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017 感情論

 



『無くなっちゃった』


 昨日までこの手にあったあらゆるものが、全て、夢のように。


『無くなっちゃった』


 もう失いたくないのに、なぜか大切なものから順番に離れていく。


『無くなっちゃった』


 悪いことなんてなにひとつしていないのに、みんなが笑いながら奪っていく。


『……無くなっちゃった』


 なら力があれば、奪われずに済む。

 むしろ奪う側になれる。

 そう、思っていたのに――


 悪い夢だ、そう思いたかった。

 だが壊れゆく母の顔を覚えている。

 大好きなお母さんを斬り殺した感触は今も手に残っている。

 はみ出た内臓も、溶けた顔も、苦しげな声も、全てが、鮮明に。


 寝ても覚めても感触は離れない。

 強くなるということは、“なにも感じなくなる”ということではない。

 少し、耐えられるようになっただけ。

 世界の残酷さは変わらない。

 解放まではまだ遠く、夢も自らの記憶を元に構成される以上、楽天地にはなりえない。


 こうして意識があるということは、眠りが浅い証明でもある。

 プリムラはアヤメとの戦いを終え、魔力を使い果たして意識を失った。

 頭に柔らかな感触があるということは、ベッドの上で横になっているのだろうか。

 死なずにここにいるということは、ルプスあたりがうまくやってくれたんだろう。


 まだ体はけだるい。

 頭もぼーっとしている。

 その気になれば二度寝することもできたが、どうせ寝たって悪い夢に疲れるだけ。

 だから目を覚ます。

 悪い現実に浮上する。


「……起きたのね、プリムラ」


 ヘスティアが柔らかな笑顔でプリムラを迎えた。


「おはよう」


 優しい声が、ほんの少しだけ現実を彩って――夢よりはマシだ、と思えた。


「おはよ、ヘスティア」


 自然とプリムラの声も穏やかになる。

 それを聞いてヘスティアは少し驚いたような顔をしたが、すぐに嬉しそうにはにかんだ。




 ◇◇◇




 プリムラが体を起こして数分後、部屋にルプスとセイカが姿を現す。


「おう、起きたのか」

「よかったです。相打ちになってそのまま起きないんじゃないかと思ってました」


 二人の手には袋が握られていた。

 どうやら病院の売店で食べ物を買ってきたらしい。


「体の感じは数日寝込んでた、ってぐらいだるいんだけど、どれぐらい経ったんです?」

「一日とちょっとだな」

「だからこんなに明るかったんだ……じゃあとっくに、お母さんの残骸とかは回収されちゃったんでしょうね」

「いきなりそこの心配かよ。まあ、考えてる通りだがな」


 焼かれ、焼け焦げた粒子となったアヤメの体は、すぐに軍警察に回収された。

 曰く、ふさわしい施設で成分分析を行うらしいが、それも実際に行われるかは怪しいものだ。


「とりあえず今は自分の体を治すことを優先しろ。腕だって折れてんだろ?」

「操者ですから、放っておけばすぐに治ります」

「擦り傷じゃねえんだから……ほれ」


 椅子に腰掛けたルプスは、袋からジュースを取り出すとプリムラに投げ渡した。

 すりおろしりんごジュース――病人向けといえばそうかもしれない。


「ありがとうございます。ところでセイカ先輩は、どこでわたしが戦ってるの見てたの?」

「へ?」

相打ち(・・・)って、見てなきゃ言えないから」

「ああ、それもそうですね。離れた場所にあるビルの屋上ですよ。プリムラさんに頼まれた件を済ませてから、話を聞きつけて慌てて撮影場所を探しました」

「じゃあ、戦ってる姿も画像に残ってるってこと?」

「画像どころか動画でばっちり撮ってますよ」

「でもあの状況だと撮影できてないんじゃ……」


 戦いの最終盤、水蒸気を利用した目くらましにより、周囲は真っ白だったはずだ。

 だがセイカは人差し指を立てると、「ノンノンノン」と得意げに左右に振る。


「高性能カメラのおかげで、あの程度ならばっちり撮れてしまうんですよ。動画を見たら驚きますよ、科学の進歩に」

「へえ……そんなのあるんだ」


 セイカの話を聞きながら、プリムラはなにか引っかかるものを感じていた。

 だがその思考を遮るように、ルプスが話し始める。


「それでプリムラ、結局ありゃなんだったんだ? 戦ってるお前なら、正体はわかったんじゃないか」


 彼はプリムラが目を覚ますまでの間、それが聞きたくてやきもきしていたようだ。

 残骸は軍警察に回収された。

 成分分析等で調べることはできない。

 だがルプスが考えている通り、プリムラにはあれがなんだったのか、目処は立っていた。


「あくまで予想ですけど……おそらく、シナプスネットワークを形成するナノマシンの集合体だと思います」

「ナノマシンの……集合体だと? 馬鹿な、人一人が実体化するほどの量だぞ!?」


 彼が驚くのも当然だ。

 だがプリムラは確信を持っている。

 神封の炎獄(カンプス・セレイタス)は、ナノマシンが耐えうる温度を超えることができる、唯一の武装だったのだから。


「ネットワーク障害が起こったのもそういうことでしょう」

「そうか……周辺のナノマシンが枯渇したから、繋がらなくなったのか」


 あれはオカルト現象などではない。

 周囲のナノマシンが枯渇するほどの量をアヤメの実体化に使用したからこそ、ネットワークが使えなくなったのだ。

 とはいえ全てではなく、実体化したアヤメと、それに指示を出す何者かを繋げる分だけは残してあったのだろうが。


「でも待ってください。私たちに持たされてるナノマシンの使用権限は、せいぜい画像を表示したり、音声を周囲に拡散することぐらい、ですよね」

「政治家のお偉いさんでも、障害を起こすほどの権限は持ってないはずだ」

「ええ、そんな権限を得ることもできないはずです。どうしてそれを持ってる人間がいるのか、まではさすがにわからないですね」


 シナプスネットワークは、コロニーで作られたものではない。

 まだ人類が地球上のいたる場所で暮らせていた頃、どこぞの研究所が作り出したものだ。

 つまり開発者、あるいはその関係者の力が無ければ、アヤメの実体化など不可能である。


「私ずっと思ってたんだけど、シナプスネットワークっていうの、作った目的はなんだったのかしら」


 ヘスティアが三人に問いかける。

 プリムラはそんな彼女に対し、逆に質問を投げかけた。


「……そういや、みんな普通にヘスティア見ても驚かないんだね」

「最初は驚いたぞ。アニマが実体化してるところなんてはじめて見たからな」

「私は噂に聞いていましたが、実際にこうして見ると意外な姿をしているんですね。女神様って言うんで、てっきりもっと大人な女性かと思ってました。こんなマニアックな体型をした女の子だとは……」

「だ、誰がマニアック体型よ!」


 プリムラとセイカの視線がヘスティアの胸に向く。

 身長や顔の幼さに対して不釣り合いなその胸。

 母性の象徴と言えば聞こえはいいが、マニアックなのは事実である。


「ううぅ……」


 ヘスティアは視線からかばうように胸を隠し、うつむき赤らむ。

 プリムラは思わず「ふふっ」と噴き出すように笑った。


「それで、シナプスネットワークの話! なんのために作られたのかってことよ!」

「そりゃあれだろ、政府によるネット規制を避けるために、自由な世界を作りたかったってことじゃねえのか?」

「そんな正義心だけで、こんな大規模な仕組みが作れるかしら。私にはどうも、もっと大きな思惑があるようにしか思えないのよね」


 コロニーで暮らす人間にとって、シナプスネットワークは生まれたときから、当たり前に存在する仕組みだ。

 その由来を学ぶことはあれど、存在を疑ったことなどはなかった。

 一方で太古の時代を生きたヘスティアにとって、これは未知の技術だ。

 プリムラたちとは違う視点から見ているため、別の景色が見えているに違いない。


「思惑ってどういうこった?」

「世界中の人が分け隔てなく使える共有スペース……私が偉い人間ならこれ、集団洗脳に使うわね。人々が自由になるってことは、権力者だって好き放題にできるってことだもの。価値観だって変えられるわ、今のあなたたちみたいに」

「私たちの価値観がどう変わってるって言うんですか?」

「この狭いコロニーから出られないことや、食料を管理されること、六十歳での安楽死だって当たり前に受け入れてる。しかも権力者だけは六十歳以上でも生きられるんでしょう? こんな仕組み、普通は暴動が起きたっておかしくないわ」


 プリムラは黙り込み、ヘスティアの言葉を咀嚼する。

 なるほど確かに、考えてみれば、それは不満の種になりうる制度だ。

 だが誰もが当たり前にそれを受け入れている。

 時代に応じて価値観が変わった――そう呼ぶこともできるかもしれないが、それが誰かの思惑によって引き起こされたのならば、洗脳と呼ぶべきなのだろう。


「ですが、ネットワークを作り上げたのはコロニーの人じゃありませんよ?」

「……繋がってるって言いたいんじゃないかな、ヘスティアは」

「コロニーと、昔の人が……ってことですか?」

「そのとおりよ。プリムラのお母さんが実体化できるのには、このコロニーの人では持てない“権限”が必要なんでしょう? つまり誰かから譲渡されたわけではなく、最初から持ってたと考えてみれば――」

「教団かっ!?」


 ルプスは前のめりになりながら大きな声をあげる。

 だがすぐにここが病院だということを思い出し、気まずそうな表情を見せた。


「……す、すまん。だがそれなら辻褄は合うな」

「シナプスネットワークを作り出したのはそもそも教団だった……ってことかぁ」

「確か教団とやらの教えは、人はこの世界を捨ててネットワーク世界で生きるべきだ、って話だったわよね。『肉体にとらわれるな』っていう教えは、どの時代でも、宗教団体にありがちな考え方よ。つまりそれは、いつの時代でも人々の支持を得やすい説だっていう意味でもある」


 ゆえにイマジン教団は、ナノマシンが散布された時代から今にいたるまで、途絶えることなく生き延びてきた。


「先鋭化した信者たちは、得てして強引な手段に頼りがちですからね。まず第一段階としてナノマシンを散布して、少しずつ、人々の考えを自分たちに近づけていき――ん? でもそうなると、フォークロアが存在するのはおかしくないです? 信者も楽園に行く前に死んじゃってますよ?」

「人々を楽園に導くために、この世を地獄に変えた、とか」

「あの化物に関しては、偶然生まれてしまっただけかもしれないわよ? ともかく、教団が“権限”ってのを持っている理由は、それで説明できるんじゃないか――と思ったっていう話」

「五年や十年程度で政治家や操者を教団員として取り込めるわけもねえ。“実は歴史があった”って可能性は高いな」


 もっとも、その理由がわかったところで、教団の存在感が大きくなるだけなのだが。

 それでも過小評価して挑むよりは、いくらかマシだろう。


「もちろん軍警察とも教団は繋がっている。たぶん五年前にわたしのお母さんの死体を回収して、人格や記憶などをデータ化しておいた……」

「それを操ってプリムラに差し向けたってわけか」


 仕組み自体は安楽死と同じだ。

 方法がわかっている。

 手段もある。

 どうとでも誤魔化せる。

 ならば――やらない理由がない。

 ただ、それだけの話なのだろう。


「お前の父親や兄貴も、同じようにデータ化されてるのかもしれねえな」

「考えないようにしてたのによく言いましたね」

「その手の現実逃避は役に立たないって知ってるからな」


 ここで辛い思いをしておけば、実際に遭遇したときのダメージを和らげることができる。

 ルプスなりの優しさなのだろう。

 そういうことをする人間だからこそ、彼を嫌う人間も少なくないのだが。


「……はぁ」

「プリムラ、辛いなら辛いって言っていいのよ。私なら多少は甘やかしてあげられるから」

「ありがたい提案だけど、できれば他の人の目がないところがいいかな。ほら、そこの性悪記者とかカメラ構えてるから」

「やだなぁ、ただの場を和ませるための記念撮影ですよぉ」


 セイカはプリムラに睨まれても「てへぺろっ」と舌を出しておどけるだけで、一切反省している様子はない。


「で、そっちはどうだったの? ニューコロニータイムズの記者が会ってたっていう教団の幹部は見つかった?」

「それがですねぇ……見つかったといいますか、会ってきたといいますか、逆に向こうから近づいてきたといいますか……」

「会ってきたの!? それ、大丈夫? わたし言ったよね、接触した記者が爆発したって!」

「平気です平気です、絶対に触られないように距離を取ってましたから! ただ、相手も油断はしてなくて、撮影はNGでしたけど」


 当たり前だ。

 しかし、それならなぜわざわざセイカの前に姿を現したのか。

 そもそも本当に記者と接触した本人だったのか。

 怪しい点があまりに多い。


「実はその前に聞き込みをして、記者が歓楽街にいたことや、彼と会っていたのが“金髪の女性”ということ、あとその人の身体的特徴も掴んでいたんです。身長は高く、裏声のような特徴的な声で、化粧が濃く、いつも白いドレスを纏って、花の香りがするコロンを使っている――実際にその通りの人間でしたので、ほぼ本人で間違いないかと」


 変装――と言うにはあまりに手が込んでいる。

 セイカが調べにきたことを前もって知ることは難しいはず。

 ならば、やはり相手は何らかの意図をもってセイカにコンタクトを取ったに違いない。


「その女の人は、なんて言ってたの?」

「私はイマジン教団の幹部だ。呪われた子、プリムラ・シフォーディが抗い続けるのなら、さらなる地獄を見せてやる、と」

「挑発的ね……」

「脅し文句を伝えるために、記者の嬢ちゃんをメッセンジャーに使ったってことか」


 にしては、リスクが高すぎる気がする――プリムラはそう考えたが、しかしセイカが平然としている以上、考えても無駄なのだろう。


「……でも」

「プリムラさん、私だって操者ですよ? そんな顔しないでも、自分の体のことぐらいちゃんとわかってますから」

「ま、変なもんが埋め込まれてたら、入り口でスキャンされて病院に入れねえからな」

「そうですそうです。見ての通り、カメラも持ち込めませんでしたからね」


 だがプリムラには別に、気になっていることがあった。

 アヤメはデータ上の存在であるにもかかわらず、“自らの視覚”を頼りに戦闘を行っていた。

 しかし戦い最中で、視界が白く埋められているはずなのに、急にプリムラの位置を正確に把握できるようになった。

 操っている人間が指示を送れば可能だが――問題は、どこから監視していたか、だ。

 人間を爆弾に変えるような連中である。

 病院のセキュリティだって突破できる可能性はないだろうか。

 すると考え込むプリムラの耳に、コンコンというノック音が聞こえてくる。


「入っていいかー?」


 同時に声も。


「フォルミィの声だな」


 ルプスが言った。

 なぜ――などと考えるまでもない。

 能天気な彼女のことだ、プリムラが怪我をしたと聞いてお見舞いに来たのだろう。


「はぁ……どうぞ」


 プリムラがため息混じりにそう言うと、フォルミィは勢いよく扉を開いて部屋に入ってきた。

 彼女の隣にはラスファと、さらにその後ろには――なぜかアリウムの姿まである。

 思わずプリムラの頬が引きつる。

 アリウムの腕はしっかりとフォルミィに掴まれており、強引に連れられてきたのは明らかだった。


「おー、もう起きてたのか。思ってたより元気みたいでなによりだ」

「なんでわたくしまでこんな女のところに……」

「……」


 不服そうなラスファに、露骨に目をそらすアリウム。

 だが彼女の手には、果物の入った袋が握られている。

 中に入っているのはイチゴだ。

 嗜好品、特に食べ物絡みは値が張る、そう手軽に買えるものではない。

 だというのにわざわざプリムラの好物を持っているということは――アリウムがフォルミィと合流したのは、見舞いに来る途中だったのだろうか。

 そのわりには、乗り気ではない顔をしているが。


「んん? ルプスおじさんじゃないか!」

「よっ」


 軽く手を上げて返事をするルプス。

 彼はフォルミィの両親絡みで、普段から親しくしているらしい。


「プリムラと知り合いだったのか?」

「ああ、色々とな」

「教団関連ってことか?」


 珍しく真剣な雰囲気で問いかけるフォルミィ。


「じゃあ、もしかして今回の事件は――」

「とりあえず座ったら? 落ち着かないから」


 プリムラがそう言うと、部屋の隅に置いてあった十センチほどのキューブが動き出す。

 それはフォルミィたちの背後で止まると、その場で解けるように広がり、椅子に変形した。


「そうだな、じゃあ座らせてもらうぞ」


 座ったところで落ち着くことはなさそうだが――ひとまず腰掛ける三人。


(なんでこんなことに……)


 ずらりと並ぶ見舞客を前に、プリムラは頭を抱えたい気分だった。

 フォルミィやラスファまでならともかく、アリウムまで来てしまうとは。

 こうなっては、さすがに教団の話を続けるわけにはいかないだろう。


「それで、どこにどう教団が関わってたんだ?」


 そんなプリムラの思惑など関係なしに、フォルミィは事件に興味津々なようだ。

 ルプスの予想通り、彼女の両親が教団によって殺されたのだとしたら、無関係とは言えないかもしれないが、他の二人は――


「プリムラさん、汚い目でわたくしを見ないでいただけません?」


 目が合っただけで不機嫌そうに言い捨てるラスファ。


「こらラスファっ! またそういうこと言って!」

「仕方ないでしょう、呪われた子なんですもの。わたくしがそういうの嫌いってこと、フォルミィは知ってますわよね?」

「わたしも別にラスファ先輩のことは好きじゃないけど。っていうか嫌いだけど」

「両思いですわね」

「嬉しい限りだね」


 意見は一致している。

 ラスファはどちらかと言えば、“見て見ぬふり”をするタイプではなく、“積極的に虐げてくる”タイプだ。

 あまりに多すぎてよく覚えていないが、一度ぐらいは蹴飛ばされているかもしれない。

 そういう意味では、ザッシュと同じように潰してしまってもいいのだが――彼女はデルフィニアインダストリーの社長令嬢だ。

 しかも姉は、クラスS序列三位の操者、フィエナ・デルフィニア。

 うかつに手を出せば、どんなしっぺ返しがあるわからない。

 気に食わないが、今は(・・)まだ、潰すには準備が足りないのである。


「物騒な殺気ですわね。やっぱり母親そっくりですわ」

「クラスCの雑魚一人ならともかく、父親は社長でお姉さんはクラスS。そうそう手は出せないから安心してよ」


 プリムラにそんなつもりは無かったのだが、ラスファはどうも父親と姉にコンプレックスを抱いているようだ。

 一気に向けられる殺気が増す。


「わたくし一人でも、あなたの相手なら十分ですわ」

「強がるんだね。お姉さんほどの才能がないからってコンプレックスこじらせてるの?」

「……あなた、殺しますわよ」

「うわあ、下品な殺気。どうぞどうぞ。じゃあ決闘でもしよっか? 正々堂々と、正面から潰して――」

「プリムラ、あとそっちの嬢ちゃんもそんぐらいにしとけ。話が進まねえ」


 ルプスが止めに入ると、ラスファは「ふんっ」と腕を組みながら顔を背けた。

 プリムラもため息をついて、彼女から視線を外す。


「……ここに来るとわかっていたら、わたくしだって付いてきませんでしたわ」


 ラスファの性格の悪さは筋金入りだが、フォルミィも少々マイペースが過ぎる。

 こうなることはわかっていただろうに。


「ですが、教団の話はわたくしも興味がないわけではありませんの」

「デルフィニアインダストリーの関係者としてか?」

「違うんだルプスおじさん。ラスファは!」

「説明ぐらい自分でできますわ、フォルミィ」


 ラスファは「ふん」と鼻を鳴らすと、相変わらず不遜な態度で語る。


「わたくし、父とはとても仲が悪くて。父もわたくしのことが嫌いで、わたくしも父のことが嫌いなのです。ですから、デルフィニアインダストリーなんて無くなってしまえばいいと思っていますわ」

「おいおい、いいのかよ社長令嬢」


 ルプスは引きつった表情で言うが、ラスファはまったく気にしていない様子だ。


「私としたことが……今の発言、録音しておくべきでしたね。記者として」

「そんなことしたら物理的に消しますわよ。ともかく、あの会社がやってることは全て気に食わないし、政治方面に手を伸ばして影響力を強めようとしていることも、教団に力を貸していることも、ひどく利己的でおぞましい(・・・・・)と感じていますわ」


 興味なさげだったプリムラの眉がぴくりと動く。

 彼女はラスファのほうを見ると、睨むように目を細めて問いかけた。


「その教団に力を貸してるっての、本当なの?」

「今回の事件で現れたあなたの母親がどういう存在だったかは知りませんわ。ですがネットワーク障害に、死んだはずの人間が動き回る――そんな現象を引き起こすシステムが存在したとして、作れるのはコロニー内でうちの会社だけだと思いませんこと?」


 ラスファの言う通り、デルフィニアインダストリーは、間違いなくコロニーにおいて最も巨大な企業だ。

 ドールの開発やメンテナンスが主な業務だが、その他の分野にも多種多様な子会社を持ち、食指を伸ばしている。

 むしろ、関わっていない分野を探したほうが早いぐらいだろう。

 それだけ大きな会社となれば、もちろん開発力だってずば抜けている。

 仮に、データを具現化できるほどの権限を教団が持っていたとしても――それを実現するためには、相応の予算と施設が必要になるだろう。

 それを彼らに提供できるのは、コロニーにおいてはデルフィニアインダストリーだけなのだ。


「まあ、わたくしはどうせ不出来な妹ですから、父や姉に直接聞いたところでなにも教えてもらえないとは思いますが。ですが身内がそのような犯罪行為に手を染めているのは不愉快ですわ、できれば潰してやりたいですわね」

「普段から会社の威厳を利用していばりちらかしてるって聞いてたから、そんなみじめな立場だったとは意外だった」

「嫌いだからこそ使い潰すんですわ。家族もいないあなたにはわからないでしょうけど」

「二人ともいい加減にしろよぉ、無駄に喧嘩したって良いことはなにもないぞ?」

「わたくしの気が晴れますわ」

「わたしもスカっとする」

「あら気が合いますのね、不愉快ですわ」

「どっちかが消えれば丸く収まると思うよ」


 互いに互いとの距離を縮める理由があまりに無さすぎる。

 そもそも、住む世界の違う人間なのだから、話が合わないのは当然なのだが。


「ううん、やっぱりラスファは連れてこないほうがよかったのか……」

「“やっぱり”ってあなたねぇ、わかってて連れてきたんですの?」

「もっと色んな人と触れ合ってほしいからだ。お前はどうにも、他人を前にすると心を閉ざしてる気がするからな」

「大きなお世話ですわ。というか、わたくし別にあなたに対しても心を開いているつもりはありませんし、そんな保護者みたいな立場で振る舞われる筋合いもありませんわ!」

「そう言われてもなぁ……なんとなく、ラスファのことが放っておけないんだ」


 お人好し――という一言では表せない理由が、フォルミィにはあるようだった。

 だがそれも含めて、プリムラにはどうでもいいことだ。

 この調子では、フォルミィとはしばらく決闘はできそうにない。

 ポイント稼ぎに使えないのなら、接点を持つ必要だってない。

 フォルミィもラスファも教団のことに興味はあるようだが、ルプスと違って軍警察の人間として独自の情報を持っているわけでもなければ、セイカのように取材能力が高いわけでもないのだろう。

 だったら、今回の事件のことだって話す必要なないだろう。


 プリムラはそれ以上話に付き合おうとはせず、できるだけうつむいたアリウムを見ずに済むように、わざとらしく窓の外を見た。

 見える限り、コロニーの様子はいつもどおりだ。

 しかし学園に通っているはずのフォルミィたちが来たということは、今日も休校になったのだろう。

 ボタンも含め、教員たちは後処理に忙殺されているはずだ。


「だから大きなお世話って言ってますの。わたくし、フォルミィみたいな無意味に人に手を差し伸べる人間が大っきらいですの!」

「その割にはいつも一緒に行動してくれるんだな。別にあたしから誘わなくても付いてくることあるし」

「それはっ! その……」


 フォルミィとラスファの会話は、なにやら盛り上がっているようだ。

 犬猿の仲を装いたいが装えていない二人の距離が近いことは誰の目にも明らかである。


「はぁ……」


 そのくせ騒がしく喧嘩を繰り返すのだから、茶番を見せつけられる側としてはため息の一つもつきたくなるというものだ。


「……あ。すまないプリムラ、病室なのに騒がしくしてしまったな」

「別にそれはどうでもいいけど――ところで、そっちに座ってるアリウムちゃんは、一体なにをしにきたわけ?」


 プリムラはついに、できれば触れたくなかった話題に自ら踏み込んだ。

 いつまでも無視するわけにはいかないし、辛気臭い顔で黙り込むその存在が、プリムラにとって耐え難かったからだ。


「……無事を、確認したかったんだ。それだけ終わったら、帰るつもりだった」

「アリウムは部屋の少し前で突っ立っててな、あたしが声をかけてここまで連れてきたんだ」

「余計なことを……」


 プリムラは呆れたようにつぶやく。

 だがアリウムも同じことを考えていた。

 先日、プリムラに会いに行った彼女は、まともに話すらできずに追い出された。

 今回だって、アヤメの件に関して別に役に立てたわけじゃない。

 イチゴを持ってきたのだって、“ポイント稼ぎ”と言われれば反論できないだろう。


「帰って」

「……私、は」

「来るつもりなかったんでしょ? 無事だって確認できた。だったら、もう帰ってよ」

「その、私は……」

「ねえ、わかんないの? わたしが今のアリウムちゃんを見て、どれだけイライラしてるのか!」


 プリムラが声を荒らげると、アリウムはびくっと肩を震わせた。

 その弱々しい姿に、さらにプリムラの怒りは増していく。


「その顔! その、弱くて女々しくて迷ってばっかりのその顔が! わたしをどれだけイライラさせることか! わかってんでしょ? わかってるんならさあ、普通近付こうとも思わないじゃん! 今回だってそう! お母さん言ってたよ、アリウムちゃんに会ったって。殺そうとしてるやつ助けてたって! そうやって無駄で、邪魔で、余計なことばっかりしてさ! どうしたいの? わたしをこれ以上苦しめて、どうなりたいのっ!?」

「違う……違うんだ……」

「違うってなに?」

「私は、そんなつもりじゃない。私がやりたいのは……その……」

「やりたいこととかどうでもいいから。とにかく、もうわたしに関わろうと――」

「わからないないんだよ、私だって! 自分がどうしたいのか!」


 アリウムは怒鳴るようにそう言うと、荒い呼吸を挟んで、畳み掛けるように言葉を並べた。


「正義のためにはお祖父様に従うべきだ。だったらプリムラに関わっちゃいけない! でも私は、プリムラを放っておくことなんてできないんだよ!」

「放っておけばいいじゃん」

「できるわけないんだ! わかるだろう、プリムラなら!」

「……だから、そういうとこなんだって。わたしを見捨てることを選んだのはアリウムちゃんでしょ? じゃあ、貫いてよ。今さらすり寄ってこないでよ! 中途半端に情けない姿を晒さないでよ!」

「できるものならやっている! 後悔も、やりたいことも、やるべきことも、全部がぐちゃぐちゃになってわからなくなっているのに、そこに……アヤメさんまで現れて。あの人は、私の両親を殺したんだ。あの優しいアヤメさんがそんなことするわけないってわかっていても、殺したって事実は変わらないんだよ!」

「お母さんのこと、憎んでるの? 五年前、『アヤメさんが犯人なわけない』って言ってくれたくせに、本当は疑ってたの!?」

「疑いたくなくても……両親が死んだんだぞ? 殺されたんだ! 完全に信じることなんてできるわけがない!」

「じゃあわたしのことも、“自分の親を殺した娘”だって思ってたの?」

「まったく思っていなかったと言えば……嘘になる」


 知りたくない事実だった。

 でも考えてみれば、当たり前のことだ。

 “私”は殺人鬼に両親を殺された。

 殺人鬼は死んだ。

 殺人鬼には愛する娘がいた。

 “私”は、殺人鬼の娘を愛することができますか――なんて、答えは見えているのだから。


「だから、わたしを見捨てたんだ。盲目的にアリウムちゃんのこと信じてたのはわたしだけで、本当はあの前から、わたしを切り捨てることを考えてたんだ」

「切り捨てたわけじゃ……」

「それ以外にどういう言い方ができるって言うの? わたしにはアリウムちゃんしかいないってわかってたくせに。わかった上で、それがどういう結果を招くか理解した上で、アリウムちゃんはわたしを見捨てたんじゃん!」

「……ッ。じゃあ聞かせてくれよプリムラ。私はどうしたらよかったんだ? 私がお祖父様に逆らって、どうやってコロニーで生きていくんだ!? 十歳の私とプリムラが、保護者もなしに、このコロニーのどこで、どうやって生きていくつもりだったんだ!?」

「二人ならどうにでもなったはずだよ!」

「お前だって、あの家が無ければ食べて、生きていくことすらできなかったんだぞ!? のたれ死んでたかもしれないんだぞ!?」

「お金はあった! 家族が遺してくれたお金がっ!」

「それだって全部奪われたじゃないか! 家も、土地も、家族が持ってたドールも、色んな権利だって全部! 親戚に持っていかれて残ってなかっただろう!」

「あの家に預けられなければ、どうにかなったかもしれない!」

「なるもんか! ならないんだよ……あの人たちは最初から、それを狙っていた……やられた側ならわかるだろう、それぐらい!」

「だとしても、わたしたちには操者としての素質があった! 見つかったかもしれないじゃん、生きていく道ぐらい!」

「体でも売るっていうのか!? ああ確かに十歳の少女で、操者の素質があるってんなら高く買ってくれる男はいただろうさ! でもそんな生き方を望んでたわけじゃないだろう!」

「それでも一人であの地獄を生きぬくよりはマシだったッ!」


 苦しみに苦しみぬいたあの日々を思い出しながら、プリムラは感情をフィルタリングせず、素のまま吐き出す。


「見渡す限り全てが敵で、わたしの味方なんて一人もいなくて! 話すだけで、歩くだけで、呼吸をするだけで責められる世界に一人きりにされるぐらいならっ! 体を売ってでも、アリウムちゃんと一緒にいたかったよ……」


 拳を握り、うつむくプリムラ。

 何度、そう望んだことか。

 今、もしも隣にアリウムがいたのなら――きっとどんなに辛いことがあっても、その場所を地獄とは呼ばなかったはずだ。


「結局……そういうことじゃん。大好きとかずっと一緒にいようとか言っておいて、アリウムちゃんはそう思ってなかった。都合のいい言葉でわたしに希望を抱かせておいて、本心はぜんぜん違った。これって、そういう冷たさの結果でしょ? わかってるよわたしだって、身勝手だってことぐらい。アリウムちゃんはお金持ちで優しいお祖父さんの家に預けられて、幸せになれたんだもんね? わたしと一緒にいなくたって、一人で幸せになれたんだもんね? 殺人鬼の娘なんていらなかったんだもんね? でもさ、でもさぁっ!」


 プリムラは目の端に涙を浮かべながら、間髪をいれずに喚いた。


「だったら、最初から見捨ててよ! 希望なんて抱かせないでよ!」

「最初からそう決めていたわけじゃない!」

「最初とか後とかどうだっていい! 嘘つきなんだよ、アリウムちゃんは。そのつもりは無くたって、そういう人間なの。そして今だって、自分が嘘つきだって認めようとせずに、そのくせ『私を信じてくれ』ってすり寄ろうとしてる。気持ち悪いに決まってる。受け入れられるわけない!」


 あまりにはっきりとした拒絶を前に、言葉を失うアリウム。

 彼女だって、自分の都合の良さや自らの行為の醜さは理解している。

 だが――アリウムは人だ。

 親を殺されて憎まずにはいられない。

 大切な人にひどいことをした、だから償いたいとも思う。

 当たり前だ。

 当たり前だからこそ、自然とそういう衝動が湧き上がる。

 その衝動がどれだけ醜かろうと、止めることはできない。

 それが衝動なのだから。


 しかしアリウムは、彼女なりに最大限に理性を働かせ、自制はしていた。

 部屋を訪れたときのやり取りで、いきなり直接顔を合わせてもまともに会話が成立しないことを知ったからだ。

 だからアヤメと戦うときもプリムラの前に姿を現さなかったし、今日だって直接プリムラと話すつもりなどなかった。

 だというのに、こうなってしまったのは――言ってしまえばフォルミィのせいなのだが、なんにせよ、時間の問題だったと言える。

 コロニーはそう広くない。

 同じ学園に通っているとなればなおさらに。

 いつか顔を合わせて、本心をさらけ出すときが、必ず来るはずだったのだ。

 避けては通れない道だった。

 もっとも、通ったところで――プリムラとアリウムの関係が好転するわけでもないのだが。


「……どうしたら、いい? 私は、どうしたら」

「あはは、どうかしたいの? わたしと、前みたいな関係に戻りたいの?」


 唇を噛みながら、苦しそうな表情でアリウムは頷いた。

 プリムラの答えは決まっている。


「どうもしないでよ」

「それが、できないんだ」

「だったら、お祖父さんに甘えてたらいいんじゃないかな」

「それは……」

「お祖父さんに媚売るために裏切ったくせに、学園に入って操者になれたら見捨てるの? またそうやって、誰かの期待を裏切るの? お祖父さん、アリウムちゃんがわたしのお見舞いに来てること知ったら、さぞ悲しむんだろうね」

「そんな……こと、は……」


 消え入るような声でそう言うと、アリウムは黙り込んだ。

 薄く開いた口で浅い呼吸を繰り返し、両手の親指をカチカチと鳴らす。

 プリムラとアリウムを除く五人は話に割り込めるはずもなく、気まずそうに二人の様子を眺めていた。


「こんなことを……話したかったわけでは……」


 しばし続いた沈黙ののち、ようやく出てきた言葉がそれだった。

 その後、アリウムはゆっくりと立ち上がり、イチゴの入った袋は置き去りにして、よろよろと出口へ向かう。


「すまなかった……もう、帰るよ」


 そして最後にそう言い残して、姿を消した。

 廊下に響く力の無い足音は、次第に遠ざかっていく――


「はあ、下らない痴話喧嘩ですわね」


 ラスファはそう吐き捨てると、立ち上がり、早足で病室を出た。


「付き合いきれませんわ。わたくし、もう帰りますから」

「あっ、ラスファ!? えっと……その……プリムラ、申し訳ないっ! さすがに今回は、わたしの行動が軽率すぎたみたいだっ! その……お詫びは今度するから、またなっ!」


 彼女を追って、フォルミィもいなくなる。

 残るはセイカとルプスだ。


「空気読めてないようで申し訳ないですが、あえて聞きます。私も、いないほうがいいですか?」


 セイカの言葉に、無言でうなずくプリムラ。


「わかりました。それでは、今後必要そうになりそうなデータは例のストレージに入れておきますから

「俺も一旦仕事に戻るか……じゃあな」


 いつもより少し優しい声でそう言うと、二人は病室から出ていった。

 彼らの腰掛けていた椅子が自動的に畳まれ、キューブの形状になってまた部屋の隅に戻っていく。

 一人残されたヘスティアはベッドの傍らに立つと、心配そうにプリムラを見つめる。


「私もいないほうがいいのかしら」

「ヘスティアは、別に、いい」

「それは信頼されてるってことかしら。なら、少し差し出がましいかもしれないけど」


 微笑むヘスティアは、優しくプリムラの頭を胸に抱き寄せる。


「あ……」


 プリムラの心は、久しく感じていなかった人のぬくもりと、甘い香りに包まれ、ほぐされていく。


「そうよね。長い間一緒に過ごした相手ですもの、単純に好きとか嫌いっていう二つの感情だけで区別はできないわよね。混ざりあって、ぐちゃぐちゃになって……見失って、わからなくなることもあるわ」


 どうしていいのかわからないのは、プリムラのほうだって同じことだ。

 本当のことを言えば、ロクス・アモエヌスでアリウムにあんなことを言われるまでは、『いつかアリウムちゃんが王子様みたいに助けにきてくれるんじゃないか』と夢見ていた。

 いや、今だって同じ夢を見続けているのかもしれない。

 幼い頃のアリウムの姿は、今でもプリムラの“理想”として刻み込まれているのだから。


 だが、だからこそ苦しい。

 刻まれた理想と現実とのギャップの大きさが、呪いのようにプリムラを苦しめ続ける。


 考えてみれば当然のことなのだ。

 アリウムも、プリムラと同じ十五歳の少女。

 十歳で両親が死ねばショックを受ける。

 人生の選択を迫られれば迷いもする。

 後悔だってある。

 現実と理想の間で揺れもする。

 いつだって、無条件でプリムラの味方でいてくれる人間など、この世には存在しない。

 自分の利益のために、他者を切り捨てる選択を行うこともあるだろう。


 だから、理解はしている。

 しかし、納得ができない。

 誰よりも一番信頼していたからこそ――その裏切りが、なによりも許せない。


「わたし……心が狭いのかな……」

「そんなことないわ。誰だって……こうなるわよ。人の生き死にが関わってしまえば」


 プリムラの心がどうだとか、アリウムの性格がこうだとか、そんなものは結果論に過ぎない。

 人が死ねば、どこかで人間関係が歪む。

 それだけのことなのだ。

 何年経とうと、傷は癒えるものではない。


「アヤメさんのことも、戦ってるときは強がっていたけれど、本当は辛かったんでしょう?」

「……ん」

「当たり前だわ。おかしなことなんてなにもない。だから苦しまなくていいのよ、あなたは」

「ん……っく……ふ、ぅ……」


 プリムラは、胸のあたりから感情がこみ上げてくるのを感じた。

 それは喉を過ぎたあたりで、涙腺に干渉し、ゆるませる。


「今は誰も見てないから……思う存分に泣きなさい。たまにはそうやって吐き出さないと、いつかは壊れてしまうわ」


 他人の目が無ければ甘えたいと言った。

 ちょうど、今がそのときなのだろう。


「う……うぅ……うううううぅ……!」


 ヘスティアにしがみつき、胸に顔をうずめながら、プリムラは肩を震わせ泣いた。




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