ふんわり異世界旅行
「どこ......」
冷たい風が頬を撫でる。
石畳の部屋の周りを見渡す、周りには大柄な男性達が、厳めしい顔をしてこちらを見つめている。
(ユメ......かな?)
お風呂から上がり、半乾きの髪をタオルでふき取りながら、マリと電話してそれで......
「......ッ」
思い出そうとすると、頭がボォーッとして何も考えられなくなる。
もう一度あたりを見回すと、厳つい男たちの奥に、明らかに毛色の違う人物たちがいた。
その誰もが、鎧のようなものを身に着け、腰に剣を下げている。
「おい、女」
ふと上座から不愉快そうな声が投げかけられた。そちらへ目をやるがそこには誰もいない。
ただ空席の玉座があるだけ。
(いや、いる。なにか......)
目を凝らし、意識をそこだけにやると、確かにそこには男の影があった。その肌は、浅黒いとかでは断じて無い。正しく言葉どおりに影を張り付けたような、捉えることのできないものだった。
(なに、あれ)
影からは、品定めをするように、こちらを嘗め回す瞳と、嗤っているようにも、威嚇しているようにも見える、三日月型の肉食獣のような口だけが怪しく浮かぶ。
「なんだ、お前、私が視えるのか? 完全には覚醒してはいない様だが、流石は女神憑きか......なら殊更に生かしてはおけんよなぁ」
影は、くつくつと笑ったかと思うと、こちらへ冷淡な視線を寄越し物騒なことを言いのける。
(怖い、怖い、怖い)
影の冷たい視線に曝される。まるで心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥り、呼吸が荒くなる。全身から汗が止まらなくなり、震えは大きくなる一方だった。
震える体を抱えて、何とか影の方をもう一度見やる。
(あぁ、ダメ、これ以上)
影の眼がドンドン大きくなり、今にも潰されてしまいそうなほどの質量に感じる。
(どうか、助けて、誰か‼)
「......ァッ‥‥アァ」
掴まれた心臓を、そのまま抉り出されてしまいそうな重圧に耐えきれなくなり、全身から力が抜けていく。霞む視界の中、影と私の間に何かが割り込んで。
「ご戯れをマスター。して、この娘はいかに?」
フッと、体を嬲るような重圧が消え、体温が取り戻されていった。目の前のそれに目をやるとそこには......
(銀の......オオカミ)
「なに、ここでいきなり致したりはせんさ。そいつを牢屋に連れて行け、どうするかは明後日話し合う」
重圧から解放された体は、意識を内側の底へと潜らせていった。
~ ~ ~
「夢じゃ、ないのかな?」
ジメジメとした部屋の中、冷たい風に二度目の起床を促され、未だ覚めない夢に意識を巡らせていた。
あの後意識を取り戻し、夢の中で眠れば目が覚めて、またいつもの朝が来ると思い、寝てみたが、気づけば部屋の天窓から、僅かな木漏れ日しか入ってこないこの部屋で朝を迎えていた。
五感に伝わる感触はとてもリアルで、これが現実であると訴えかけていた。
(おなか、すいたな)
思えば昨日、夕食を抜いてしまい、半日以上何も口にしていない状態だった。手元にあるのは、いつも着けている、皆で旅行に行った時に買ったネックレスだけ。
「何処なんだろう、ここ」
くぅ、と小さな抗議をする腹部をさすり、空腹を紛らわしていると、鉄製の扉を誰かがノックした。
「飯だ」
短く告げるその声は、どうやら先ほど影の前に立ち話を促していた男のモノのようだ。
「まっ、待って」
そのまま立ち去っていく男を、何とか引き止めるべく言葉を発してみたが、あとが続かない。
「あのっ! 私、そのっ、帰りたいんです。日本の豊洲ってとこなんですけど、その目が覚めたらこんなところにいて、私わけわからなくて!」
「いまニホンといったか?」
思わぬ展開に、ドアの格子に張り付く。するとその様子に驚いたのか、少し戸惑ったように男は話し始めた。
「知っているんですか!」
「あぁ、昔、日本人と名乗る男に会ったことが、ある。腕の立つ男だった。一度も勝てなかった」
懐かしむような声で話す男の顔は鎧を被っていてわからない。ただ首を振って何かを思い返しているようだった。
「あの、私どうなるんですか? あの人、生かしておけないって」
そう、影は言っていた。今思い返すだけでも体が冷えるような感覚になる、影の男。
「このままいけば、お前は死ぬだろうな」
淡々と男は死の宣告をする。まるでそれが当たり前のような、日常の会話であるかのような気軽さで。
男はこちらを向くと、しかし、と言葉をつづけた。
「もし、お前に生きる価値があるならば。もし、お前に足掻く意思があるならば」
男は腰のポーチから、小さな縦笛を取り出しこちらに渡す。
「求めよ、私を。さすれば風に乗って、私は来よう」
そう告げると男はその場から去って行った。
そしてその後、別の男が次の日に私の処刑が決まったことを告げた。
~ ~ ~
「さぁさ、諸君! よく集まってくれた」
明け方、人々が広場に集まり、その真ん中に出来た高台を囲っている。外の日も通さないほどに厚い雲も、吹き飛ばすかのように、皆一様に興奮状態にあり、獣のような太い雄叫びを挙げていた。
影の男はというと、高台に吊るされた私の隣で、騎士に囲まれながら、集まった男達相手に、大声で捲し立てていた。騎士の中には、あの狼の鎧を着た男も混じっている。
「ここに懸けられている少女は、女神の籠を一身に受け独占し、人々から幸福を奪い去る少女、女神憑きの魔女である!」
全身純白の礼服に白いローブを羽織った男は右手の大きな杖で私を指しながら更に煽っていく。
「昨今の隣国との戦争で、多くの同胞が傷つく中、この少女が我々のささやかな生命の喜びすら、奪い去っていくのだ!」
『魔女め! 消えされ!』
『悪魔!』
『私達の息子を返せ』
『この淫婦めが!』
様々な罵倒が、私に投げられてくる。
そんな状態を見て、男は愉悦の笑みを浮かべていた。男が左手を挙げ、静粛にするよう合図を出し、完全に場が静まり返ったころ男は最後の審判を言い下した。
「さぁ諸君、この幸福を奪い溜め、不幸をばら撒く少女をいかにして断罪すべきか!」
男が言い終わると、人々は口々にあらゆる罰を科し求めた。
『火あぶりだ、火あぶりにしろ!』
『股裂きの刑だ』
『首をはねろ! 晒し首だ』
何でこんなことになっているのだろう。
何処かもわからない場所で、誰かもわからない人から罵倒を受けて。
(どうせ、これは夢。きっと、死んで意識が、なくなったら、いつもの、朝に......)
本当に?
「では、諸君らの意見を取り入れて、この少女は斬刑に処すことに決定した!」
観客の人々のボルテージは最高潮にはで上がり、それに押されるかのように、私は下に設置されたギロチンの元に移動させられていく。その時、狼の騎士と目が合ったような気がした。
―求めよ、私を―
昨日、かけられた言葉が頭の中によぎる。
―私は来よう―
胸元には昨日渡された笛。
(生きたい)
気づいた時には、笛を口元にやり、息を吹き込んでいた。透き通った笛の音が鳴り響く。
「この貴様っ!」
(どうか、私を)
不審な行動をした私を罰するために、騎士の一人が私に殴りかかる。
「助けてっ?」
「よく言った、娘よ」
不遜に響き渡る声と共に、騎士が吹き飛ぶ。
「お前の願い、お前の望み 全て叶えよう」
銀色の騎士が仁王立ちで、私を守るように立ちはだかる。
「ジョーカー! 貴様ぁ!」
雄叫びを挙げて、鎧を着た十人の騎士たちが、それぞれ襲い掛かってくる。
「貴様ら相手に、この鎧は、些か重過ぎる」
日常の愚痴を垂れるような態度で、騎士たちの剣でベルトを斬り、鎧を外し始める。
ほぼ胴以外の鎧がなくなり、彼が頭の部分に手をかける。そして中から出てきたのは、端整な顔立ちをした青年だった。
風に黒い髪がたなびき、背中のマントには獅子の刻印が成されている。
「全く、面倒事とは重なるものだ」
奥から影の男が、騎士を退け現れた。
「卿が裏切り者とはな。何ともまぁ、予想外だったよ」
「裏切りなどしていない、最初から邪神の味方ではなかっただけの話だ。」
二人の男が向かい合い、茶飲み友達様な気軽さで会話しているが、お互いに視線は相手の隙を探っていた。
「にしても、この数の騎士を相手にして無傷で帰るのは難しかろう?」
確かに敵は、騎士と男の十一人だけではない。下にいる者たちも、逃げたとなれば、みすみす逃がしてやるなんてことは無いだろう。
「確かに、これでは無傷どころか、逃げ切ることも容易くはないだろう......来い」
彼の周囲が黒く歪み、影がせり上がっていく。
「だがそれは私達だけの場合だ」
影が膨張し、限界に達したように破裂し、中から歪で巨大な狼のようなものが現れた。だがそれは適切な表現ではない。何故ならば中から出たそれが、狼のような甲冑を着けているから、そう表現できただけだ。甲冑の隙間からは爛れたようなドロドロの肌を見せ、甲冑から見える口は、痛みに耐えているようにも、獲物に食らいつけるのを、喜んでいるようにも見える。狂気に染まった眼は、正面の影の男ただ一人を見つめていた。
「なるほど、ホラー使いか。正義の騎士とは思えないな」
周囲は餓狼の登場時の余波で、意識を失うものや、狂気に身を落とすもので埋め尽くされていた。
「■■■■■■■■!!」
『ウァァァアァァアァァァ!』
ホラーと呼ばれたそれが、吼えると先ほどまで威勢の良かった騎士たちも、恐怖に支配されたのか、ほとんど戦意を殺がれていた。
「■■■!」
ホラーが周囲の騎士たちを、邪魔だと言わんばかりに右手で薙ぐと、碌な防御もできないまま、まるで人形のように捻飛ばされていき、気付けば生きて戦意を保っているのは、私達しか残っていなかった。
「惨いことをする。これではまた、一から作り直しが必要だな。しかし本当に女神を守る守護騎士か? 貴様は」
「生憎、民を守るのが守護騎士の仕事ではないのでな」
ホラーが影の男に右腕を振りかざす。そうすれば、そこには拉げた肉人形が残るだけのはずだった
「消えろ......何!」
振り下ろした先に、影の男の姿はなく、ただ血のような、赤黒い霧が舞うだけだった。
《今回は、まぁ楽しめたよ。また次のときに会いまみえることを期待しておくとしよう。それまで精々生きていろよ。守護騎士と異界からのお姫様》
フッとそれまで感じていた重圧が退き、空を覆っていた分厚い雲も、蜘蛛の子を蹴散らすように細切れに消え去って行った。
「お前はどうする」
急な問いを投げかけられ、すぐには答えが返せなかった。
「えっと、その、どうするって?」
どうするって言っても、何をどうすればいいのかなんて、こっちが聞きたいくらいで。
「お前はどうしたいのかを聞いているんだ」
返事が返ってこないことに、苛々したのか彼がせっついてくる。おなかだって減ってるし、昨日出されたご飯だって、おいしくなかったし、そんなことを考えていると。
くぅ、と小さな抗議。
「取り敢えず、美味しいもの食べたい。あとお家、帰りたいです」
絞り出した答えに、納得したのか彼は少し笑いながら歩き出した。
「家よりも飯が先に来たか。良いだろう。近くの町に、旨い店がある。着いて来い。私の名前はジョーカー」
彼に離されないように歩いていると、振り向いた彼から右手を差し出されていた。
「手を繋がなくったって歩けます」
「阿呆か、お前の名前は」
そう言われて、ようやく私は差し出された手の意味を理解して。
「恵美理。藤堂恵美理です。よろしくお願いします」
差し出された右手に私は答えた。