011 感動の再会
アヤメ・シフォーディの出現――それは直接的な原因では無いのかもしれない。
なぜならそれは、まだネット上で燻っている程度の小さな噂だ。
しかし、“呪われた子“というワードが拡散するにあたって、その言葉に説得力をもたせる一つの材料にはなりうる。
「私がこの画像を見つけたのは偶然です。いつものように学生のプライベートなストレージを漁っていたんですが、そこで見つけたんです」
パブリックではなく、プライベート。
当然、普通はアクセスできない領域だ。
それをさらっと言ってのけるあたり、セイカは普段からかなり汚い手段で情報を集めているのだろう。
「まだ爆発的に拡散はしていませんが、それも時間の問題でしょう。そうなって情報が錯綜する前に、私としては正確な手がかりを探しておきたいところだったんですが――どうやらその反応を見る限り、プリムラさんはご存知なかったようで」
「知ってたらカズキ先輩に会いにきたりしてないと思う」
「それはそうでしょうね」
「フォークロアの一種……なの?」
プリムラの脳裏に浮かんだ第一の可能性はそれだった。
だが、コロニー内にフォークロアが出現しないよう、内部で使用されているオリハルコンには加工が施してあるはずだ。
「誰かが違法な手段でオリハルコンを手に入れ、うっかりそれにフォークロアが取り付いてしまった。まあ、無い話ではないですが、タイミングが良すぎると思いませんか?」
「呪われた子の話?」
「ええ、私には誰かがあなたの行動を制限するために仕掛けたとしか思えないんです。“事件の真相”を暴かれるのを嫌がって、ね」
セイカはどういうわけか、プリムラの考えを読んでいるようだ。
まあ、学園に復帰するまでのプロセスを分析すれば、普通にわかることではあるのだが。
「そうだとすると、迂闊じゃない? もしわたしのお母さんを模した何かが徘徊して、“呪い”の恐怖を煽っているとして――そんなことしたら当然、尻尾を掴まれる可能性は高くなるわけだよね」
「そう、そこなんですよ! ですがそういう理解できない部分というものが、ある意味で人間的なんじゃないかと思うんです。ミスにしろ、意図的なものにしろ、私はそこに人の意思の介入を感じます」
確かにセイカの言う通り、人というのは間違える生き物だ。
あらゆる選択が正しいなんてことはありえない。
「まさかプリムラさんが戻ってくるとは思ってなかったので、焦ったんじゃないですかね。なんにせよ、私にとっては面白い展開です」
「わたしはなにも面白くないけど」
「ですが事態は進展しそうじゃないですか。そこでひとつ、私からプリムラさんに提案があるんですが――どうです、私と手を組みませんか」
プリムラは露骨に嫌な顔をした。
さすがにこれはセイカもショックだったらしく、
「いや、そんな『敵だと厄介だけど味方だと役立たず』みたいな反応しないでくださいよ!?」
そんな感じで、割と本気でへこんでいるようだ。
「これでもそれなりに情報屋としては優秀なつもりなんですからねっ!」
「情報屋ってことは、対価が必要なんだよね」
「それはもう、情報の対価は情報ということで。まあ簡単に言えば、情報交換しようということですよ」
「わたしと関わったら友達減るかもよ」
「ご安心を。これしきで減るような友達はいませんから」
そう言い切るセイカは、プリムラから見ると眩しくてしょうがない。
だが“甘さ”のようなものも感じた。
どれだけ信用できる相手でも、裏切るときは裏切るものだ。
それをプリムラは知っている。
「ところで――さっきカズキ先輩と話してたのはどうしてです?」
「呪われた子って言葉とある政治家に関連があるみたいだから、同じ政治家を親に持つカズキ先輩に聞いてみたの」
「ほうほう、その情報の出処は……もしかしてアリウムさんですか?」
「……なんでわかったの」
「プリムラさんと政治家の関連性なんてそこしか思いつかないからです。しかし、それならアリウムさんの祖父であるアトカー氏を直接調べたほうが早いと思いますが……」
「できると思う?」
「いや、プリムラさんにそれは酷ですね。わかりました、そちらは私が探ってみることにしましょう。しかし、アリウムさんも難儀な立ち位置ですねえ」
「なにが?」
プリムラは少し不機嫌そうに聞き返す。
その迫力にセイカは少しだけ表情をこわばらせながらも、話を続けた。
「だって、自分を引き取った祖父に、『プリムラは呪われた子だぞー』って言い聞かされてたわけですよね?」
「……」
「引き取られてすぐ――十歳の頃だったかはわかりませんが、まだ子供だった彼女にそんなこと言い聞かせるのは、さすがに趣味が悪いと思いまして」
「……っ」
『言われてみればそうよね。アリウムが、というよりは――あの子の祖父が、プリムラに近づくのを嫌がった感じかしら』
そんなこと考えたことがなかった。
考えたくもなかった。
だからなんだというのか。
結果が変わるのか。
心がずたずたに引き裂かれたあの傷が、消えるとでも思っているのか。
「ひょっとすると今でも後悔されているのかもしれませんね」
『親がいなくなったとなればなおさらに、迷いはあったはずだもの』
「……るさい」
「あなたがたが仲違いした一件について実は私も少し知っているんですが、おそらく当時から葛藤はあったんじゃないでしょうか」
『ああやって会いにきたってことは、もちろん今だって罪悪感があるはずよ』
「……うるさい」
「そうやって情報を伝えにきたということは、プリムラさんのほうから歩み寄れば、今ならあっさり味方になってくれるかもしれませんよ」
『そうね、セイカさんの言う通り、事件の真相を暴くなら――』
「うるさい、黙れ!」
プリムラの怒号が轟くと、木に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。
学園の中でも聞こえたのか、数人の生徒が窓から中庭を覗き込んでいる。
その感情の爆発を間近で見たヘスティアとセイカは、呼吸すら忘れ、言葉を失っていた。
「悩んでたからなんだよ。葛藤があったからなんだよ。罪悪感があったからなんなんだよぉっ! なに? なんなの? わたしが悪かったわけ? 痛くて、苦しくて、大切なものも無くなって、なにもかもなくなって、そのくせあいつらは一人だって反省しない! 報いだって受けてない! なのわたしが悪いって言うのかよぉおおお! わたしには誰も同情しないくせに、あいつにはかわいそうかわいそうって! どこがかわいそうなんだよ! ルビーローズの家でぬくぬくと贅沢な暮らしをしてきておいて! 政治家の娘だからってみんなからちやほやされておいて! 心の余裕なんていくらでもあったはずなのにわたしに声もかけなかったあいつのどこが、かわいそうだって言うんだよッ!」
爆弾は、昨日アリウムが部屋を訪れたときからずっと爆ぜる寸前だった。
それでも我慢した。
なぜ堪えなければならないのかと苦しみながらも、ずっと抑えてきた。
だがずっと疑問だった。
いくら伝えたい情報があるからといって、いきなり部屋に来ることに、“言い訳”以外のどんな理由があるのかと。
しかし周囲の人々はそれを肯定する。
なぜなら、アリウムの世間一般における評価が高いからだ。
プリムラと違って、本人の人格も立派で、政治家の家の生まれで、一年生なのにクラスCの操者になっているからだ。
『プリムラ……ごめんなさい』
真っ先に謝ったのは、ヘスティアだった。
彼女は優しく、正しさを重んじる。
一般的な価値観から言えば、プリムラとアリウムは仲直りするべきなのだろう。
だが一般的な尺度では測れない隔絶が、二人の間にはあるのだ。
「私としたことが……申し訳ありません、うかつでした」
「はぁ……はぁ……」
「いや、まったくもってあなたの言う通りです。アリウムさんは立派な人間です、同じクラスCである私はそれをよく知っています。だから――と考えてしまうこと自体が、間違っているんでしょうね」
立派な人格者は、たとえ間違ったことをしても、周囲から盲目的に認められることがある。
それは一種の理不尽だ。
正しさを捻じ曲げる行為だ。
「ルビーローズ家については、私が調べます。プリムラさんは他の道筋を探ってみてください。それと――」
「まだなんかあるの?」
「っ……」
まだ怒りが燻っているのか、プリムラは睨むようにしてセイカを見た。
彼女はどす黒い感情に充てられ、息を呑む。
その反応を見てか、プリムラの表情からふっと力が抜けた。
「……ごめん、今のは八つ当たりだった」
「い、いえ、空気を読めなかった私が悪いですから」
そうは言いながらも、セイカは「ふぅ」と息を吐き出しながら額に浮かぶ冷や汗を拭いた。
「それでさっきの話なんですが……クラスCで、反プリムラ機運が高まっていると言いますか。ザッシュさんがやられたのはもちろん、最近の挑発的な言動で『舐められてる』って憤慨してる人たちがいるんですよ」
クラスCにもなると、自分の力に自信を持ち出す。
“呪い”への恐怖を、自尊心が上回るのだ。
噂のせいで効果は薄れてしまったが、今日までプリムラがキャラを作ってきた成果はあったようだ。
「もしかして、狙い通りでした?」
「まあね」
「そんなことだろうと思いました、あまりにわざとらしかったですもんね」
「それに一役買ってたのは、記事を書いてたセイカ先輩だと思うけど」
「私は注目さえ集められればなんだっていいですから。そういうわけで、闇討ち……はないでしょうけど、じきに仕掛けてくると思いますので気をつけてください」
「うん、わかった。ありがとう」
「いえいえ、ギブアンドテイクですから。もし襲われたら、そのときの顛末を私に教えてくださいね、連絡先も渡しておきますから」
そう言って、セイカはプリムラにメッセージを送った。
受信音が脳に直接鳴り響く。
そこに記されているのは、どうやら機密性の高いプライベートストレージのアドレスのようだ。
アクセスすると、中身には一つだけ文書が保存されていた。
「データの共有スペースです、私が得た情報もここに保管します。ちなみにそこに入ってるのは、大した情報ではありませんが、多少なりともプリムラさんの利益になるものです」
「対価は?」
「サービスだと思ってください」
「胡散臭いなあ……」
「言ってくれますねぇ。私にだって、純粋に事件に対する興味があるんですよ」
「どうして?」
「関係者に話を聞いたことがあるので」
「関係者って……アリウムちゃんとか?」
「いえいえ、そこら辺は文書を見てもらえばわかりますよ」
文書というのは、ストレージに保存されたものだろう。
「それでは、そろそろ次の授業がありますので、私はこのあたりで失礼させていただきます」
「うん、じゃあまたね、セイカ先輩」
「ええ、また近いうちに」
そう言って、セイカはくるりと振り返り、校舎に向かって歩いていった。
残されたプリムラに、ヘスティアが話しかける。
『……本当に、ごめんなさい』
「いつまで引っ張ってるの?」
『さすがに無神経すぎたわ』
「はぁ……そこまでわたしとアリウムちゃんに仲直りしてほしかったの?」
『親しい相手なら、少しでも早くわだかまりは無くなったほうがいいと思って……』
それは常識的な考えだ。
いかにもヘスティアらしい。
『でも、違うわね。人の命も関係してるんですもの、もっとデリケートな問題だったわ』
「気持ちは嬉しい……とか気の利いたことを言いたいんだけど、こればっかりは無理かな。できれば、放っておいて欲しい」
『わかった、約束するわ』
聞き分けの良いアニマでよかったと、プリムラは心から思う。
これでアリウムのことを根掘り葉掘りしつこく聞いてくるようなやつなら、力でねじ伏せて二度と話せないようにしていただろう。
どうわかりあえと言うのか。
プリムラの世界から全てを奪った女と、いまさらどうして。
『そういえば、さっきもらった文書ってどんな内容なの?』
ヘスティアに言われ、プリムラは頭のモードを切り替える。
鬱々とした憎悪を一旦横に置いて、ストレージの文書を開き、投写した。
「ボタン先生の経歴? どうしてあの人のプロフィールなんて……」
ボタン・テュリーパは、クラスCを受け持つ教員のうちの一人だ。
特に操者でもなければ、プリムラと関わり合いのある人間でもなかったと思うが。
『あら、あの人って新聞部の顧問なのね』
「非公式の部活だから顧問なんていないはずなんだけどな」
『一応、監視役として置いてるってことじゃないかしら』
「でもその人の個人情報を晒して、なにがわたしの利益になるって言うんだか……ん?」
軽く流し読みしていると、プリムラは気になる記述を見つけた。
彼女はそこを指でなぞりながら、文章を読み上げる。
「アヤメ・シフォーディによる殺人事件の、現場に居合わせた……?」
『事件の目撃者ってことじゃない! プリムラは覚えてないの?』
「あの場所には野次馬がいっぱいいたから、そのうちの一人だとしたらわからない。でも――ここの備考って部分を読む限りじゃ、そういうわけでもないのかな」
ボタンがあの事件現場に居合わせたのは、決して偶然ではない。
いや、そこを通りがかったのは偶然かもしれないが、事件を目撃するのは当然のことなのだ。
アヤメが家を出て、殺害した通行人――そのうちの一人が、彼女が“兄”と慕ってきた大切な人だったのだから。
『デートの途中でたまたま現場を通りがかって、巻き込まれたのね』
「そして被害者はボタン先生をかばって命を落とした」
『つまり、プリムラのことを敵視してるってこと?』
「ううん、むしろあの先生は、他の生徒とわたしを同じように扱ってたように思えるんだけど……新聞部の顧問でわざわざわたしにこれを渡すってことは、『話してみろ』ってことなのかもね」
それでなにが起きるのかはわからないが――少なくとも悪いようにはならないはずだ。
――セイカの言葉を信じるのなら。
◇◇◇
今すぐにでもボタンに話を聞きたいのはやまやまだが、プリムラはクラスE。
クラスCを受け持つ彼女とは、なかなか時間が合わない。
そこでメッセージだけ送っておいて、返事を待つことにした。
その日の授業が終わるまでに返信はなし。
急ぐことはない。
ボタンが“呪い”と関連があるとは思えないし、セイカも急ぐようには言ってなかったので、ひとまずは後回しにして問題はないはずだ。
それよりも今対処すべきは――講義室から出てきたプリムラを待ち受けていた、チンピラの群れだろう。
前からだけかと思えば、後ろからも同じクラスEのへっぽこ三人組が道を塞ぐ。
前にいるのは授業をサボっていたクラスEが一人に、クラスDが二人。
序列は28位と25位なので、実力的にはクラスEと大差ない。
(この人数でも……雑魚は雑魚だよね)
プリムラは、同時に襲いかかってこられたとしても、さらさら負ける気がしなかった。
彼らの表情には怒りがにじみ出ているが、しかし同時に“恐れ”も見える。
『呪いにビビってるのかしら、ダサいわね』
ヘスティアの言葉に心から共感するプリムラ。
もういっそ無視して横を通り抜けようか――と思ったそのとき、クラスD25位の男が一歩前に出た。
おそらく現在のリーダーなのだろう。
「お、おう、久しぶりじゃねえか。最近は俺らが大人しくしてるからって、調子に乗ってたみたいだなァ」
「あなたって……」
「あ?」
「二年生だよね。そのくせザッシュより序列はずっと下で、だから後輩であるあいつにへこへこしてたの? ちょっとみじめすぎない?」
「て、てめえ……!」
「怒るのは図星だってことね。こんなことしてる暇があったらシミュレーターで訓練でもしたほうがいいんじゃないかな。じゃなきゃ、すぐに一年に抜かれてクラスEに降格。そのまま卒業になったら、操者資格すら貰えずに一般人に逆戻りだよ?」
クラスEのままで卒業する操者など滅多にいないが、いればそういう処置になる。
二年生で25位、しかもザッシュに従っているということは、彼の中にもそうなってしまうかもしれない危機感があったに違いない。
「そっちの一年生はさ、クラスDまで上がれたわけでしょ? ザッシュなんか放っておいて鍛えれば、すぐにクラスCになってあいつも抜けるのに」
「俺は単純に、友達が傷つけられて憤っているだけだ」
「あっそう。じゃあなに? このまま取り囲んでわたしをボコボコにする? それともドール同士の決闘で正々堂々とケリをつける? わたしはどっちでもいいよ。できれば、決闘のほうが都合はいいけどね」
どちらもできない。
そんな勇気も力もない。
でも悔しいから、“ザッシュのために行動を起こした”という事実が無ければ申し訳が立たないから、手も出せないくせにこうしてプリムラを足止めして嫌がらせをした。
少なくとも今は、そういう風にしか思えなかった。
しかし二年の男が不敵に笑う。
「ああそうだよ、決闘だ。でもただの決闘じゃないぞ、これは“賭け”だ」
「賭け?」
「負けたら、俺が学園をやめる。だがお前が負けたら、ザッシュさんに謝罪したうえで、お前は自分の意思で学園をやめなければならない」
「ふーん、そっか。いいよ、受けてあげる。それで、誰が相手してくれるの? あんた? それともここにいる全員?」
「強がるなよ! いくらお前でもこの場にいる全員なんて――」
「余裕だよ。なんなら生身でも試してみる?」
プリムラがにぃっと歯を見せて笑うと、男たちは後ずさった。
実際に手合わせしたわけでもなければ、魔術を見せたわけでもないというのに。
おそらく彼らの実力では、同じ場に居合わせただけで、肌で相手の強さを感じる――なんてこともできるはずがないわけで。
つまり、彼らは情けないことに、単純に怯えているのだ。
「ほんっと、どうしようもなくみじめすぎない? 決闘以前に、学園やめちゃったほうがいいと思うよ。操者向いてない」
「い、いくらなんでも馬鹿にしすぎだろ……」
「そうだそうだ、まだクラスEのくせに!」
背後で若干の距離を取って突っ立っていたクラスEの男二人が、情けなくも声をあげる。
もはやため息も出ないほど下らない煽り文句だったが、『相手をしてやらないのもかわいそうだ』とプリムラは慈悲の心で彼らと向き合うことにした。
振り向き、手をかざす。
するとネットワークより呼び出された魔法陣が空中に浮かび上がった。
色は風を意味する緑。
火、水、風、土の魔法がよく使われるが、中でも風は“後処理が楽な殺傷方法だ”とプリムラは考える。
方法は簡単だ。
空気を圧縮し、彼らの体の目の前でぽんっと弾けさせるだけ。
それだけで男たちの体は巨大な獣に体当たりでも受けたかのあように吹き飛び、盛大に壁に叩きつけられるのである。
「ぐ……がっ!?」
被害者は二名。
一方は叫び声をあげられたが、もう一方は声もなしに気絶してしまったようだ。
壁は丈夫なので壊れたりしていないが、体は跳ねて顔面から地面に突っ伏す。
「な、なんだ今のっ!?」
それを見ていた仲間たちは当然、戸惑う。
ただ妙な模様が空中に浮かばせただけで、離れた場所にいる二人を吹き飛ばしたのだ。
魔術を知らない彼らにとって、それはさぞ恐ろしかったに違いない。
よくよく考えてみれば、こいつらの話に大人しく耳を傾ける義理などないではないか。
ザッシュの手下で、言ってしまえば似たようなことをしてきた連中なのだから。
「ぐっ……!」
プリムラは二年生の胸ぐらを掴み、片手で持ち上げた。
「なぁに、その虐待受けてる小動物みたいな顔。言っとくけど、てめえらがわたしにやったことはこんなもんじゃねえからな? なんだったらここで再現してやろうか」
「や……やめてくれ……っ」
「なんでやめなきゃなんねえんだよ。わたしは、“お前たちがやったことを”、“そのまま返す”って言ってんだよ。やるのはいいけどやられるのは嫌だ、なんてガキの理論が通用すると思ってんのか? なぁ!」
「ひ……ぐ」
「つうかさ、なんかザッシュとの友情のためにわたしに戦いを挑みましたー、みたいな雰囲気だしてた割に、誰も助けてくれねえんだな。かわいそうに。たぶんあいつら、ここでお前が殺されかけても尻尾巻いて逃げ出すだけだと思うぞ」
「そんなわけ……な、ない……無いよな? なっ?」
彼らは揃って目をそらした。
男の顔が、絶望に歪む。
「あっはははははは! なんだよそのリアクション、コントでもやってんのか? 雑魚は雑魚なりに、一人ぐらい挑んでくる気概を見せろよ! どこまで腰抜けなんだよ! 確かお前ら、わたしに『殺人を見てるだけだったお前も殺人犯だ』みたいこと言ったことあったよな? じゃあ今日からお前らも殺人犯だなぁ! 仲間が増えて嬉しいよわたしはッ!」
プリムラは胸ぐらを掴んだまま、男の体を床に叩きつける。
手加減などしない。
そのまま激突すれば、間違いなく彼の頭部はぐちゃぐちゃに弾け飛ぶだろう。
「うわあぁぁぁぁあああああッ!」
泣く、叫ぶ、失禁する。
無様の限りを尽くしながら、命乞いをするようにプリムラに向かって手を伸ばす彼の体は――弾ける前に、ぴたりと止まった。
「殺しやしねえよ。てめえなんざのために罪を背負うのはまっぴらごめんだ」
「は……はぅ……うううぅううう……っ!」
ドサッと地面に落ちた彼は、手で目元を隠し、子供のように泣きじゃくりはじめた。
ズボンはぐっしょりと濡れ、漂うアンモニア臭にプリムラは舌打ちをして顔をしかめる。
「それで、決闘ってのはどうするの? 正直、この有様であんたたちが相手とか言われても拍子抜けなんだけど」
なんの対策もせずに、とりあえず喧嘩を売りに来ただけ――彼らはそこまで底なしの阿呆ではない。
男のうちのひとりが声を震わせながら「お、お願いします!」と言うと、用意しておいた助っ人が、すぐそばの扉から出てきた。
濃い茶色のくせっ毛を揺らしながら、「ふんす」と鼻息荒く登場したのは――
「おまえの相手をするのはあたしだー!」
いかにもアホっぽい少女だった。
「二年、クラスC、序列8位、フォルミィ・テナークス! クラスCの名誉を守るため、おまえを倒し……ってうわあっ!? なんでこの人泣いてるの! おっ、おまえだな? おまえがやったんだな、諸悪の根源プリムラ・シフォーディ!」
フォルミィはビシィッ、とプリムラを指差す。
だが当のプリムラは、すっかり興が削がれてしまったのか白けた顔をしていた。
「聞いたぞ、おまえこいつらをいじめてたらしいな!」
「誰から聞いたの?」
「本人からにきまってるだろう!」
つまりザッシュの手下たちは、『僕たちいじめられてるんですー!』と、この小柄な少女に助けを求めにいった、と。
『この人たち……』
「……うん、ほんとみじめね」
さすがにこれには、ヘスティアとプリムラも呆れるしかない。
ザッシュに従っていた時点で――だが、プライドというものは無いのか。
おそらくクラスCで騙しやすそうなフォルミィをどうにか利用しようと、被害者ぶって彼女に近づいたのだろう。
これだけのアホっぽさだ、さぞ簡単に信じてくれたに違いない。
加えて、セイカの話によると、クラスCでは反プリムラの機運が高まっていると言っていた。
少なくともフォルミィには、決闘を申し込む理由はあったというわけだ。
「フォルミィ先輩」
「なんだ?」
「わたしのこと知ってるの?」
「もちろんだ。事件の加害者の娘としていじめられていると聞いていたが、まさか逆に弱者の立場を利用してあいつらを虐げていたとは……」
「それ、誰から聞いたの?」
「あいつらに決まっているだろう。涙ぐみながら語ってくれたぞ?」
呆れ返ったプリムラが彼らのほうを見ると、全員が気まずそうに目を背ける。
「最低限の尊厳はあると思ってたけど、こうなると完全にゴミだね」
もはやあれは、同じ人として扱う価値もない。
彼らに対する一切の感情が全て消えてなくなってしまうほど、プリムラは心から軽蔑していた。
「人をゴミって言ったらいけないんだぞ!」
「うん、いけないから決闘して白黒つけないとね。いつやるの? 別にわたしは今日でもいいけど」
とはいえ、プリムラとしては決闘自体はやっておきたい。
クラスCを倒せば、今度こそクラスDに昇格できるはずなのだ。
「さすがに今日は困る。三日後に学内のアリーナで決闘を行う。この通り、申請用のデータももう準備できてるからな。あとはプリムラの署名をもらうだけだ」
フォルミィの前に、申請用のテキストが浮かび上がる。
「わかった、これでいい?」
そこにプリムラが指で自らの名を記すと、署名は完了。
これで決闘申請の準備はできた。
あとは教員にデータを渡すだけである。
「あたしが勝ったら、あいつらをいじめるのはもうやめろよ!」
「……退学じゃなかったの?」
「なんで退学なんてするんだ。学園を辞めるのはそんな簡単な話じゃない、さすがにやりすぎだぞそれは」
「……」
プリムラは目を細め、まだめそめそと泣き続ける二年の男を睨みつけた。
そして顔を覆う手の上から、頭を踏みつける。
「おいこらクズ、あんたこの頭の弱い先輩にどんな話をして連れてきたんだよ」
「う……うぐぅ……」
「お、おいやめろよ! いじめちゃだめだろ!」
「チッ……わかった、戦いが終わるまではいじめないであげる」
弱者の立場を利用して立ち回っているのは、他でもないザッシュの手下どもだ。
さんざんこれまで強者としてプリムラを支配してきておいて、自分たちのほうが格下になったかと思えばこれだ。
もはや生きる価値なんてない。
罪にさえ問われなければ、本当はこの手で殺してしまいたいぐらいだった。
「じゃ、わたしはもう行くんで。申請は任せておくから」
もはや見るに堪えない。
同じ空気を吸っているだけでも不快だ。
プリムラは広めの歩幅でその場から立ち去り、外の空気でも吸おうと校庭へ向かった。
◇◇◇
その夜、寮に戻ったプリムラは、空っぽのメッセージボックスをじっと眺めていた。
ボタンからの返事が来ないのだ。
彼女はクラスCを担当する教員。
ひょっとすると、フォルミィはボタンに申請を行い、今ごろ大忙しで手続きを進めているのかもしれない。
「はい、お茶とお菓子」
「ん」
ヘスティアがプリムラの前においたのは、“古代風ケーキ”なる未知の料理だった。
現代の食材で可能な限り過去の料理を再現した……らしいのだが、パっと見は茶色く地味なケーキと言った雰囲気で、まずそうではないが美味しそうにも見えない。
だがいざフォークで口に運んでみると、しっとりとした食感に、甘いチーズの風味が一気に広がり、プリムラは「んん!?」と思わず声をあげて感動してしまった
「得意料理なのよ、それ。今日はケーキだけだけど、ジャムをかけるとまた別の美味しさが味わえると思うわ」
「ジャム! そんなの絶対おいしいって! これも十分においしいけど!」
「ふふふ、そんなに喜んでもらえるなんて、作りがいがあるわね」
テンションの上がったプリムラを見て、ヘスティアはニコニコと笑った。
しばしそのまま、ぱくぱくとケーキを食べるプリムラを眺めていたが、ふいに表情が曇る。
「どうひたの?」
フォークを口にくわえたまま、プリムラは問いかけた。
「んー……他者に依存して生きていくのは、弱い者なりの知恵なんでしょうけど。あそこまでいくと、それとはもう違う気がするわね」
ヘスティアはしみじみと言った。
どうやら、ザッシュの取り巻きたちのことを言っているようだ。
プリムラは口にいれた分を飲み込むと、軽くお茶を飲んでから言う。
「んく……ふぅ。そういう生き方をしてきたから、染み付いてるんだと思うよ。まあ、ザッシュがそういう人間を作り出すのが上手いやつだった、ってことなのかもしれないけど」
「以前から彼はそうだったの?」
「うん、学園に入る前から、わたしに暴力を振るうときも必ず一人じゃなかった。人心掌握に長けてるって言うのかな」
「寂しがりだったのかもしれないわ」
「その表現は気持ち悪い」
「でも実際、彼のドールにはそういう武装が多かったじゃない?」
「それはヘスティアの神話がそうだったから……いや、そっか、アニマは操者との相性で選ばれるから……」
無数の炎の鳥を操り、炎の巨人を作り出す武装。
一人ではなく、常に複数人で相手と対峙する、ある意味での臆病さ。
それこそが、ザッシュの根底にある“本性”だった。
「ひょっとしてザッシュは、ヘスティアに“母性”みたいなものも期待してたのかもね」
「う……勘弁してよ」
「あはは。でもさ、ヘスティアって情に厚いっていうか、お人好しなのに、なんであのときあっさりザッシュを切り捨てたの?」
「私だって元は人間よ、愛想が尽きることぐらいあるわ。いくら母性が恋しかったからって、誰かに暴力を振るって、授業はサボって、試験では不正をして、毎晩のように違う女の子をたぶらかして……そんなの見せられたら嫌になるに決まってるじゃない」
ロクス・アモエヌスでプリムラに興味を示していたように、ザッシュはとにかく女癖が悪かった。
おそらくそれが、ヘスティアに見捨てられた最大の要因だと思われる。
「だけど逆に、あなたは一人になると優等生すぎて困るわ。さっきもそうだけど、誰かの前だと平気で残酷になれるくせに。もう少し遊んだほうがいいんじゃないかしら」
「これでも今は遊んでるつもりだけど」
「えっ……どこが、どう遊んでるの?」
「こうしてヘスティアとお話して、ケーキを食べてる。前はそういうことぜんぜんできなかったから」
甘いものを食べて喜ぶ。
誰かと接する。
お話して、笑う。
そんな当たり前は、当たり前だからこそプリムラに与えられなかった。
その権利を彼女から奪うことに、誰一人として疑問は抱かなかった。
「ねえプリムラ……私ね、前から思ってたんだけど……本当に、誰も味方はいなかったの?」
「いなかったよ」
「でも、普通はそういう状況だからこそ声をあげる人間って存在するものじゃない?」
「全然。打算をもって近づいてくる人すらいなかった。だってここは“閉じた空間”だから。まあ、もしかしたら“声をあげたい”と思った人は一人ぐらいいたかもしれないけど」
「コロニー特有の、ってことなのね……」
「一種のタブーみたいになっちゃってたんだと思う」
外部からの圧力があれば変化も期待できたかもしれないが、コロニーは全てがコロニーだけで完結している。
つまり、コロニー内で居場所を失えば、世界のどこにも居場所がなくなったも同然なのだ。
プリムラはそういう存在だった。
だから誰もが、プリムラのようになりたくないと怯え、忌避されたのである。
「そういうわけで、こうやってヘスティアと話してるだけでも、わたしは全力で楽しんでるからさ。優等生って認識は間違いだと思うよ」
「……健全すぎるのよ、そういうところが」
ヘスティアのほっぺがぽっと赤くなる。
その初々しい反応を見て、プリムラも少し恥ずかしそうに笑った。
穏やかにすぎていく時間。
それを断ち切ったのは、プリムラの頭に響いた、メッセージの着信を示す音声だった。
「あ、メッセージ来た」
「ボタンっていう先生からの返信?」
「だと思うけど」
ヘスティアにも見えるよう、メッセージボックスをテーブルの上に投写する。
新着は一件。
差出人は――アヤメ・シフォーディだ。
「……お母さんからの、メッセージ?」
「ど、どういうこと?」
「たぶんいたずらだと思う。差出人の偽装ぐらいなら、多少ネットワークに詳しい人ならできるって聞いたことがあるから」
「じゃあ、開かないの?」
メッセージのタイトルは『大好きなプリムラへ』。
嫌な予感しかしない。
おそらく開いたっていいことなど一つもない。
ウイルスが添付されている危険性はなさそうだが、見ずに済むのならそうしたかった。
だが――セイカから聞いた、『アヤメ・シフォーディの目撃情報』。
あれを聞いてしまった今、無視してメッセージを廃棄するわけにはいかないだろう。
プリムラは指で触れ、中身を開く。
表示された文章は一行だけだ。
『私は今でもあなたを愛しているわ』
そして一緒に、画像が添付されている。
それは薄暗い写真だった。
「こんなのって……」
ヘスティアは嘆く。
プリムラは歯を食いしばり、拳を握る。
怒りか、悲しみか、戸惑いか――自分でもわからなかった。
ただ、それが罠だとしても、嫌がらせだとしても、冷静ではいられなかったのだ。
「……悪趣味が過ぎるって」
写っているのは――刃物を手にした血まみれの母と、ついさっき因縁をつけてきたあの、二年生男子の切り取られた頭部だったのだから。