第26話
「はぁ……」
そんな溜息を私、マートラス王妃セレーネが漏らしたのは薄暗い自室の中でのことだった。
その頭に浮かぶのは1人の少女、このマートラスに政略結婚の為送り込まれてきたリオールの王女、シリア。
彼女は可愛らしい、というよりも美人と称されるようなそんな凛とした容姿を持つまさに王女と称するに相応しい人間だった。
けれども私はその少女が見た目からは考えられないほど純粋で熱い恋心を彼女の騎士に抱いていることを知っている。
それは本当に見ているこちらの頬が緩んでしまうほど微笑ましいもので……
だからこそ、今私の心酷く重かった。
リオールの王女シリア。
彼女はその年齢に限っていえばかなり優れた政治の才を有しているだろう。
我が国の王子に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいなんて思うほどに。
だが、それはあくまでその歳にしてはという限定的な所で考えればに過ぎない。
何せ彼女は王女とはいえ、1人の少女でしかないのだ。
それも、恋した騎士にどう接すればいいか悩んでいるような、そんな普通の少女でしか。
そう、幾ら彼女がその歳では優秀な能力を有していたとしても、今まで死にかけるような目に遭わされ、その結果非凡な才を開花させた私や、ウルベールなどとは違う。
贔屓目に評価したところで、新人の文官として使えるか程度の能力しか有していないのだ。
それは決して悪いことなんかではない。
この歳でそれだけの能力を持っているのだとすれば将来は恐らくかなりの人物にはなるだろう。
けれども現時点の彼女は決して飛び抜けた能力を持っているわけではない。
なのにこのマートラス人間達は彼女に私達以上の能力を求めている。
国の上に立つ器でない、そう断言できるほど愚かでおかしい国王と王子。
彼らは権力を持たなければなんの被害も与えない存在だっただろう。
けれども権力という愚か者が握ってはならない力を手にしたことで誰の手にも抑えられない存在になっている。
そしてマートラスはシリアにその国王達の相手を押し付けているのだ。
たしかにリオールの王女であるシリアは一見国王に対抗できる存在に見えるかもしれない。
けれども他国にいる状態ならば、幾らリオールの国力が強大であったとしてもその力を十全に発揮することなど出来るわけがない。
いや、それどころかリオールとの連絡手段が封じ込められている今、リオールの力をシリアは使うことはできない。
しかも連絡手段を封じられても未だ動こうとしないリオールを見る限り、恐らくこれはマートラスの暴走ではない。
リオールも了承済みの連絡凍結なのだ。
つまり、シリアは現在リオールから孤立させられた状態なのだ。
そんな状態で国王と対等に渡り合える、そんなことがあり得るわけがない。
何せ国王は様々な理由があれど、それでも私とウルベールの手にも負えなかった存在なのだ。
そんな相手に幾ら王女といえども子供が対等に渡り合うなど、そんなことできるはずがない。
なのに現在、マートラスではシリアに協力しようとするものはほとんどいない。
唯一のウルベールからの協力も、殆ど一部的なものしか出来ていない。
それは明らかに異常で、けれどもシリアが独力でその困難を乗り越えたせいでほとんどの人間はその異常性に気づいていない。
ただ自身は何も考えようとせず、シリアに全てを背負わせたマートラスの人間は彼女がどれほどの重荷を背負っているのか、考えようともしない。
そんなことをマートラスの貴族はわからないのだ。
いや、考えようとさえしない。
それも王子がシリアの婚約者となれば国王がますます手をつけられない存在なると知りながらもなお、だ。
「本当に情けないわね……」
そして私は自分も彼女にそのことを強いている人間の1人であることをわかっていた。
私の頭にエリーナの言葉によって傷ついた顔を見せたシリアの顔が蘇る。
聞いた限りシリアはこの政略結婚に乗り気でマートラスに来たらしい。
けれどもこの顔を見て本当にそうだと思えるはずがなかった。
それにシリアがロミルに恋心抱いていることをあの子煩悩で有名なリオールの国王がわからないはずがない。
しかし彼女はこの国に来てあんな顔をしている。
それらは全て、シリアがロミルを諦めなければならないそんなことがリオールで起きたことを示していて。
それだけでもシリアには充分辛いことのはずなのに、さらに私達は彼女に重荷を背負わせていた。
それも何個も何個も。
それは大人である私達がただの少女に頼りきっているということに他ならず、だから私は彼女にいつか恩を返さなければならないだろう。
「……この政略結婚は有耶無耶にする、というところかしら」
だから私は静かにそう決意を決めた。
それは恐らくただの時間稼ぎでしかない。
今婚約を無くしたことにしてもシリアにはいつか、覚悟を決めなければならない時がやってくるだろう。
それにもしかしたら政略結婚を有耶無耶にしたことでマートラスでのシリアへの対応が明らかになり、またリオールとマートラスで戦争が始まるかもしれない。
「国なんか、どうでもいい」
ーーー けれどもそんなこと私には全てどうでもよかった。
国が滅ぶことになろうが、また、自分がどうなろうとも今の私にはどうでもよかった。
何故ならもう、私は数年前に自分の全てを失っているのだから。
「……シリア、貴女は幸せを掴みなさい」
そしてそんな言葉を呟きながらも、それが自分の本心でないことを私は知っていた。
ただ、私は未だ諦めきれていないだけだ。
全てを、いえ、唯一守りたいとそう思ったものを失い、だからこそ自分の代わりにシリアにそのかつての夢を果たしてもらおうと考えているだけだと。
「……私は本当に醜いわね」
そして部屋の中に、自嘲するようなそんな笑いが響き渡った……
投稿遅れてしまい申し訳ありません……
少し不定期気味ですが、次回は一週間以内に更新させていただく予定です!