チャプター5
〜アーレンの森 一日目〜
王都を出て三日、二人はアーレンの森にたどり着いた。昼間だというのに、薄暗い。鬱蒼と生い茂る木々には圧倒されるが、明らかに人が立ち入った気配がある。散策路のように整備されているわけではないが、森には入り口のように木々が切り開かれ、轍になっている箇所がある。フォルクローレは、そこを慣れた様子で分け入って行く。大きな荷車を曳きながらよくもと思うが、おそらくは素材採集のために何度も訪れているのだろう。
魔物の気配こそしないが、獣の気配は辺り一面にしている。中には人間をおもちゃや食料としか見ていない猛獣もいるだろう。この度胸には、さすがのエルリッヒも関心を通り越して呆れてしまう。
(はぁ、よくやるよ)
持参の爆弾が大活躍していることは想像に難くないものの、はたして実際のほどはどうなのか。前を歩くフォルクローレは鼻歌を歌っており、緊張感のかけらもない。
「フォルちゃーん、そんなにのん気でいいの〜?」
「ん〜? 何が〜?」
名も知らぬ草を踏みしめながら、轍を奥へ奥へと進んでいく。この様子だと、どこか森の中に目的地があるのかもしれない。とはいえ、危険の潜む森を歩くのにこの様子はどうだろう。今まで、危険な目に遭ったことはないのだろうか。
この薄暗い中、風の乗って聞こえてくる葉擦れの音はなんとも不気味だ。そんな場所で物陰から突如獣が襲ってくるかもしれないというのだから、考えただけでもドキドキする。
「森の中だよ? 危ないと思うんだけど〜」
「う〜ん、そうだねぇ。この森は狼に蛇に、凶悪なエルフ族も出るしねぇ。だけど、大丈夫じゃないかな。前に来た時に、手当たり次第爆弾で蹴散らしてやったら、だんだん何も出なくなった」
その話には、エルリッヒの頭がついていかない。まず、エルフが出るというのは初耳だ。人間とは交流を持たず、人里離れた場所で暮らしているとは聞くが、人間に牙をむく一族もいるのか。そして、出てくる相手をことごとく爆弾で吹き飛ばしたというのだから、それもまた恐ろしい。そこまでされれば、恐れるのも無理はない。まして自然の生き物は人間よりも鼻が利く、フォルクローレの匂いや火薬の匂いを感じ取って、距離を置いていても不思議はない。もちろん、仇討ちとばかりに襲ってくる相手もいるかもしれないのだが。
「はぁ、フォルちゃん強いわ。普段は一人でこんなとこまで来てるの?」
「まさか〜! たまには冒険者を雇うよ? ギルドに行けばよりどりみどりだし、ゲートムントとツァイネが暇な時には、あの二人に頼むこともあるしね。気心が知れてるし、何より友達価格で安くて強い!」
一応は金銭のやりとりがあるのかと、妙に感心してしまう。友達価格で割引をするにしても、無料で請け負ってそうなのに、これは意外だった。
「あの二人、どれくらいで引き受けてるの? ていうか、今たまにはって言わなかった?」
「うん、言ったよ? あたしそんなに裕福じゃないもん、毎回雇えるわけないじゃーん。ゲートムントたちも、そこまで暇じゃないしさ。あいつら、すぐエルちゃんと旅に行っちゃうじゃん。あと、勝手に修行の旅に出ちゃうし」
そういえばそうだった。ここ最近は、あの二人と三人で外に出ることが多い。これではフォルクローレは護衛を頼もうにも頼めまい。しかも、ギルドで依頼をこなすのが生活の糧を得る手段のはずなのに、自己鍛錬と称して修行に出かけてしまう。戦士としてはストイックな限りで良いが、依頼を頼む側としては、たまったものではない。
「あー、なんか……ごめん。ちなみに、今回は私がお供で良かったの? 手伝うとは言ったけどさ」
「ふふふ、あのフライパンがものすごく重いって知った時から、適任者だと思っていたよ? それにさ、旅慣れてるみたいだしね。冒険者はまだいいんだけど、ギルドの戦士の中には街から出たことのないような人も意外と多いんだ。だから、旅慣れてる人の方が断然いいんだよ。あと、料理の上手いエルちゃんと旅をすれば、食いっぱぐれないどころか美味しいご飯を食べられる!」
緻密な計算なのか打算なのか、とても判断できないような話が飛び出してくる。あぁ、これがフォルクローレという娘なのだ。あざといまでに計算高い相手や、打算が透けて見えるような相手とは違い、こちらとしても素直に相手ができる。やはり、私たちなるべくして友達になったのだ。
「ま、なんでもいいけど、お役に立てるのなら何よりだよ」
「いえいえこちらこそー。っとと、そろそろ着くよ」
どこをどう来たのか、さっぱりわからない。後ろを振り返れば轍は続いており、これを辿れば無事に出られそうだが、それでも不安が拭えないような奥地に入った印象がある。少なくとも、フォルクローレがいる前では元の姿に戻ることはできない。それができれば、ただ飛び上がりさえすれば今の位置が簡単に確認できるのだが。
「はい、到着〜!」
「え? 嘘、すごい……」
たどり着いたそこは、木々の生えていない広場のようになった場所で、そこだけは明るい日差しが差し込んでいる。そして何より、湖と呼ぶには小さく、泉と呼ぶには大きな泉があった。
「前に来た時、偶然見つけたんだ。地図上でどのあたりになるのかはわからないし、辿ってきた道からもわかると思うけど、誰かが踏み入った跡があって、未踏の地ってわけじゃないはず。でも、少なくとも木こりや猟師の類はいなかったし、今はあたしたちだけの場所だよ。今回は、ここを拠点にします! 早速テントの用意をしよう!」
「なるほど、そういうことなんだね。はぁ〜、すごいわ〜」
この短い時間、エルリッヒは驚きっぱなしだった。まさか、本当に「安全」にこんな森の奥地まで辿り着けるとは。しかも、地図でしか見たことのないアーレンの森に、こんな場所があったとは。
「エルちゃ〜ん、手伝って〜!」
「はいはーい」
入り口付近に荷車を停めると、念のためにとロープで木に係留し、荷下しを始める。フォルクローレもさすがの手際だった。エルリッヒはといえば、フォルクローレの持ってきた荷物についてはまるでわからないため、まずは荷解きされるまで、自分の荷物の整理をすることにした。いつものように、簡易キッチンを作りたいが、それはまず寝床などの確保をしてからだろう。
「じゃ、まずはこのテントの設営からね」
「うん」
そうして、二人はここを採取活動のベースキャンプにするべく、動き始めた。
〜一時間後〜
「できた〜〜!」
「おー! すごい!」
二人は無事にテントを設営し、簡易キッチンをこしらえ、倒木を運んで椅子の代わりにし、そして小枝を拾い集めて薪にして、ベースキャンプを作り上げた。
「一人の時はこれ全部自分でやってたから、本当ありがたいよー。ねえエルちゃ〜ん、まだ日暮れまでは少しあるし、テントでくつろごうよ!」
「え、いいの?」
夕食の支度にしろ採取活動の開始にしろ、何か活動を始めるのかと思いきや、まさか休憩である。戸惑うエルリッヒの腕を引っ張りながら、笑顔で答える。
「いいも何も、素材採取って、焦ったらダメなんだよ。まして、明日帰るわけじゃないんだし。さ、のんびり横になろうよ」
「……」
律儀に靴を脱いでテントの中へ入るフォルクローレの背中を見て、とりあえずはそのやり方に従おう、と考えた。少なくとも、素材採取などという行為は経験がないので、三百年以上人間をしていても、ここはフォルクローレが先輩だ。
「ほらほら、落ち葉がクッションになって気持ちいいよ〜」
早速寝そべっているその姿は、確かに心地よさそうだ。ふっと表情を緩めてそれに倣う。
「あ、本当だ。やわらかい」
初めて足を踏み入れたテントは、ふわりとエルリッヒを迎えてくれた。そして、並ぶように横になる。なるほど天然のベッドのようだった。
「街を出てからの疲れが飛ぶでしょ?」
「んー、確かに」
そうして、二人はゆっくり目を閉じ、午睡に身を任せた。外敵の脅威など、存在しないかのように。
〜つづく〜