チャプター7
〜アーレンの森 二日目〜
午後、二人は日が傾く前に拠点に戻ってきた。お昼を過ぎるくらいまでは森の奥へと進んでいき、お昼ご飯を食べてから少ししたら、あとは引き返すのみだった。とはいえ、帰ってくる頃には背中のカゴはいっぱいになっており、これ以上進んでも持ち帰れないところだった。この辺りは、さすがの判断と言ったところである。
そして、一緒に食材探しをしていたエルリッヒも、野草や木の実の類は沢山手に入れることができた。これでしばらくは新鮮な食材にありつける。
「帰ってきたぞ〜!」
「はぁ、疲れた〜」
のびのびとした表情で、相変わらず元気なままのフォルクローレに対して、森を分け入るという、普段慣れないことをしたせいか、エルリッヒはクタクタだった。すぐにでも休憩したいと思ったのは、果たしてどれくらい振りだろうか。
「それにしても、本当に何も出なかったね」
「でしょ? あたしが爆弾で消し炭にしたおかげです!」
自信満々の様子からは、他の可能性を疑ってすらいないらしい。しかし、安全なのは結構なことだったが、どこかで獣でも仕留めて肉類を確保したいと思っていたので、そこだけは残念なところだった。安全すぎるのも、考えものである。
「だけど、これでまたしばらくは干し肉だからねー」
「あー! それが言いたかったのか〜! くそー! それはしょうがないじゃんかー。獣の都合なんてどうにもならないんだし、獣退治って大変だし」
荷車にカゴの中身を開けながら、そんなことをぶつくさ言っている。新鮮なお肉は食べたいが、獣退治は危険だから避けたいし、そもそも獣自体襲ってこない。もし干し肉が切れてしまえば、菜食生活に突入してしまう。手持ちの爆弾があれば退治は容易い。獣をおびき寄せるのは危険だが、どちらがいいのか、とても悩ましい選択だった。
「う〜ん……」
「フォルちゃんさ〜、悩んでないで諦めようよ〜。無理して変なことしても、面倒なだけだよ? それより、日が暮れる前に帰ってこれたことを喜ぼうよ〜。私疲れちゃったんだけど……」
正直なことを言えば、エルリッヒだって自分が直接さばいた新鮮なお肉があれば、料理のレパートリーも広がるし、きっと美味しい思いができる。しかし、獣退治をする危険を冒すよりは、菜食生活をしたほうがいくらもマシだ。こんなに近くにフォルクローレがいては、力を発揮できない。フライパンがなくては、か弱い娘を演じていなければならないのだ。かといって、フォルクローレ一人に獣退治を任せるわけにもいかない。そのような状態になることは避けねば。
「むぅ〜、諦めるしかないか〜。今は干し肉をありがたく食べるとするよ。よっと! 今日の収穫物はこんなところでいいかな。エルちゃん、水浴びしてきたら? あたし見張ってるからさ」
「??? 見張り? ここ、安全なんじゃないの?」
水浴びの話も見張りをしてくれるというのもありがたいが、安全地帯ではなかったのか。本来必要なはずの見張りが無用に思えてしまうのは、たった一日ですっかり順応しているということなのだろう。それはそれで恐ろしいことだが、何かあればその時は二人で対処するだけのことだ。それに、見張りをしてくれるということは、一緒に水浴びしなくても済む、ということだ。どこでどんなボロが出るかわからないため、水浴びをするならできるだけ一人がいい。
「ま、念のためね」
「念のため、か。んじゃま、お言葉に甘えますか」
フォルクローレはまだまだ元気そうだし、こちらはすっかり疲れてしまった。近くで見張られていないかだけ気にすればいい。汗もかいているし、その気になるとむしろ一刻も早く飛び込みたくなってきた。
「一応言っとくけど、絶対覗かないでよね」
「何言ってるの? 女の子同士で水臭い。大丈夫大丈夫、見張りを買って出た以上、ちゃーんとやることはしますって」
いまいち信用できなかったが、見張りというのが何をするものなのかは気になるので、とりあえずは信じてみよう。そう決めると、テントに戻り旅支度セットの中からタオルと替えの下着を用意する。荷物は最小限が基本だが、最低限の着替えは持ってきていた。この辺りは、鎧を着る必要のない町人ならではかもしれない。
念には念を入れ、フォルクローレから死角になるようギリギリのところで茂みに入った。相手が相手なので、少しの隙も与えたくはない。
「さて、と」
服を脱いでしまうと、なおさら油断できない状態になる。「女の子同士」なのは間違いないのに、なぜこうも気にしなければならないのか。考えてみれば不思議な話である。
「っ、冷たっ!」
水に足を入れた瞬間、冷たさが沁み渡る。どこかから、冷たい地下水が湧き出ているのかもしれないし、まだまだ夏には遠いせいかもしれない。しかし、冷たいと感じたのは最初だけで、いざ足のつかないところまで進み、全身を水に沈めてしまうと、むしろ心地よさが勝った。これは水浴びをして正解である。
「さて、フォルちゃんは何をしているのかな?」
水面から顔だけを出し、どこかで見張っていてくれるはずのフォルクローレを探す。昨夜といい、こんな場所でこんな無防備なな格好を晒しているのだ、気をつけるべきは獣や敵対してくる亜人種より、本当は男の存在なのかもしれない、などということを考えつつ、フォルクローレが見当たらないことに一抹の不安を覚えた。
(……どこで何をしてるのかな)
キョロキョロと見回すも、見当たらない。この開けた場所で見失うはずはないのに、どこにいるというのか。首を傾げていると……
「エルちゃ〜ん!」
「えっ?」
声のした方を振り向くと、一糸まとわぬ姿をしたフォルクローレがテントからこちらに向かって駆け出してきた。そして、思い切り飛び上がり、なんとそのまま水面にダイブしてしまった。見張ってくれているのではなかったのか、覗かない約束ではなかったのか。立ち上る水しぶきを浴びながら、考えが脳内をぐるぐると回り続けていた。
「エルちゃ〜ん」
水しぶきが収まると、器用にも立ち泳ぎのままこちらに近づいてくる。咄嗟に手で体を隠しながら、フォルクローレと向き合った。女の子同士といえど、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。フォルクローレがどう思おうと、知ったことではない。水面下でもきっちり隠すのがエルリッヒの主義だった。
「フォルちゃん、諸々問いただしたいことがあるんだけど。見張りはどうしたの?」
「あー、それ? さっき、この辺りに鳴子と教会で清めた聖水を撒いてきたよ。獣の類が来ても、邪悪な魔物が来ても、これですぐに気付けるよ!」
やはり、自信満々だ。しかし、そんな便利なものがあるのなら何故昨日のうちに仕掛けておかないのか。疑問に答えたつもりで、まさか疑問を増やしていようとは、とても思うまい。
表情に曇りはなく、後ろめたい気持ちではなさそうだが、果たして。
「まさか、それをセットするために水浴びに誘ったんじゃないよね? 本当は昨日セットするはずだったのを忘れて」
「そんな〜、まさかそんなことあるわけないじゃんか〜。こっちの方があたしの人力よりいいと思ったからに決まってるじゃんか〜」
器用にも、立ち漕ぎのまま少しばかり距離を離してくる。ということは、やはり忘れていたのかもしれない。昨日一晩何事もなかったのは、奇跡でしかなかったのかもしれない。そう考えると、そのいい加減さに恐ろしさを覚えた。
これが魅力といえば魅力だが、命の危険にまでかかってくるとなると、話は別である。
「それで、覗かないでって言ったよね。そっちはどうなのさ。私は女の子同士でもそういうのを気にするタイプなんだけどなぁ……」
「もう、かたいこと言いっこなしでいこうよ。それに、今だってしっかり隠してるじゃん。そこまでされたら少し寂しいなー。ちら。ちら?」
さも寂しそうに顔を隠しつつ、指の隙間からこちらを覗き込んでくる。立ち泳ぎのままよくもまあ器用にと思うが、それは人のことを言えないので黙っておく。しかし、これでは叱るに叱れない。
「まったくもー。あんまりそういうことしてると、友達なくすよ?」
「はぁ〜い。いや、もはや女の子はエルちゃんだけいればいいんだけど。はっ、そのエルちゃんに愛想を尽かされたら終わりじゃないか〜!」
またしても水しぶきを上げて暴れ出す。これでは、汗を流して疲れを取るための水浴びではなく、ほとんど海水浴ではないか。それこそずっと昔の経験だったが、その頃のことを少し思い出す。
「うわっ、ちょっと! 落ち着いて! そんなに暴れたら危ないから!」
「だ、だけどさ〜。こっちには切実な問題なんだよー」
会話をしながら、少しずつ落ち着かせていく。これでは、こちらが落ち着かない。こうなるとわかっていたわけではないが、尚更一人でのんびり浸かっていたかったと思ってしまう。
小さくため息をつくと、再び話しかけていく。
「とりあえず、まだ愛想を尽かしたりしないから、安心して?」
「わ、わかった。次からは気をつけるね……」
と、ようやく落ち着きを取り戻した次の瞬間、
「!!」
カラカラと、鳴子の乾いた音が鳴り響いた。
「ぎゃー! なんか出たー!」
「え? ちょ、ちょっと!」
その音に驚いたフォルクローレは、まるでおとぎ話に出てくるマーマンのような速さでエルリッヒの元に泳ぎ寄り、力強くしがみついてきた。
「ちょっと〜!! これじゃあ身動きできないじゃんか〜!!」
立ち泳ぎのまま全身をしっかりとホールドされてしまったエルリッヒ。周囲には、その当惑の叫びがこだましていた。
〜つづく〜