広場にて
教会から広場へと続く道の両側に、長い銀色の幹をしたブナの木が並んでいる。 その遊歩道を三人は肩を並べて歩く。今は真夏の暑い盛りで、太陽の日差しを受ける緑の葉は光を反射し、光沢を持つ。イアンは眩しさの余り、思わず目を細める。
広場に着くと、イアンは屋台で自分とミランダにはビール、シーヴァにはサンドイッチと紅茶を買い、イアン、シーヴァ、ミランダの順でベンチに座った。
シーヴァは腹が空いていたのか、がつがつと勢い良くサンドイッチにかぶりつく。
「こりゃ、いい食べっぷりだなぁ。でも、喉に詰まらすなよーー」
笑いながらビールの瓶に口をつけるイアンにミランダは、「シーヴァはともかく、私の分までありがとう」と礼を述べた。
「いいって、いいって。この歳になってから綺麗なお嬢様方を引き連れて出歩くことなんて滅多にないし。俺はそれだけでも嬉しくてね」
『ひあん、だはりゃ、おひはんふはいっへ(イアン、だから、おじさんくさいって)』
「……シーヴァ、食べるか喋るか、どっちかにしろ……」
口の中一杯にパンを詰め込んだ状態でもなお突っ込んでくるシーヴァの頭を、イアンはこつんと軽くげんこつで小突く。
「綺麗ねぇ……」
ミランダが小さな声で独り言をそっと呟く。
「何か言った??」
「いえ、何でもないわ。あら、シーヴァ、左のほっぺたにパンくずがついているわ」
ミランダはシーヴァの頬のパンくずを指で撮み、払う。
『ありがとう』
「いいえ」
シーヴァはミランダの手を取り、彼女の掌に文字を綴る。
「いいわよ。行ってらっしゃい」
すると、シーヴァは幾分はしゃいだ様子で、中央にある大きな噴水に向かって駆け出して行った。
「あの噴水の周辺にいる、ジプシーの楽団の演奏が聴きたいんですって」
「そうか」
イアンとミランダの二人してベンチに取り残されたものの、会話が続かない。
けれど、イアンはこの沈黙が決して苦痛ではなく、むしろ心地良いとすら感じた。
傍から見たら、自分とシーヴァとミランダは家族に見られてもおかしくないし、実際この場にいる人間の大半はそう見ているだろう。自分自身も、気を抜くとそんな錯覚に陥りそうになる。そのくらい、シーヴァとミランダといると心が安らぐのだ。こんな気持ちは家族を亡くして以来、初めての事である。
「イアンさん」
「何だ??」
「シーヴァの事、できるだけ大事にしてあげてくださいね。あの子は、本当ならあんな場所にはいちゃいけない子だし、もっと幸せになるべき子だから」
「あぁ、分かってる。だけど」
イアンはミランダの大きな瞳を見据える。
「お前さんは幸せになりたくないのか??」
ミランダの瞳の奥に一瞬、動揺が走る。それを悟られたくないからか、ミランダはイアンからサッと目を逸らす。
「私には……、そんな資格はないから……」
「自分は娼婦で汚れきっているからとでも??だが、娼婦が汚いなんて、誰が決めたんだ。少なくとも俺は、文字通り自分の身を削って必死に生きるお前さん方が汚いだなんて思ったりしない」
「……貴方は、とても真っ直ぐな人なのね」
「そうか??」
「だから、シーヴァは貴方の事をあんなに慕っているのね」
「どう見ても、馬鹿にされているとしか思えんが……」
「照れ隠しみたいなものよ」
ミランダはうっすらと微笑む。が、すぐに表情を曇らせる。
「昔……、一人だけ、たった一人だけ、愛した人がいたの。でも、当時、私はあの男爵の囲われ者だったから、彼と共にこの街から逃げ出そうとしたけど……、結局捕まって連れ戻されてしまった。その時、彼はあの男爵の手下に酷い暴行を受けて……」
「まさか……、殺されたとか……、って、すまん。嫌なことを聞いた」
ミランダは力なく首を横に振る。
「分からないの。生きているのか死んでいるのかも。生きていたとしても、後遺症が残る程の怪我を負ったかもしれないし。彼は娼館の客でも何でもない、この広場で知り合った人だった。私と関わらなければ、あんな目に遭わなかったのに……」
ミランダも大切な人を失い、そのことを自分のせいだと自身を責め続けて生きていたようだ。おそらく、彼女が酒に溺れ他人に心を閉ざしがちなのは、イアンと同じく人生に失望を感じているからだろう。
「ごめんなさい、貴方にこんな話して」
「いや、気にすることはないさぁ。俺も似たようなもん抱えているし……って、いってぇ!!」
いつの間にかベンチまで戻ってきたシーヴァが、イアンの背後に周り込み、彼の頭を思い切り叩いてきたのだ。
「おーまーえーはぁ……、俺が何したっていうんだよ?!」
『いくらミランダが美人だからって、鼻の下伸ばしてきもい!昼間からみっともない!!』
「あのなぁ……」
もはや言い返す気力も失せているイアンを無視して、シーヴァはミランダの掌に『そろそろ夕方になるから、もう戻ろうよ』と文字を綴る。
「そうね、じゃあ店に戻ろう。イアンさん、今日は色々とありがとう」
「いいえーー、って、俺は別に何もしちゃいないけど。あ、良ければ店まで送らせてくれ」
するとシーヴァが『何??そんなにミランダが気に入ったの??』と聞いてきたので、「違うって……。どうでもいいけど、お前、今日はいつになく俺に突っかかってくるよな……」とイアンが尋ねるとミランダが、「多分、焼きもち妬いてるのよ」としれっと答える。
『ちょっ……、ミランダ!!そんな訳ないでしょ!!やめてよ!!』
シーヴァはミランダの掌に文字を綴るのも忘れて、泡を吹きそうな勢いで口をパクパク動かすも、「シーヴァ、ごめん。私は唇の動き読めないから……」と返されてしまい、ますます焦っている。そして、そんな二人の様子を「まるで姉妹喧嘩だなぁ」などとイアンは呑気に眺めながら、二人を店まで送り届けたのだった.