フェイという女
(1)
「あら、珍しい組み合わせ」
店まであと少し、というところで、三人はフェイと出くわした。
「イアンてば、シーヴァの次はミランダでも買うの??あんた、いつの間に移り気な男になったのよーー」
フェイはそう言って一人でケラケラ笑うが、直後、ゴホゴホと苦しげに激しく咳込んだ。
「おい、フェイ。大丈夫か??」
「ありがと。多分、ちょっとした夏風邪かもね」
「医者は行ったのか??」
「風邪くらい、何てことないわよ。それにダンテがね、今度良い医者に診せてあげるって言ってくれるし」
ダンテとは、フェイの元へ通っている豪商の跡取り息子の事だ。
フェイのことを相当気に入ったようで、今では自分の専属娼婦として破格の待遇で扱っている。もしかしたら、身請けされる日も近いのでは……、と噂になる程だ。
「それなら良いが……。フェイ。咳が出て辛いかもしれんが……。阿片チンキだけは使うなよ、絶対に!」
いつになく切迫した様子で忠告するイアンの姿に、フェイもミランダもシーヴァも思わず息を飲んで黙り込んだ。
「分かってるって。貴方から話を聞いてからは使わないようにしているし、他の人にも伝えているわ。勿論、イアンの名前は言わずに」
「そうか。それはわざわざありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
フェイはスカートの裾を翻しながら、ミランダ達より一足早く店の中へと入っていった。
「貴方は本当に優しい人なのね」
「そうか??」
店のすぐ手前まで来ると、イアンは二人に別れを告げてすぐに去って行った。
店先でイアンと別れる前、ミランダは彼に告げようと思いつつ、結局告げられずにいたことがあった。
フェイには気を付けた方がいい、彼女は貴方が思っているよりずっと複雑な人間だ、とーー。
(2)
フェイがイアンと出会ったのは約一年半前、歓楽街の片隅で倒れていた彼に声を掛けたことが始まりだった。
その日、フェイは中々客が捕まらず、凍てつくような冷たい夜の空気に身を震わせながら街を歩いていた。表通りは粗方当たってみたので、少々危険ではあるが裏通りに回って客を引こう、と、人気のない路地へ入り込んだ時、一人の男が壁にもたれ掛かった状態で倒れ込んでいる。酔っ払いだろうか。
放っておいてやろうかとも思ったが、起こすだけ起こしてやることにした。
「ねぇ、お兄さん。こんなところで寝ていたら風邪引くわよーー??それどころか、こんな真冬だから、死ぬかもしれないわよーー??」
フェイは、ダークブラウンのボサボサ頭でやたら大柄な癖に痩せっぽっちな男――イアンの広い肩を激しく揺さぶり、起こそうとする。よく見ると、目元と口許が赤く腫れ上がっていて、下唇が切れて血が滲んでいる。
「何、お兄さん、喧嘩でもしたの――??ばっかねぇーー!!」
「……ち、がう……」
フェイの大声での呼びかけに、イアンはようやく意識を取り戻して言葉を返す。
「……ふた、りぐみ……の、チンピラにぶつかっちまって……」
「で、因縁つけられて殴られたって訳ね……」
フェイはどうしたもんかと、逡巡する。
「とりあえずさぁーー、ここで寝てたって仕方ないんだし、私の部屋に行くわよ。傷の手当くらいならしてあげるから。お兄さん、立てる??」
イアンは頷くと、地面に手をつき、緩慢な動作で身体を起こす。動くと傷が痛むのか、顔を思い切り顰めながら。
「……お前さん……、娼婦か……」
「じゃなきゃ、こんな時間に歓楽街なんか出歩いていないわよ」
真っ直ぐ立つことなく、大きな身体を少しふらつかせているイアンを腰に手を当てながらじろじろとフェイは不躾なまでに眺める。
「……助け起こしてくれて、ありがとう。でも、手当までは遠慮しておくよ」
「何で??遠慮することないじゃない」
「いや……、それが……」
「はっきり言いな」
「…………」
初対面にも関わらず、フェイのきつい口調にたじろいでいるのもあるだろうが、それ以外にも何か理由があるみたいだ。イアンの気まずそうにしている様子から、フェイは気づく。
「あーー、もしかして、チンピラに有り金も奪われちゃったとかーー??」
「…………」
どうやら図星のようである。
途端にフェイは、「そりゃ、私の部屋に行くこと躊躇するわよねぇーー」とコロコロと声を立てて笑う。馬鹿にされたと思ったイアンは、少しムッとした顔をして、「……笑いたきゃ笑えよ……。今、俺は一文無しなんだ……」とフェイを睨み付ける。
「あははは、ごめんごめん!!いやーー、お兄さん、真面目だねぇ。気に入ったわ!!」
「は??」
「今夜の部屋代は私が立て替えるから。だって、私があんたの傷の手当てがしたいだけだし」
「……いいのか??」
「さっきからそう言ってるじゃない。つべこべ言わずに、ついてきなって」
フェイは戸惑うイアンに構わず、半ば強制的に彼を「ルータスフラワー」に連れて帰った。
勿論、傷の手当てだけで終わるはずがない。
「お兄さん、ついでにヤッていく??金は次回でいいよ」というフェイの言葉を皮切りに、二人は関係を持った。
フェイは、飲んだくれの父親が飲み代の金欲しさに十二歳の時に売られたという。
「それだけじゃないわ。未だに、あの馬鹿親父は飲み代をマダムに借りに来るの。おかげで、稼いでも稼いでも借金は減らない。きっと私は永代稼ぎの運命なのよ」
いつも明るいフェイが父親のことを語る時、切れ上がった目尻をますます吊り上げ、薄茶色の瞳に僅かに憎しみが籠る。が、それも一瞬のこと。
「だからね、私は絶対に金持ちの客に身請けされてやるって自分に誓っているの。私を不細工だと笑う奴も見返すことが出来るし、何より馬鹿親父に復讐してやれるから。もし、私の身請け先にあいつが金を請求しに来たら、二度と私の前に姿を現せなくなるくらいとっちめてやるんだ。勿論、ビタ一文も金は渡さない」
そう言ってフェイは笑う。
「でも、私はイアン達みたいな普通の客も大事に思っているの。私は器量が良くないから中々客がついてくれないけど、一度気に入ると皆、私だけを求めてくれる。他の女を買ったとしても、また私の所へ戻ってくる。私はそんな彼らが愛おしいの」
だからーー。
私から離れていくなんて、絶対に許さないーー。