018 破片たちを縫い合わせるように
プリムラが退院したのは、アリウムと口論を繰り広げた二日後だった。
腕はまだ痛むが、骨はすっかりくっついている。
多少の鈍りはあるものの、戦闘でも問題なく使えるだろう。
病院で騒がしく喧嘩をしてしまったため、あのあとプリムラは看護師に怒られた。
さっさと帰ったアリウムはお咎め無しなのだから、不公平なものである。
結局、退院までアリウム、フォルミィ、ラスファの三人が病室に顔を出すことはなかった。
フォルミィだけは一日に一度メッセージを送ってきたが、直接出向かなかったのはさすがに空気を読んだのか。
セイカとルプスは何度か見舞いにやって来て、プリムラといくつかの情報を共有した。
ルプス曰く、アヤメに関する捜査は遅々として進んでいないそうだ。
軍警察も表面上は捜査しているフリをしているものの、核心に触れるような証拠が見つかった場合は上司が隠蔽しているのだろう。
プリムラと繋がっていることを知ってか、彼は事件そのものに関わらせてもらえないらしい。
もっとも、それとは関係なしに独自に動いているようだが。
セイカは相変わらず、例の金髪女性を追っているようだ。
だが歓楽街をどれだけ探しても、そのような外見の女性の情報は得られないという。
『“金髪の女性”って言葉だけじゃピンと来ないんじゃない? やっぱり写真が無いと』
『チッチッチッ、私を甘くみちゃあいけませんよ。確かに撮影はできませんでしたが、私の頭の中には残ってるんですから。こう見えても、絵を書くのは得意なんです』
そう言って、プリムラの前に画像を表示するセイカ。
そこには彼女の描いた、金髪の女性の顔が映し出されていた。
帽子で目元は隠れているものの、鼻や口元は非常にリアルに描かれている。
似顔絵は、思わずプリムラが『へえ』と感嘆してしまうほどに見事なものだった。
確かにこの画像があれば、顔見知りであればひと目でわかるはずである。
となれば、歓楽街にいたこと自体がカムフラージュなのか。
あるいは“金髪の女性”に変装しているだけなのか。
もちろんセイカはその可能性を考え、合成アプリで髪型を変えた画像も用意し、聞き込みに利用しているらしいが――それでもやはり、手がかりは見つからないという。
結局、退院までに大した手がかりは手に入らなかった。
アヤメとの戦いでわかったことは、あれが“ナノマシンの集合体”であり、また偽物などではなく“データ化された本物のアヤメ”ということだけ。
いや、あの戦い以降、アヤメが動きを見せておらず、犠牲者が一人も出ていないという点においては戦った意味はあったのだろう。
しかし、根本的な問題はまだなにも解決していない。
アヤメを操っている誰かがいる。
その黒幕を見つけ出すまでは。
病院から出たプリムラは、少し離れた場所で立ち止まり、網膜にセイカの描いた似顔絵を映し出す。
「なにを見ているの?」
荷物を半分持ったヘスティアは、プリムラに腕を絡めながら尋ねた。
「例の似顔絵。ちょっと気になることがあって」
「誰かに似てるとか?」
「雰囲気だけなんだけど――寮に荷物置いたら、すぐに出かけてもいい?」
「もちろんよ、どこにだってついていくわ」
そもそも、二人は魂レベルで繋ぎ合わされている。
わざわざ聞くまでもなく、共に行動することが大前提なのだ。
◇◇◇
寮に立ち寄ったあと、プリムラが向かったのは歓楽街だった。
「このあたり、もうセイカが調べてるんじゃないの?」
「そうなんだけど……まだ調べてないところがあるんじゃないかと思って」
ここに来る前に、プリムラはルプスにとあるメッセージを送っていた。
歓楽街に到着したころ、ちょうど返事が届き、彼女は歩きながらそれに目を通す。
『お前が考えてることはよくわかった。確かに歓楽街の北側、コロニーの“縁”のあたりにそういう店が連なってる場所がある。お前やアリウムの父親を始めとして、数人の操者の行きつけだった店だ。以前に怪しいと思って調べたことがあるが、少なくともその店からはなにも出てこなかった。俺のほうも気になることができた、わかったらまたあとで連絡する』
ルプスが送ってきたのは、そんな文章だった。
父の行きつけ――その一文を見て、ずぅんと心が重くなるプリムラ。
あまり知りたくなかった情報だ。
「どうしたのよ、急に落ち込んだりして」
「んー……お父さんのイメージが少し変わったっていうか」
「父親の?」
「仕事の付き合いなのかなぁ。あのお店なんだけど」
プリムラは建物の影から、目的地である店を覗き見る。
「やけに派手なお店ね。でもあれぐらいの店なら、この歓楽街ではよく見かけるわ。それともいかがわしいサービスでもしているの?」
「それとはちょっと違うんだけど……一応、変装していくからヘスティアはアニマに戻っておいて」
「わかったわ」
ヘスティアの姿がすぅっと消える。
プリムラは彼女の体を作っていたオリハルコンを魔術で素早く圧縮すると、懐にしまいこんだ。
そして自らの顔の前に手のひらをかざし、魔法陣を展開。
先日使ったのとは別の通行人の顔のマスクを張り付け、店に入る。
扉を開くと、チリンチリンと電子鈴が鳴った。
バーカウンターでグラスを拭いていた店員がこちらを向き、「あらぁ」と年季の入った営業スマイルを見せる。
「いらっしゃい。おひとりさまかしらぁ?」
癖の強い女口調に、紫のアフロヘア、ハーレクインを想起するほどの濃い化粧、そしてド派手なスパンコールのドレス。
ひと目見たら忘れられない強烈な外見をした彼こそが、この店の主だ。
名をビューティ・ヒメ、なお本名は不明。
ちなみに年齢も不明だ。
少なくともプリムラの父親より年上らしいが、それなりに年を重ねているはずだというのに、外見からそれを見て取ることはできない。
「こんな時間から女のコひとりなんて珍しいわネェ、嫌なことでもあったのかしら。カウンターにどうぞ、お姉さんが愚痴なら聞いてあげるわ」
プリムラは言われるがまま、ヒメの正面に座った。
昼過ぎに女性が一人――確かに妙と言えば妙だ。
だがそんな時間から営業しているこの店も珍しい。
「注文は?」
「いえ、わたしはあなたに聞きたいことがあって――」
「あいにく、このお店は大人が集まる場所なのよ。だから子供が飲めるドリンクはミルクぐらいしかないわぁ、それでもいいかしら?」
その言葉に、プリムラの動きは彼を見たまま止まった。
『プリムラ、この人……』
にこりと笑うヒメ。
派手で濃い化粧のせいか、歪んだ笑みを浮かべるピエロのようにも見える。
ここまでで交わした言葉はほんの一言。
それだけで変装だと気づくことなど――
「こういう商売をしてるとね、客の一挙手一投足を観察してしまうものなの。細かい動きでその日の体調や機嫌がわかるのよ。あとは年齢も動きに出るわね。あなたは不自然なのよ、顔も声も成人女性のものなのに、動きは十代の女のコそのもの」
「……それで、気づいたんですか」
「ええ、変装だろうなって。もちろんどうやってそんな精巧な顔を作ったのかまではわからないけどネ」
そう言うヒメから、敵意は感じられない。
プリムラは観念し、仮面を外すように自分の顔に手のひらを当てた。
「あら、あなた……」
顔を見て、驚くヒメ。
「プリムラちゃんね? こうして実物と顔を合わせるのははじめてだわ」
「お父さんから聞いたんですね」
「ええ、ラートゥスくんったらあなたの話になると止まらなくなるのよ? 昨日ははじめてパパと呼んでくれたとか、はじめて立ち上がったとか、来るたびに聞かされてたわ。もちろん成長してからも、それはもう大した溺愛っぷりだったわ」
しみじみと思い出しながら彼は語る。
ラートゥスは優しかったが、そこまで露骨に溺愛するようなイメージではなかった。
プリムラはむず痒い気持ちになり、かすかに頬も赤らむ。
同時に、少し安堵していた。
父が教団に関係している――その可能性が高まっていく中で、『もしかしたら自分の知るお父さんは本当の姿ではないのではないか』という疑念が膨らんでいたからだ。
「聞きたいことっていうのは、ラートゥスくん絡みかしら」
「無関係ではありません」
「アヤメさんが姿を現したって話も聞いたわ」
「お母さんのことも知ってるんですね」
「ラートゥスくんの奥さんで、ティプロゥくんの妹でもあるんだもの。二人の話には結構な頻度で登場してたわよ。はいミルク」
プリムラの前に、グラスに注がれたミルクが差し出される。
「別に頼んでないんですけど」
「おごりよ、遠慮なく飲んじゃって」
「はあ、それでは」
毒――というわけでもないようだ。
口をつけると、何の変哲もない、本当にただの牛乳だった。
「お父さんとティプロゥさんが天使の家で一緒に暮らしたってこと、ビューティ・ヒメさんは知ってますか?」
「ヒメでいいわよ。ええ、もちろん知ってるわよ。ルドガーくんもアヤメさんも一緒だったらしいわネ」
「じゃあ、ティプロゥさんとお母さんが兄妹っていうのは……」
「同じ遺伝子から生まれたから、って話よ。学園入学が決まって天使の家を出るとき、戸籍上も本当の兄妹になったみたい」
「天使の家の子供って、結構早い段階で貰い手がつくって聞きましたが」
「拒否権が無いわけじゃない、って話だったと思うわ。まあ、そこまで詳しいことは私も聞いてないけどネ」
「拒否権……」
操者の才能があれば、引く手あまたなはず。
つまりアヤメはとにかく、プリムラの父もアリウムの父も、引き取られるのを拒んでいた可能性が高い。
その理由までは、ヒメに聞いてもわかりそうにないが。
「にしても、あなたがわざわざ変装してこんなところに情報収集だなんて、またコロニーがきな臭くなってるみたいネ」
「また、というのは?」
「イマジン教団掃討作戦のときも、色んな偉い人の思惑が絡み合って、このあたりも物騒になってたのよ。あなたはまだ小さかったから知らないでしょうけど」
「それは、このお店が操者のたまり場だったからですか?」
「そうねえ、それもあるかもしれないわ。当時はルドガーくん――いや、大統領と言うべきかしらネ。彼もうちの個室を借りて、よくティプロゥくんと三人で話し合ってたわよ。ルドガーくん抜きで、二人のこともあったわネ」
プリムラは振り返り、個室のあるほうを見た。
父たちがここでなにを語っていたのか――どうやらヒメは知らないらしい。
知ろうとしないからこそ、三人はここを話し合いの場に使ったのかもしれない。
「ところで、聞きたいことっていうのはラートゥスくんのこと……じゃないのよね?」
「あ、はい。これを見てほしいんですが」
プリムラは、セイカの似顔絵を手のひらの上に投写した。
「あら、かわいらしい女のコじゃない」
「この人、知りませんか?」
「化粧や服の雰囲気からして、この街で商売してる子でしょう? だったらうちより、普通のお店に聞きに行ったほうがいいと思うわよ。確かにうちは観光バーでお客さんは男女問わないけれど、店員はみんな男のコなんだから」
「男性の可能性があるからここに聞きに来たんです」
『ええぇっ!?』
一人驚くヘスティア。
セイカも、似顔絵の人物を女性と信じ込み、そういった店に聞き込みを続けていたようだ。
だが見つからなかった。
なぜならそれが男性であり、歓楽街に点在するゲイバーは、他の店とは異なるコミュニティを有しているからだ。
「こんなにかわいい子がいたら、アタシすぐにスカウトすると思うわよ」
「それならこっちの画像ならどうです?」
プリムラはセイカが聞き込みのときにそうしていたように、髪型を変えた画像を複数枚表示させる。
顎に手を当てながら目を通すヒメ。
すると、とある一枚を見たところで動きが止まる。
「これ……」
そう言いながら彼が指さしたのは、肩まで伸びた茶髪の画像。
「知ってるんですね?」
「ええ、うちじゃないんだけどネ。よそのお店に最近入った新人ちゃんが、こんな感じの美人だって写真を見せられた気がするわ……ちょっと待ってなさい、その子に連絡取ってみるから」
プリムラが頼むまでもなく、ヒメはすぐに動いた。
さっきから対応が好意的なのは、ラートゥスがここの常連だったからだろうか。
喜んでいいのか微妙なところである。
「うん、うん、そうそうその子。写真送ってくれる? ありがとう、助かるわ。え? ああ……そうネ。ねえプリムラちゃん、そのお店のママと会って話すこともできるって言ってるけど、どうする?」
『危険なんじゃない? その、画像の男性がアヤメさんを操ったり、あの爆発を引き起こした本人だって言うんなら、それをわかった上で雇っている可能性があるのよね?』
ヘスティアの危惧はもっともだ。
だが、それを言ったら、ヒメが連絡を取った相手がそんなことを提案してきた時点でもう手遅れだろう。
彼について嗅ぎ回っている人間がいる。
そう勘付かれれば、間違いなく逃げられる。
「じゃあお願いします、会わせてください」
『プリムラ!? また無茶なことをして……!』
「わかったわ、じゃあアポイントメント取っておくから。もしもしー? ええ、じゃあお願い。今すぐで大丈夫……ああ、逆に今すぐじゃないとダメってことネ。そう伝えておくから」
通話を終えるヒメ。
彼はプリムラのほうに向き直すと、
「そういうことだから。お店の場所はあなたに送っておくわ、それを参考になさい」
そう言って笑った。
やはり悪意はない。
ヒメ自身は、完全に善意でプリムラに協力しているようだ。
今後も歓楽街で調べたいことがあれば、あてにしてもいいかもしれない。
「ありがとうございます、助かりました」
「いいのよ。でも気をつけなさいよ、その手の輩は人の命を奪うことをためらわないわ」
「ふふっ、知ってます」
言いながら、立ち上がるプリムラ。
彼女はヒメのほうを見ると、首を傾け、自嘲的に笑いながら言った。
「それはもう、身をもって体験しましたから」
五年前から、それこそ何度だって。
それを聞いて、ヒメはハッと目を見開くと、ため息をついて「そうだったわね」と悲しげな表情を見せた。
◇◇◇
『プーリームーラー?』
店を出るなり、説教モードで話しかけてくるヘスティア。
プリムラは「あーあー聞こえないー」と耳を塞ぐも、もちろん意味は無い。
『焦る気持ちはわかるけど、危険なところに自分から飛び込んでどうするのよ』
「こうでもしないと、捕まえるのは無理だと思って」
『だからそれが無茶だって……はぁ、ところでどうしてあの似顔絵が“男の人”だってわかったの? 私には女性にしか見えなかったわ』
「化粧が濃いとか、裏声っぽかったってセイカ先輩の情報のおかげもあるんだけど、一番は最初から疑ってる人がいて、その人の顔が頭にあったから……かな」
『そんな人がいたの? いったい誰?』
「さっきヒメさんからもらった写真見て、なんとなく誰かの顔が思い浮かばない?」
ヘスティアは、プリムラが投写した茶髪の女性の画像を見ながら考え込む。
しかし、どこからどう見ても、プリムラと同年代の女の子にしか見えない。
これが男と言われると、そこらを歩いている女性の性別すら信じられなくなりそうだ。
『ごめん、全然わからないわ。教えてもらえる?』
お手上げ状態のヘスティア。
プリムラはヒメに教えてもらった店に向かいながら、その名前を口にした。
「カズキ・オーガス」
『あの三年生の!? でも彼って、女遊びが激しいって話じゃ……』
「毎晩のように街に繰り出してるって言っておけば、こっそり女装して店に出ても疑われる可能性は低くなる」
『そのためにあんな噂を立ててたのね』
「それに、親とうまく行ってないとも言ってたでしょ? ルプスさんが言ってた、教団員に共通する要素にも被ってる」
『あぁ……そう言えばそうだったわ。でも確かに、あの顔を思い浮かべてみると――口元や鼻は、似てるわね』
言われてみなければわからない。
それだけ、見事な化粧ということだろう。
だがプリムラが彼の正体に気づいた以上、それがわかれば間違いなくカズキは姿を隠す。
そうなる前に、できるだけ証拠を掴んでおきたかったのだ。
『でもそこまで確証が得られているなら、本人を問い詰めたほうが早いんじゃ……』
「わたしの頭の中で点と線が繋がっただけだから、せめて客観的な証拠がないとね」
『そういうところは冷静なのね』
「別にいつも感情にまかせて突っ込んでるわけじゃないんだから……」
ヘスティアからの信用のなさに苦笑しているうちに、目的地に到着する。
ヒメの店よりも大きく豪華――というかサイケデリックな佇まいに若干引きながらも、プリムラは店内に足を踏み入れた。