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1/44

001 罪人の生きる場所

2話まで文字数多めです。

 



「お前みたいなやつを、敗北者って言うんだろうな」


 怯え、座り込んだ黒髪の少女に向けて、巨大な鎧は男性の声でそう告げた。

 鎧は腕を伸ばし、彼女に近づける。

 ただでさえ恐怖に歪んでいた表情が、さらに引きつった。


「ひ……い……ぃ……」


 観客席に囲まれた広い空間に、か細い悲鳴が小さく響く。

 少女に抵抗の術は無い。

 眼前に迫る鎧――すなわち人形(ドール)と似たものがその背後にあったが、彼女にはそれが動かせないからだ。

 動かせないからこそ、こんな状況に追い込まれている。


「なあプリムラ、なんで抵抗しないんだ? ここで俺に勝てなきゃ、お前は終わりなんだぞ? この学園から……いや、コロニーからも追い出されて、化物に喰われちまうんだぞ?」


 灰色のドールから再び声が響く。

 搭乗者の男――ザッシュが発したものだった。

 コクピットに腰掛ける彼の表情は、恐怖する少女を前にして愉悦に歪み、興奮からか目が若干血走っていた。


「わ……わたしは……」

「そうやって都合の悪い現実から目を背けて生きてきたんだろ? だから負けちまったんだよ。俺にじゃねえ、人生そのもの(・・・・・・)にな」

「そんなこと……ない。わ、わたしだって、一生懸命……っ!」

「はっはははは! 懸命のボーダーラインが低すぎだろ! そうやって自己弁護と甘えを繰り返したから、今のみじめで負け犬なお前ができあがったんじゃねえか! ま、俺としては、ずっとこうしたかったから構いやしねえ」

「あ……あぁ……っ、やめ……っ!」


 ドールの指先が、プリムラの左腕をやさしくつまむ。

 折れないよう、壊れないよう、大事に、大事に。

 今からなにが起きるのか――少女の脳裏をよぎる嫌な想像。

 首を振ると、冷や汗に濡れた額に黒い髪が張り付いた。


「わたしは……違う、こんなことされるような……っ」

「こんなことされるようなことはしてない、ってか? はははっ、あはははははっ! してんだろ、十分! なあ、わかってんだろお前も!?」

「違う、違うのぉっ! あれはわたしじゃ……わだ、あぐっ!?」


 ドールが軽く放り投げると、プリムラは数メートル吹き飛ばされ、地面を転がった。


「痛い……痛いよぉ……っ」


 彼女は涙を浮かべながら、腕を押さえうずくまった。

 掴まれていた部分は、痛々しく赤くなっている。

 じきに腫れ上がるだろう。


「……あー、どうもお前、勘違いしてるらしいな」


 心底呆れた、と言った様子でザッシュは言った。


「へ……?」


 目を見開き、きょとんとするプリムラ。

 “生身で巨大兵器と戦わされる”――こんな結果が見えきった罰ゲームを課せられたのは、てっきり自分の背負った罪のせいだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。

 いや、もちろんそれも理由の一つなのだろうが、本命は違う。


「違うんだよ。別に事件(・・)のことなんてどうでもいい。このコロニーで生産できる食料の量は決まってる。つまり、生きられる人間の数は決まってんだ。だから一切の無駄は許されない、誰もがきっちり自分の役目を果たさなくてはならない。そうじゃなきゃ、生きる価値なんてねぇ」


 ザッシュの言っていることは極論ではあるが、事実だ。

 透明の障壁に囲まれた都市“コロニー”。

 こんな箱庭のような場所に人間たちが引きこもっているのは、外には人では太刀打ちできない“巨大なモンスター”が歩き回っているからだ。

 だから外に出て、漁や農耕、畜産を行うことはできない。

 AIに管理された生産プラントで作り出されるものが、このコロニーにおける食料の大半を占めている。


「だがお前はどうだ? 親の七光りだかなんだか知らねえが、この学園(アスタリフト)に“戦士”として入学しておきながら、戦うどころかドールを操縦することすらできやしねえ! そんな役立たずに分けてやる食料なんざねえんだよッ!」

「そ、それは……あの、だったら、この学園を出て働くからっ! 働いて、役に立つからぁっ!」

「……はっ、笑わせんなよ」


 ドールの指が再びプリムラに伸びる。

 そしてまた腕をつまむと、今度は持ち上げる。

 足が地面から離れると、彼女の左腕には全体重がかかることになった。


「いや……やだっ、嫌なのっ! 離して、お願いだからぁっ!」

「てめーの“お願い”を聞く必要がどこにある! あぁ!? 役立たずの穀潰しのくせに喚いてんじゃねえぞ!」

「あっ、ああぁっ、やだぁっ、やだあぁぁっ! ぎっ、ああぁぁあああ!」


 指先を軽く揺らしただけで、プリムラの体は大きく左右に振れる。

 すると、その重みも全て左腕にかかるのだ。

 それは彼女の細い腕で耐えられるものではない。

 ゴキッ、ゴリュッ――本来、体の内側から鳴るはずのない音とともに、壮絶な痛みが少女を襲った。


「あああぁぁあっ! あがっ、があっ、かひゅっ、ひいいぃ!」

「お前が一番役に立つ方法はなぁ、働くことじゃねえんだよ! なあ、なんだかわかるか? ちゃんと答えろよ。3、2、1――はいざんねーん」

「かひっ、ひぐっ、いひゃぅ、ちぎれ……れっ、あああぁぁあっ!」


 プリムラの左腕は、前腕の中央あたりから、ぐにゃぐにゃと曲がっている。

 すでに骨は折れ、筋肉は断裂し――腕そのものが断裂するのは時間の問題だった。

 あまりの痛みに彼女の目は上を向き、口の端からは泡混じりの唾液が流れる。

 水分も食料も与えられていないためか粗相はしなかったものの、腕から流れる血が学園の制服を汚した。


「答え合わせだ。簡単な計算だよなぁ? 食料の上限が決まってるってんなら、お前が死ねば全員が少しだけ幸せになれる」

「わ、わらひっ、はぁっ……!」

「それが、役立たずのお前が一番役に立つ方法なんだよぉ!」


 つまみあげた少女に、ドールの頭部が近づく。

 頭部だけでも、人ほどの大きさがあるのだ。

 その迫力に、プリムラが体を震わせるのも仕方のないことだった。

 そしてザッシュは言う。


「だからみんなのために死んでくれよ、プリムラ」


 声を聞く限りは悲しそうに、寂しそうに、諭すように。

 しかしプリムラにはわかる。

 彼が本当は、自分を嘲笑しているのだということを。

 だがもう慣れっこだ。

 悔しいとか、抵抗してやろうとか、そんな気持ちはわいてこない。

 ただただ、この痛みと苦しみから逃れたくて、正直な気持ちを言葉にするので精一杯だった。


「じにだぐ……ない……っ」


 ――たとえそれが、ザッシュの神経を逆撫でする言葉だとわかっていても。


「……そうかい」


 彼の口元に笑みが浮かんだ。

 ドールの動きは操者と連動する。

 とはいえ、その思考から手足の動きをトレースするぐらいのものだが――しかしプリムラには、目の前にいるドールが、醜く笑っているように思えた。


「自分の役立たずっぷりを鑑みずに、これまでどんだけの人に迷惑をかけてきたかも考えずに、恥知らずにも“死にたくない”とか言っちまうやつはさぁ――」


 ザッシュは興奮気味に、早口にまくしたてる。


「せめてさんざん(なぶ)った上で殺してやらねえと、“被害者”たちが報われないってもんだろうが!」


 ドールの指に力がこもる。


「は、が……っ!?」


 ブチュッ――と、左腕からなにかが潰れる感覚がした。

 痛みはない。

 たぶん、“まだ”なだけで、じきに来るのだろうが。

 しかしそれより先に、プリムラの体は地面に落ちた。

 そして上から落ちてくる、ドールの大きな足。

 少女の小さな体をすりつぶすには十分過ぎる大きさではあるが、だが狙いはそれではない。

 足だ。

 まずは足だけを破壊して逃げられないようにして、そのあとでじわじわと他の部位を破壊するつもりなのだ。

 まるで子供が無邪気に、昆虫の手足をもいで捨てるように――


『そこまでっ!』


 監視役の教師の声が響き渡る。


「チッ……」


 ザッシュは舌打ちしながらも、踏み潰そうとした足を引いた。

 どさくさに紛れて殺させてくれると思ったのだが、学園もそこまでプリムラのことを見捨てていなかったようだ。

 すぐに救護班が少女を担架の上に載せ、闘技場の外へと運び出す。


「あっ、ああぁぁぁあああっ! 痛いっ、いだいっ、ひっ、ひぎっ……ぐ、ああぁっ……!」


 遠ざかっていく苦悶の声。

 ドールの胸元が開くと、中から金髪の少年が現れた。

 年齢は十代半ばと言ったところで、おそらくプリムラと同世代だと思われる。

 彼はコクピットから飛び降り、近くに立つ眼鏡をかけた教師を睨みつけた。


「クリフ先生よぉ。どうせ殺すなら、俺にやらせてくれればよかったのに」

「生徒を人殺しにはできんさ」

「でも人殺し(・・・)を生徒にはするんだろ?」

「……ふ」


 “うまい返し”だと思ったのだろうか。

 クリフは思わず、口角をひくつかせ鼻を鳴らした。


「それも彼女の父親の功績があったからだし、今日限りで終わりだよ」


 クリフは眼鏡をくいっと持ち上げ位置を調整すると、担架で運ばれていくプリムラを眺めた。


「治療すんのか?」


 普通、この学園(アスタリフト)で怪我をした学生は医務室に連れて行かれる。

 だがザッシュの問いに、クリフは首を横に振った。


「まさか。外部訓練のついで(・・・)で輸送機に載せられることになっている」

「外部訓練っつーと……俺も参加することになってるあれか? ってことは要するに――」


 ザッシュはにたりと笑う。

 釣られるように、クリフの口元にも笑みが浮かんだ。


「ああ、捨てられるんだよ。身一つで、あんなか弱い少女が、地獄にね」

「そりゃ殺すのと一緒だと思うがな」

「違うよ、彼女は勝手に死ぬんだ。学園は一切関係ない」

「はは、なるほどな。大人って怖いよなあ」

「まったくだね」


 そして今度は、二人して声を出して笑った。

 仲のいい教師と生徒の微笑ましい風景――会話さえ聞かなければそう思えるほど、彼らの表情から罪の意識は見て取れなかった。




 ◇◇◇




 ――今でもプリムラは、毎日のようにあのときの夢を見る。


 それは彼女が十二歳で、まだ普通の子供だった頃の話だ。

 初等学校からの帰り、かばんを背負って足取り軽く家路を急ぐ。

 家に帰れば、大好きな父と母、そして兄が待っている。

 そう、今日はいつも忙しくしている父と兄が、珍しく早く帰ってこれる日なのだ。

 さらに、叔父の一家と一緒に、夕飯を食べに行く約束もしていた。

 きっと楽しい夜になるに違いない。


 プリムラの父と兄は、ドール乗り――つまり“操者”だ。

 いつも、コロニーの中で暮らす人たちのために、ドールに乗って化物と戦っている。

 父や兄に限らず、彼女の家系は、これまで何人ものドール乗りを排出してきた、エリートの血筋だった。


 十二歳の時点で、すでにプリムラが高い操者適性を持っていることはわかっている。

 中等学校を卒業し、十五歳になって、養成機関アフタリフト――通称“学園”を卒業し、立派な操者になる。

 それが彼女の人生で、誰もがそうなると信じて疑わなかった。


 その瞬間までは。


 プリムラは家にたどり着く前に、違和感を覚えた。

 やけに周辺がざわついているのだ。

 人の数も多い。

 元から人通りの多い場所ではあるが、それにしたって普通じゃない。

 家に近づくにつれて密度はさらに増していって、前に進むことすら困難になった。

 小さいプリムラには、人混みの向こうでなにが起きているかは見えない。

 わかることと言えば、嗅ぎ慣れない、不快な臭いが漂っていることぐらい。

 でもその原因が自分の家にあるとしたら、大変なことだ。

 彼女は『ごめんなさい』、『通してください』と言いながら、こじ開けるようにして前に進んだ。

 そして、人混みを抜けて視界が開けると――


 そこには、惨劇があった。


 赤と、人が倒れている。

 赤と、五人が。

 うち一人は――プリムラの母だった。

 彼女の手には刃物が握られており、首からは大量の赤が。

 赤。

 それが血であることは、幼いプリムラにだってすぐにわかった。

 目の前の景色とは対照的に、彼女は血の気がさーっと引いていくのを感じていた。

 なにが起きたのか――おそらくこの場にいる人たちにだってわからない。

 だから、こんなにもざわついているのだ。

 はっきりしているのは、唯一凶器を握っているのが母親で、その刃が自身の血で濡れていることから、彼女の死因は自殺だろう――ということだけ。

 そして、刃物が一つしかないということは、犯人も母である可能性が高い。

 信じられない。

 母がこんなことになったのもそうだし、家の中には操者である父や兄もいたはずなのに――と、止める野次馬を振り切って、プリムラは家の中に駆け込んだ。

 そこにも、惨劇は転がっていた。

 死体は四体。

 一緒に夕食を食べると約束していた親戚夫婦と、父と、兄だった。

 全員が鋭利な刃物で切りつけられており、凶器が母の持っていた刃物であることは、想像に難くなかった。

 苦しそうに、悲しそうに、みんな死んでいた。


 わからない。

 なにもかもが、突然すぎて、幼いプリムラには理解不能である。

 だが理解を拒んでも、現実は変わらないのだ。

 母が死んだ。

 父が死んだ。

 兄が死んだ。

 叔父夫婦が死んだ。

 関係のない人が死んだ。

 それが意味するところは――喪失。


 その日、プリムラは全てを失った。




 ◇◇◇




「……はっ!?」


 寝かされていたプリムラは、勢いよく起き上がった。


「は、はぁ……はぁ……はぁ……っく……はぁ……」


 荒い呼吸を繰り返し、額に浮かんだ汗を拭うように、顔を手のひらで覆う。


「はぁ……また……あの夢……見てたんだ……」


 悪夢はあの日に始まって、そして今も終わっていない。

 大好きだった家族も、仲の良かった親戚も、友達も、お金も、地位も、名誉も――全てを失ったプリムラは、“人殺しの娘”として虐げられた。

 保護者を失った彼女は遠い親戚に預けられたが、当然それを彼らが歓迎するはずもない。

 離れにあるぼろ小屋を部屋として与えられ、食事もまともに与えられない毎日。

 学校にいっても、待っていたのは罵倒の嵐と、繰り返されるいじめ。

 それでも耐えた。

 気弱な彼女だが、それでも希望はまだ残っていたからだ。

 父から受け継いだ、操者としての才能――それさえあれば、まだできることはある。


 そして十五歳になった。

 高い適性を持ち、それなりに勉強も出来たプリムラは、学園に入学。

 入学した時点で、見習いとはいえ操者扱いになるため、一定額の給料が支払われるようになる。

 また、寮に入れば、親戚に頼らずとも生きていくことができた。

 そこで操者としての教育を受け、過去を乗り越え、完全に独り立ちするはず――だったのだ。


「あの日から今日まで、全部……夢だったらいいのに……」


 現実はそう甘くなかった。

 高い適性を持つはずのプリムラは、なぜかドールを操縦できない。

 下手とか、弱いとか、そんな話ではないのだ。

 まったく動かない――そんなことは前代未聞で、教師たちも驚いていた。

 そして、才能すら失った人殺しの娘がどうなるか……想像するのはたやすい。


「う、ぐ……」


 プリムラは腕を押さえ、顔をしかめる。

 ザッシュに潰された左腕は、全く言うことを聞かない、ただ苦痛を感じるだけの器官と化していた。

 簡単な処置は施されているものの、十分とは言えない。


「ここは、どこ? 学園の医務室じゃなさそうだけど……」


 むき出しの金属で囲まれた、無骨な部屋だ。

 内装らしい内装も施されておらず、置かれているのはプリムラが寝かされていた薄い布切れ一枚。

 手がかりと言えば、規則的にゴウン、ゴウンという音が鳴っていることぐらいだろうか。


「う、く……ぁ……頭、ガンガンする……」


 壁づたいに立ち上がったが、足元がおぼつかない。

 左手のダメージは大きく、その痛みは全身に影響を与えていた。

 よろよろと、力なく歩くプリムラは、ようやく出入り口である扉の前にたどり着く。

 予感はしていたが、扉は開かなかった。

 続けて、叩きながら声をあげる。


「誰かぁ、誰かいませんかぁ?」


 あまり大きな声ではなかったが、廊下まで届いてはいるようだ。


「目を覚ましたのか」


 扉ごしに、男の声が聞こえてきた。

 お腹の底に響くような低く無骨な声に気圧されながらも、おどおどとプリムラは尋ねる。


「あの、ここは……」

「じきに目的地に到着する。それまで大人しくしておけ」

「えと、ですから、ここは……」


 彼女の問いに、男は一切答えない。

 それどころか、言葉には『余計なことを聞くな、人殺しの娘が』という不快感すら込められているような気がした。

 悪意に満ちた世界で生きてきたからか、そういった意思には敏感なのだ。

 だから、これ以上繰り返し聞いても無駄だと思ったし、聞く勇気も無かった。

 へたり込むように床に座ると、言われた通り大人しく待ち続ける。

 座っているだけでも、やはり腕は痛いし、自然と呼吸も荒くなる。

 どれだけ深呼吸を繰り返しても左腕の痛みは消えそうにない。

 なにか他のもので気を紛らわせたかったが、布以外なにもない。

 仕方ないので、右手で布を精一杯掴んで、痛みに耐えることにした。


 それから二十分後、扉が開いた。

 さらに体調は悪化し、プリムラの顔は蒼白になっている。

 それでも男のなりを見て彼が兵士だと気づくと、座ったままというわけにもいかなくなった。

 よろめきながらも、壁を使って立ち上がる。

 兵士は操者と異なり、ドールではなく、現代の技術のみで作られた兵器を操る軍の一員だ。

 基本的に操者のほうが地位は上だが、それも学園を卒業したあとの話である。


「ここ……飛行機の中なんですか?」


 彼の姿を見て、そう判断したプリムラだったが、兵士は無言だ。

 表情からも、やはり嫌悪感が見て取れる。


「ついてこい」


 兵士はそれだけ言うと、部屋を出る。

 まだ体が言うことをきかないプリムラだったが、必死にその背中を追いかけた。

 狭い通路を何度も曲がり、たどりついたのは、格納庫らしき場所だ。

 形の異なる何体ものドールが並ぶ中、その一番端っこに、プリムラのドールも置かれていた。

 真っ白で、武装もなにも無い、通称“空白人形(ブランクドール)”。

 ぼーっと、そののっぺりとした顔を見上げていると、ふいに外への出口――ハッチが開く。

 格納庫に備え付けられた大きなアームが動き、プリムラのブランクドールを持ち上げ、外に投げ出した。

 ズウゥン――と砂埃を巻き上げながら、荒野の大地に転がる巨体。


「あっ! ど、どうしてわたしのドールを……」

「降りろ」


 兵士は簡潔にそう言った。


「いや、そんなことしたら、わたし……死んじゃう……」


 外はなにもない荒野。

 しかも、人を喰らう“化物”たちが生息する、終わった世界である。

 そんな場所に少女ひとりを置き去りにする――それが意味するところは、死以外に無い。


「降りろと言っている」


 命乞いしても、兵士の表情は変わらない。

 だが、死ねと言われて簡単に死ねる人間などそういない。

 プリムラのように、未練と後悔に満ちた人生を送ってきた人間ならなおさらだ。


「チッ」


 その場から動こうとしないプリムラを見て、兵士は舌打ちをした。

 むき出しの悪意に、彼女の肩が震える。

 そんな二人のもとに、また別の誰かが近づいてくる。

 金属の床を叩く足音が響き、彼女たちの視線はそちらを向いた。

 ピンと伸びた背筋に、切れ長の瞳、そして肩のあたりで切りそろえられた、冷たい蒼の髪――それはプリムラのよく知る少女であった。


「軍の方が降りろと言っているんだ。従わなくてどうする、プリムラ・シフォーディ」


 凛とした声が、格納庫に響き渡る。


「アリウムちゃん……?」


 アリウム・ルビーローズ。

 引き締まった体と切れ長の目のせいかプリムラよりも大人びて見えるが、年齢は同じ十六歳だ。

 学園の出身で、非常に優秀な、将来を期待された操者だった。

 そして、プリムラとは従姉妹(いとこ)でもある。


「ど、どうしてここにアリウムちゃんがいるの!?」

「当然だろう、これは外部訓練の参加者が搭乗する戦艦だからな。お前はついで(・・・)で載せられたんだ」

「ついでって……」

「コロニーから追放するためにな」


 改めて親しい相手から宣告され、プリムラは絶望に目を見開いた。


「ザッシュが言ってたのは、ただの脅しじゃなかったの?」


 腕を潰された時点で、冗談ではない可能性も考えた。

 だが、目を覚ましたら、潰れた肉はある程度まで戻っていて、骨まではまだ接合していないものの、“自分を殺すつもりはない”と思わせるに十分な処置は施されていたのだ。

 だからもしかしたら、操者以外の生きる道を見つけて、このままコロニーで生活できるかもしれない――そう思っていたのだが、甘かったようだ。

 プリムラは知る由もないが、腕の治療は、見るに見かねた救護班の人間が、指示を無視して独断で治療しただけである。

 役立たずのプリムラ・シフォーディを、コロニーから追放する。

 それはもはや、覆りようのない決定事項であった。


「で、でもわたし一人いなくなったところで、食料状況が急によくなるわけなんてないよ!」

「食料? なんの話をしているんだ、相変わらず脳天気だな」

「だってザッシュはそう言って……」

「残酷な真実を知らせないための、あいつなりの優しさだろうな。今までお前のやってきた所業を考えれば、これは当然の結果だろう」

「わたしは……わたしは、なにもしてないよっ!」

「笑わせるな人殺しがッ!」


 激しい怒りが、場の空気を震わす。

 その迫力にプリムラは怯えて縮こまり、近くにいた兵士まで後ずさった。

 だが、その激情には、納得できる理由がある。

 アリウムは、プリムラの従姉妹だ。

 家も近かった二人は、幼い頃から姉妹のように育ってきた。

 いつでも一緒で、いつまでも一緒だと信じていた。

 ――あの日までは。

 プリムラの家族とともに死んでいたのは、彼女の叔父夫婦。

 つまりは、アリウムの両親だったのだ。


「それはわたしじゃないよ……わたしに、責任が無いとは言わないけど」

「無いとは言わない? あるだろう、大いにな」


 アリウムは半分笑いながら言った。

 別に面白かったわけじゃない。

 こみ上げてきた怒りがあまりに強すぎて、笑うしかなくなってしまったのだ。


「そりゃあ、わたしは人殺しの娘かもしれないけど……でも、わたしは人殺しじゃない……」

「人殺しだ」

「っ……なんで、アリウムちゃんがそんなこと言うの? あの日、わたしの家族だって死んだんだよ? アリウムちゃんも辛かったかもしれないよ、でも……わたしだって……」

「茶番はやめろ、プリムラ」

「だから、なんでそんなこと言うのっ!?」


 周囲の扱いがどうであろうと、あの事件に関して、プリムラは完全な“被害者”だ。

 それでも、降りかかる数多の理不尽を『仕方ない』と飲み込んできたが、今日ばかりはそうもいかない。

 珍しく感情的に声を上げる彼女に対し、しかしアリウムは変わらぬ表情で告げた。


「プリムラ、お前がアヤメ・シフォーディの殺人を幇助した証拠が出てきた」

「え? わたしが、お母さん、の……?」


 息を呑むプリムラ。

 ありえない話だ。

 彼女が殺害現場に到着したのは、初等学校が終わったあと。

 直前までは、当時仲の良かったアリウムも一緒にいて、アリバイは明らかだからだ。

 いや、“見つかった証拠”とやらは、アヤメを前もって手伝っていたとかそういう類のものかもしれないが――当時のプリムラはまだ十二歳だ、荒唐無稽にもほどがある。


「そんなの嘘だっ! そんなわけないっ! 絶対にありえないよ!」


 だが憎しみのあまり冷静さを失ったアリウムには届かない。


「お前はあのとき、何度も私に謝ったよな。頭を下げて、声を震わせて、『ごめんなさい、ごめんなさい』と」

「だって……だってわたしにはそれぐらいしか……」


 プリムラ自身もショックだった。

 大好きな家族を全員失って、いきなり殺人犯の娘として虐げられるようになったのだから。

 しかし、それでも彼女は、突然両親を亡くし、呆然自失となったアリウムに声をかけ続けた。

 自分の悲しみを紛らわす目的もあったのかもしれないが、従姉妹(いとこ)であり、大事な親友でもあった彼女に謝罪し、励ましたのだ。


「あれも嘘だったんだな」

「違うよ……」


 目に涙を浮かべ、首を振って否定する。

 だがやはり、届かない。


「ははは、やられたよ。少しでも同情した私が馬鹿だった」

「違う、違うっ、そんなわけないっ! わたしは少しでもアリウムちゃんの力になれればって!」

「黙れ」

「アリウムちゃぁんっ!」

「黙れ、黙れ、黙れぇっ! 気持ち悪い声で私を呼ぶなッ! 私から全てを奪っておいて、なんなんだその善人面は! 反吐が出るッ!」

「アリウムちゃん……」


 ぼろぼろと流れる涙も、今はアリウムの怒りの炎に油を注ぐだけだ。

 向けられる憎悪。


「違う……違うよぉ……そんなの、ありえない……なにかの冗談だよぉ……」

「この期に及んで演技を続けるのか。涙まででっちあげるとは、恐れ入ったよ」

「そんな……ひどいよ……」

「殺人鬼には敵わないさ」


 冷たい。

 ただただ、冷たくて、痛い。

 そこに、かつてのような親愛の情は、微塵も存在しない。

 プリムラは悟った。

 もう、諦めるしかないのだと。


「……っ、う……く……わかっ、た……わかった……よ」


 泣きながら、力の入らない腕を右手で押さえ、歩きだすプリムラ。


(もう……聞きたくない。これ以上、アリウムちゃんとの思い出を壊したくない……)


 ゆっくりと、開いたハッチから外に出るプリムラ。

 そのまま、横たわるブランクドールの前まで移動し、最後に一度だけ振り向く。

 期待があったのかもしれない。

 せめて、別れを惜しんでくれるのではないかと。

 だが、アリウムも兵士も、すでにそこにいなかった。


「……じゃあね、アリウムちゃん」


 一応、言っておく。

 もちろん返事はない。

 それから数秒遅れてハッチが閉じ、戦艦は浮上する。


「くぅっ……!」


 当然、ドールを数十体も運搬できるサイズの艦が浮き上がれば、衝撃波が発生する。

 近くにいたプリムラは吹き飛ばされ、なにもない荒野の、硬い地面に叩きつけられた。


「う……ぐ……」


 同じくブランクドールも、風にあおられ何回転かしたようだ。

 プリムラ同様、無様な格好で倒れていた。

 片手でどうにか立ち上がった彼女は、よろめきながらもドールに近づく。

 真っ白な装甲は、すでに砂で汚れていた。


「はは……わたしたち、似た者同士だね」


 こつんと額を当てると、冷たい感触が伝わってくる。

 みじめで、無力で、空っぽで――傷の舐めあいどころか、相乗効果で余計に辛くなってきた。

 しかし、語りかけたところで無駄だ。

 プリムラのドールには、“中身”が無いのだから。


「あはは……はは……ははははっ……」


 プリムラは泣きながら、乾いた笑いを響かせた。

 なにもない荒野でひとり、わかりきった死に絶望して。


「はは……は……あぁ。死にたく、ないな……」


 結果はわかりきっている。

 あがいたって辛くなるだけだ。

 でも、こんなどうしようもないどん底で、わけもわからず這いずったまま、死にたくはないと思った。

 プリムラはドールの胸部付近まで移動すると、そこにあった小さなボタンを押した。

 そして現れたレバーを、力いっぱい右腕で引く。

 するとガコンッ、と操縦席を保護していたカバーが浮き上がった。

 あとは隙間に指を入れて力いっぱい動かせば、手動でもハッチの開閉は可能だ。


「よい……しょっ」


 横倒しになっているとはいえ、それでもドールはプリムラの身長よりも大きい。

 その上、片腕しか使えないとあっては、操縦席によじ登るのも一苦労だった。

 暗い内部で腰掛けると、「はぁ」と一息つく。


「当然、いきなり動くなんてことはないけど……雨をしのいだり、寝泊まりするぐらいには使えそうかな」


 となれば、当面の問題は食料と水になるだろう。

 学園でサバイバル技術を学べていれば、生存確率も上がったかもしれないが、あいにくプリムラの実力では、そんなことまでは教えてもらえなかった。

 操縦席内で目を閉じる彼女は、読み漁った書物の中に、参考になる情報が混ざっていなかったか必死で思い出そうとしている。

 そのときだった。


「ぉぉぉぉおおお――」


 遠くから、雄叫びのような音が聞こえてきた。

 最初は風が鳴っているのかと思ったが、すぐに別物だと理解する。

 操縦席から半分だけ顔を出し、外の様子をうかがう。


「来ちゃった……か」


 戦艦の離陸時、あれだけ大きな音が鳴ったのだ。

 釣られて来る可能性を、考慮しなかったわけじゃない。


「は……ははは……そっか、あれが……」


 まだ遠い。

 だが、遮蔽物のほとんどない荒野だ。

 しかも今は空気が澄んでいるらしく、はっきりと見えてしまっていた。


「あんな、おぞましいものが……」


 落ちこぼれであるプリムラは、外部訓練に参加したことがない。

 だからその“化物”を実際に見るのは初めてだった。


「人類の敵で」


 姿は、人間と同じ。

 顔は童顔で、胸の膨らみから見るに、性別は間違いなく女なのだろう。

 だが彼女は下半身が千切れて(・・・・・・・・)、臓物をずるずると引きずっていたし、そもそもサイズが異様に大きかった。

 十メートルを越す大きさのドール――それと同等以上である。

 そんな巨体を、腕の力だけで動かし、異様な速度でこちらに接近している。

 巨人だろうか。

 否、この世界に存在する化物は、そういう類のものではない。


「今からわたしを殺す、フォークロア――」


 怪異具現体(フォークロア)、テケテケ。

 かつてこの世界にあった日本と呼ばれた国家。

 そこに存在した、都市伝説(・・・・)のひとつが具現化したもの。

 それが――プリムラに迫りつつある、脅威の正体だった。




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