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016 隔絶と踊る

 



 振り下ろされた炎の剣(フランベルグ)

 燃え盛る刃を、アヤメは人肉包丁で受け止める。

 なんらかの力で強化されてはいるが、元は人の肉体。

 周囲に死体が焦げる不快な匂いが充満する。


「プリ……ムラ……」


 苦しげな母の声に、プリムラの心はかすかに揺れる。


『プリムラ、惑わされては駄目よ!』

「わかってる!」


 アヤメは惑わせようと思っているわけではない。

 だが彼女にこう(・・)させている何者かが、そういった意図でその声を使っている可能性はある。

 つまりここで日和るということは、顔も知らぬ全ての元凶の思惑通りになるということ。

 気に食わない。

 歯を食いしばる。

 その怒りで、迷いを焼き尽くす――


「お母さんだろうが関係ねえ、このまま押しつぶしてやるよォッ!」


 両腕にさらに力を込める。

 単純な力では、オリハルコンの鎧(ガラテア)を纏ったプリムラのほうが上だ。

 それはアヤメだって理解している。

 だが彼女の肉体は普通ではない。

 このままバカ正直に攻撃を受け止める必要などないのだ。

 炎の刃がその体に届く直前、アヤメは人肉包丁を残し、その場から忽然と姿を消す。


『後ろよ、プリムラっ!』


 ヘスティアのサポートにより、すぐさま振り返りフランベルグを叩きつけようとするプリムラ。

 しかしなにかの抵抗により、うまく剣が動かない。


「これは――」


 刃にまとわりつく、四本の人の腕。

 それは人肉包丁から伸びたものだった。

 アヤメは意味もなく武器を手放したわけではなかったのだ。

 そして背後に出現した彼女は、手にした包丁でプリムラに斬りつける。


『プリムラ、危ない!』

「ならば聖火の翼(セイクリッドウィング)をぉッ!」


 背中のバーニアを推進力として、プリムラの体は前に押し出される。

 空を切る包丁の刃。

 同時にバーニアより噴き出し、陣により強化された炎がアヤメの体を焼く。


「熱い、熱いわプリムラぁっ! 熱いのよぉおおッ!」


 肌の表面が焼け、顔の形が崩れる。

 バーニアの勢いで地面を転げながら、醜い姿でこちらに向かってくるアヤメを見て、プリムラは歯ぎしりをした。

 あの事件のとき、壮絶な表情で自ら命を絶った母を想起する。

 思い出すだけでも吐き気がするのに、現実で二度とそんな顔など見たくは無かった。

 だが悲しまない。

 憎悪する。


「そんな面ぁ見せるんじゃねええぇぇぇッ!」


 プリムラはザザザッと地面を滑りながら体勢を整えた。

 その猛りはアヤメに対する怒りではない。

 彼女の向こうにいる誰かへ向けたものだ。

 吠えたところで届くかどうかは知らないが、自己暗示の効果はあった。

 プリムラの纏う炎はさらに滾る。

 背後に展開された魔法陣も、激しく紅色に発光した。

 ネットワークは断絶されているので、それはプリムラが“手動”で継続展開している陣だ。

 ゆえに、感情の影響を色濃く受ける。


「プリムラぁっ、どうしてなの! あなたを愛すれば愛するほど、私はぁッ!」


 一度は手放した人肉包丁を再び掴み、プリムラに斬りかかるアヤメ。

 受け止める。

 ガギィッ――暗闇に包まれた校庭を、散った火花が照らす。


「プリムラっ、プリムラっ、プリムラあぁっ!」

「ぐっ……なんだ、この力……!」

『彼女の腕に血管みたいなのが浮き上がってるわ!』


 ヘスティアの指摘通り、アヤメの腕には無数の赤い筋が浮かんでいた。

 それが彼女の力を増幅しているというのか。

 フランベルグで必死で受け止めながらも、じりじりと後退していくプリムラ。


(わたしは知ってる……あの浮き上がる筋を……!)


 五年前、アヤメが死んだあの日、死体には似たような模様があった。

 “検死”の名目で死体は運ばれ、気づけば火葬されていたため、プリムラは家族の顔を二度と見ることはできなかったが――だからこそ、忘れるはずがない。


「ヘスティア、亡縛砲(アルジェイ)を!」

『わかったわ! 腕部砲門展開――シュート!』


 余裕のないプリムラに変わって、ヘスティアが自らの魔力で砲撃を放つ。

 それは前腕に埋め込まれた砲門がせり上がり、そこから放たれる、“紫の炎”。

 ヘスティアの――というよりは、プリムラの憎しみが生み出した、モード火神の武装の一つ。

 弾速ははっきり言って遅い。

 戦闘慣れしていないはずのアヤメですら、目視して後方に飛び上がり、回避できるほどだ。

 一旦、プリムラとの距離を取るアヤメ。

 だが亡縛砲(アルジェイ)は、そんな彼女に向かって怨霊のように、ふわりふわりと接近する。

 そう、その紫の炎には相手をどこまでも自動的に追尾するのだ。

 そして――


「いやっ、いやぁっ、熱いのは嫌なのおぉおおっ!」


 アヤメは炎をかき消そうと、錯乱気味に人肉包丁を振り回す。

 だが消えるどころか、炎は刃にまとわりつき、さらに這いずるように彼女の体に近づいてくる。


「消えないっ、消えないわっ、どうして!? どうしてなのよぉおおっ! 約定の邪魔なのにっ! 邪魔なのにいいぃっ!」


 身を捩りながら、体を焼くその熱に苦しむアヤメ。

 確かに見た目上は、まるで火傷をしたように焼けている。

 しかしプリムラは、それが“アヤメ”という意識に痛みを与えている、あるいはそういうフリをしているだけで、実際にダメージを与えているという実感が無かった。


(あれと真正面から戦うのは無駄なのかもしれない。でも――)


 同時に、ここで一度ケリをつけておかなければ、凶行を繰り返すであろうことも予想できる。

 別にプリムラは誰が死んだって構わない。

 だが、呪われた子の話が広がると動きにくいし、なにより母の姿をしただけではなく、意識までトレースした存在にこれ以上化物じみた姿を見せられるのは不愉快だ。


「おおぉおおおおおおッ!」


 バーニアを吹かし、直線的に接近。

 亡縛砲(アルジェイ)に苦しむアヤメの胴体に、容赦なくフランベルグを叩きつける。


「ぎゃっ――」


 腹部に刃が直撃すると、その体は切断されることなく、潰れたようなうめき声を出しながら吹き飛んだ。

 何度か地面でバウンドし、徐々に勢いが削がれると、ボロボロになった体はぐったりと地面に横たわる。


『どうして消えなかったの……?』

「条件があるのか、それとも――」


 プリムラは構えを解かず、フランベルグを両手でしっかり握りしめたまま、アヤメに近づいていく。

 すると――ザザッ、とその体に、砂嵐めいたノイズが見えたような気がした。

 首をかしげるプリムラ。

 幻覚かとも思ったが、それは何度も繰り返し、さらには形まで歪みはじめ、最終的に蒸発するように消えた。


「プリムラぁ……」


 背後から声がして、プリムラは慌てて振り返る。

 そこに立っていたのは、血まみれのアヤメだった。

 特に腹部はひどいありさまで、はみ出た大腸が、一歩前に踏み出すたびにふるりと揺れる。


「痛いわ……どうしてこんなことをするの……? 私はただ、プリムラを抱きしめたいだけなのに……痛い……痛い……助けて、プリムラ……」

「おかあ……さん」


 見開かれたプリムラの瞳が揺れる。


「また……ハンバーグ……作ってあげる、から。あなた、好き、だったでしょう? それを……みんなで、いっしょに食べましょう。家族、揃って……そうよ、家族、みんな、揃って……」

「やめてよ……そんな声、やめて」

「私は、あなたの声をもっと聞きたいわ。聞かせて? そして……あなたが、私の娘なんだって、確かめさせ……」

「やめてって言ってるのぉ!」


 弱々しい母の声は、無条件で子供の胸に響くものだ。

 それが今は亡き母だというのなら、なおさらに。


『プリムラ、あれは……』

「わかってる!」


 傷なんてどうとでもなる。

 つまりあれは、“演出”だ。

 プリムラの心を揺らし、あざ笑うための。

 だが疑問がある。

 ならばあれはなんなのか。

 プリムラの目の前で、まるで本物の母のように振る舞うあの存在は、どこから来たものなのか――


(……フランベルグの刃が纏う超高温の炎は、いかなる物質も焼き尽くすだけの力を持っている。もちろんオリハルコンは宿る神話によってその強度が変わるから、必ずとは言えないけど――でも、少なくともあのお母さんが、“炎の力”を持っているようには見えない)


 感情論ではなく、知性的にその存在を分析する。

 同時に思考を巡らすことで、冷静さを取り戻す。


 その耐久力は異常だ。

 “消えて回避”するのは耐久とは別の問題だとしても、フランベルグの直撃を受けて、あんな演技(・・)を見せられる程度には余裕がある。

 というより――まったくダメージを与えられている手応えが無い。

 確かに現状のオリハルコンを纏っているだけの、リトルドールとでも呼ぶべき“ガラテア”のこの形態は、通常のドールに比べるといささか出力に欠ける。

 大量のオリハルコンが必要な、右腕の魔術多重加速装置“スペルキャスター”も搭載していない。

 だが、それでも並のドールならば、先ほどのフランベルグによる一撃で、十分なダメージを与えられているはずなのだ。


(なにより、わたしに精神的圧迫感を与えるため、あの傷口や臓器の質感を一瞬で作り上げた――そんなことができる物質って、なに?)


 あのアヤメの存在は、謎だらけだ。

 消えたり転移したりを繰り返せるのもそうだし、出現時に起きるはずのないネットワーク障害が起きたことだって――


「……ネットワーク障害?」

『プリムラ、ぼーっとしてどうしたのよ。もうすぐそこまで来てるわよ!』

「もしかして……」


 プリムラの元に戻ってくることのなかった死体。

 教団。

 約定。

 いくつかのピースが繋がり、一つのパズルを作り上げる。


「だとしたら……あれは、本当に、本物のお母さん……」

『どういうこと?』

「……っ」


 それを考えたって仕方がない。

 いや、ひょっとすると相手は、“それ”にプリムラが気づくことを、計算のうちに入れていたのかもしれない。

 戦わねばならないというのなら。

 倒さねばならないというのなら。

 必要な情報は――アヤメの体を形作る“物質”の正体だけ。

 他は捨てる。

 心もろとも。


「わたしが――その程度で、思い通りに動くと思うな!」


 砕けるほど強く、大地を蹴った。


「プリムラぁ……」


 アヤメの出すか弱く苦しげな声は、


「おおぉおおおおおッ!」


 プリムラの気迫にかき消される。

 振り下ろされるフラムベルグ。

 今度は腹などと甘いことは言わない。

 脳天から、頭を潰す勢いで叩きつけたのだ。

 今度は“食らったフリ”なんて小芝居はしない。

 命中直前にアヤメの姿は霧散し、また背後に現れる。

 そして地面に落ちた人肉包丁を手に取ると、それを持ってプリムラに突っ込んできた。


「どおぉおおおしてわかってくれないのよぉ! プリムラっ、私は、違う、違う、違ううぅっ! こんなの、こんな約定さえ無ければあぁっ!」


 腕だけでなく、脚にも赤い筋が浮かび上がる。

 加速するアヤメ。

 彼女はミサイルのようにプリムラに突っ込み、巨大な刃を振り下ろした。


「ふっ!」


 プリムラは刃の腹で攻撃をいなすと、流れるように次撃を繰り出す。

 アヤメの姿は消失、また背後を取り、包丁で首に切りかかった。

 振り向き、右腕で受け止める。

 だが衝撃でプリムラの体が揺らぐ。

 傾いた勢いで、強引にフラムベルグを振り回す。

 アヤメは消え、再び背後へ。

 落ちた人肉包丁を手に、プリムラの背中に切りつけ。

 バーニア噴射、浮き上がる体。

 空中で振り向き、亡縛砲(アルジェイ)射出。

 しかし構わず跳躍し、突っ込んでくるアヤメ。

 プリムラもバーニアの推進力で前進し、真正面から刃を切り結ぶ。

 鍔迫り合いながら、亡縛砲(アルジェイ)により焼けて溶ける母の顔を間近で見た。


「約定が、約定が、約定が、約定がっ! あな、あなたを殺せと、殺せと、ここ、ここここっ!」

「いいからもう黙れよぉッ!」


 がむしゃらに聖火の翼(セイクリッドウィング)を噴出させ、力ずくで抑え込もうとするプリムラ。

 多量の魔力を消費しながら、ようやくまともに力が拮抗する。

 こうなれば、有利な位置を持つプリムラのほうが競り勝つのは明白。

 だからアヤメは、力比べを放棄し姿を消した。

 そしてまた背後から包丁を振るう。


「ワンパターンなんだよ!」


 バーニアの炎で彼女を焼きながら、プリムラは地表へ向かって急加速。

 足裏で地面を削りながら着地。

 空を見上げるとすでにそこにアヤメの姿は無い。

 背後――ではなく、右側からの刺突。

 巨大な剣は密着戦闘に不要と判断し一時的に消去。

 刺突は手の甲でいなし、カウンターで拳を打ち込む。

 だが拳が命中する前に消えた。

 今度は左――体を反らし回避。

 包丁は先ほどより大きくなっている。


(だったらわざわざ警官を武器に変える必要なんてっ!)


 あれはただのプリムラに対する威圧だったのだろう。

 次は背後へ移動し、すっかり人ほどの大きさになった包丁を、不安定な姿勢の彼女に対し真っ直ぐに振り下ろす。

 右だけバーニアを吹かし、左に回転。

 空振りした刃は地面をえぐる。

 両手を地面に付いたプリムラに、続けざまに横薙ぎの斬撃が襲う。

 それを両腕の力で体を跳ね上げて回避すると、空中で回転し、新たに生成したフランベルグを叩きつけた。

 消えるアヤメ。


「チィッ、また!」


 延々と逃げ続けられ、埒が明かない。

 勝つ方法ならある。

 いや、それが一時しのぎにしかならないことはわかっているが、現状での勝利条件はそれで満たせるはずだ。

 だがそのためには、まずアヤメにどうにかして隙を作らねばならない。


「どうせ背後に来てんだろ!?」

『プリムラ、今度は違うわ!』


 背後に転移し、包丁で斬りつける――シンプルだが非常に厄介な戦法だ。

 すでに飽きるほどに繰り返されてきたが、今回に限っては、なぜか距離を取っている。

 これまでの戦い方から見て、遠隔武器の類は持っていないように思えたが――しかし、プリムラの予想が正しければ、おそらくあいつは『なんでもあり』だ。


亡縛砲(アルジェイ)!」


 両手を前に出すと、複数発の追尾弾を射出する。

 牽制のつもりだった。


「あ……ああぁ……痛い……痛いわ……痛い、痛い、痛いっ、やめてっ、やめてえぇぇぇええええッ!」


 だがその直後、悲痛なアヤメの叫び声が聞こえたかと思えば――


「なっ!?」


 一瞬で彼女の腕が冗談のように伸び、真横(・・)から包丁が襲いかかってきた。

 とっさにできる防御策は、腕で受け止めることぐらい。

 のびた分だけパワーが弱まる――などという都合のいいことはなく、あの腕で直接斬りつけるのと遜色ない衝撃が襲いかかる。

 オリハルコンもこの威力には耐えきれず、プリムラの左腕は前腕の中程からぐにゃりとへし折れ、体も吹き飛ばされた。


「づっ、ぐううぅうううう……っ!」


 痛みに苦しみながら転がるプリムラの体。


「ああぁぁぁああああああああああッ!」


 苦悶の表情で叫びながら、アヤメは伸びた腕を振り回し、今度は上から包丁を振り下ろす。


『プリムラ、上よ!』

「ぐ、があぁっ!」


 ズドォンッ! と隕石のように大地を破壊する刃。

 ギリギリで転がり避けたプリムラだが、余波で吹き飛ばされ、体が浮き上がる。


「痛いっ、痛いっ、痛いいぃっ!」


 伸びた腕を鞭のようにしならせ、容赦なく繰り出される三撃目――バーニアを吹かしギリギリで回避。

 次の攻撃準備に移るアヤメ。

 さすがに無茶な連撃が祟ったのか、次の攻撃までは間が空く。

 だが亡縛砲(アルジェイ)では足止めにはならない。

 かと言って、それを超える威力の遠隔武装がこのドールに搭載されているわけもなく――だが、ガラテアの力は武装だけではなかった。

 アヤメに手のひらを向けるプリムラ。

 すると周囲に複数の青い魔法陣が展開され、“魔術”が発動する。


「行けぇッ!」


 射出される、人の頭ほどの大きさをした鋭利な氷の断片。

 尋常ではない数だ。

 それらはまるで、押しつぶすようにしてアヤメに降り注いだ。


「ああぁあ、あああぁぁぁあああッ!」


 もはや“避ける”ということを考える余裕すら無いのか、いくつかの氷が直撃する。

 だがいくら冷たかろうと、高温で焼いてもノーダメージだった肉体に傷を負わせることはできない。

 そんなことは最初からわかっている。

 少しでもアヤメがよろめき、さらなる隙を作れれば十分だ。


 プリムラは両足で滑りながら着地すると、両腕より亡縛砲(アルジェイ)を連射。

 射出された紫の火球はアヤメ――ではなく、彼女の周辺に散らばる氷の塊に着弾した。




 ◇◇◇




 学園から数百メートル離れたビルの屋上――そこに、カメラを構えたセイカの姿があった。

 プリムラから頼まれた役目を終えた彼女は、学園のほうで異変が起きていることを知り、ここから撮影しているのだ。

 ちなみに使用しているカメラは、いつも首から下げているものではない。

 動画撮影用のカメラだ。

 周囲に浮かぶナノマシンを利用して録画は可能だが、画質や機能に限界がある。

 彼女のような記者は、マイカメラを持っているのが常識なのだ。


「おお? おおぉ?」


 校庭は現在、大量のもやに包まれている。

 魔術により作り出された氷が亡縛砲(アルジェイ)で蒸発したのだ。


「ううーん、私に対する嫌がらせ……というわけではないですよね。目くらましですか」


 ガラテアの力を得たプリムラらしい策だ。

 実際、アヤメは彼女の姿を見失い、もやの中でがむしゃらに包丁を振り回していた。

 一方でプリムラは、視界が塞がれているにもかかわらず、的確に斬撃を回避し、アヤメにフランベルグによる攻撃を加えている。


「しかし妙ですね。なんであれだけ超常的な力を持っているのに、どうしてアヤメさんは自分の視覚でしかものを捉えられないんでしょう。そこまで気が回らなかったんでしょうか」


 ワープや身体能力強化、人の変形など、多彩な芸当を見せるアヤメ。

 だが一方で、爆発を起こしたり、バラバラ死体を学園に遺棄してまでプリムラに会いたがったりと、不器用な面も見える。


「……ま、そういうのを考えるのはあとですね。私は記者、真実をレンズに収めるのが役目なんですから!」


 そう言って、セイカはカメラについた画面を覗き込む。

 そこには、もやに包まれたはずの二人の姿が鮮明に映し出されていた。


「こういうこともあろうかと、給料をはたいて高価なカメラを買ったんです。働いてもらいますよぉー!」




 ◇◇◇




「もらったぁぁぁぁッ!」


 アヤメに背後から斬りかかるプリムラ。

 無防備な後頭部に刃が直撃し、頭蓋がぱっくりと割れる。


「あがぁぁぁぁああああッ! アアァァァアアア!」


 前のめりによろめいたアヤメは、伸びた腕で雑に巨大な包丁を振るった。

 いくら速度と威力があろうと、狙いが適当ではプリムラには当たらない。


(行ける――!)


 プリムラはアヤメに触れるため、その手を伸ばした。

 だが直前でまたも姿が消える。


「くっ、そううまくはいかないか!」

『落ち着いていきましょう、有利なのはこちらよ!』


 この水蒸気の中――かなり接近しなければ相手の姿を見つけることはできない。

 だがプリムラには、手に取るようにアヤメの位置がわかった。

 なぜならこの水蒸気は全て、彼女の魔力から出来ているからだ。

 氷の断片も亡縛砲(アルジェイ)も、こうする(・・・・)ために放ったのであって、攻撃の意図はなかったのである。


 ならばアヤメは水蒸気の外に逃げたらいいだけの話なのだが、彼女はそうしない。

 そんな簡単なことを考える理性すら残っていない。

 娘への殺意と伸びた腕の苦痛により、もはや彼女は、事件のときと同じようにただの獣と化していた。


「ウガアァァァァアアアアッ!」


 吠え、ワンパターンに背後から斬りかかってくる。

 その都度、プリムラは落ち着いてアヤメから距離を取り、白い幕の向こうに姿を消し、不意打ちを仕掛ける。

 それを繰り返すことで、自身の手で触れられるまで接近する――それが今の目的だ。


『苛立っているのか、おかしくなっているのかわからないけど、相手の動きはどんどん大きくなってるわ。次で行けるはずよ』


 プリムラにもその確信があった。

 もっとも、近づいたからと言って、本当に思い通りに事が運ぶか確定したわけではないが――切り札は使える。

 それが通用しないなら戦いをやめて退避すべきだし、通用したのなら万々歳だ。

 フランベルグの柄を握り直す。

 大きく息を吐き出し、そして――


「アアァァァァアア、プリムラァァァァァッ!」

『後ろ!?』


 背後から振り下ろされた包丁を、横っ飛びに避ける。


「危なかった……!」


 頭部を狙った、実に的確な攻撃だった。

 振り向くも、アヤメとの距離は離れている。

 彼女は見えないはずの遠い位置から、腕を伸ばして攻撃してきたのだ。


『どうしてあんな正確に……』

「偶然だ。適当に振り回してるうちの一発が、たまたまあの位置に来ただけだ」

『……! プリムラ、また上にっ!』

「なっ!?」


 飛び退く。

 直前までプリムラの居た場所に、刃が突き刺さる。


『偶然なの? 本当に?』

「適応したってのか!? くそっ、また来やがった!」


 何度も何度も、ひたすらに正確な斬撃がプリムラを襲う。

 理性を失った獣によるものとは思えない。

 アヤメの位置はわかる。

 だから回避も可能だが、しかしこれでは、水蒸気の無い場所で戦っているのとなにも変わらない。

 つまり――圧倒的なパワーとスピード、そしてそのリーチに追い詰められるだけだ。


「ぐ、ううぅっ!」

『プリムラ、右から次が来るわ!』

「わかってる、くっそがあぁぁぁぁッ!」


 バーニアを噴射し体を浮かせる。

 空中で強引に体をひねって次を回避、その次は片方のバーニアを使い体を回転させやり過ごし、さらにその次はフランベルグで防ぐ。

 だが不安定な姿勢――このまま次を受け止めるのは不可能だろう。


「いやだぁっ、もういやなのオォオオっ、ぎぃっ――アアァァァアアアアアッ!」


 さらに、アヤメは包丁を握っていない左腕までもを伸ばし、プリムラの顔面を鷲掴みにする。

 その握力は、身にまとったオリハルコンもろとも、頭蓋骨を握りつぶすほどだ。

 ミシ――と嫌な音が、骨を伝って聞こえてくる。


「うぐ……がっ……」


 プリムラは必死で引き剥がそうとするが、赤い筋の浮いた腕はびくともしない。

 さらにもう一方の手が振るう包丁が迫っている。

 身動きはとれない、このままでは直撃してしまう。


『プリムラっ、もうこうなったら!』

「わかっ……てる! やるしか、無い!」


 プリムラが全身に力を込めると、ガラテアに包まれたその瞳が赤く輝く。

 さらに肩、腕、背中、胸部、脚部のパーツがまるで“開いた”ように動き、異なる姿へと変身を遂げた。

 そして周囲の空気が熱され、ゆらりと歪む。

 包丁はギロチンのように首を狙って、すぐそこまで迫っている。

 銀の刃が残酷に頭部を切り落とす直前――その武装は発動した。


神封の炎獄(カンプス・セレイタス)ッ!」


 ゴゥッ! と全身から炎が噴き出し、天高くまで夜闇を焼き尽くす。

 その温度は、フランベルグを遥かに凌駕する。

 当然、それだけ消費する魔力量も膨大だが――


「おおぉおおおおおおおッ!」


 悶え苦しむアヤメの両手は、先ほどの“火傷のフリ”とは異なり、今度こそ本当に焼け焦げていた。

 体を構成する“なにか”は黒い粒子となり、再生することもない。


「痛い、熱い、痛い、熱いいぃ! なんでっ、なんでぇっ、こんなの私っ、こんなことしたくないのにぃぃっ!」


 きっと彼女の苦痛は偽物なんかじゃない。

 本当に腕が伸びれば骨が砕け、筋肉がちぎれる痛みを感じているし、焼け焦げれば相応の苦痛を味わうことになるのだろう。

 だがプリムラにできることは一つだけだ。


『私の魔力は聖火の翼(セイクリッドウィング)につぎ込むわっ、プリムラは炎を維持したまま突っ込んで!』

「簡単に言ってくれるよなァッ!」


 本来それは、全魔力を一斉に放出し、熱に変換する武装だ。

 一瞬にして全てを焼き尽くし、相手の塵も残さない。

 それを維持(・・)するという無茶振り――だが密着しない状態で使用してしまった以上、そうするしかない。

 この熱量でしか、アヤメに傷を負わせることはできないのだから。


「はあぁぁぁぁぁあああああッ!」


 炎の翼の推進力で、一直線にアヤメに突っ込んでいくプリムラ。


「あ、ああぁ、プリムラ……私は、約定が……私は……う、ぐ……ガアアァァァアアッ!」


 両手を失ったアヤメだったが、今度は頭部に変化が生じる。

 口だけが巨大化し、鋭い牙を、接近してくるプリムラに向けたのだ。

 その姿には、もはや母の面影すら残っていない。


「お母さん――せめて、わたしがッ!」


 プリムラは、炎を纏ったままアヤメに抱きついた。

 灼熱に焼き尽くされながらも、完全なる異形と化した母は、娘の肩に牙を食い込ませる。


「ぐ……ううぅ……燃え、尽きろよぉおおおおおッ!」


 ありったけの魔力を注ぎ込み、炎はさらに激しさを増した。

 すると次第にその体は許容温度を越えた熱気により機能を停止し、黒く焦げていく。


「あぁ……プリム……ラ……」


 そして最後は一瞬だけ正気に戻ったような声で娘の名を呼ぶと、さらさらと粉になって消えていった。

 魔力を消耗しきったプリムラは、纏っていたガラテアを解除し、地面に膝をつく。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 水蒸気はすっかり晴れ、あたりには夜らしい静寂が戻ってきた。


『プリムラ……大丈夫……?』


 ヘスティアもかなりの魔力を消耗したのか、アニマの状態だというのに声がつらそうだ。

 だがプリムラはそれ以上にへとへとだった。


「ちょっと……大丈夫じゃ……ない、かも……」


 そう言って、顔面から地面に倒れ伏す。

 軍警察は信用ならない。

 粉になったアヤメの亡骸だって気になる。

 できれば今すぐにでも調べたいことがいくらでもあった。

 だからできれば、魔力の全消費は避けたかったのである。

 しかし最優先事項は、アヤメに勝利すること。

 それができただけ、上出来というべきだろう。


「癪だけど……あとは、ルプスさんの善意を……信じる、しか……」


 意識が遠ざかっていく。

 決着を見届けてか、警察官たちの足音が近づいてくるような気がした。


(気を失っている間に銃殺されて、二度と目を覚ましませんでした、なんてことにならないといいんだけど――)


 そんな不吉なことを考えながら、プリムラは目を閉じるのだった。




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