チャプター6
〜アーレンの森 二日目〜
朝。テントに差し込む柔らかな光で目が覚めた。そこかしこで奥行き深く響く小鳥のさえずりが心地いい。やはり街とは朝の風景がまるで違う。
「フォルちゃんは……まだお休みか」
隣で寝るフォルクローレは毛布をかぶり、幸せそうな顔をして眠っている。これを起こすのはいかにも気の毒だ。どうせ、経験で身につけた体内時計で起きてくるだろう。
エルリッヒはそろりそろりと気配を消しながらテントの外に出た。
「んー、いい天気だ」
木々の合間を縫って差し込んでくる朝日を浴びながら、晴天に感謝する。そして、泉の水で顔を洗いながら昨日のことを思い返していた。
(……冷たいけど、気持ちいい!)
テントの設営が終わってからすぐ昼寝をしてしまい、起きた時には日が傾いていた。それから、慌てて夕食の支度をした。日持ちのする食材を持参してきたとはいえ、もうそろそろなくなる頃だ。現地調達を基本に考えているので、今日はそちらも行いたいところだった。
「さてと、そろそろ朝ご飯を作ろうかな」
大したものは作らないが、火を熾し、鍋に野菜を詰め込んでいく。出汁は野菜から出るし、水はすぐそばに綺麗な水源がある。料理をするのにこんないい環境はなかった。
「それにしても……」
と周囲を見回して考える。夕方の昼寝にしても、昨夜にしても、本当に何にも襲われず穏やかな朝を迎えることができた。何か結界を張ったような気配はないし、そもそも魔法の力は失われておりそのようなことはできない。そちら方面で考えられるとすれば、ここがかつての聖域で、神の奇跡が残っているという可能性だろうか。
もちろん、本当に爆弾で蹴散らし続けたフォルクローレの気配を感じ、恐れおののいている可能性もあるし、本来ならさらに恐ろしいエルリッヒの存在に気づいた可能性もある。
しかし、フォルクローレの緩みきった様子からは、普段からここが安全地帯になっている可能性がある。ということは、やはり普段からここには何も現れないのだろう。
「気になる土地だ……」
過去の何者かが整地したようにここにだけ木々が生えておらず、まるであつらえたようだ。だからと言って神聖な気配も感じなければ、邪悪な気配も感じない。本当に不思議な場所だ。
「よっと、こんなもんかな。後は少し香辛料を足して、煮詰めてる間にはフォルちゃんも起きてくるでしょ!」
温かい湯気とともに、いい匂いが漂ってくる。
「んん〜? 朝ごはん〜?」
「あら、フォルちゃん起きてきたんだ。もう少しで出来るから、今のうちに顔を洗っておいでよ」
匂いを嗅ぎつけたのか、それとも普段から起きる時間なのか、兎にも角にも眠たげなフォルクローレが起きてきた。顔を洗って髪を整えている間には準備が整うだろう。
食料の入った袋からパンを取り出し、昨日使った皿を脇から取り出す。王都に数多いるパン職人でも腕利きと名高いマーサおばさんの作だ。旅をする冒険者や商人のために開発した、特別に日持ちのするパンである。
「もうちょっと待っててね〜」
水面を鏡代わりに、必死に髪を梳かしているフォルクローレ。エルリッヒも決して短くはないが、フォルクローレほどではない。髪は長ければ長いほど手入れは大変だ。大変そうだと横目に見ながら朝食の支度を整えた。
「はーい。急がなくていいからね〜」
のどかなやりとりが続く。娘二人旅ならではの気楽さとも言えるが、人の手の入らない森の奥深くだと思うと、不思議でならない。
「よしっ、こんなとこかな。お待たせー!」
支度を整えたフォルクローレが朝日を受けてキラキラ輝く金髪を揺らしながら現れた。さあ、楽しい朝ごはんの時間だ。
〜二時間後〜
二人は森を散策していた。フォルクローレの主導で、素材として使えるものを探していく。そのために、上から下まで、隅々に目を配らなければならないため、その歩みはゆっくりだった。
そして、エルリッヒもまた、食材になりそうな野草や木の実を見つけては、それが安全なのかどうか、美味しいのかどうかをフォルクローレに確認していった。そうして、背中のカゴは少しずつ重くなっていく。
しかし、こうしている間もやはり誰にも襲われない。少し離れたところに何者かの気配は感じるのだが、襲ってこないどころか、近づいてすらこない。獣なのか、エルフのような亜人種なのか、いずれにせよ不自然な状況だった。
「エルちゃん! そこ! 木の幹にキノコが生えてるでしょ? あれ貴重なやつだから取っておいて! お、おお〜! こっちはコウモリの羽! 危うく踏んじゃうとこだった……」
「えーっと? キノコキノコ。この茶色いのでいいんだね〜?」
何度も来ているはずなのに、この森はフォルクローレにとっては宝の山に映るらしい。曰く、貴重な素材はいつも手に入るわけではなく、また、季節によっても採取できる素材が違うという。だから、本当は季節ごとの訪れたいのだそうだ。今採れるのは春から夏にかけての素材だが、わずかに冬の素材も残っているようで、できれば手に入れておきたいのだという。
「おお、それそれ! いやー、二人いると捗るよ! これなら、早いとこアイディアが浮かんじゃうかもしれませんな」
「お!」
何を作るかについては昨夜も色々と話し合った。例えば、毛生え薬のように人の喜ぶ薬を献上したらいいんじゃないかとか、あるいは魔王復活が復活しつつある情勢を鑑みて高性能爆弾を献上したら騎士団の助けになるんじゃないかとか、幾つかのアイディアは出たものの、それらはすべてありきたりな意見であり、それで王様が喜んでくれるのかと言われると、難しいと言わざるをえなかった。
「やっぱさー、自動で掃除をしてくれる箒とか、勝手に話しかけてくるからくり人形とか、魔法があった時代のアイテムみたいなインパクトは難しいよねー」
「そ、そりゃあねえ。図鑑に載ってるアイテムを作るのか、新しく創作するのか、その辺から決めるのがいいんじゃないの?」
錬金術をどこで学んだのか、フォルクローレの知識や手にしている図鑑は唯一無二と言ってもいいものだった。だからこそ、何を作ってもそれなりには驚き、喜んでくれるだろう。しかし、それではダメなのだ。失敗したら工房が取り潰しになるかもしれない、という心配もあったが、それと同時に、安易な方向に逃げるのはフォルクローレの錬金術士魂が許さなかった。
「いままさにそれで悩み中なんだよ。っとと、エルちゃん! そこの白くてフワフワしたの、取っておいて!」
「え? 急に? わ、わかった!」
急な指示にも少しずつ慣れてきた。これが普段のフォルローレのペースなのだろう。自身も指示を出すだけでなく、頭上の木になっているさや付きの豆のようなものを飛び上がって取っている。
一人なら、話の腰を折るようなこともないし、人に変な目で見られることもない。そして、その「普段」を今発揮しているのだ。気心が知れているからこそなのだろう。
ありがたいことだ、と思った。
「と、ところでフォルちゃん? 私たちどんどん奥まで入って行ってるけど、これ大丈夫? エルフの隠れ里に足を踏み入れたり、森を抜けちゃったりしない?」
「エルリッヒ殿、心配めさるな。あたしが何回ここに来てると思ってるのさ。今通ってるこの道だって、ちゃんと過去にも足跡つけてるんだから、心配ないよ。エルフの住処に入っちゃったことはないし、採集しながら森を出ちゃったこともないから。それにほら、この森、すっごく広いしね」
自信満々だった。その真偽はどうであれ、今はその自信に乗っかろう。何かあれば、その時に手伝えばいいのだ。こんな森の奥地ではあったが、安心とは少し違う、相手を信頼するということの心地よさを味わっていた。
「じゃ、道案内はそのままフォルちゃんにお任せするからね」
「おう、任せてくださいな!!」
疲れも不安も感じさせない元気のいい声が、森の中にこだました。
〜つづく〜