チャプター3
〜昼下がり 竜の紅玉亭〜
昼の営業が終わり、二人は遅めの昼食をとりながら人心地ついていた。
「おつかれー。お昼時は大変でしょ」
「まさか、こんなに大変だとは! てゆーか、普段やらないことをするのは疲れるよー」
エルリッヒは慣れたものだったが、フォルクローレは疲れからか、すっかりぐったりしている。夜営業のための仕込みを経て、またこの忙しさが訪れるのだ。考えただけでも気が滅入る。そして、その大変さを毎日繰り返しているのだから、本当に頭がさがる。
「こっちだって、驚いたよ。まさかあんなやり方をしちゃうなんてね」
「でしょ? あれならみんなも納得してくれると思ったんだ」
アイディアに満ちたフォルクローレの発想を思い出し、思わず深く頷いてしまう。もしかしたら自分の頭が堅すぎるだけなのかもしれないが、こんな発想はとてもではないがでてこなかった。
スープを飲みながら、先ほどのことを思い出す。
〜二時間前〜
久しぶりの開店ということもあって、店内は常連客で賑わっていた。皆、無事の帰還を喜び、久しぶりに口にするエルリッヒの料理に舌鼓を打った。確かにいつも以上に忙しかったが、それよりも、こうして変わらず来てくれることが何より嬉しかった。
フォルクローレが給仕の一切を引き受けてくれたため、エルリッヒは厨房で料理に集中できた。普段は全て一人でやっているため、火の管理やフライパンの管理に気を使いながらの給仕になるが、その心配がいらないというのは、まことにもってありがたい。
それを考えれば、誰か一人でも店員を雇えばいいのかもしれないが、なんだかんだと不定期で休むことがあるし、何よりそこまでの余裕はない。人間社会で暮らすということは、日々の最低限必要になるお金だけを稼いでいればいいというわけではない。余剰分も稼いでおかなくてはならないのだ。
幸い、ここに来るお客さんは皆優しく、一人で切り盛りしている事情をよく汲んでくれているが、それでもこちらとしては若干の申し訳なさもある。だから、こういうイレギュラーな状態であっても、ウェイトレスが一人いるという状態がとてもありがたかった。
「はい、四番テーブルさん牛肉のポワゾン炒めに野菜スープとリッカおばさんの特製黒パンお待たせしました!」
「おう! ありがとな!」
性格も表情も明るいフォルクローレは、あっという間に常連客に気に入られた。三角巾に押し込められた金髪を時折キラキラと輝かせながら働く姿は、普段爆弾の調合や調合の失敗などで火薬の匂いをさせている姿からは程遠い。
そんなフォルクローレが、手ぶらになった隙を見て、おもむろに店の中央で手を叩いた。
「みなさーん! 少しだけ話を聞いてくださーい!」
何事かと注目する中、大きな声で話し始める。これには、客だけでなくエルリッヒも気になってしまう。料理の手を止めることはできないものの、耳だけはそちらに意識を集中させた。
「わたくしこと錬金術士のフォルクローレは、この度王様への献上品を作ることになりました!」
王の名が出ることで、ますます注目は集まる。多くの民衆に慕われる王への献上品となれば、誉れ高く関心も高い。しかし、なぜこんなところでそんな宣言をするのだろうと、誰もが思った。
「栄えある王様への献上品を作るため、わたしはエルちゃんに手伝いをお願いしました! 皆様、誠に勝手ながらエルちゃんを少しお借りします! だから、またお店が休みがちになると思いますが、どうかご容赦ください!」
深々と頭を下げ、しかし一方ではみんなにもこの状況を楽しんでもらおうと、声のトーンはどこまでも明るい。それが心象にどれだけの影響を与えたのかはわからないが、機嫌を損ねる客は一人もいなかった。むしろ、応援ムードにすらなっていた。
「王様に献上たぁやるじゃねぇか! おっちゃん、応援するぜ!」
「おばさんも、応援するよ! 頑張るんだよ!」
「エルちゃんを取られるのは辛いけど、王様が相手じゃなぁ」
「だな。応援するしかないよな。お嬢ちゃん、頑張れよ!」
口々に応援の声が飛び、最後には拍手まで沸き起こった。これがこの街なのである。もしここで怒り出すような客がいたら、むしろ袋叩きに遭ってしまうだろう。これが、この街の暖かさなのだ。
「みんな……ありがとう!! あたし、頑張る!」
さっきまでの丁寧な口調とは打って変わって普段の口調に戻る。そして、緊張の糸が解けたのか、言葉遣いだけでなく表情も緩む。すっかり穏やかなムードになったその頃、今度はエルリッヒの声が響き渡った。
「フォルちゃん! 三番テーブルの鶏肉とほうれん草の香草炒め、できたよ! 早く来て!」
「はっ、そうだった! はーい!」
こうして、エルリッヒのスケジュールレンタルを宣言すると、再びフォルクローレは給仕に戻って行った。
「あれなら、みんな納得してくれるでしょ?」
「……だといいけど」
わずかばかりの不安は残るものの、確かに誰の目から見てもあの宣言は効果抜群に見えた。「王様への献上品を作る手伝い」など、そうそうできるわけではないのだから、当然と言えば当然なのだが、フォルクローレ自身も少し不安があったため、今はすっかり安堵している。
「ね、夜も言ったほうがいいかな」
「んー、お客さん次第じゃないかな。さっきの人たち、だいたい夜も来てくれるから。もし常連さんでさっきいなかった人がいたら、また個別に教えるよ。さ、そろそろお皿空けちゃってくれる? 仕込みに入らないとだから」
綺麗に空いた自分の皿を厨房に持って行きながら、フォルクローレにも指示を出す。一人ですべてを賄っていることもあり、お昼といえどそんなにのんびりとは食べていられないのだ。
「大変だねぇ。んっ、んぐっ、はい、お待たせ」
フォルクローレも皿を空けると、同じように厨房に持って行った。夕方の仕込みは、二人分の皿洗いから始まる。
「それじゃ、私はこっちをやるから、フォルちゃんはテーブルを綺麗にしたら、好きに休憩してていいからね」
「そう? なんか悪いね」
厨房はエルリッヒ一人の戦場、料理の腕の怪しいフォルクローレには手伝ってもらうポイントはないし、テーブルの掃除などはそこまで時間がかからない。まして慣れない仕事で疲れているはずなのだから、休憩してもらうことは妥当な判断だった。
休憩と言っても、家の中はフロアと私室くらいしか過ごすところはないため、外に出ることもあり得るが、それは自由に任せることにした。
「夜は夜で忙しいからね、少しでもいい感じで手伝って欲しいし」
「そっか。じゃあまずは掃除からしますかね」
二人はそれぞれの作業に取り掛かる。まだ日は高かった。
〜夜〜
いつものように夜の営業を終え、二人はようやく人心地ついた。いつものゆっくりできるひとときである。エルリッヒはいつも通りだが、フォルクローレにとっては慣れない仕事に一日従事したため、経験のない疲労感に飲まれていた。
カウンターにもたれかかるようにぐったりしている。
「ふへ〜、疲れた〜。エルちゃん毎日こんなのこなしてるんでしょ? 尊敬しかないよ〜」
夕食の支度をするエルリッヒの姿を見つめながら、緩やかにつぶやく。
「そうは言ってもね、最初のうちはお客さんが少なかったからそうでもなかったし、お客さんが増えるにつれて、体が慣れてきた、て感じなんだよね。お店を始めてすぐこれだったら流石に倒れてたかも」
「それはそうと、昼と夜と二回宣言したから、大丈夫だよね」
夜の営業でも、昼間と同じ宣言を行った。大半は同じ顔ぶれだったが、それでも常連の中には昼間来ていなかった人もおり、必要性を感じたからだ。
少しくどいかもしれないとは思ったが、これで常連客への周知は万全だろう。いつ休みになっても怪しんだりはすまい。お店を休みにすること自体はよろしくないのだが、それはやむを得まい。報酬の金貨3,000枚は何としてでも確保してもらわなくてはならないが、そのためにも全力で手助けをして、王様に納得してもらわなくてはならない。
「ま、やれることをやるだけだよ。全力で手伝うから、フォルちゃんはしっかり頑張ってよね。さ、晩御飯できたよー」
「お、待ってたよ〜!」
先ほどから漂ういい匂いと共に、湯気を立ち上らせた料理が運ばれてくる。待ち望んでいた癒しの時間だ。フォルクローレも今までの疲れた様子は何処へやら、厨房に入ってナイフとフォークを用意する。
「さ、どうぞ召し上がれ〜!」
こうして、楽しい夕食の時間が始まった。
〜つづく〜