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チャプター2

〜夜明け前・竜の紅玉亭〜



 仕入れのためにと市場に向かうべく外に出たエルリッヒを待っていたのは、なぜか店の前で座っていた、フォルクローレだった。もしかして、あのまま帰ったのではなく、一晩中ここで待っていたのだろうか。

 一応、防寒用に毛布のようなものはかぶっているので、一旦は帰宅したのだとわかるが、それでも、いつから待っていたのかと考えると、空恐ろしい。

「ね、ねえ、いつからここにいるの?」

「んー、さっきおんどりが鳴いたけど、その少し前かな。もう、心配で心配で眠れなくって」

 気持ちは分からなくもないが、寒そうにうずくまってこちらを見上げるその姿は、およそ尋常ではない。どうしてこう、やることが極端なのか。

「とにかく、これから仕入れだから、一緒についてきて。そこで待ってるよりは、身体動かした方がいいだろうし、ここを通る人が怪しんでも嫌だし」

「わかった、じゃあお供させてもらうね」

 かくして、とても頼りないお供を連れ、エルリッヒは仕入れへと向かった。




〜二時間後 竜の紅玉亭〜



 無事に仕入れを終えた二人は、荷台いっぱいの食材を曳き、自宅へと帰り着いた。

「エルちゃん、あんなに人気だったなんて!」

「人気って……久しぶりだからだよ、大したことじゃないって。それより、話は聞いてあげるけど、何しろ忙しいし、お店を手伝ってくれると嬉しいんだけど、どう?」

 食材を厨房に運び入れながらの打診。何しろこれから仕込みを行って、ひと段落した頃にはもうお昼時だ。昼下がりまでの長い戦いが始まる。せっかくの人手、できれば逃したくはない。

 嫌な顔をされるかもしれない、とは踏んでいたが、返ってきた答えはあまりにも早かった。

「いいよ」

「え、即答? いいの? いや、頼んだのはこっちだし、そりゃもちろん嬉しいんだけど、そういうことじゃなくて、アトリエはいいの? それに、かなり忙しいよ?」

 過去、同様にフォルクローレに手伝ってもらったことがあるため、その忙しさを体験していれば、もっと長い時間悩んだり、断ったりすることもあるだろうと踏んでいたのだが、これは嬉しい誤算だった。わずかに、エルリッヒの表情がほころぶ。

「やたっ! じゃなくて、ありがとね! それじゃ、これ運び終わったら私仕込みに入るから、その間お店の中を掃除してくれるかな。窓を開けて、雑巾をかけて欲しいんだ」

「お安い御用!」

 ぽふりと、動きが力強い割には優しい音を立てながら拳で胸を叩く。そんなフォルクローレの内心にはどんな目論見が潜んでいるのか、ちらりとは考えるものの、気にしていては仕方がない、今はただこの幸運を活かさねば。雑巾と木桶の場所を伝えながら、首を左右に大きく振った。

(ま、大方王様からの依頼を手伝えってとこでしょ……)

 それが楽観視なのか最悪の事態の想定なのかは判断できなかったが、当たらずとも遠からずだろうという確信はあった。しかし、その真偽よりも今はただ、今日の営業をきっちりこなすことの方が大事だった。

「じゃ、お願いね。できるだけ埃を立てないように気をつけてね」

「うん!」

 雑巾を手にしたフォルクローレの姿は、とても勇ましく、とてもお似合いだった。



 それから二時間ほど経った頃、エルリッヒの仕込みがようやくひと段落した。旅の間も食事係を引き受けていたとはいえ、やはり使い慣れたこの厨房に立っていると落ち着くし、手際も良いように感じられる。久しぶりの開店を誰より喜んでいるのは、エルリッヒ本人なのだ。その所作には、終始楽しそうな空気が漂っていた。

「フォルちゃ〜ん。こっちはひと段落したよー。そっちはどう〜?」

 濡れた手をタオルで拭いながら、くるりと振り向いた次の瞬間、目を丸くして大きな口を開け、あまつさえそれを手で押さえる仕草をしてしまった。あまりにもスタンダードな、驚きの表現である。

 時間があったからか、手馴れていたからか、理由はわからなかったが、とにかくピカピカなのである。箒を使えない以上、雑巾による水拭きのみを頼んだのだが、あまりにも綺麗になっていた。それは、午前中の日差しを受けて、輝いてさえ見えた。

「すごい……」

「どう?」

 自慢げに立っているフォルクローレの指先は真っ赤だ。きっと、井戸まで何往復もし、雑巾を何度も絞ったのに違いない。そういう苦労が見えると、感謝の念が増してくる。

 思わず拍手を送りながらゆっくりと歩み寄り、そのまま抱きついてしまった。

「ちょ! ちょっと! エルちゃん?」

 驚きのあまり雑巾を取り落としてしまったが、耳元で「ありがとう」と囁かれると、それ以上言葉が出てこなかった。それほどまでに、このお店が大切なのだろう。そんなエルリッヒの気持ちが伝わってきた。

 自分では大したことをしたつもりではないのだが、相手に喜ばれるというのはいいものだ。これは、普段の依頼を受けた時にも通ずる思いであり、つまるところそういう感謝を振りまきたい、という思いが錬金術士として研究に没頭するだけの人生を選ばせなかったのである。

「……どういたしまして」

 たった一言、それだけを紡ぐと、エルリッヒを優しく引き剥がした。そして、雑巾を木桶に掛ける。

「じゃ、少し休憩しよっか。お昼どきになる前にフォルちゃんの話も聞かなきゃだし。お茶淹れておくから、その間に手を洗ってくるといいよ」

「ん、ありがとね」

 フォルクローレが店の外にある井戸に向かう間に、二人分のお茶を用意する。お湯はすでに沸かしてあるため、時間はかからない。ポットに茶葉を入れてお湯を注ぐと、途端に香りが辺りに漂う。これだけでも疲れが取れそうだった。

 そうこうするうちにフォルクローレが戻ってきた。二人分のティーカップとソーサーを用意すると、そこにお茶を注ぎ、カウンターに並べる。お茶菓子のような贅沢品はないが、まあ仕方あるまい。

「おつかれー。まさかこんなに綺麗になるなんて思ってなかったよ。本当に感謝感謝!」

「いやいや、お安い御用って言ったでしょ? あたしだって一人暮らしの達人なんだから、掃除くらいは人並み以上にできますって」

 普段あれだけ散らかしていて部屋の汚いフォルクローレに掃除が得意と言われても、まるで説得力がないのだが、こうして実際に綺麗になった店内を目の当たりにしてしまうと、信じないわけにはいかない。普段は調合に没頭していてそこまで手が回らないということなのだろうか。

 それはそれでもったいないが、こうして発揮する機会があったのは良いことなのかもしれない。

「さて、じゃあお茶を飲みながら話を聞くね。どこからでも話してよ。あ、でも、できるだけ簡潔にね。あんまり時間ないのは事実だし」

「わかったよ。大まかな概要と期間については昨日話した通りなんだけど、何を作ったらいいのか、すっごく悩んでてね。それで、森に行って採取してきたり、山で鉱物拾ったり、色々してきたいんだよ」

 ただそれだけの話を聞けば、何のことはない普段の活動に聞こえる。一体何がそんなに悩ませているのか。そこのところが気になった。

「それなら、いつもみたいに冒険者の人を雇って採取に行けばいいんじゃないの? 爆弾たくさん持ってさ」

「そうなんだけど、何を作ったら王様が喜ぶかなんて、全然わかんないんだよ〜! で、エルちゃんが王様と会ったことがあるって思い出して」

 引っかかっていたのはそこだった。依頼主が「王様」である以上、下手なものを出せば自分の首が飛ぶかもしれない、そう考えるのは無理もなかった。だからと言って自分に泣きついてくるのもいささか早計には感じられたが、気持ちは充分にわかる。エルリッヒが王権を恐れないのは、単純な戦闘能力で勝っていることを自覚しているからに他ならない。

 いくら爆弾作りの名手フォルクローレでも、この国の騎士団丸ごとを相手に勝つ算段はつけられまい。

「ん、なんとなくわかったよ。でも、それならツァイネなんかは王様のそばで働いてたんだからもっと王様のことを知ってるはずだし、私より適任なんじゃないの? それに、せっかく帰ってきたんだし、あんまりお店を開けたくはないんだけど……」

「そこはほら、女の子同士の気安さってあるでしょ? いくら気心の知れたツァイネでも、そういうお願いはしにくいっていうか、察して! あと、お店を開けさせるのは、その代わりで金貨3,000枚でどう?」

 フォルクローレのなんとなく秘めた思いは伝わった。そして、唐突に大金の話が出てきた。金貨といえば、普段目にすることのない高額貨幣である。どこをどうしたらそんな大金が捻出できるのか、疑問でならない。

「何か、いいお客さんでも捕まえた?」

「うーん、そうじゃなくて、今回の件で、もし余を楽しませるものを献上できたなら、望みの褒美をやろう、て言われてて。とっさにエルちゃんに手伝ってもらうことを思いついたから、こういう補填は必要かなぁって訊いてみたら、よかろう、だって! だから、手伝ってくれたらお店の売り上げが落ちちゃう分の補償で金貨3000枚! どうかな……?」

 確かに魅力的な報酬ではある。銀貨3,000枚ならまだ目にする機会もあるが、これが金貨となればその価値は桁違いだ。補填としては十分すぎる。

「う〜ん、確かに魅力だけど、お店を開けるっていうのはさ、単純に売り上げが落ちるだけじゃなくって、お店がやってないっていう印象を与えることにもなるんだよ。だから、お店の信用にも影響を与えちゃうのね。で、旅から帰ってきたばっかでしょ? せっかく再開したのにまたお休みなんじゃ、お客さん離れていっちゃうかもしれないんだよ。それを考えるとねー」

 「竜の紅玉亭」に来る客は、料理やお酒を楽しむだけでなく、エルリッヒ個人に会いたい、という目的で訪れる客も多い。それに、顔なじみの近所の人たちばかりだ、多少のことでは信用は落ちないだろうが、そうは言っても逃げられない不安があった。

 少なくとも、一般の商売人ではないフォルクローレには、この思いはわかるまい、そう考えていた。案の定、フォルクローレの顔は意外そうな表情をしている。

「なるほど、考えもしなかった。あたしなんかはすぐ素材集めでいなくなっちゃうから、みんなわかっててくれるけど、普通はそんなことないもんね。あ、でも、だったらいいアイディアを思いついたよ。だから、安心して? とりあえず、今日のお店が開いた後で説明するから」

「??? それ、本当? もし不安が消えなかったら、返事は待ってもらうからね?」

 ポニーテールを揺らしながら首をかしげ、フォルクローレの提案を一応の形で受け入れる。とっさに思いついたアイディアとやらで、一体何をしようというのか。

「今は、久しぶりの開店なんだし、しっかりやろう!」

「フォルちゃんにお尻を叩かれるとはね。でも、その通りだ」

 カップに残ったお茶を飲み干すと、店の外に出て看板を掛ける。それが開店の合図だった。

「今まで気づかなかったけど、いい看板じゃん」

 遅れて外に出てきたフォルクローレがまじまじと見つめるそれは、日差しを受けて輝いていた。

「でしょ? 鍛冶屋さんで作ってもらったんだ」

 それは、エルリッヒを思わせる横向きの少女がフライパンを振るっているシルエットに、竜の翼のシルエットをあしらった、特注の看板だった。この街で看板を持つということは、一人前の営業ができていることの証でもあり、自慢の備品だった。

「木でできた看板もいいけど、鉄製のもいいよね」

「フォルちゃんの工房も、看板かければいいのに」

 そうしない理由はよくわからないが、現時点では工房に看板はかかっていなかった。

「ま、おいおいね」

「おいおい、ですか」

 二人は店の中に戻り、いよいよ開店準備を終える。いつもの様子なら、すぐにも一番客が入ってくるはずだ。

「エルちゃん、久しぶり!!」

 早速野太い声を響かせて入ってきたのは、八百屋のペーターだった。朝市で仕入れに来た時から、今か今かと待っていたのである。

「あ、ペーターおじさん。いらっしゃいませ!」

 店内に、明るい挨拶が響き渡った。




〜つづく〜

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