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★部活日和

「いーち、にーい、さーん」

 ケイサツチームの頭領に選ばれた長友先輩の、間延びしたカウントダウンが始まった。


 やはり長友先輩に流れる時間感覚は、凡人の俺たちとは違う。ドロボウチームがそれを皮切りに、思うままに駆け出す。俺と誠、吉本先輩と渕上先輩は同じ方向に逃げていた。目指すはプール裏の木陰。


 校舎横のコンクリートを蹴ってグラウンドに向かいながら、渕上先輩が俺の隣で辺りを見渡しつつ、吉本先輩に尋ねる。


「なんで急に、ケイドロをやろうなんて言い出したんだ」


 そうなのだ。土曜日の朝から夜まで練習できる今日、吉本先輩は朝の開口一番に、今日の午前練習はケイドロだと言い出したので、俺はてっきりドッキリだと疑っていた。吉本先輩がそんなことを言いだすはずがない。だが本当に、今日の午前練習は校内を舞台としたケイドロだった。


「昨日の夜、練習内容をある人に相談したら、『ケイドロでもしたら』と助言されたんだ」


 吉本先輩は俯き気味だ。渕上先輩がすかさず聞き返す。


「ある人ってだれだよ」


「木室さんだ」


「マジすか。あの木室さんですか」誠の声は裏返っていた。


 渕上先輩が羨ましそうな顔を浮かべながら「だったら俺も誘えよ。つれねぇな」と不満を漏らす。


 俺たちはそこでグラウンドと校舎を仕切っている網の出入り口をくぐる。砂が固められた硬い地面から、雑草の頼りない踏み心地に変わる。


「昨日は大切な話があったんだ。だから木室さんと二人だけでお会いした」


「俺がいると、まとまな話が出来ないってか。もっともらしいことを言っているが、さてはお前、木室さんと二人で話したかっただけだろう」


「それもある」


 渕上先輩は苦笑する「本当お前、いい性格しているよ」


「それで、どういう成り行きでケイドロになったんですか」と誠。


 吉本先輩は足下にあった木の枝で進路を塞いでいた蜘蛛の巣を取り除きながら、眉をひそめた。


「実はな、木室さんに今日の練習内容を見てもらったんだ。そしたら、『これは真面目すぎる。遊び心がない』って却下されたんだ。自信作だったんだが」


 吉本先輩以外の俺たちはその言葉に、三人一斉に吹き出す。流石は木室さん。吉本先輩のことを良く理解している。


「それは」渕上先輩はにやつきながら吉本先輩の肩を叩く。「三年間で一番実りあるアドバイスをもらったな」


「どういう意味だ」


 吉本先輩が渕上先輩にずいっと詰め寄ろうとしたとき。


「一年がいたぞ!」という叫び声と供に、バタバタと駆け出す無数の足音がグランド方面から聞こえてきた。どうやらケイサツが動き出したようだ。


「無駄話は止めよう」

 渕上先輩がにやけた顔を引き締めて足首を回し始めた。臨戦態勢だ。

「ここから戦場だ」


 俺たちも渕上先輩にならって辺りを見渡す。


 今いるところはプールの裏側で、化学の教室とグランドをつなぐ裏道でもある。油断したら足を切ってしまう、のこぎりみたいな鋭い葉っぱが生えていて面倒だが、民家と学校を仕切る木が鬱蒼としていて、隠れるにはもってこいだ。


 相手方の様子をうかがっていると、あちらこちらでケイサツとドロボウが衝突する声がする。


「待て」「俺たちはやっていない、無実だ」「お前を探して苦節十年、神妙にお縄についてもらおうか」


 なんだか芝居がかっていて、演技派な奴らが多い。


「ケイドロなんて久しぶりだ」と楽しそうな吉本先輩。


「当たり前だ、高校三年生で毎日のようにやっていたらドン引きだ」と渕上先輩。


「なんか怖いな。鬼が出るか蛇が出るか」と落ち着きのない誠


「チーターには要注意っすね」と左右を確認する俺。


 チーターというのは椎葉先輩のあだ名だ。バスケ部のなかで俺を抑えて一番足が速い。というか全校合わせても一、二を争う。


 なんたってチーターなんだから、これで足が速くなかったら嘘だ。だけどそのあだ名には別の意味も含まれている。


 渕上先輩の話によると、どうやら椎葉先輩は惚れやすい性格らしく、たまたま席が隣になったり、消しゴムを拾ってくれたりしただけで好きになるらしく、恋愛の発展が早い、または恋に獰猛どうもうという意味も入っているらしい。


 そんな下らないことで思い出し笑いしていたら、長友先輩がグランドから叫んだ。


「いましたぁ。椎葉警部補ぉ。大悪人たちですー。プールの裏ですー」


 俺たちは一瞬固まって次の瞬間、化学教室側へと走り出す。だがなぜか、誠だけが止まったままだ。


「ちょっと、待って……って、あれ」


「どうしたんだよ」


 俺は誠を振り返る。誠はしゃがんでぐずぐずしている。しかし伸び放題の草に姿が半分隠れてしまっていて、なにをしているか分からない。


 そのあいだにもチーターが、全速疾走でこちらに猛然と迫ってきている。


「すまん。誠。今まで楽しかったぜ」


 いくら親友でも自分の命は惜しい。引かれるほど伸びているとは言いがたいが、後ろ髪を引かれるような思いを形式的に感じつつ、俺はその場から逃げ出し

た。


 化学教室側にもケイサツが張っていて、俺は吉本先輩や渕上先輩とは別の道を選んで逃亡を続けた。しばらく数人に追いかけられたが、ひたすらに逃げ回った。


 途中で非常階段の影に隠れて、ケイサツをなんとかまいたあと、図書館がある別館の裏に避難しようとした。するとそこに吉本先輩と渕上先輩も隠れていて、ばったり再会した。


 俺は久しぶりの追いかけっこに熱中しすぎて右腹が痛くなっていた。俺は右腹を擦りながら、誠が逃げなかった真相を二人に尋ねた。そしたら二人は驚いたように顔を見合わせた。


「俺たちがなにをしてたのか、気づかなかったのか」


「いえ、あのときはぼおっと考えごとをしてたもので」


「そうだったのか」


 吉本先輩は申し訳なさそうに呟いた。


「実はな、渕上と協力して生き残る作戦を事前に立てておいたんだ。俺がだれかの気を引いているあいだに、渕上がそいつの足の靴ひもを解いて捨て置く作戦だったんだ。生き残るためには必要な犠牲だった」


「え、いつのまに誠の靴ひもを」


「だからお前がぼおっとしていたときだよ。あまりに余裕だったから、解いた靴ひもを側にあった木に結んでやったんだ。誠の逃げ後れた顔、いい顔していたなぁ」渕上先輩は顔真似して、自分で噴き出している。


「なんで誠だったんですか」


「たまたま近くにいた。それだけのことだ」


 渕上先輩は当たり前のことを聞くなとうざったそうだ。


「べつにお前でもよかったんだが、場所的に誠がやりやすかったんだよ」


 俺は呆れてものも言えない。「先輩たち、タチが悪いっすね」


「生き残ることに真剣、と言ってもらいたいな」「チーターに餌をやったんだよ。後で謝るさ」


 結託して自分たちだけは生き残ろうとしているらしく、反省の色は見えなかった。


 俺は二人の先輩の狡猾こうかつさに、やっぱり信じられるのは自分だけだよなと改めて心に刻んだ。


                  ★


 午前中の練習が終わり、適当に近くのコンビニで食事を済ませた俺たちは、本格的にバスケの練習を始めた。

 木室さんが練習のメニュー作りに関わったからなのか、今日の連中では皆が練習に集中していた。


 そこにはいくつかの要因がある。


 一つは、午前中に皆でケイドロをして遊んだことで良いリフレッシュになり、和気あいあいとした雰囲気で練習に望めた。


 そしてもう一つは剣持先輩がやる気をみなぎらせたので、自然と三年の補欠組みもやる気を見せ始めたことだ。


 もともと三年の補欠組みがさぼり始めたのも剣持先輩が腐ってしまったからで、剣持先輩がやる気を取り戻したことで、それに引っ張られて風通しがよくなったようだ。一人が変わるとこんなにも変わるものかと感心してしまった。


 基礎のフットワークに、シャトルラン、それから三対三の練習に、一年から三年までをごちゃ混ぜにしてチームを分けての試合練習。


 怒涛の午後の練習を終えると、吉本先輩は先生に用事があるからと早めに部活を抜けた。どうやら明日開かれる、全国大会予選の大会説明についての打ち合わせがあるようだった。


 そのあとの練習を渕上先輩が引き継いだのだが「眠いから自主練にする」とだけ部員に言い残し、渕上先輩も途中退場。


 お前はそれでも副キャプテンかと喉まで出かかって、なんとか飲み込んだ。あの人は心底、人生を嘗めている。


 渕上先輩がいなくなったあと、体育館にはまだ練習したいという部員が二十人くらい残っていた。そこで俺たちは遊びをかねた練習をしようという流れになった。


 話し合いの結果、希代のシューティングガードであられる長友先輩をお招きしてのスリーポイント競争をすることになった。何回連続でスリーポイントを入れられるかという勝負だ。


「ええー、ちょっと待ってよぅ。今日は妹の誕生日なんだよねぇー。早く帰りたいよぉー」


 しぶる先輩を引き止めるのはかなり骨が折れたが、残った部員全員で土下座してなんとか勝負に応じてもらった。


「そこまでして勝負したいのー」


 俺たちの流れるような土下座に、長友先輩は呆れていた。


                 ★


 これは外すな。俺には分かっていた。


 剣持先輩が部員の生暖かい眼が見守るなかシュートを放つ。しかし膝は固く、ボールを送り出すスナップが効いていない。案の状、ボールはリングの右枠にあたりはじき返された。


 記録、連続四回。


「ああ、くそ」剣持先輩は頭を抱えた。「緊張しちまった」


 周りを囲んでいた部員たちは「惜しかった」「剣持先輩、ナイスファイト」「さすがっす」と健闘をたたえる。


 スリーポイントでしかも連続ということで、三回目でほとんどの部員が脱落した。そんな中、順調に決め続けて連続四回成功は、俺と長友先輩と剣持先輩の三人となった。


 そして俺と長友先輩は連続五回目をすでに決めていたので、残るは俺と長友先輩の二人になった。


「惜しかったですね、剣持先輩」


 すれ違いざまに先輩にねぎらいの言葉を掛ける。


「惜しくねぇ。お前に慰められるのが、一番惨めだ」


 剣持先輩は自分のふがいなさに腹を立っているようで、肩を怒らせながら観客に回る。先輩との仲は相変わらずこんな感じだったが、こっちのほうがずっといい。


「よーし、引き続き六回目。次は長友」


 椎葉先輩は、二回目で早々に失敗するとリバウンドと進行係に回ってくれていた。長友先輩にパスを出す。


「長友先輩、透に勝ちを譲って下さい」「外せー」と二年生組。

「透なんかに負けんなよ」「外したら絶交だからな」と三年生組。


 両者入り乱れての応援合戦になってきた。


「うわぁ、緊張するなー」


 言い方にはみじんも緊張を感じなかったが、長友先輩はそう言って狙いを定める。


「よっ」


 ゆったりとしたフォームから繰り出される長友先輩のシュートは、非常に高く放り投げられた。俺はそこで見るのを止めた。その放物線は入ることが約束された、完璧なものだった。


 パシュッ! ネットが揺れる音だけが鼓膜に届いた。


「すげー!」「見たか!」「一体どこまで続くんだよ」「やばいぜ、この戦い」

と後から声が追い掛けてくる。


 これで五連続成功になる。まだまだ序の口だ。


「よーし、絶好調ー。今日は俺がぁ、得点王だぁー」


 なんとも乗り切れない抑揚よくようで俺を挑発してくる。抑揚がお粗末すぎて挑発か疑いたくなるが、ちゃんとこちらにドヤ顔を向けているので間違いはなさそうだ。


「プレッシャーが掛かってきました、池永選手」


 椎葉先輩はどこぞやの実況の真似をしながら、キャッチしたボールをバウンドパスで送ってくれる。俺は余裕の笑みで応える。この程度でプレッシャーを感じるほど、ヤワじゃない。


「負けられませんね、長友先輩と言えど」俺は自分が一番得意な右斜め横のスリーポイントエリアに向かい、ドリブルして体勢を整える。「真剣勝負なんでね」


「ええ、スモールフォワードの透ちゃんには負けられないってぇ。俺の得意分野で負けたらー、レギュラー取られちゃうよぉ」


 あたふたしている長友先輩に皆が苦笑い。なんだか馬鹿にされている気分だ。あんな奴に絶対に負けたくない。俺は耳から周りの声援やら罵倒ばとうを閉め出し、神経を研ぎすましていく。


 それに合わせて自分自身の感覚が鋭敏になり、余計なものが気にならなくなる。世界が俺とリングだけで完結する。


 シュートのイメージを思い描く。


 狙うはリングの少し手前。柔らかく手首のスナップを効かせることと、ボールが手から離れる瞬間に指の先でバックスピンをかけることが重要だ。


 そうすればボールは放物線を描いてリングに飛んでいき、間違いなくネットを揺らす。


 体に意識を集中させる。足の筋肉も良いぐらいに熱せられている。腕には練習の疲れが溜まっていたが、このくらいなんともない。


 俺は柔らかく踏み込んで、そしてジャンプする。背筋も伸びていい感じだ。後はボールを離すだけ。


 完璧なはずだった。


 だがそのリリースの瞬間に、思わぬ邪魔が入った。

 体育館の扉が勢いよく開かれ「おい、まだ練習しているのか」と、吉本先輩の怒声が体育館に響き渡った。ボールを放る手に余分な力が入る。


 過剰な力を訂正しようとしたが、すでに遅かった。俺の手から放たれたボールは、余分な力のためにわずかに右にズレ、無情にも弾き返された。


 勢いよくはね返ったボールは、リバウンドを取ろうとした椎葉先輩の手を逃れて地面に落ちた。記録、連続五回。準優勝。


「やったぁ、俺の勝ちぃー」


 長友先輩がガッツポーズし、意気揚々と鼻歌を歌う。


「今のは運がなかったな」「やっぱり長友先輩か」「あそこで邪魔が入るなんて間が悪いなぁ」


 周りの奴らは口々にそう零しながら、吉本先輩の方に切りあげていく。俺は今の決着には納得がいかず「いや、ノーカンでしょう。吉本先輩の声がなかったら入っていましたよ」と抗議する。


「諦めろ、負けは負けだ」無責任に笑う椎葉先輩に、剣持先輩も長友先輩も、そうだそうだと頷いている。


「もう一回やりましょう、もう一回」俺は食い下がらない。


 そんな俺たちのやりとりに吉本先輩は呆れながら「おい、もう止めだ。そろそろ警備員が施錠に回ってくる。それまでに片付けていなかったら、また部活動停止になるぞ」と、部員たちに終わりを告げる。


 以前バスケ部が時間を守らずに夜遅くまで練習していたために、三日間の部活動停止になったことがあった。


「そうだねぇ。大会前だしー、ここで終わりぃー」長友先輩はそう言ってボールを一年生に渡した。「急いで片付けてねぇー」


「そんな」


 諦めきれずに宙ぶらりんになっていた俺の肩に、椎葉先輩が腕を絡める。


「惜しかったな。だが今日は止めだ。勝負は今度にして、飯でも食いにいこう

ぜ」


 吉本先輩にも声は聞こえていたのか、開けていた窓を締めて回りながら「俺もまだ食っていない。俺も一緒に行く」と便乗してきた。


「珍しいー、吉本も行くんだぁー。おいしいものを、食べさせてもらってねぇー」と、長友先輩が俺の機嫌を取りにくる。


 勝負を終わらせたいという魂胆が見え見えだ。だが俺のわがままで部活動停止になったりしたら、申し訳が立たない。俺は長友先輩に詰め寄る。


「分かりました。今日は我慢します。でも長友先輩、必ず再戦して下さいよ」


 俺は先輩に指切りを申し出、念を押しておく。すると長友先輩は露骨にいやそうな顔を浮かべ「えぇ、気が向いたらねー」と渋々指切りをしてくれた。


            ★


「今から集まれるレギュラーで、秘密の決起会を開こう」


 学校の近くの安い定食屋で、大盛りのご飯を平らげたあとのこと。

 吉本先輩の鶴の一声で、俺たちレギュラーは吉本先輩の家に集まることになった。レギュラー陣、全員参加で盛大にいきたかったが、残念ながら長友先輩が欠だった。


「えぇ、今日は妹の誕生日会って言っていたでしょうー。ついてないなぁー」という理由だった。


 こうして吉本先輩の部屋にお邪魔することになり、皆で床に座って卓を囲んでいるわけだけれど、他人の家の匂いってのはどうにも落ちつかない。


 吉本先輩の部屋は颯太の部屋とは違う。漫画も雑誌もなく、引っ越し直後みたいに、無駄なものが一切ない。


 強いて言えば窓脇に置いてある、変な形で空を仰ぐサボテンくらいのものだ。


「相変わらずなにもねぇな。つまんねぇ部屋」


 渕上先輩が床にのぺっとたれているビーズクッションに、仰向けに体を埋める。巨体の渕上先輩の前に、ビーズクッションは抵抗を諦めたスライムみたいに床にへばりついていた。


「お前の部屋のように杜撰ずさんにはなりたくないんでね」


「嫌な奴だな、吉本くんは。昔は友達想いの良い奴だったんだけどな」


 二人の掛け合いは置いておいて、なにげなく吉本先輩の整理された机に眼を向けた。参考書が大きい順、巻数の順にきちんと整頓されている。持ち物は人と成りを映すらしいが、本当らしい。


 その机の横の壁には、額縁に入れられた一枚の写真がある。そこには幼い吉本先輩と渕上先輩が不機嫌そうに映っていた。


 どうやら小学生のミニバスケ時代に撮った集合写真らしく、試合に負けたあとなのか、不本意な感じだ。そう言えば吉本先輩と渕上先輩は、小学校のミニバスケットからの仲だったな。二人が気安い訳だ。


「あ、この写真」


 俺の横に座っていた椎葉先輩が立ち上がり、今度は机の上に飾られていた写真立てに手を掛けた。俺も気になって背中越しに覗いてみる。


 それは一年前の大会に撮られた写真だった。映っているほとんどは今も現役のバスケ部員で、弾けんばかりの笑顔とピース、そして準優勝と書かれた銀色のトロフィーが眩しい。


 ただ一人、吉本先輩だけが無表情だ。

 そんな仏頂面の吉本先輩の肩に手を回しながらトロフィーを持つ、一際目を引く人物がいた。写真のまんなかで、だれよりも晴れ晴れとした笑顔だ。去年唯一の卒業生、木室さんだ。


「いつ見ても良い写真だ」


 椎葉先輩は懐かしさに眼を細めた。去年を思い出しているのだろう。


 そんな椎葉先輩とは対称的に、吉本先輩は乾いた調子だ。


「俺はその写真を戒めとして置いているんだ。練習でくじけそうになるたびに、その写真を眺めては、あの敗北を思い出している」


 吉本先輩は唇を噛み締めた。


「一時も忘れたことはない。木室さんを最後の大会で優勝させられなかった、あの屈辱くつじょくを」


「あれはお前のせいじゃない」


「いや、おれがあのときコートにいれば、必ず勝っていた」


 慰める椎葉先輩に、吉本先輩は一歩も引かない。先輩からは憎悪の黒い炎が垣間見えた。でもそれは自分自身に向けての憎悪だ。


「俺の足が攣って退場さえしなければ、木室先輩に優勝トロフィーと、次の大会への切符を渡すことが出来たはずだったんだ」


「最近妙に張り切っていると思ったら、そんなことを考えていたのか」


 スライムに預けていた上体を持ちあげながら、渕上先輩が会話に混ざる。吉本先輩は決意に満ちた声でそれに応える。


「次の最後の大会にすべてをかける。負けたらそこでおしまいだ。必ず決勝まで勝ち進んで、木室さんは間違っていなかったを証明してみせる」


 椎葉先輩は吉本先輩の鬼気迫る勢いに、心配そうに写真を机に戻して座りこむ。


「気持ちは分かる。だけど気負いすぎるなよ」


「いいや、気負わずにいられるか。俺は必ずバスケ部を優勝に導いてみせる」


 椎葉先輩の思いやりも、今の頭に血が昇った吉本先輩には届かない。普段は冷静な吉本先輩がこんなにも意固地になるなんて、去年の後悔は計り知れない。


 そんな吉本先輩を渕上先輩は鼻で笑った。「ふん。まるでガキだな」


「なにを言われようと、これだけは譲れない」


「馬鹿馬鹿しい。吉本、お前はいつまでそんなことを気にしているんだ」


「……渕上は、俺についてきてはくれないのか」


 今まで一緒に部を引っ張ってきた渕上先輩に味方してもらえないことで、吉本先輩を突き動かしていた闘志が揺らぐ。吉本先輩はなんだかんだ言って、渕上先輩を誰よりも信頼している。きっと、だれよりも。


「ま、馬鹿馬鹿しいが嫌いじゃねえよ。そういうところ」渕上先輩が吉本先輩にニヤッと笑いかける。


「木室さんのことを抜きにしても、負ければ引退だからな。決勝の相手は間違いなく去年の奴らだろう。やる気になれる材料なら、多いに越したことはない。もう負ける気はないんでね。今度こそ俺たちがてっぺんに立つ。それだけだよ」


 渕上先輩は吉本先輩の胸に拳を当てる。そこには今まで一緒にやってきた、戦友同士にしか分からないやりとりがあった。


「ああ。頼むぞ、渕上」


 渕上先輩が味方に付いてくれて、吉本先輩の闘志もさらに燃えあがる。そのとき、突然玄関のチャイムが鳴った。吉本先輩がカーテンの引かれた窓の隙間から外を覗いて笑みを見せる。


「すまない、透。玄関の鍵を開けてきてくれないか」


「いいんですか、俺が出て」


「長友だ」


「長友先輩っすか、分かりました」


 俺は吉本先輩の指示に従い、玄関を開けに階段を降りていく。


 負ければ先輩たちはそこで引退。なにがなんでも負ける訳にはいかない。


 気合いを入れ直しながら階段を下り、玄関の鍵を開けると、なにやら口を尖らせて目尻をつり上げる長友先輩が立っていた。


「ちょっと、ちょっとぉー。僕が来るって、前もってみんなに連絡してたじゃんかぁー。鍵かけているなんてひどいよぉー。僕、いじめられてるって思っちゃったよぉ。せっかく妹の誕生日だったのにさぁ、途中で抜けてきたんだよぉ。それなのに、この仕打ちってどうなのさぁー」


 長友先輩はずいぶんとおかんむりだった。携帯で連絡していたらしいが、バスケ談義に夢中で、だれも気付いていなかった。


 さっきまでの三年生たちとの温度差がありすぎて、思わず俺は吹き出してしまう。


 この人はやっぱり空気が読めない。それはいい意味でも、だ。


「な、なんで透ちゃんは、笑ってるのぉー」


「べ、べつになんでもありませんよ。さ、入ってください」 


 笑いを堪えながら先輩をエスコートする。


 熱い人ばかりじゃなくてこんな緩い人が部活にいるのも、悪くない。

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