★葛藤
「誠、ボールを持ちすぎるな」俺は攻めあぐねている誠に叫ぶ。
「そうは言っても」と、ドリブルを止められた誠が眼で訴えてくる。吉本先輩の徹底マークにパスを塞がれ、誠はなすすべなくボールを持ったまま。
そんな誠にヘルプに行こうとするが、同じスモールフォワードのポジションで争っている剣持先輩が立ちはだかる。クソ、邪魔しやがって。その執念のディフェンスの前に思ったように身動きできない。
バスケ部の二年 対 三年の紅白戦。
俺たちは三年の実力をまざまざと見せつけられていた。開始十分で、もう十五点差。差は縮まるどころか開くばかりだ。誠も二年のなかでは格別に上手いが、三年のレギュラー陣は軽々とその上をいく。
まずはキャプテンで一番を背負う吉本先輩だ。
吉本先輩は司令塔となるポイントガードというポジションにいるだけあって、キビキビと味方に指令を出していく。
吉本先輩はそもそも運動神経が並外れて優れているのに加えて、小学生の頃から培ってきた勝負勘でコートを支配する。誠のパスコースをことごとく塞いでこちらの攻撃の芽を潰し、攻撃に回れば恐ろしいほど嫌なところにパスを通す。隙あらば自分でも得点を重ねてくる。
さらには五番センターで副キャプテンである渕上先輩と、四番パワーフォワードの椎葉先輩。
渕上先輩はその長身を生かし、俺たちが必死にパスを繋いでこぎつけたシュートをことごとく弾き返す。十八歳で身長一八四㎝なんて、卑怯すぎる。攻撃は言わずもがな、身長が違いすぎて防ぎようがない。
そして渕上先輩が弾き返せないシュートも、ゴ―ル下にいる椎葉先輩が巧みなポジション取りと素早い動きで確実にリバウンドを取ってしまう。鉄壁の防御。それに攻撃もパワフルで、ゴール下でボールを持つと手がつけられない。まったく突破口が見つからない。
ここでついに、誠は吉本先輩にボールを奪われた。
吉本先輩がドリブルの勢いに乗ってコートを駆け上がる。速攻はさせまいと吉本先輩の背中を追いかける。しかし差が縮まらない。それでもこちらの自陣には二人が先回りして戻っていた。これなら止められる。
吉本先輩は一人で強引に、ゴール下へ切り込んでいく。二人がかりであたる。多勢に無勢、さすがに吉本先輩も攻め切れない。
そのときだ。三年の危険人物が、真ん中右のスリーポイントレーンの外で吉本先輩に呼びかける。
「吉本、こっちこっち〜」
二番シューティングガードの長友先輩だ。
吉本先輩が瞬時に声の方向にバックパスする。
まずい。俺は長友先輩に詰め寄る。先輩がシュート体勢に入る。俺はなんとか先輩のボールを弾くべく、走っている速度そのままに地面を蹴った。
だが高く放たれたボールは俺の手をかすめることなくリングへ向かっていく。俺は外れることを願いながら、虹のアーチのように美しく弧を描くボールを仰いだ。だが祈りは届かず、ボールはリングにそのまま吸い込まれてしまう。
「ナイッシュウ、長友先輩」「いいぞ」「なにやってんだよ」「まず一本。集中していこう」
さんざめく声援の傍らで、ひっそりと相手の得点板がめくられて三点分が上乗せになる。
「おい、二年。もうちょっと気合い入れろや」
椎葉先輩が発破をかけるように、敵である俺たちに檄を飛ばす。俺は唇から血が出るくらい強く噛みしめる。
今に見ていろと、急いでスローインから試合を再開しようとした。だが旗色は悪い。先輩たちは全員余裕しゃくしゃくで、俺以外の二年は先輩達の動きについていけずに戦意喪失気味。先輩たちにいいように振り回されて虫の息で、そしてこの点差。
二年チームは敗色濃厚だった。
早く試合が終わらないかなという諦念すら伝わってくる。まだ勝とうとしているのは、俺くらいのもんだ。やはり俺だけ頑張っても無理か。それでも一縷の望みに掛け、俺は思いっきりスローインに力を込めた。
★
「負けたな」
「ああ、完敗だ」
俺と誠は疲れた体にむち打って、コートにモップを掛けていく。あの紅白戦のあと、負けた二年チームはずいぶんと走り込みをさせられた。吉本先輩は「最後に勝負を左右するのは体力と精神力だ」を心情としており、俺たち部員を徹底的に走らせる。
「今日の練習、キツかったな」
顎にモップの柄をくっつけた誠が、ダラダラと愚痴をこぼす。そんな誠の相手はせずに、俺はモップの先端を見つめながら先ほどの試合内容を頭のなかで反芻していた。
今日の試合は結果的には三十点を超える大差で負けた。だが収穫もあった。俺のドリブルを止められることはほとんどなかったし、あの鉄壁の防御から十四点をもぎ取ることができた。こっちが押していた場面も、すくないながらにはあった。
それに誠も途中までは良い線いっていたし、三年もそこは褒めていた。それに……。
「なあ、透。聞いているのか」
「なんだよ」
現実に戻った俺の眼に飛び込んできたのは、自分が掛けているモップに絡まった無数の埃。そしてそれから誠が最近買い替えたとかで、えらく自慢してくるバッシュだ。それと対称的な俺のボロボロのバッシュ。
「なにか言ったか」
「聞いてなかったのかよ。お前は練習きつくねぇのって、聞いていたんだよ」
誠がこちらに同意を求める視線をくれる。俺に「きつい」って言って欲しいのが見え見えだ。そこで俺はさきほどの考えを改める。仲間同士で傷を舐めあうのを期待しているようじゃ、全然駄目だ。
「きつくねぇ。勝つために練習してんだから」
俺は顔に浮かんでくる汗をリストバンドでぬぐうこともせず、足を早める。
勝負は勝たなければ意味がない。
勝負は生物の本能だ。勝者は生き、弱者は死ぬ。それは高いところにある水が低いところに流れるように、至ってシンプルな原理だ。
勝負で勝つことに飢えている俺とは裏腹に、誠は敗北者じみた弱音だ。
「マジかよ。皆、毎日練習させられてさすがにしんどいって言ってんぞ」
「ここを乗り越えなきゃ、優勝には届かねぇよ」
「そりゃあ、そうかもしれねぇけど。皆が透みたいに強くねぇんだ」
誠はやりきれないように立ち止まる。
同期の奴らや後輩はそんな誠に気づきながらも、見て見ぬ振りをして通り過ぎた。最近は先輩に怒られないことに必死になるあまり、二年以下は息をひそめてビクビクしている。
補欠の三年たちがコートの脇のベンチを陣取って馬鹿笑いしながら、俺たちがさぼってないか監視しているからだ。そのなかには剣持の野郎の姿もある。
俺たち下級生は補欠組みが掃除を手伝わないのはおかしいと思いながらも、それを指摘できずに黙々と片付けていた。
自分たちが使ったコートの片付けを手伝わないなんて、しょうもない奴らだ。
俺は内心で馬鹿面の補欠組みに毒づく。部室では三年レギュラー陣が、今日撮影した紅白戦のビデオで熱心に研究しているというのに。
自分たちはただ下級生をいびってストレス発散する。馬鹿みたいって気づかないのか。勝負に負けてへらへらして、負けた理由を上手に並べて、傷をなめ合う。
「あいつらは特別だから」「持って生まれた能力の差だ」「俺たちは頑張ったよ。これも運命さ」
今の現状から抜けだそうと努力しない姿勢に、反吐が出そうになる。見ているこっちが恥ずかしい。雑念を振り払うように、俺は誠に言った。
「俺は強くない。ただ、強くなりたいと努力しているだけだ」
「努力して報われるならそれでいいよ。だけどどれだけ努力しても、報われないことだってある」
なんでお前まで、そんなことを言うんだよ。今日の誠はいやに突っかかってきた。誠は疲れている、ということにしておいた。普段はこんな弱音を言う奴じゃない。
「誠、弱音はやめようぜ。負け犬みたいにふてくされてどうするんだ。次の大会、負ければそこで先輩たちは引退だ。ここらで俺たちが気を引き締めて練習しないと」
俺の励ましが仇となったのか、誠の声が徐々に尖っていく。
「そんなこと、透に言われなくても分かってる。だからお前との自主練習を増やしたんだろう。俺だってちゃんとやってんだよ」
「ああ、そうだ。でもこんな雰囲気じゃあ、優勝なんて」
「おい、誠、透。コソコソ喋ってないでさっさと掃除しろ。これじゃあ、いつまで経っても帰れねぇじゃねぇか」
蚊の羽音よりも聞くに堪えない喚きが罵倒してきた。さぼっていた補欠組みの一人だ。
その声に二年以下は体を硬直させる。
そして自分が怒られたわけでないと悟ると、なにごともなかったように動き出してバッシュの音を響かせる。俺と透は無駄口を止めてモップ掛けに専念した。
タオルやドリンクボトルが置いてある体育館の壁まで走り、方向転換するのに合わせて、さりげなくコート脇を窺う。奴らはすでにこちらを見てはおらず、内輪で馬鹿笑いしていた。
「先輩、荒れてんな」
「後輩に不満をぶちまけるのが、いいはけ口なんだろうな。俺、我慢できねぇ」
「おい、透」
俺は奴らに、一言ガツンと言ってやろうと、補欠の奴らの方にモップを切り替えたそのとき、体育館入口のスチール扉が勢い良く開けられ、吉本先輩と渕上先輩が颯爽と現れる。
補欠の三年の奴らは突然のことに、ぽかんと馬鹿みたいに固まってしまう。
吉本先輩は補欠の奴らに向かって「なんでまだ片付けが終わっていないんだ。それにお前らはすいぶん楽しそうだな」と睨みつける。
烏合のように集まっていた三年は一様に俯き、蜘蛛の子を散らすように解散していく。吉本先輩はそれを見届けたあとでコートを見渡す。
だれかを探しているようだ。先輩は俺の顔を見つけると手招きする。
「透、部室に来い。これから次の試合に向けてミーティングだ」
「分かりました。今すぐ行きます」
俺が大声で返事すると、吉本先輩はしなやかに踵を返して体育館から出て行った。吉本先輩は準優勝を果たした去年から副キャプテンとして活躍しており、今年はキャプテンでありながら監督を務める、選手兼監督としてチームを牽引していた。
自分にどこまでも厳しい先輩の姿は、俺たち後輩の密かな憧れで、その身には威厳すらまとっていた。
一方、事態を苦笑まじりで眺めていた副キャプテンの渕上先輩は「ま、こんな感じだとは思っていたさ」と、半ば呆れながら吉本先輩のあとを追う。
俺は近くにいた一年にモップを託した。
「ちょっと行ってくる。誠、また後で」
「ほいよ。頑張って」
誠は俺のケツを叩いて激励してくれた。遅れまいとダッシュで部室へと急ぐ。そんな俺を、補欠の奴らは目の上の忌々《いまいま》しいたんこぶと言わんばかりに睨んできた。俺も負けじと睨み返す。
悔しいなら、真面目に練習して俺に勝ってみろよ。いつだって相手になるさ。
するとあっちが先に視線を外した。なんだよ、根性無し。
その肩透かしに、さらにイライラを募らせながら、憂鬱な体育館を後にした。