012 探しものはなんですか?
翌朝、目を覚ますとプリムラに学園からメッセージが届いていた。
臨時休校のお知らせだ。
生徒が一人死んだのだから当然だと思ったが、読んでみると事態はさらに深刻だったようである。
「殺害現場はあいつが暮らしてた実家の自分の部屋、外部から侵入した形跡は無し、部屋で見つかったパーツは首から上のみ」
まだニュースで取り扱われているわけではないが、コロニー程度の規模の街なら、報道よりも先にSNSで情報が出回る。
プリムラはヘスティアの作る朝食ができるのを待ちながら、凄まじい勢いで流れていく文字を眺めていた。
「首から下は刃物でバラバラにされた上で学園に捨てられていた、と」
「朝からヘヴィな話題ね……」
「そりゃあ休校になるわけだよね」
「その割には、プリムラは動揺してないように見えるけど」
言いながら、ヘスティアは台所の傍らに設置された装置の“排出口”に皿を近づけた。
するとプチトマトが四個、コロンと出てくる。
家庭用の小型プラントだ。
放置しておくだけで勝手に作物の世話や収穫、保管をしてくれ、欲しいときに欲しい分だけ取り出すことができる。
コロニーで暮らす人々が購入できる食物の上限量は法律で制限されているため、その制限に縛られない小型プラントを導入している家庭は多い。
ただし、これ自体がそれなりに高価なため、導入できる時点で裕福なのだが。
ちなみにこれはプリムラ個人の持ち物ではなく、学園寮に備え付けられたものだ。
「母親があんな写真を送ってきたのよ? 誰かが化けているとしても、もう少し動揺するものじゃないの?」
「うーん、わたしもさすがにあの写真を見た瞬間は驚いたよ。でも冷静に考えてみたらさ、これってラッキーじゃない?」
「なにがラッキーなのよ」
「だって本当はわたし、あいつらのこと殺したかったから」
曇りなき瞳で笑い、言い切るプリムラ。
実に晴れ晴れとした表情である。
確かにアヤメを名乗り殺しを働く相手に不快感は覚えているが、あの目障りだったザッシュの金魚のフンが死んだのだ。
これを喜ばずしてなにを喜ぶというのか。
「ザッシュだってそう。殺したいけど、法律でそう定められているから殺せなかっただけ。それを殺してくれたんだもん。少なくともわたしに不利益は無いよ」
「あなた……」
ヘスティアがそういう考え方を好まないことも、プリムラは理解している。
だが変えるつもりはない。
そうやって他人の目に遠慮して自分のわがままを曲げてきたからこそ、連中は増長し、結果的にプリムラ自身が損する結果を招いてきたのだから。
どこまでも身勝手に、自分の考えを貫き通す。
「人の心は鏡だよヘスティア。わたしがあいつらにゴミ扱いされたように、わたしもあいつらに価値はないと思ってる。むしろ自分の意思を持って目障りに動き回るだけゴミよりマイナスかもね。だったら、死んで喜ぶのは道理じゃない?」
死んで悲しめるのは、嫌な奴だったけど見どころはあったとか、仲は悪かったがライバルだった、みたいなパターンだけだ。
心の底から無価値だと思っている相手が死んだとき、“哀”の感情は一切発生しない。
「別にヘスティアの価値観を変えて欲しいとまでは望まないよ。ただ、同じようにわたしの気持ちも変わらないってだけで。そこでぶつかりあったって不毛でしょ? わたしは、ヘスティアと仲良くしたいんだから」
「いえ……人の命の価値は、私の生きた時代のほうがずっと低かったわ。あの頃に比べれば、“死んで欲しい”と願うことぐらい、健全なんだと思う」
ヘスティアは目を伏せ、当時のことを思い出す。
ガラテアほどのクズはそうそういなかったが、それでも人の命を軽んじる魔術師は少なくなかった。
定められた法も、強い力を持つ魔術師を優遇し、殺人を犯しても罰されないこともあったほどだ。
「でも……いつまでプリムラの望み通りに動いてくれるかわからないわよ」
「それはわかってる。できるだけ早く、尻尾を掴まないとね」
幸い、今日は学園が休みだ、
人工雨も降っていない。
調査するにはうってつけの日和だった。
◇◇◇
朝食を終えた二人は、ひとまず現場に行ってみようと部屋を出た。
すると目の前に、無精髭を生やした三十代半ばほどの、屈強な男が立っている。
片手をスーツのポケットに突っ込み、もう片方の手で電子タバコをつまみながら壁にもたれていた彼は、プリムラの姿を見るなり「よう」とフランクに手を上げた。
「……げ」
「げ、とはご挨拶だなァ、嬢ちゃん。しかしその反応を見るに、俺のことは覚えててくれたみたいだな」
「お久しぶりですルプスさん、その節はどうもお世話になりました」
「はっはは、嬢ちゃんほんとに変わったんだなぁ、以前は俺の姿を見たら怯えてばっかりだったってのに」
笑顔を見せるルプスだったが、その目は笑っていない。
今日もどうせ、プリムラを問い詰めにきたのだろう。
――あの事件のときと同じように。
「誰なの、このむさいおじさん」
「ルプス・アンセプス。コロニー軍警察捜査一課の巡査部長」
「そうさいっか? じゅんさぶちょう?」
「簡単に言うと、殺人事件を捜査する無礼で無法なおまわりさんってことだよ」
「あぁ、なるほど。確かにそういう見た目してるものね、クマみたいで」
プリムラは思わず噴き出しそうになった。
この男を前に“クマみたい”と言えるのは、その粗暴さを知らないからこそだろう。
「そっちのお嬢さんは……噂に聞くヘスティアってやつかい? まさかアニマが自律して行動するとは、いよいよラートゥスの娘らしく得体が知れなくなってきたな」
「まだお父さんのこと疑ってるんですか?」
「あぁ疑ってるさ。プリムラちゃんだってお母さんの罪を晴らしたいと思ってるんだろ?」
「だからってお父さんに罪を背負わせたいとは思ってませんから」
ルプスは事件当時、他の刑事がプリムラの母であるアヤメを疑う中、唯一父であるラートゥスに疑惑の目を向けていた男だ。
単独行動で事件のショックで落ち込むプリムラにしつこくつきまとい、話を聞き出そうとしていた。
そのせいか、今でもその無骨な顔を見るとお腹のあたりがぎゅっと締め付けられ、苦しくなる。
トラウマになっているのだろう。
「あの、ルプスさん」
「どうしたプリムラちゃん」
「わたし、正直言ってあなたのことが大嫌いです。顔を見たくないのでもう行っていいですか?」
「駄目に決まってんだろ。わかるだろ、俺がどうしてここに来たのか」
「完全にあてが外れてるんで、聞いても無駄ですよって言ってるのわかんないです?」
「わからんなぁ。俺から見りゃ、お前からプンプン匂ってくるんだよ」
「刑事の勘ってやつですか」
「ちと違うな」
ルプスは咥えたタバコを口から外し、「ふぅー」と白い煙を吐き出す。
それは脳の快楽物質を少量分泌させる作用を持った、ナノマシンの粒子だ。
空気中の物質と結合することで、シナプスネットワークを構築するナノマシンに変質し、無害化される。
「これは“教団”に関する嗅覚だ」
言いながら、鋭い目つきでプリムラを睨むルプス。
教団とは――正式名称はイマジン教団。
真の世界はネットワーク世界にこそあり、現実世界こそ偽りだという教えを説く、ざっくり言うとテロリスト集団である。
テロリストと言っても、構成員はそこらにいる一般人ばかりだった。
世の中に不満を持っていたり、親とうまくいかなかったり、この閉じた世界に嫌気がさしていたり――そういう人間をたぶらかし、引き込んだのだ。
だが結局、“全ての人類はネットワーク世界に行かなければならない”という思想で百人単位の誘拐事件を起こし、軍と操者によって壊滅させられた。
それが十年前の話だ。
ちなみにラートゥスと、アリウムの父であるティプロゥは壊滅に最も貢献した人間と言われており、当時は英雄扱いされていたらしい。
当時五歳だったプリムラも、ちやほやされたことはなんとなく覚えている。
だがルプスは――ラートゥスとティプロゥが、教団の人間だったのではないか、だからこそ壊滅に繋がる情報を入手できたのではないか、と考えているようだ。
「まだ追ってるんですか、あの事件を」
「ああ、俺ん中じゃまだ終わってねえんだ」
「先輩が自殺したから、でしたっけ。首吊り自殺まで教団のせいにされるだなんて、これはもうフォークロアが生まれたのも教団のせいかもしれませんね」
「かもしれねえな」
「冗談のつもりだったんですが」
「俺はそれぐらいでかい組織だと思ってる。頭を潰した程度で消えるとは思えないんだよ」
イマジン教団の教祖、ランバイン・アキレギアは組織壊滅の際に軍警察によって逮捕され、後に処刑されている。
構成員のほとんども逮捕され刑に処されたはずなのだが、それでもルプスは、まだ教団は消えていないと主張しているのだ。
もちろん軍警察が組織ぐるみでそんな捜査に付き合うはずがなく、言ってしまえば彼のライフワークみたいなものである。
「でだ。今回の事件は教団絡みなんじゃないかって俺は思ってるんだが……」
「そうですか、だったら勝手に思っててください。わたしは忙しいので」
「勝手に話を打ち切るなっての。どうせなにか知ってんだろ、事件について。なんたって、アヤメ・シフォーディが絡んでるんだからなァ」
プリムラはうんざり、と言った様子でため息をついた。
「おっと反応したな、頬の筋肉がぴくりと動いた。噂程度だと思ってたが、カマをかけた甲斐があったってもんだ。言っとくが、誤魔化そうったって無駄だからな」
「わかりました、これで満足ですか?」
別に隠す必要もない。
下手に疑われて付きまとわれるぐらいなら――と、プリムラは彼に、昨晩届いたアヤメからのメッセージを見せた。
「……おいおい、こんなもん持ってたのかよ」
想像以上にはっきりとした画像を見せつけられ、戸惑うルプス。
「見せろって言ったのはルプスさんじゃないですか」
「そりゃそうだが……どうしたんだよ、これ」
「昨日、お母さんを名乗る何者かからメッセージが届きました。どうせ合成写真でしょうけど、顔は間違いなくお母さんですね。こっちの被害者も本物だと思います」
「画像をよこせ、こっちで解析に回す」
「はいはい、送っておきますよ」
逆らうのも面倒なので、言われれるがままに画像をルプスに送りつけた。
そして彼が受信したメッセージを開くと――
「……ん? おい待て、お前ッ! なんつーもん送ってやがるんだ!」
大きな声をあげて騒ぎはじめた。
何事か、と首をかしげるプリムラ。
「うるさいですよ、どうしたんです?」
「ウイルスだよ! ああぁぁあ! 俺の捜査情報が入ったプライベートストレージを食い荒らしてやがる! なんだよこれっ、軍警察のセキュリティでも止まらねえのか!?」
「さっきの画像を送っただけですけど……あ、もしかしたらわたし以外が受信したらウイルスに変わるよう仕込まれてたんですかね」
「なんだと!? てめえ、気づいてたなら先に言えっての!」
「わたしが知るわけないじゃないですか」
「無責任だなちくしょう! このままデータベースに侵入されたらマズい、ひとまずネットワークを遮断して隔離して――ああ駄目だ、本部に連絡……もネットワーク遮断してるからできないじゃねえか!?」
「なんか大変そうですけど、わたし忙しいのでもう行きますね」
「いや待てよおい!」
「待てって言われても、わたしにできることありませんから。それではー」
「私も失礼するわね」
「マジで待てっ! これをどうにかしろプリムラあぁぁぁっ!」
わたわたと騒ぐルプスを部屋の前に放置して、そそくさと寮を離れるプリムラとヘスティア。
ヘスティア曰く、彼の悲嘆に満ちた声をBGMに建物を出るプリムラの顔は、とても爽やかだったという。
◇◇◇
学園は軍警察により閉鎖されており入れない。
つまり自習室も使えないため、休校になっても鍛錬をサボらない熱心な学生のために、学園に隣接する操者訓練センターが解放されることとなった。
ここは学園を卒業し、プロの操者となった人間のための施設だ。
設置されたドールのコクピットを模したシミュレータにより、実戦さながらの訓練を行うことができる。
普段は大人ばかりのその部屋は、今日に限っては学生たちで溢れていた。
とはいえ機器の数は限られているため、自ずと順番待ちが発生する。
朝早くからここに来ていたフォルミィだったが、それでも自分の番まであと数十分はかかりそうだ。
彼女は温かいお茶の入ったカップを手に、揺れる水面を見ながら時間が過ぎるのを待つ。
すると金色のツインテールを揺らしながら、大股で少女が近づいてきた。
そして、フォルミィの隣に、わざとらしく太ももをぶつけながら腰掛ける。
「近いぞ、ラスファ」
「あーらごめんなさい、あまりにしょぼくれた背中だったので、見た目以上にあなたが小さく見えてしまいましたの」
不遜な態度でフォルミィに接するその少女は、ラスファ・デルフィニア。
フォルミィと同じく二年生のクラスCで、序列は彼女より一つ高い七位だ。
彼女の態度が大きいのには一応、理由がある。
ラスファはドールの部品製造を行う大企業、デルフィニアインダストリーの社長令嬢なのだ。
そのため幼い頃から裕福な生活をしており、基本的に他人を見下した態度を取る。
特に貧乏な相手を前にすると極端に偉そうになるようで、家が貧しいフォルミィの前ではいつもこんな様子だった。
「ラスファが太ったんじゃないか?」
「なっ……相変わらず礼儀のなっていない野蛮な女ですわね!」
……とはいえ、どちらかと言うとマイペースなフォルミィにラスファが振り回されているのだが。
「だってさっきの、下手したら尻で潰されてあたし死んでたぞ? 尻は意外と威力あるからな。腕っぷしでは弟たちに負けないが、尻で攻撃されるとさすがに痛いに決まってるじゃないか」
「あ、あなたねぇ、いくらなんでも言っていいことの限度がありますわよ!?」
首をかしげるフォルミィ。
ラスファは完全に見下すつもりで彼女に喧嘩を売っているのだが、アホすぎるのか、人が良すぎるのか、うまく伝わらないことがほとんどだった。
「はぁ……しっかし、今日はいつにもまして貧乏くさい顔ですわね。この金箔で包まれたデルフィニア家特製のカプセルを飲めば治るかもしれませんわ、今なら土下座一回で差し上げますが」
「中身はなんなんだ、それ」
「砂糖ですわ。頭の弱いあなたならプラセボ効果で元気になるのではないかと」
「プラセボ? よくわかんないが、ラスファなりにあたしの心配をしてくれたんだな、ありがとう。でもなんで土下座なんだ?」
「ぐっ……ただの嫌がらせですわ、わかりませんの!?」
「今ののどこが嫌がらせなんだ?」
「いや、それは……」
「あたしはお前の善意しか感じないぞ?」
「ぬ……ぐ……うがぁぁぁあーっ! あなたは本当にもおぉぉおおーっ!」
思わず立ち上がり、叫ぶラスファ。
当然、周囲の視線は一気に彼女に集中し、その背後で待機していた黒服の従者三人組も心配そうにうろたえている。
そんなにイライラするなら話しかけなければいいのでは――と、ラスファは背後に控える三人組に何度も言われたことがある。
彼らは、幼い頃から彼女の成長を見守ってきた、忠実な部下だ。
だからこそ、本来のラスファがこんな風に取り乱して叫ぶようなクレイジーお嬢様でないことをよく知っている。
だがそれでも、彼女はなぜかフォルミィに関わるのをやめようとしないのだ。
負けず嫌いだから――口ではそう言っているが、序列ではラスファのほうが上なわけで、一体なにを競っているのか、従者たちもよくわかっていない。
「どうした急に叫んで、どこか痛いのか? その薬、おまえが使ったほうがいいんじゃないのか?」
「作った本人に効くわけが無いですわぁっ!」
「そうなのか、不思議な薬だな。でも自分以外の人間にしか効かない薬を作るなんて、やっぱりラスファは優しいやつだな!」
「むきいぃぃぃぃーっ! なんですの、なんなんですのあなたはぁぁっ!」
「お嬢様、落ち着いてください!」
「お嬢様、他の方の視線が痛いです!」
「お嬢様、痛いぞ」
「お前たちも余計なことを言わない! というかわたくしが痛いってなんですの!?」
フォローするようでしていない黒服三人組。
だがこれ以上騒いでも確かに迷惑だ、とラスファは大きく息を吐き出すと、改めてフォルミィの隣に腰掛けた。
「……それで、どうするつもりですの」
「なにがだ?」
「プリムラ・シフォーディとの決闘ですわ。あなたがシケた顔をしていたの、それが原因なのでしょう。まさか恐ろしいから逃げ出そう、なんて考えてませんわよね?」
「そのつもりはないけど、延期しそうだな。申請を受け取ったボタン先生が忙しそうで明後日までにアリーナの使用手続きが終わりそうにない」
「へえ、怯えているわけではないのですわね。てっきりわたくしは、『自分が殺されるんじゃないか』と怖気づいて取りやめると思っていましたが」
「なんであたしが殺されるんだ?」
「狙われたのはザッシュの腰巾着ですわよ? あなたがプリムラと決闘するようそそのかした連中のうちの一人。つまり――あなたも、殺人鬼アヤメ……いや、その娘であるプリムラさんの標的というわけですわ」
ラスファの言葉に、目をぱちくりさせるフォルミィ。
「なんでそこでプリムラの名前が出てくるんだ?」
気の抜けた反応に、ラスファはがくっと崩れた。
「なんでって、どう考えてもこれは“呪い”じゃないの。プリムラさんがそう望んだからアヤメの亡霊が現れて、殺したんですわ」
「あはは! ラスファはそういうの信じないタイプだとおもってたぞ。おまえも幽霊とか怖がるんだな」
「なっ……そういう話をしているわけではありませんわ!」
「だったらどういう話なんだ?」
「聞いたところによると、彼女は超能力めいた不思議な力を会得したそうですわ。きっと今回の事件も、その力を使ってやったに違いありません」
どうやらその話は、昨日プリムラにやられたクラスEの男子が拡散したものらしい。
SNSに入り浸らないラスファの耳にまで届いているのだから、すでにほとんどの学生がその事実を認識しているのだろう。
「うーん、それは無いんじゃないか?」
「どうして言い切れますの?」
「なんとなく」
「……やっぱりあなた、アホですわね」
「人にアホとか言っちゃいけないんだぞ!」
「アホにアホを自覚させるためには必要な言葉ですわ」
ベンチに座って二人がそんな話をしていると、また別の人影が近づいてきた。
彼女はラスファの隣に座ると、低めの声でこう主張する。
「そんな不思議な力があるなら、まず死体とかを隠すはずです。こんな風に校舎に捨てたり、首だけを残したり、そういうひけらかすような真似をしたら、立場が悪くなるのはプリムラじゃないですか」
「アリウムさん……急になんですの?」
「話が気になったので口を挟みに来ました」
アリウムはクラスC序列三位。
位だけで言えばフォルミィやラスファよりも上だが、学年が下なので敬語で話すようにしていた。
だがラスファからしてみると、それは『見下されている』ような気がしてあまり好きではないらしい。
「今さら善人ぶってプリムラの肩を持とうとしてますのね。やっぱりアトカーさんの孫ですわ。そういう得点稼ぎのゴマすりが得意なあたりそっくりですもの」
デルフィニアインダストリーほどの大きな会社になると、政治家とのつながりも出てくる。
コロニーの防衛の要となるドール製造に関わっているとなればなおさらだ。
ラスファの父がパーティを開けば、企業とのつながりを強めようと何人もの政治家が群がる。
アリウムの祖父、アトカーもそのうちの一人だった。
「あなたの祖父の媚びた面、わたくしは飽きるほど見てきましたわ」
「そうですか。ですが私と祖父の仕事にはなんの関係もありませんので」
「どうかしらね、彼はあなたを跡継ぎに据えようと考えている節がありますわ。本来ならあなたの父親がその役割を担うはずだったんでしょうけど――無駄死にしてしまいましたもんね」
「……先輩」
「あらなんですのその顔。いいですわよ、噛み付いても。そのかわりお父様に報告して――」
アリウムを嘲笑するラスファ。
先輩、そして社長令嬢という立場を利用して、“祖父のために反抗できない”真面目なアリウムを追い詰めていく。
しかしラスファは気づいていなかった。
その横で、アホ毛が不機嫌そうにピンと逆だっていることを。
「デルフィニアインダストリーとの繋がりが弱まれば、自ずとあなたのお祖父様の力も……ふぎゃっ!?」
ラスファの後頭部に、フォルミィのげんこつが突き刺さる。
「お嬢様っ!?」
「大丈夫ですかお嬢様っ!?」
「自業自得だなお嬢様」
心配しているんだか馬鹿にしているんだかわからない黒服三人組。
実力行使で止めに入らないのは、相手がフォルミィだからだろう。
「いったあぁ……フォルミィ、あなたいきなりなにをしますの!?」
「こらラスファ! よくわからないけど悪口はよくないぞ!」
「わからないなら割り込まないでもらえます……? わたくしの麗しい頭皮にたんこぶができたらどうしてくれますの!?」
「それは大丈夫だ、頭皮が麗しい人間なんていないからな」
「そういう問題じゃありませんのよぉおおおおっ!」
うがーっ! とフォルミィに噛み付くように吠えるラスファ。
すっかりアリウムと話していたときの毒気は消えてしまっている。
「くうぅ……洪水かってぐらい水を差されてしまいましたわ。アリウムさんっ! 今日のところはこれぐらいにしてあげますわ!」
「プリムラが犯人でないということさえ理解してもらえれば、私はそれでいいです」
「だからそういうところが――まあいいですわ。気分が悪いのでわたくしは帰らせていただきます」
順番待ちをやめて、部屋を出ていくラスファ。
大股で歩く彼女を、黒服たちは慌てて追いかけていった。
「んー……」
フォルミィはラスファの背中を見ながら考え込んだが、結論が出たのか「うんっ」と頷いて立ち上がる。
「あたしも用事ができた。順番はおまえに譲るぞ、アリウム」
用事というのは、もちろんラスファを追いかけることだ。
別になにを話すか決めているわけではないのだが、勘で、追いかけたほうがいいような気がしたのである。
「……ありがとうございます」
うつむきながらアリウムは言った。
そんな彼女を見てフォルミィは一旦立ち止まると、軽くその背中を叩いた。
「なーにをしょぼんとしてるんだ。胸を張っていいんじゃないか? 友達の名誉を守ろうとしたんだろう。それにラスファの言い方は、単純に最悪だったからな」
「でも本来、私にプリムラに関することに口を挟む資格はありませんから……さっきのは、反射的にやってしまっただけで」
結局のところ、変わってしまったプリムラを前に、焦っているのだ。
焦燥感が、理性を押しのけてアリウムの背中を押している。
「たしか、プリムラとアリウムは昔、仲良しだったんだよな? でも今はそうじゃない。事情はよくわかんないけど、反射的にやっちゃうぐらいなら、あれこれ考えたって無駄だと思うけどな」
「……考えなくちゃならない立場ですから、私は」
「さっきの資格の話と言い、小難しく考え過ぎなんじゃないのか? 要するに自分の思い込みだろ? そんなものに縛られて、行動を起こさなかったら、ずーっと変わらないままだと思うぞ」
アリウムだってわかっている。
変わらなければならない。
だが今さら変わったところで過去の罪は消えないし、祖父という壁にもぶつかる。
それに――変わろうとするアリウムを、プリムラは拒むだろう。
気味の悪いことをしないでくれ、と。
フォルミィはしゃがみ、苦悩するアリウムと視線を合わせると、普段弟にそうするように優しい声で語りかけた。
「浮き上がったり、沈んだり、色々あるかもしれないが、波風が立たないとあたしたちは前に進めない。一番ダメなのは、なにもしないことなんだ」
ラスファからもよく指摘されるように、フォルミィはあまり頭が良くない。
だがそれは、決してなにも知らないというわけではないのだ。
彼女とてそれなりに――いや、かなり曲がりくねった人生を送ってきた。
きっとその言葉は、その過程で学んできた教訓に違いない。
「色々大変かもしれないが、頑張るんだぞ後輩っ」
そう言って、笑いながらアリウムの頭を撫でる。
くしゃりと髪を乱される感触は、なぜか無性に懐かしく思えた。
「じゃあなー!」
そしてすぐさま立ち上がると、慌ただしくラスファを追って部屋を出ていく。
一人残されたアリウムは、うつむいたままぽつりぽつりとつぶやいた。
「一番駄目なのは、なにもしないこと……それが、今までの私だった」
見て見ぬふりをする。
見捨てる。
自分は積極的に関与していないから、正義には反していない。
お祖父様の言う通りなのだから、これは紛れもなく正しい選択だ。
そう――何度自分に言い聞かせてきたことか。
「変わろうと思うことは間違いじゃない、はず。私自身もなにがやりたいのかはっきりとはわかっていない。けれど今、立ち止まってるこの場所が間違いであることはわかる」
フォルミィに指摘される前から、わかりきっていたことだ。
仲直りするとかしないとか、そういう話じゃない。
それ以前に――正さなければならない過去がある。
恩着せがましく、『プリムラのため』と言うつもりなどはなかった。
そんなもの、彼女は必要としていない。
だから、身勝手だと理解していても、アリウムは自分のために動くしかない。
「進まなければ。“償いのスタート地点”に立つためにも……」
◇◇◇
部屋を出る直前で、フォルミィは立ち止まった。
遠くからアリウムを眺める、男の姿を見つけたからだ。
「意外だったな、カズキ先輩はアリウムに興味があったのか」
茶化すように彼女が言うと、カズキはわずかに苦笑しながら答えた。
「そういうわけじゃ……いや、興味が無いと言ったら嘘になるかな」
「同じ政治家の子供としてってことか?」
「それもある。でもまあ、君が気にするようなことじゃないさ」
遠回しに解答を拒絶された。
フォルミィはそう感じた。
二人の間にそう密接な関係は無く、クラスCとクラスBの共同訓練のときに顔を合わせるぐらいだ。
当然、普段はすれ違うときに声をかけたりもしない。
ならなぜフォルミィが彼に絡んだのかと言えば――
「ところで先輩、目が赤いけどどうかしたのか?」
その様子に、ちょっとした違和感を覚えたからである。
「そんなに赤いかな」
「もちろんうさぎには負けるぞ」
「はは、僕も不思議の国は大好きだよ。でもうさぎになりたいとは思わないな。時間にしても親にしても、縛られるのは嫌いなんだ」
カズキはやけにハイな口調で、つらつらと語る。
しかし比喩にしてもわかりにくく、ただでさえそういうのを理解するのが苦手なフォルミィは、思わず首を傾げた。
「先輩の話はたまによくわからなくなるな」
「君はわからないことだらけだね、直感で生きられる人生は羨ましい。世界中が楽しいことで溢れてそうだ」
「そういう先輩には、楽しいことはないのか?」
フォルミィがそう言うと、なぜかカズキは肩を震わせ「ふふっ」と笑う。
「あるよ、楽しいこと。そのせいで昨晩は夜更かししてしまったのさ」
言いながら、充血した目を指さした。
「それで目が赤かったのか。駄目だぞ、夜は早く寝ないと」
「わかってるよ、でもしばらくは眠れそうにないんだ。楽しいことが続いてね」
「それはいいことだが……まあ、先輩は先輩だし、あたしが言わずともちゃんと節度はわきまえてるか」
「そうそう、心配は無用さ。それじゃ、僕は順番待ちで並ばないといけないから。珍しく話しかけてくれて嬉しかったよ」
本心なのか社交辞令なのかわからない言葉を残して、カズキは列の最後尾に向かう。
フォルミィは、妙な胸騒ぎを感じていた。
だがそれの正体はわからない。
指摘された通り、彼女は勘はいいが、わからないことだらけである。
だがこれ以上時間をかけるとラスファに追いつけなくなりそうだったので、考えるのをやめて部屋を出た。
◇◇◇
プリムラとヘスティアは、昨夜の事件の手がかりを探して、関係のありそうな場所を回った。
まずは体が遺棄されていた学園から。
校門前は記者や野次馬で溢れかえっており、近づくことすら困難だ。
そこにプリムラが現れれば、さらに混乱が広がることは間違いないだろう。
なので遠くから見ることしかできなかったが、どうせ近づいたところで結果は同じだっただろう。
現場はシートで覆われ、遠巻きに見ることすら叶わなかったのだから。
ひとまず野次馬の中に怪しい人間がいないことは確認した。
当然、アヤメの姿も無い。
続けて、昨日プリムラに因縁を付けてきたザッシュの駒たちが暮らす家を回る。
学園前にも訓練センターにも姿はなかったため、今日は自宅待機しているはずだ。
最初に、男子寮に住んでいる二人の状況を確認。
なぜ寮を出る前に確認しなかったかと言うと、彼らのいる部屋の前に軍警察の人間が待機していたからだ。
時間を空けたのでいなくなっているのではないかと期待したが――まだそのままのようである。
どうやら事情聴取や捜査のためにそこにいるのではなく、“次に狙われる可能性のある人物”を護衛するために配備されているようだ。
寮ではなく、自宅から通っている他の男たちに関しても同様だった。
数人の軍警察の人間が配備され、長銃を肩からかけて怖い顔で突っ立っている。
さらに周辺にはコロニー内の新聞社の記者も待機している。
プリムラとヘスティアは、少し離れた場所にあるビルの屋上から、その様子を見下ろしていた。
「あの人たちから話を聞いてみればいいんじゃないかしら」
「無理だよ、あんな性根の腐った連中とまともに会話が成立すると思えないもん」
「……なにかあったの?」
「あったよ、思い出すのが嫌になることばっかり。あることないこと好き勝手に書くのがあいつらの仕事だから、大衆が味方についたと確信したとたん、容赦しないの。プライベートもへったくれもないし、真実かどうかなんて誰も気にしない。モラルだって無い。面白ければそれでいい、って」
最初は、一応事件との関連性を匂わせる記事は書いていたのだ。
だがいつしかそれはプリムラを中傷するだけの内容になり、盗撮、盗聴まで行われるようになった。
まだ子供だったプリムラが必死で抗議をしても、『こういう仕事なんでぇ』とへらへら笑い、さらにその出来事自体を悪意しかない記事として掲載したりもした。
「なんか……思い出したらすっごくイライラしてきた。考えてみれば、あんなことやった連中から正攻法で話を聞き出す必要なんて無いんだよね。よし決めた、尋問しよう」
「へっ? ちょ、ちょっと本当に行くの!?」
「ヘスティアは姿を消しといて」
オリハルコンの体を捨てて、ヘスティアはアニマの状態に戻る。
抜け殻は即座に圧縮され、プリムラの懐に収められた。
そして彼女の手のひらがその顔の前を通り過ぎると、魔術により別人のものに変わる。
選んだ顔は、そこら辺でたまたますれ違った女性のものだ。
操者になりすまして罪をなすりつけるという方法も考えられたが、すでに魔術の存在が広がりつつある今、“プリムラの仕業だ”と思われる可能性は可能な限り排除しておきたかったのだ。
(他のとこ調べるときも、これ使っておけばよかった)
今さらながらプリムラはそんなことを思った。
しかし、ガラテアから受け継いだ知識量は膨大すぎて、“これがやりたい”と具体的に指定しないとうまく引き出せないのである。
過ぎたことを悔やんでもしょうがない。
ひとまずビルの屋上からひとっ飛びで記者が身を隠す路地まで飛ぶと、静かにその背後に着地した。
ふわりと頬を凪ぐ風で、記者は降りてきたプリムラに気づく。
だが彼が振り向いた瞬間、その手は下顎を鷲掴みにし、そのまま体ごと持ち上げた。
「ぐ……が、がっ……!」
よほど苦しいのか、目を剥きながら足をジタバタさせる記者。
別に彼自身に恨みがあるわけではないのだが、プリムラはこれっぽっちもかわいそうだとは思わなかった。
仕方のないことだ。
そういう仕事なのだから。
このまま首を握りつぶされて一生喋れなくなってもしょうがない。
壁に叩きつけられて後頭部がひしゃげてもしょうがない。
股間を蹴り上げられて潰されてもしょうがない。
首ではなく上顎を掴んで口が裂けてもしょうがない。
そういう職業なのだから。
「できれば穏便に済ませたいんで、逆らわないでくださいね」
その穏やかな表情と優しい声がよほど恐ろしかったのだろう。
記者はさぞ苦しいだろうに、持ち上げられた状態で、必死に首を縦に振った。