見に来る人たちも人たちですし、許可を出した人も滅茶苦茶です!」
確かに、事情を知る一部の人間を覗いて、この決闘を観戦するほとんどの人間は娯楽目当てにここに来ている。
三度爆発が起きるとすれば、人がたくさん集まる競技場が狙われる可能性が高いにもかかわらず、だ。
「アリウムさんがここにいるということは、事情を知ってるんですよね?」
「……まあ、一応は」
周囲の目を気にしながら、そう答えるアリウム。
ボタンはたまたま空いていた隣の席に、滑り込むように座った。
「まさか……あの二人が、関係しているんですか?」
「関係というか……」
「話せないんですね」
「……」
「話せないということは、それだけ大事な戦いなんでしょう。盛り上がってる観客の人たちは別として、二人はこのタイミングで戦わなければならない理由があった……ひとまず、そう納得しておくことにします」
「ありがとう、ございます」
「いいんですよ。ただ一応言っておきますけど――」
ボタンは一旦息を吐き出すと、物憂げにドールの戦いを見ながら言った。
「教団のこと、私だってなにも知らないわけではないですから」
◇◇◇
繰り返される、不可視の斬撃。
それをギリギリのところで避け、反撃の魔術を繰り出すもハデスはもうそこにいない――そんなことをすでに数度繰り返した。
未だ、ハデスの能力の正体はわからず。
というより、プリムラは回避に集中するため、ほとんど考えられないでいた。
そんな中、主の代わりに自らの記憶を探っていたヘスティアが、ひときわ大きな声で言った。
『そっか、アイドスキューネだわ!』
「アイド……? あー……そうか、あれか! なんで忘れてたんだわたしは、ハデスがベースならあの兜が出てこないわけがねえ!」
アイドスキューネは、被ると姿が見えなくなると言われる兜だ。
神話においてハデスの持ち物として大いに活躍したし、ヘスティアが知っているということは、実在したハデスも似たような魔術、あるいは道具を作り出していたのだろう。
ただし“ドールとしてのハデス”は、別に兜を被ったわけではない。
後頭部より角のようなパーツが三つ突き出し、そこから放たれた魔術が全身を包み込み、“探知不能”の現実改変を引き起こしているのだ。
それを破壊できればアイドスキューネは効果を失うが、そもそも見えないのだから、狙い撃つのは不可能である。
『だとすると厄介よ……あのやる気のないハデスが、最高傑作だって自画自賛するぐらいの魔具なんだから』
「どうにかして位置を確かめられねえのか?」
『できないから最高傑作なのよ』
「ただでさえ鎌だけでも厄介だってのに、正体がわかっても対処法は無しかよ……くっ、また来たか!」
再び背後からの強襲。
気配だけでそれをどうにか回避するガラテア。
殺気を感じられるプリムラやヘスティアと異なり、観客や実況からしてみればハデスは完全に消えて見えなくなっている。
彼らには今、ガラテアが一人で踊っているように見えているだろう。
「どこだ……どこにいやがる、カズキ先輩ッ!」
近づかせぬよう、右手でフランベルグを振り回しながら、周囲を警戒する。
だが相手もかなり用心しているようで、今度はなかなか仕掛けてこない。
『……神経がすり減りすぎて気が滅入りそうだわ』
「なにも見えない暗闇の中にでも放り出された気分だな」
警戒すべきは全方位。
相手が近づいてきたことすらわからず、攻撃に気付くことができるのは当たる直前のみ。
さきほどは奇跡的に回避できたが、あんなのは何度も続かない。
『くすくす、怖いでしょう? 当たりどころが悪ければ一撃で終わるのに、どこからやってくるのかわからない。あなたたちの心が揺れているのが手に取るようにわかるわ』
「お母さんの件もそうだが、趣味悪ぃんだよ、お前は!」
『やるほうからしてみると、悪趣味であるほど楽しいのよ? うふふふふふっ!』
その気持ちがわかるだけに、プリムラはさらに苛立つ。
歯ぎしりする彼女に、ヘスティアは優しく声をかけた。
『まずは落ち着きましょう、冷静さを欠いては相手の思う壺よ』
「ああ……わかってる。しかし埒があかねえな、燃費は悪いが試してみるしか無いか……」
『なにをするの?』
「こうするんだよっ!」
ガラテアは膝をおとすと、大きく真上に跳んだ。
そして聖火の翼を噴き出し、空中に留まる。
『言っておくけど聖火の翼は加速用だから、そう長くは保たないわよ……って、使ってるプリムラが一番よくわかってるわよね』
「ああ、だからとっとと終わらせる! スペルキャスター、単一拡大、二重加速!」
スペルキャスターに浮かぶ三つの魔法陣は、それぞれに違う効力をもたせることもできる。
今回の場合、競技場全体を攻撃範囲に含めるために一つの陣を拡大に使用し、逃げ道を防ぐために二つの陣を加速に利用した。
それらの力を孕んだ魔力が、かざした手の前に浮かぶ魔法陣に注ぎ込まれる。
色は青。
降り注ぐは氷の雨。
別に“氷”にこだわっているわけではないが――ガラテアの生前の癖なのか、自然とプリムラはその属性を選んでいた。
「見えないんなら無差別に攻撃しちまえばいいんだよ、逃げ場はねえぞカズキ先輩ッ!」
ズドドドドッ! ――氷片は激しく大地に突き刺さる。
プリムラの思惑通り、それはフィールド全体を隙間なく埋め尽くし、針の山へと変えた。
しかし――
『命中した様子はないわね。ハデスはここにいないってこと?』
「んなわけねえだろ。第一、競技場の外に出たら即刻反則負けだ。んなもん、あいつが望むとは思えねえ」
『それならどこに……』
探せど探せど、ハデスの姿は見当たらない。
鎌で防げばかならず居場所がバレる。
まさかあの氷の雨を、全て回避してみせたというのか。
いくら細身で機動性が高いといえ、いくらなんでも不可能だ。
「今ごろカズキ先輩は、わたしが戸惑ってる声を聞いてほくそ笑んでるんだろうなァ」
そう考えると少しイラっと来たので通信切ってやろうかと思ったが、しかしプリムラから切ることはできなかった。
強制切断すらできない通信など、もはやウイルスに等しい。
人の体内に“爆弾”という名のウイルスをばらまいていたカズキらしいと言えばらしいのだが。
「それとも、さっきの魔術にビビってどこかに隠れちまったのか? そういや、わたしのお母さんを操ってたときも、裏でこそこそ動いてたみたいだし、根っからの卑怯者らしいなァ!」
安い挑発だ。
プリムラ自身もそう思った。
だが存外に――彼のタイミングを早めるには有効的だったらしい。
『そんな、上にっ!?』
空中に浮遊するガラテアの、さらに上――まるで死神のようにふわりと浮かぶハデスは、そこから鎌を振り下ろした。
「だろうと思ったよ!」
しかしプリムラは読んでいた。
そもそも足跡が残っていない時点で、そう考えるのが自然ではないか。
無条件で相手を殺す能力のせいで、様々な可能性を考えてしまったが――浮けば足跡は残らない、ただそれだけのこと。
だが本来、ハデスの攻撃は、別に足元でも背中でも前からでも良かったはずなのだ。
アイドスキューネが有効である限り、どの方位からでも不意打ちは成立する。
だがカズキは頭上から攻撃をした。
それは彼が基本的にプライドの高い人間だから。
同じ“呪い”をもつプリムラが普通に暮らしているのが許せない――そういう、他者より自分が下であることをなによりも嫌う腐った性根が、そうさせたのである。
先読みできれば、攻撃を回避するのは容易い。
バーニアを切り、重力に身を任せると、刃はガラテアの前を通り過ぎていく。
『見切られていたのっ!?』
「安直だったからなァ!」
ガラテアはすぐさまバーニアを噴射して浮上。
ハデスの腕を掴み、くるりと上下を入れ替わり、今度はバーニアを加速を利用して、ともども地面に急降下する。
『ぐぅぉおおおおっ! 地面にっ、叩きつけるつもりっ!?』
「地面じゃねえ、堕ちた先は針山地獄だ! 串刺されやがれェッ!」
墜落しながらハデスはじたばたともがくが、パワーは完全にガラテアのほうが勝っていた。
アイドスキューネ発動直前のダメージもあってか、機体にはところどころ傷がある。
さらにそこに、地面との衝突が加われば――
『がっ、ふ……!』
激しい衝撃音が響き、ハデスの背中に氷片が突き刺さった。
幸いコクピットまでは届かなかったが、後頭部にあったアイドスキューネ維持のための魔力放出機関は完全に破壊。
ステルスは解除され、ボロボロになった姿があらわになる。
『どうして……読まれて……っ』
「自尊心だよ、先輩は無意識下で自分のほうが他者よりも優れている、上だと思ってんだよ。じゃなきゃ人間を爆弾にしたり、故人を殺人に利用したりはしねえし、わたしに対して見当違いの恨みを抱いたりはしねえ」
『見当違い? ふざけないで、私の怒りは正当なものよッ!』
「そういうとこなんだよ。あんたはひたすらに自分だけを愛し、他人を見下すことで優越感を得てきた。権力に溺れた政治家の息子らしい考え方だ。なあカズキ先輩、あんたやっぱり、オーガス家の人間なんだよ! どんだけ恨んでも、根っこの部分であいつらの思想を受け継いでんだよ!」
『認めないわ……認めてたまるもんかッ! まだ、こっちは、両手が使えるんだからあぁっ!』
ガラテアが使えるのは右腕のみ。
いくらパワーで劣るといっても、両腕と片腕ならば、押しのけることはできる。
「おっと、確かに両手を片手で抑え込むのは辛いかもしれねえな。しかし――さっきから思ってたが、どうやらあんたにはザッシュのとの戦いの情報が届いてないみてえだな」
『どういうこと?』
「こういうこった」
ガラテアの左肩断面より白い液体が噴き出し、すぐさまそれは左腕に形を変えた。
貯蔵したオリハルコンさえあれば、いくらでも傷を癒やすことができる。
それこそが、この機体の最大の強みである。
『殺したはずの腕が……再生能力なんて持っていたの!?』
そして復活した左腕で、抵抗を続けるハデスの腕を抑えこんだ。
地面に押し付けられる腕は、ガラテアのパワーによって軋み、歪みはじめる。
「こんだけ至近距離まで近づけば、自慢の鎌も使えねえ」
『くっ……私はこの程度じゃ終わらないわ!』
「そうかい、わたしもなんか企んでるだろうなとは思ってたよ。試しに言ってみろよ」
『会場に、爆弾を仕掛けてるわ』
あまりに予想通りすぎて、プリムラは特に反応を見せなかった。
ヘスティアも似たようなものだ。
『どこに仕掛けたか、教えてあげましょうか?』
「ここで手を離したら、ってことか?」
『あなたが死んでくれるなら、爆弾を解除してあげてもいいわ』
「まるで噛ませで出てくる雑魚みたいなセリフだな。だがその必要はねえ。セイカ先輩のカメラに仕掛けてあった爆弾なら、わたしがとっくに解除したからな」
『解除……? ナノマシンを利用した爆弾の解除なんて、よほどの天才でもない限り不可能よ! はったりだわ!』
プリムラは白い歯を見せつけながら、にぃっと笑う。
「わたしがなんのためにガラテアの知識を手に入れたと思ってんだよ」
『魔術を使ったって言うの……?』
「ナノマシンの発光作用を利用した爆発……理屈さえわかりゃあ、どうとでもなる。お母さんの事件のときといい、教団のナノマシン技術が操者本人には使えないってことも予想できてたしな。だったら、セイカ先輩を狙うなら身につけてるものしかねえってことだ。さあどうする、切り札の爆弾も無くなっちまったぞ? なあ、とっとと負けを認めて、わたしに先輩の知ってることを教えてくれよ」
『……まだ、よ』
悪あがきを続けるカズキに、プリムラはうんざりと言った様子でため息をついた。
殺してしまえば聞き出すこともできない。
かと言って、生かしたまま戦いを終えてしまえば、控室あたりで教団に殺される可能性がある。
そもそも、プリムラは彼が戦闘前に殺されるんじゃないかとひやひやしていたのだ。
そんな形で逃げられてしまえば、今日までの苦労が水の泡だ。
だからどうしても、この場で話してもらわなければ困る。
『私、あなたにいくつか情報をあげるって言ったわよね』
「ああ、そんなこと言ってたな」
『私にここまで痛手を負わせたご褒美。まずはひとつ、いいことを教えてあげるわ』
プリムラにメッセージが届く。
本文は無し、添付は画像ファイルが一個だけ。
訝しみながらも開くと、ある書類が表示された。
『DNA検査報告書……? なんなの、これ』
ヘスティアが文字を読み上げる。
「血縁関係を証明するような書類と思ってもらっていい。でもこれって……わたしとアリウムちゃんの、検査結果……」
並ぶ名前、そして下に書かれた結果をみるうちに、プリムラの心は急速に冷めていく。
口調も元に戻り、ぞわりと全身が粟立つのを感じた。
『そうよ、あなたが私の元にたどり着いたときのことを考えて、あらかじめ用意しておいたものなの。署名を見てもらえばわかるけど、ちゃんとした検査機関で調べてもらったものよ』
第三者が勝手に二人の検査を行える時点でまともではない。
だが偽造不能な署名が正規のものであると明記されている以上、結果が嘘でないことは保証されている。
すなわち、そこに書かれていることは事実だ。
『プリムラ、顔色が……大丈夫?』
『ふ……ふふふふっ、さすがにこれには動揺を隠せないみたいねぇ!』
嬉しそうにカズキが喚く。
だがその声も、今のプリムラには届いていなかった。
「なんで……そんなわけ……」
『認めたくない気持ちはわかるわ。でもね、あなたが見てきたのはずっと“表側”だった。罪を犯すのにはね、それなりの理由があったってことなのよ! 操られていたとかそんなもの関係無しに! だからね、あなたが真実を暴くというのなら、必ず向き合わなければならないのよ!』
明かされないほうがいい事実もある。
それを体現するかのような、書類に記されたその一文――
『あなたとアリウム・ルビーローズは従姉妹ではなく、異母姉妹だという事実にね!』
それはつまり、二人の父親は同じティプロゥ・ルビーローズであり、なおかつプリムラは――ティプロゥとアヤメ、血の繋がった兄妹の娘ということを意味していた。
心臓がバクバクとうるさい。
冷や汗で服が張り付いて気持ち悪い。
呼吸の仕方を忘れてしまったように、肺が不規則に震える。
「はぁ……はっ、はあぁ……!」
『プリムラっ! 落ち着いて、まだ戦いの途中よ!』
「わかってる……わかってるけど、じゃあ、わたしのお父さんは……お父さんじゃ、なくて……」
「考えることはたくさんあると思うわ」
ヘスティアは実体を持って現れ、イメージデバイスに置かれたプリムラの手に、自らの手を重ねた。
コクピット内は狭いが、今は密着して感じられる体温も、彼女の救いになる。
「でもそれは戦いが終わったあとでもいいの。大丈夫、私がついてるわ。辛くて苦しいこともあるでしょうけど、一緒に落ち着いて考えましょう。一人で悩む必要はないの」
「ヘスティア……」
『いいえ、落ち着かせたりはしないわ、プリムラ。だってあなたは動揺した! たとえ救いの手が差し伸べられたって、すぐには完治しない! だってそこには傷があるんだもの!』
動揺したからと言って、ガラテアの腕から力が抜けるわけではない。
ハデスはまだ組み敷かれたままだ。
だがカズキの目的は、プリムラに衝撃的な事実を与えて、うろたえる彼女を見てあざ笑うことではない。
確かにそれは過程として必要だが、本命はその先にある。
『そして傷が生じたのなら、私はあなたを冥府に引きずり込める! フェイスオープン、発動しなさい醜悪なる本性ッ!』
仮面が割れるように、ハデスの顔が中心からカシャッと開く。
その下にあったのは――びっしりと敷き詰められた、冥府の果実にも似た赤い瞳だった。
怪しく輝くそれは、歪んだ魔力を発しながら、ガラテアではなく、その操者であるプリムラに干渉する。
「赤い……光……?」
プリムラは引き込まれるようにハデスの顔に釘付けになった。
「なに……これ……お母さん……? お父さん……入って……きて……」
「見ちゃだめっ!」
ヘスティアは慌ててプリムラの目を塞ぐが、物理的な遮蔽など意味を成さない。
『もう遅いわ、プリムラの心は冥府に堕ちた! あとは腐り落ちるまで待つだけなんだから!』
醜悪なる本性――その射程距離はごく短い。
押し倒されでもして近づかなければ、発動はできなかっただろう。
空中で掴まれ、地面に叩きつけられたのも計算――というわけではないが、しかしそうなる可能性は考慮していた。
「あ……ああぁ……やだ……やだっ、なに、これ……怖い、怖いっ、やめて、お母さんっ、お父さんっ! 助けて、お兄ちゃん! 違う、違うよ、わたしは悪くない、わたしじゃ……そんな目で見ないで……やだ、来ないでっ、来ないでえぇぇぇぇぇぇええええッ!」
『あっはははははははっ! いいザマねプリムラ、そのまま心が死ぬまで苦しみ続けなさいっ! その間、ドールのほうは私がおもちゃにして遊んであげるわぁ!』
ガラテアの両腕からは力が抜けていた。
ハデスは抜け出した足で腹を蹴飛ばすと、その場を脱出して再び鎌を握り直した。
そして舌なめずりするように、一歩一歩、脱力して倒れるガラテアに近づいていく。
「いやあぁぁぁああっ! 痛いっ、痛いよぉっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさっ! ああぁぁぁっ、アリウムちゃんっ、みんなっ、やめてえぇぇっ!」
「プリムラ、大丈夫よっ。私がいるから、私じゃ頼りないかもしれないけど……ここに味方がいるからぁっ!」
必死に叫ぶヘスティアだったが、声は届かず。
『まずはどこから殺してやろうかしらぁ!』
眼前に迫った死神は、三日月型の殺意を振り上げた。




