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☆五色の夢 2

 外灯が照らし出す二つ並んだ影を仲良く伸ばしながら、僕と透は全学年共通の駐輪場へと向かう。


 僕は比較的家が近いので、自転車通学は許されていない。それなのになんで駐輪場に向かっているかというと、透が駄々をこねたからだ。


 一人で駐輪場に行くのはさみしくて、死んでしまうだって。

 高校二年生の男子にさみしいなんて言われても、ちっとも嬉しくないよね。


 自転車置き場には、色とりどりのユニフォームや部活名が刻まれたジャージで溢れ返っていた。


 駐輪場の屋根に設置してあるセンサーライトが照らしだすそれらが、なんとなく派手で縄張りを主張しているように見えてしまうのは、僕が運動を苦手にしていることと関係しているのかな。


 大抵の部活が練習を終える時間なのか、いたるところで笑い声が起こり、ガチャガチャと自転車をいじくる音でいそがしい。


 透はだれかとすれ違うたびに「池永先輩、お疲れ様です」「透、またな」と、僕が知らない先輩や後輩から声を掛けられていた。


 そのたびに透は「帰って彼女とイチャイチャすんなよ」とか、「お疲れ様です」と変化を楽しんでいる。


 部活をしていない僕にとって、そこはなんとなく居心地の悪い世界だ。僕がこれまで関わってこなかった、部活で繋がる人との輪。


 そこで電柱に備え付けてあるスピーカーから、夜の八時を告げるチャイムが響いた。みんなそれを聞き、血相を変えてバタバタと慌てだす。


 このチャイムが鳴ってから五分後に校門は閉められてしまう。それを過ぎて校内に残っていると、先生たちに烈火のごとく怒られる。


「やべ、急ぐぞ。颯太」


 透はお兄さんの裕章ひろあきさんの名前が書かれた自分の自転車を探し当てると、後輪についていた鍵を早業で外してスタンドを蹴り上げる。


 スタンドは裕章さんの代から交換されていないのか、中途半端な位置までしか上がらず、赤茶色の錆が浮いていた。


「時間がない、二ケツしようぜ」


 透はサドルにまたがると、戸惑う僕に後ろの荷台に乗れと手で合図する。僕は小心者なのでオロオロするばかり。


「校内で二人乗りって禁止じゃなかったっけ」


 僕はいい子なのだ。そしていい子は、えてしてつまらない。


「怒られちゃうよ」


「いいから早く乗ってくれ。なんかあったら俺が責任取るから」


 急いでいるのか、透の声は荒い。それでも僕は迷って動けない。僕は透との友情と、先生にとがめられる危険性を天秤に掛けていた。でも天秤はぴったりつり合ったまま。だから僕は動けない。


 すると透は、僕から強引にカバンを奪って前のカゴに押し込み、宙ぶらりんな僕の手を引っ張る。


「颯太、早く乗れ」


 その声がほんのすこし、友情が掲げられたお皿を下へと傾けさせた。


 ええい、ままよ。


 僕は慣れない動作で荷台にまたがった。すると荷台の編み目にお尻が食い込んで、僕は痛さのあまり背筋を伸ばして涙眼になる。だけどここで弱音を吐いても

「二ケツってそんなもんだから」と透に笑われてしまいそうなので歯を食いしばる。


「そうこなくっちゃ。危なかったら俺のジャージをつかめよ」


 透はその場で勢いよくペダルを回すと、足にありったけの力を込めて立ち漕ぎを開始した。


 すると僕たちを乗せた自転車は勢いよく前進していく。透が踏み込むたびに、僕たちの体は速度を上げていく。


 透のペダルを回す力は相当なもので、僕が一人で漕ぐよりも早く加速した。校舎が後ろに消えて砂利道を過ぎて、どんどん吹き飛んでいく風景に僕は怖くなって、透の背中のジャージをつかんだ。


 なんだか女々しいなぁとは思いながらも、今は落ちないように必死だ。


「透、怖い」


「颯太、顔を伏せとけ」


 僕の言葉はなかったことにされた。どうして顔を伏せる必要があるのか分からなかったけど、僕は指示に従う。


 透の熱を帯びた背中に額が触れると、なんだかひどく落ちつかなくなる。すると「おい、お前ら。ちょっと止まれ」と怒号らしきものが聞こえた。声からして生徒指導の先生だ。


 けれども透は無邪気なもので「こっちは忙しいんで、説教は明日で」と爽やかにいなしてしまう。背中が小刻みに揺れる。透は歯を見せて笑っているんだろうなぁ。


 そのあとも先生はなにか叫んでいたけれど、次第に声は遠のいていった。


「『止まれ』の命令で止まるなら、警察なんていらねぇよ」


 透はぼそりと呟き、上機嫌に口笛を吹き出した。前から聞こえる伸びやかな音色にそっと眼を開けると、校門をちょうど通り抜けるところだった。


 校門を締めるシャッターの溝で車体はガタンと揺れて、やっぱりおっかないとふたたび眼を閉じる。眼をつむっていても空気が流れるビュウッという音が耳元で騒いで、自分たちの運動エネルギーの大きさを教えてくれる。


「颯太、もう顔を上げていいぞ」


 校門を過ぎて数分が過ぎた頃。僕は透の背中にくっつけていた額をおそるおそる離した。


 左右を水田に挟まれた畦道あぜみちを自転車は突っ切っていて、暗闇に慣れた眼には、畦畔けいはんの向こうにびっしりと敷き詰められた青い稲が映った。青い稲たちは風に拭かれて、夜の闇にいびきを掻くようにざわついている。


 自転車のライトが水面を照らすごとに、水面は水鏡になって光を散り散りに反射する。


「やっぱり、まずかったかな」


 僕は学校を離れてなお、生徒指導の先生に明日怒られることばかり気にしていた。二ケツなんて慣れないこと、するんじゃなかった。


「颯太、お前はなにも心配するな。颯太の顔は生徒指導の奴には見えてねぇよ。怒られるのは俺だけだ。安心しろよ」


 うじうじした僕の気持ちなんか、透はお見通しだった。宙ぶらりんになっていた透の言葉が今になって、やっと分かった。


 僕が怒られないように、顔を伏せろって言ったのか。


「そんなこと言っても、二人乗りはバレてただろうし」


「適当にごまかすからいいって、いいって。俺が言い出したことだし」


「でも」


「いいから」


 透は怖がるよりも、むしろ楽しそうに声を弾ませていた。そんなのずるいよ。僕はその透の大きな背中に隠れるように、身をちいさくしているほかなかった。


 しばらく田園風景が続いたあと、、僕たちの自転車は畦道を抜けてアスファルト道路へと降りた。


 カエルが低い声で鳴く道路脇をせっせと走っていると、後ろから走ってきた車のヘッドライトが、僕と透と自転車の影を大きく引き延ばしながら通り過ぎていく。


 車のテールランプが消えると、すぐに暗闇が僕たちに迫る。


 だけどそれもコンビニの看板が見えてくるまでの話で、コンビニを過ぎるとゆるい坂道を下りながら住宅街が始まっていく。


 増える街灯、立ちこめる夕飯の香り。


 だけど住民の声はなく、耳に訊こえるのは風の音と自転車の車輪の回る音。自転車のライトで流線型に切り取られる町並みは、なんだかいつもと違って心細い。


「バスケの調子はどう」黙っているのが怖くなって、無理矢理話を振ってみる。


「え、なんて言ったんだ」


 透が振り向く。風の音で聞こえなかったらしい。


「バスケの調子はどうなの」


「ああ、バスケね。まあまあだな」透は顔を前に戻す。「俺の相手になる奴なんていやしねぇよ」


「相変わらず、透は部活にゾッコンだね」


「『情熱を燃やしている』と言ってくれ」

 透は含み笑いしつつ「必死なんだ。二年でレギュラーに選ばれたおかげで、先輩連中からのプレッシャーはものすごいからな」と声を低くした。


 そこに教室のおどけた調子は一切ない。


 透はバスケのことになると、殺気と勘違いするほどの雰囲気を醸しだす。見ていて怖いくらいだ。


 そうというのも、うち秀和しゅうわ高校バスケ部は去年の夏の全国予選大会で準優勝した強豪らしく、今回の夏の全校予選大会でレギュラーに入ったのは二年生では透一人らしい。


 まわりからの期待や重圧が、その肩に重くのしかかっているのだろう。

「三年の剣持けんもちが俺を邪魔者扱いしてくるからうぜぇんだよ。ほら、話したことがあっただろう」


「たしか、透がレギュラーを奪った先輩だったっけ」


 僕は風切り音に負けないように大声で相づちを打つ。


 高校に入学して間もないころ、透はよく剣持先輩の話をしていた。


 自分のことをすごく気に掛けてくれる先輩がいると、その当時は尻尾を振って喜んでいた。だけど透がメキメキと力を付け、剣持先輩の出藍しゅつらんの誉れになると、先輩の態度は一変した。


 先輩は透を避けるようになり、透は生意気だとまわりに言い振らすようになった。さらにはほかの先輩とつるんで、下級生に理不尽な態度を取るようになった。


 それが人一倍バスケに掛ける透には、許せなかった。


「自分が負けた腹いせに、他人で憂さを晴らすなんてクズのだ。あんな奴だとは思わなかった」


 容赦がない、きっぱりとした口調に、僕は注ぐ穂を失ってしまう。


 透がこんなにキツいことを言うなんて。先輩への信頼がねじれてしまった結果なのかな。信じた分だけ、裏切られた反動は大きい。透と剣持先輩。早く仲直りできるといいな。


 僕たちは別々のことを考え始めて、たがいに無言になる。そのあいだにも二つの車輪は順調に僕たちを運び、僕の家まであとすこしとなった。


「颯太、あのさ」そこで透が話題を変えた。


「うん、なに」


「今日って暇なの」


 さっきとは打って変わって、その声は頼りない。僕は透の背中にもたれるようにして、なんとか言葉を拾う。この夜風に冷やされたのか、透の背中を覆っていた熱気は薄らいでいる。


「うん、暇だよ」


「そっか、ならさ」


 透はペダルを漕ぐのを止め、ブレーキを緩やかに掛けていく。けたたましいブレーキ音が住宅街に鳴り響いた。自転車は止まる前に、不安定になった僕は荷台から後ろに飛び降りた。


 すると左手に僕の家があった。


 入口の白い門の向こうに花壇があって、赤や白、紫のペチュニアがきれいな色で、僕にお帰りと揺れている。それらの花々は、亡くなったおばあちゃんが園芸に凝っていた名残で、今はおばあちゃんの代わりに、お母さんがこの花壇を大事に守っている。 


「ありがとう、透」


 そう告げて荷台から降りる。慣れない二人乗りのせいか、お尻がジンジンと痛い。カゴから鞄を受け取りながら「で、さっきなにを言いかけたの」


 透は暗い顔で「いや、やっぱりいいや。また今度話すわ」と言葉を濁し、よそよそしく目線を泳がす。


「どうしたの、透」


「いや、大丈夫だよ。またな」


 さみしさをにじませているくせに、無理矢理取り繕って、うやむやにしようとしている。僕はさっきまで座っていた荷台をがっちりつかんで逃げられないようにした。


「ちょっと待ってよ。そんな言い方されたら気になるじゃん。ちゃんと最後まで話して」


 透はなんでもない、を繰り返す。


「面白い話でもないし、また今度で」


「透、あのさ」僕は荷台を離し自転車の前に回り込む。「今の透、すっごい情けない顔だよ。なにかあったんだよね。ちゃんと話してくれないと帰らせない」


 今日だったら夜通し問い詰めることができた。そう、今日は待ちに待った金曜日なのだ。透は首を回しながら逡巡し、ぽつりぽつりと喋った。


「昨日“あいつ”と喧嘩したんだ。どうでもいいようなことだったんだけど、つい、ムキになっちまった。最近はケンカばっかだ」透は暗く染まる空を見上げる。


「家に、帰りたくないんだ。もし颯太がよければ、今晩泊めてくれないか」


 ハンドルを握る手に力が入っているのか、手に捲いたテーピングがハンドルに巻き込まれていく。透の着ている紫色のジャージは、闇にとけ込もうとしているみたいに透の輪郭を溶かしていた。


「もちろんいいよ。僕が断ると思ったの。水臭いな」


僕はやれやれと大袈裟にかぶりを振る。


「明日も休みだし、今日から親が旅行で家には理沙しかいないし、夜更かしだってできる」


「そうなのか。俺ってタイミングがいいな」透は申し訳なさそうに短く笑った。「本当に迷惑じゃないんだな」


「気にしないでよ。僕と透の仲じゃん」


「サンキュー、颯太」


 透はやっと肩の力を抜いたようだった。


 バスケの練習中でも家にいるときでも、ずっと気を張っているのだろう。それでも透はひたむきに頑張る。


 僕はそんな透を、背筋を伸ばして空に笑いかけるひまわりみたいだって、いつも思っている。


「ありがとうな。お前がいてくれてよかった。恩にきるよ」透の声に張りが戻っ

てきた。「それに、今日は颯太に聞いて欲しい相談があるんだ」


「へえ、楽しみだな」

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