チャプター18
〜フォルクローレのアトリエ〜
久しぶりにアトリエを訪れたあの日から、二人の同居生活が始まった。
早速自宅から着替えなど簡単な荷物を運び込んだエルリッヒは、アトリエのに荷物をまとめ、そこを拠点とした。なにしろフォルクローレは調合でずっとアトリエにこもりきりなので、夜寝るときくらいしかここには戻ってこない。
その生活は非常に単純明快だった。朝昼晩、しっかりと食事を作り、食べさせる。そして、二階の掃除や洗濯を行う。アトリエはどうしても立ち入りがたい部分があるため掃除は出来なかったが、それ以外の家事の一切を行った。結局のところはメイドのような役割なのだが、無給とはいえ食材はフォルクローレのお金で調達するためあまり気兼ねがいらない。それに、フォルクローレという娘は放っておくとすぐに自堕落な生活に陥り、文字通り寝食を忘れ、さらには着替えることも忘れ、顔も洗わずに延々と調合作業を行っていたりする。そのような生活が、いいはずはなかった。
エルリッヒがやってきて、強制的に健康的な生活を送らされることによって、フォルクローレの健康は維持されることになった。
そして、今回の調合は至難を極めるのか、一週間経っても最終的な完成品が出来上がることはなかった。エルリッヒによる健康管理を持ってしても、フォルクローレは少しずつ憔悴していくのだった。
「ねえ、たまにはしっかり休んだら? 睡眠時間だって、減ってるんでしょ?」
昼食時、エルリッヒは思い切って切り出してみた。それがフォルクローレにとって急につながることはわかっているが、最終的にやり抜くためには、休まなければならない時もある。おそらく、今はそういう時のはずだ。
フォルクローレも、わかってはいるのかフォークを口にくわえたまま答えようとしない。きっと、休むべきか続けるべきか、思案しているのだろう。どちらの大事さもわかるから、答えあぐねているのだ。
「う〜」
うめき声を上げたところで結論は出ないのだが、ついつい唸ってしまう。それこそが、フォルクローレが悩んでいる証しだろう。結局のところ、後押しが欲しいのだ。休むにしても、調合を続けるにしても。
「ほらほら、倒れたら元も子もないって」
「そっかー、そうだよねぇー。でも、休むったって何をすりゃいいんだか」
意外なことに、怠けることに全力投球しそうな印象のあるフォルクローレは、調合中には真面目そのもので、休むことすら忘れてしまう。良くも悪くも、一直線な娘なのだ。
だからこそ、フォルクローレがそれを後押ししてより良い結果が出せるようにしたり、時には引き止めてあげたりといったコントロールが大きな意味を持っていた。
そして、今はどう考えても休ませる時だった。
「フォルちゃん、ここ最近睡眠時間短くなってるでしょ。絶対パフォーマンス落ちてるよ。休むっていうくらいだから、特に何かをする必要なんてないんだから」
「なるほどなー。今の調合もあと少しで完成だし、そしたら少し休むかなー」
エルリッヒの提案は意外なほど大きな効果を持っている。そのアドバイスが的を外していないとわかるから、素直に聞き入れようという気になるのだ。それは、フォルクローレの内心では一応考えている、ということでもあった。
兎にも角にも、休むとなったら体だけでなく心も休めた方が良い。何をどうすれば休まるのかは、誰にもわからなかったが、こればかりは他人が口を挟むことではないし、当人ですらそこまで理解できてはいない。自分の心など、所詮は見えないのだから。
「んじゃ、キリのいいところまで作業したら、昼寝でもしよっか。それまでに、こっちも食器洗ったり洗い物取り込んだりしておくからさ」
「お、お昼寝? いいねえ」
きっと、内心ではもどかしい思いもあるのだろう。それでもこうして乗ってきてくれるのだから、ありがたい。普段休むということを軽視しがちなのは、エルリッヒも同じだった。だからこそ、こうして人の体調を管理する立場になってみて、改めてその重要性を実感するのだ。
これは、普段旅でゲートムントたちと時間を共にしている時にも感じていたが、こうして直接それ専門の役割になってみると、重みがまるで違う。
「それじゃ、お昼寝のためにもご飯を食べちゃおう!」
「あぁ〜もぅ。急がないでいいんだからね? 一昨日、焦って喉に詰まらせたのは誰だっけ」
時には母のように、時には姉のように、そしてもちろん友として、日々の生活に寄り添う。それはとても楽しくて、思いの外充実した日々だった。
調合のことはわからないまでも、表情を見れば出来栄えや進み具合はなんとなくわかるし、そういう、メンタルの浮き沈みが体調と密接に関係していることも深く理解できた。この三百年でも珍しい経験だ。
「よし、ごちそうさま!」
「はいなー。って、口の周りくらい綺麗にしなよねー。ほら」
急いで調合に戻ろうとするのを手をとって引き止め、口の周りを拭ってあげた。所作振る舞いにどことなく幼さが残っているのが可愛い。それとも、人間の娘は全てこうなのだろうか。
もっとも、明確に覚えているだけでも四百年は生きているエルリッヒといえど、人間年齢に換算すれば二十歳そこそこだ、そう変わりはしない。所詮、精神の成長など目に見えない分明確な指標などはなく、身体の成長は成熟と老化以外に意味はない。そして、竜王族の子供は生後百年足らずで大方の身体的成熟に達する。本来の姿である竜の姿はもちろんのこと、神が与えたもうた、もしくは先祖から受け継いだ、人間の姿にしてみても、十代半ば頃の体にはなっている。そこからが長いことを考えれば、取るに足らない話だった。
(お父様から見たら、私もこんな風に映ってるのかな……)
バタバタと慌ただしい足取りで釜の前に戻るフォルクローレを見つめながら、不意に、遥か彼方の故郷で暮らす父、即ち当代の竜王を思い出した。もう、顔を見ていない時間の方が三倍も長くなってしまったのか。
(たまには帰るのも悪くないのかな……)
郷愁などという感情にとらわれたのも、久しぶりのことだった。少なくとも、この街に腰を落ち着けてからは初めてのことだった。
「さ、私も食べちゃわないと」
料理は温かいうちに食べないとね。と自分に言い聞かせながら、残りの料理を平らげるのだった。
〜フォルクローレのアトリエ 二階〜
「はぁ〜、こんな日の高いうちに寝るなんて、本当久しぶりだよ〜」
「それは私も一緒だよ。とにかくフォルちゃんは少し寝たほうがいいよ。いくら寝てても、フォルちゃんの就寝が遅いのはわかるんだからね」
二人はそれぞれにキリのいいところまで仕事を終え、揃ってベッドに潜り込んだ。エルリッヒの家で休養させた時と同じく、ベッドは一人用のものが一台しかないので、どうしても手狭になってしまう。しかし、そうして肩を寄せ合うのも、意外なほどにいいものだった。
「ご飯食べたばっかだし、なんだかんだ言っても横になると眠くなるもんだねぇ。おやすみ〜」
「え! 嘘! 早!」
目を閉じるなり寝息を立てるフォルクローレ。想像を超えた寝つきの良さに、驚きを禁じえなかった。
「ま、それだけ根を詰めてたってことか。ゆっくりおやすみ」
布団から半身だけ起こして、少しの間フォルクローレの寝顔を眺める。普段表情がくるくる変わる元気娘だから気づかないが、こうしていると、まるで神話の女神のようだった。窓から差し込む午後の光が、金色の髪に反射して眩しく輝いている。
「黙ってたら綺麗なのに。勿体無い子だ」
フォルクローレの頬を2、3度突くと、優しい微笑みを浮かべながら、ベッドに身を沈めた。
〜つづく〜




