チャプター1
「エルちゃん、そっち! 赤い木の実を採って!」
「はーい」
夕暮れ時の森の奥、二人の若い女性の声が響き渡るっていた。一人はフォルクローレ、一人はエルリッヒ。フォルクローレは手にした杖で樹上の木の実を指してエルリッヒに指示を飛ばし、自らは視線で茶色い毛皮に覆われた、四つ足の獣を追いかけ、エルリッヒが木の実の採取に動き出したのを確認すると、夕日を照らした金の髪を揺らしながら駆け出す。二人は王都から北に向かうこと三日のところにある、アーレンの森にいた。そして、今日はすでに三日目である。王都を離れて一週間近く経っていることになる。
「あー、逃げられた! そっちの首尾はどー?」
「んー、こっちは余裕っすよ」
気の抜けた返事にも手にした赤い木の実を見るなりフォルクローレは安堵の息を漏らした。自分が追っていた相手には逃げられたが、せめて、せめてこれだけは確保することができた。
「さてと、そろそろ日も落ちてきたし、ご飯の準備をしようか!」
「はいはい」
なんでこんなことになってしまったんだろうと思いながら、エルリッヒはフォルクローレの後に付いて歩いて行った。二人が向かうのは、森で偶然見つけた開けた場所。ここが二人の宿営地、ベースキャンプになっていた。
それは、遡ること二週間前……
〜コッペパン通り・竜の紅玉亭〜
長旅から帰ってきたエルリッヒを出迎えたのは、まるで不審者と見紛うように侵入していたフォルクローレだった。
「で? なんでフォルちゃんはここにいるのかな?
「だからね……えっと……ちょっと困ったことになっちゃって……」
窓の鎧戸を開け、光と風を入れながらフォルクローレの話を聞く。しかし、欲しい答えは「これ」ではなかった。一旦手を止め、カウンターで申し訳なさそうに座っているフォルクローレに冷たい笑顔を向けた。
「説明するのは、そこからじゃないよね? なんで、勝手に入ってるのかな? いくら友達の家でも、人の家だよ?」
「あぁ、それはね! 柔らかくて硬い不思議な金属でできた鍵があってね! それで!」
一瞬にして嬉々とした表情に変わる。なんということだろうか、どれだけ申し訳なさそうな表情をしていても、どれだけ困ったことに見舞われていても、自分の作品をはじめとした錬金術の話になると一変してしまうのがフォルクローレという娘だった。
今も、全身を使ってその「鍵」とやらがどれだけ不思議な金属でできているかを説明している。先程に比べ、ひとまわりもふたまわりも大きく見える。
「うーん、それ、市中警護の兵士さんに突き出したら投獄されちゃうやつだよね」
「ご、ごめんなさい〜〜っ!!!」
確かに調合の失敗や爆弾作りなどの個性的な行動は多いが、それでも普段、どちらかといえばリアリストで、こういう常識はずれの事をしでかすのはむしろエルリッヒで、フォルクローレはそれを糾す役目だったはず。それが、今回は逆転している。
「はぁ、なんか困ってるみたいだし、今はこれ以上追求しないけどさ、何があったのか説明してくれるよね? 一応、長旅帰りで疲れてるんだよね」
「わかった! じゃあ、事情を話したら今日のところは一旦帰るから、だから、話をさせて!」
今にも泣き出しそうな様子に加えてこうまで言われたのでは、追い返すこともできない。頭が痛くなりそうになるのを必死にこらえながら、エルリッヒもカウンターの椅子に腰掛けた。
「じゃあ、話だけは聞くから。でも、疲れてるのはホントだし、手短にね?」
「ありがと〜〜!! じゃあ、頑張って手短に話すよ」
エルリッヒの話はこうだった。一週間前のある日、突如お城に呼び出されたという。しかも、謁見の間で王様が直接会うという。普段から爆弾製造や怪しい薬の調合、それに調合の失敗によって起こる工房での爆発、気まずいネタには事欠かないフォルクローレはアトリエを取り潰しにされるのではないかと、肝を冷やしていた。
しかし、王様自ら語るところによれば、ここ最近貴族の間でフォルクローレの存在が話題になっているらしい。曰く、「不思議なアイテムを用立ててくれるお店」とのことだった。そこで、錬金術やアイテムの調合に興味を示した王様が、直接フォルクローレから話を聞くために呼び出した、という顛末であった。
「なるほどね〜。私も経験あるけど、いきなり鎧を着た兵士が訪ねてきて、高圧的に呼び出したんでしょ? あれ、本当に肝が冷えるよね。で、どこに泣きつく要素があるの?」
「大事なのはここからなんだよ〜。そのあと、王様なんて言ったと思う? せっかくだから、余の前に何か一品持ってきてはくれぬか、て言ったんだよ〜。一応、下手を打ってもいけないと思ってさ、何を作るべきかの検討から入りますので、三ヶ月時間を下さい、て答えて、王様の了承も取り付けたけど、何をどうしたらいいかさっぱりわからなくて、手を貸して欲しくて!」
王様と会ったことのあるエルリッヒは、その姿を思い浮かべながら話を聞いていた。気さくなところのある王様のこと、いかにも言いそうだと思った。しかし、これはさすがに無茶である。アイテム作りに関しては門外漢だが、さすがに爆弾を持っていくわけにもいかないだろうし、王様を喜ばせなければならない。無理難題であることは、容易に想像できた。
つまるところ、同情の余地あり、と思ってしまったのである。
「とりあえず、事情と気持ちはわかったよ。友達としては手助けしてあげたい気持ちもある。だけど、明日からお店を再開させる予定だったから、そっちのことも考えなきゃならない。特に、お金のことは急務だしね。明日また来てくれるかな、一晩考えて、それから答えるから」
「わ、わかった。絶対だからね! 回答、聞かせてよね!!」
話すだけ話してすっきりしたのか、フォルクローレは少しだけ晴れやかな表情で帰って行った。帰宅早々、これは厄介なことになったものだと、一人きりの食堂で頬杖をついて、大きなため息をつく。
「とりあえず疲れた。軽くご飯を食べて、寝よう」
荷解きもそこそこに、残っていた道中の非常食を食べると、そのまま二階の自室に戻って行った。先日までの魔王軍との戦いと比べるとまるで平和な話ではあったが、それでも王様の絡む一件を相談され、頭が混乱しそうになっていた。そんな状態では、今はこれが精一杯だった。
〜翌朝〜
昨日は早く寝たせいか雀の鳴き声とともに目が覚めた。どうやら、おんどりはまだ鳴いていないらしい。
「さて……」
夜が明けきっていない今、市場が開くにはまだ早い。ランタンに日を灯し、部屋の明かりをとると、寝間着のまま荷解きを始める。昨日そのままにしてしまった旅の荷物を整理しなければ。
いそいそと麻袋を開けて荷物を床の上に放り出す。エルリッヒにとって、片付けの前の分類作業はここから始まるのだった。
そうして片付けを小一時間ほど行った頃だろうか、ようやくおんどりの鳴き声がこだましてきた。窓の外を見ると、いままさに顔を出さんとするお日様の威光が夜闇を染め始めていた。
「お、そろそろかな」
日が昇る少し前には動き出さないと、市場では良い食材を仕入れることはできない。ましてしばらくぶりに顔を出すのだ、しっかりと愛想を振りまかなければ。
途中になっている片付けもそこそこに寝間着から着替え、お財布を手に階下に降りる。そして、厨房脇の勝手口から外に出て、荷車を用意する。
これがいつもの仕入れスタイルだ。久しぶりの日常に、お店を出したばかりの頃の興奮が蘇るようだった。
「よーし、今日も張り切るぞ!」
気合十分、出発しようとしたその時だった。
「エルちゃん、おはよう」
「うわぁ!!」
なんと、家の前にはフォルクローレが毛布をかぶりながらうずくまっていた。思わず、大きな声が出てしまうのだった。
もちろん、それは近所迷惑である。次の瞬間、慌てて自らの口をふさぐエルリッヒであった。
〜つづく〜