教会にて
⑴
「神の慈しみを信頼して、貴方の罪を告白してください」
細かい網目の格子戸を隔てて、年老いた神父がイアンに語り掛ける。告白を促されたイアンは軽く深呼吸をした後、口を開く。
「俺は……、自分の至らなさによって妻と娘を死なせてしまいました。だから、今後の人生で大切な人間は絶対に作るまい、ずっとそう思って生きてきたのに……。この手でどうしても守ってやりたいと思う人間が現れてしまったんです。こんな俺を、死んだ妻や娘が許してくれるとは思えません。家族を守れなかったお前がどうして赤の他人なんか守れる、思い上がるなと、天国で怒っているかもしれない。自分でもそう思っています……。それなのに……、家族を死なせた罪を一生背負っていかなきゃならないのに、その人間を守っていきたい気持ちの方が日増しに強くなっていくんです。俺の罪は……、家族の死を忘れつつあることです……。そして、そのことを許されたいとすら思い始めてしまったことです……」
イアンは妻子を亡くしたのは自分のせいだと強く思い込んでいる節があり、時々、その罪の意識に耐え切れなくなっては教会の告解室に訪れていた。彼は決して信仰深い人間ではなかったが、この時ばかりは神にすがりたくなるのだ。実に身勝手なものだと自分自身でもそう思うし、また、こんな調子の良い奴など神も呆れ果てて救おうなどとしないだろうと、矛盾した思いも感じている。それでも、イアンはどこかで何かしらの救いを求めては、ここへ赴くのだった。
しばらくの間、告解室の中を沈黙が支配していたが、やがて、しゃがれてはいるが凛としたよく通る声で、神父はイアンに問い掛ける。
「貴方は、一体誰に許されたいのですか??神ですか??亡くなられたご家族の魂ですか??それとも、あなたが大切にしたい方ですか??」
「……分かりません……。でも、多分、その全てかもしれません」
「貴方は今、神に試されているのです。ご家族を守れなかった分、その大切にしたい方を守ることは、神が貴方に与えた課題なのです。余計な邪念は捨て、与えられた課題を懸命に取り組みなさい。そうすれば、神も亡くなられたご家族も、貴方の罪を許すことでしょう。それでは、神の赦しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えて下さい。神が教会の奉仕の務めを通して、あなたに赦しと平和を与えて下さいますように。私は、父と子と聖霊の御名によって、あなたの罪を赦します」
「アーメン」
告解が終わると、イアンは神父から指示された償い――、再び悔い改めの祈りを捧げるべく、礼拝堂に足を踏み入れる。
左右対称に、それぞれ七脚ずつ設置されている長椅子の間―深紅の絨毯が敷かれたヴァージンロードの上を歩き、聖壇の前まで辿り着いた時だった。
イアンより先に、聖壇に祀られた十字架の下で祈りを捧げている女がいた。
クリーム色のシャツにえんじ色のスカートと服装は地味だったが、癖のないプラチナブロンドの長い髪に小柄で華奢な体つき、琥珀色の大きな猫目が特徴的な、やや童顔のその美女はミランダだった。
ミランダは大きな瞳を更に拡げて真剣に祈りを捧げているせいか、隣に立つイアンに全く気付いていない。イアンもイアンで、祈りを捧げるミランダの横顔が余りに美しく、不謹慎ながら、つい見惚れてしまっていた。
「神様、私は何もいりません。その代わりに、彼を……、彼だけは幸せになって欲しいんです。それだけが、私が唯一願っていることです」
彼とは、一体誰の事なのだろう。
ダドリー・R・ファインズ男爵のことなのか。
ファインズ男爵は爵位を引き継ぐと同時に、婚約していた伯爵家の令嬢と結婚すると、それまでの放蕩振りが嘘のように落ち着き、夫人とは仲睦まじいおしどり夫婦だともっぱらの評判だ。その証拠に、結婚四年目にして、すでに二人の子息を儲けている。
富も地位も権力も美貌も生まれながらにして持っている上に、家庭まで上手くいっている恵まれた男、それも自分を捨てた男の幸せなど願ったりするだろうか。 少なくとも、もしイアンが彼女の立場ならば、絶対に出来ない。 それとも、ファインズ男爵ではない、別の男性の事を想って祈っているのか。
どんなに考えたところで、本当のことはミランダしか知りえないことだ。
イアンは無駄に考えることをやめようと頭を切り替え、祭壇に祀られた十字架に向かって、祈りを捧げた。
「イアンさん??」
イアンの祈りが終わると同時に、ミランダが声を掛けてきた。
「いつの間にここへ??こんなところで会うなんて、奇遇ね」
「教会に来たのは二十分程前だが、ほんの少し前まで告解室にいたんだ」
「私は十分程前かしら。シーヴァも一緒に来ているわ」
「シーヴァも??」
だが、シーヴァの姿は礼拝堂全体を見渡してもどこにも見当たらない。
「あの子、『神様なんか信じていないから、私は中に入らない』なんて言って、入り口付近で待っていてくれてるの」
「成る程ねぇ。あいつらしいや」
イアンは軽く鼻を鳴らして笑う。
「じゃあ、せっかくだから、あいつに会ってから帰ろうかな」
「そうしてあげて。絶対喜ぶと思うから」
「それはどうだろう」
表情こそあまり変わらないものの、意外にミランダは話しやすい人物だった。ひょっとしたら、本当は気さくな性格なのかもしれない。
二人は礼拝堂を後にして、外で待っているシーヴァの元へと共に向かった。
「シーヴァ、お待たせ」
シーヴァは白い石畳で出来た入り口の階段に腰掛け、退屈そうに足をぶらぶらと遊ばせていたが、ミランダとイアンの姿を目にした途端、吃驚してすぐに立ち上がった。
『どうしてイアンがここにいるの??』
「シーヴァとミランダが来る少し前に、告解室に来ていたから」
『意外。イアンって、神様なんか信じるんだ』
「まぁ、そこまで信心深くないけど。それより、休みに一緒に出掛けるなんて、お前とミランダって本当に仲が良いんだな。まるで歳が離れた姉妹みたいだ」
まだ幼いと言うのに、身を売る生活を余儀なくされているシーヴァのことを、自分以外で気に掛けてくれている人がいる。それが少なからず、彼女にとって救いになっていてくれれば、とイアンは願う。
「ねぇ、イアンさん。私とシーヴァ、これから教会の近くにある広場まで行くんだけど、良かったら一緒にどうですか??」
「こんなおじさんでいいのか??そりゃ、俺は両手に花だからウハウハだし、良いって言うなら尻尾振りまくって付いていくけど」
ミランダからの誘いに、迷うことなくイアンはすぐさま乗った。
『イアン、きもい。おじさんが尻尾振るとかって、想像したら怖いよ』
すかさずシーヴァが眉間に皺を寄せて、さも嫌そうにイアンの言葉の揚げ足を取る。
「おーまーえーなぁーー!!最近、どんどん言葉に棘が増してるぞ?!」
目の前で繰り広げられる、幼いながら親子程歳の離れたイアンを適当にあしらうシーヴァと、シーヴァにいちいち振り回されるイアンのやり取りをミランダは唖然としながら見ていたが、やがて「……ふふっ……」と噴き出す。その笑顔は、あどけない少女のようだった。