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シーヴァという少女 ②


シーヴァと出会ってしばらく経ったある日――、クリスマスイブのことだった。

イブにも関わらず、イアンは自宅の離れにある作業場で一人、朝から黙々と棺桶を作っていた。明日はクリスマスだというのに葬儀があるそうで、今日の夕方までに棺桶を一つ用意して欲しいと言う依頼が入ったからだ。

 棺本体は午前中に完成していて、最後の仕上げが残っているだけだった。

 棺の表面を丁寧にカンナや鑢を使ってならし、滑らかになるよう仕上げていく。

 そして、棺の側面に死者へ贈る言葉――、『聖なるせいなるな、聖なる哉、聖なる哉、主サワオフ、其の光榮は全地に満つ』と、手で彫っていき、その文字も鑢で研磨する。これで、ようやく完成だ。あとは、依頼主である葬儀屋が棺桶を引き取りに来るのを待つのみ。

 作業を終えると、イアンは作業台の傍の丸椅子に腰掛けて、ふぅと息をつく。

「葬儀屋の奴、早く来ねぇかな……」

 葬儀屋に棺を受け渡したら、今日もシーヴァのところへ顔を出しに行こうと思っている。特に今日は、シーヴァに歴とした用事があるので、イアンは何としてでも彼女に会いに行きたかった。


 ⑵


 葬儀屋が棺桶を受け取りに来たのは夕方の五時を回ってからだったので、イアンがシーヴァの元へ辿り着いた頃にはすっかり日が落ちていた。

「シーヴァ、今日も来たぞ……」

 シーヴァの姿を確認して声を掛けようとしたイアンだったが、思わず言葉を飲み込む。

 背広を纏った妙に身なりの良い紳士と、何やら込み入った話をしていたからだ。

 もしかすると人買いの類かも知れないので、イアンは物陰からそっと様子を伺う。

「お嬢ちゃん、今からおじさんがポケットから出す紙にサインしてくれれば、もうこんな寒い中で歌を唄ってお金を稼がなくて済むよ。それどころか、毎日美味しいものが食べられて、温かいベッドで眠れて、綺麗なお洋服が着られる生活が出来るようになる。君も貧乏は嫌だろう??」

 シーヴァは終始無言で、にこやかに微笑む男の顔と契約書を交互に見比べた後、契約書の書面をじぃっと眺めていた。

「あぁ、書面にはおじさんがさっき言ったことと同じことが書いてあるだけだからね。ちょっと文章の書き方が難しいから、君には読めないかもしれないけど」

やはりイアンの予想通り、男は人買いのようである。

シーヴァは賢い娘だ。おまけに用心深い質なので、この程度じゃまず騙されないだろう。

だが、万が一、ということも考え得るため、イアンが止めに入ろうと物陰から出て行こうとした時だった。

「おじさん、『かんしょうどれい』って何??」

 男はシーヴァの言葉に驚き、途端に、それまで浮かべていた胡散臭いまでの笑顔を引っ込める。

「君……、字が読めるのか??」

「お母さんが金持ちの子供相手に家庭教師をしていたから、少しくらいなら字は読めるし書ける」

「…………」

「私が見るからに混血児だから、金持ちに鑑賞用の奴隷として売ろうとしているんでしょ??」

 見る見る内に醜く歪んでいく男の表情に一切怖気づかず、しっかりと男を真っ直ぐに見据えるシーヴァの視線に耐えきれなくなったのか、男は「うるせぇ、生意気なクソガキが!」と逆上し、シーヴァを思い切り突き飛ばした。

「おいおーい、こんな子供相手に逆切れするなんて、みっともないにも程があるぜぇ??」

これ以上、シーヴァに危害が加えられるのはさすがに見過ごせない、そう思ったイアンは物陰から姿を現し、彼女を殴りつけようとした男の腕を掴んで、軽く捻り上げる。

大して力を加えたつもりはなかったのだが、男は大袈裟なまでに痛がり、自分よりも頭一つ分以上は背の高いイアンに恐れをなしたのか、「いででででで!は、放してくれ!悪かった!!俺が悪かったから、手を放してくれーー!!」と必死で助けを請うてきた。

「んーー、そうだなぁ。もうこの子に何もしないっていうなら、放してやってもいいけど??」

「わわわ、わかった!!この娘にはもう何もしないよ!!」

「本当だな??」

「あぁ!!」

「よし」

 男の要求通り、イアンが手を放した途端、男はつんのめりながら這う這うの体でその場から逃げ出していった。

「大丈夫か、シーヴァ」

 男に突き飛ばされた勢いで地面にへたり込んでいたシーヴァを、イアンは助け起こす。

「やるじゃない、イアン。見直した」

「……それが助けてくれた人に対する言い草かよぉ……」

「嘘だよ。ありがとう」

 生意気な憎まれ口も、無邪気に微笑まれながら言われるとつい可愛く思えてしまう。特に、シーヴァは心を開いた人間以外には笑顔を絶対に見せないので尚更だ。

「ねぇ、イアン。さっきから手にぶら下げているその袋は何??」

「あぁ、これか」

 イアンは左手に下げていた茶色い紙袋の中から、マフラーを取り出す。

「これを、シーヴァにやろうと思ってさ」

 イアンはシーヴァの身長に合わせて身体を屈ませると、マフラーを彼女の首にグルグルと巻きつける。

 シーヴァは驚いて、呆けたようにイアンの顔を見つめたまま黙り込んでいたが、イアンがマフラーを巻き終わると「……あったかい……」と、マフラーの端をぎゅっと両手で掴んで軽く笑った。

「今日はクリスマスイブだし、シーヴァに何か贈れないかな、と思ってね。と言っても、娘のお下がりだし、色も地味だけれど」

 確かに、マフラーの色は濃い灰色で、年頃の女の子が身に着けるには少々地味である。

「そんなことないよ。すごく嬉しい。でも……、これ、娘さんの形見みたいなものでしょ??いいの??」

「いいんだ。……使ってもらった方が、作った人間も喜ぶだろうし」

「??」

 シーヴァは不思議そうな顔をしたが、イアンの様子から察するものがあったのか、何も聞いてこなかった。

 このマフラーは、イアンの妻が娘へのクリスマスプレゼントとして編み上げたものだった。

 だが娘は、色が可愛くない、こんな地味な色は嫌だ、と言って、泣いて怒り散らし、こんなのいらない!!と受け取ろうとしなかった。 

 夜を徹して、娘の為に一生懸命マフラーを編む妻の姿を目にしていたこともあり、娘の我が儘にさすがのイアンも厳しく叱りつけたあげく、「そんなに気に入らないのなら、雪が降るような寒い日でも絶対にこのマフラーを使おうとするなよ!!」と、クローゼットの奥にしまい込んでしまったのだった。

 そのせいかどうかは分からないが、その年の冬は例年よりも冷え込みが厳しかったこともあり、年明け頃に娘は風邪を引き、コンコンと嫌な咳をしょっちゅうするようになったのだ。

 イアンの家は食うには困らない生活ではあるものの、決してお金に余裕があるとは言い難い経済状況のため、咳が続くものの、熱は全く出ない風邪くらいでは医者には連れて行けない。 

それでも咳が止まらず、喉や胸が痛いと苦しむ娘に、妻は咳止めや鎮痛剤として使われている阿片チンキを与え続けていた。阿片チンキは、医者の処方箋なしで安価に手に入る薬なので庶民でも手に入りやすかったからだ。

 ところが、ある晩のことだった。

いつものように、眠っている娘の様子を見に行った妻が中々自分達の寝床に戻ってこない。何だか嫌な胸騒ぎも感じてきたことも手伝い、イアンも娘の部屋に入るとーー。

ベッドの前で床に突っ伏して、妻が泣き崩れている。

 まさかーーーー。

「おい、ジニー。何が起きたっていうんだ??」

 妻は、イアンの問い掛けに反応すらせず、ただ泣き続けているばかりだ。

 イアンは、心臓がギュッと鷲掴みされているような痛みを胸の奥に感じながらも、ベッドで眠る娘の姿を恐る恐る視界の中に入れる。

 娘は、穏やかな顔をして眠っている。ように見えた。

 しかし、その小さな身体はすでに冷たくなっていて、寝息が一切聞こえてこなかった。

「キティ??起きろよ。起きてくれ。狸寝入りなんかして、お父さんやお母さんを吃驚させようとしているだけだろう??なぁ、お父さん、怒ったりしないからさぁ。キティ……、目を覚ましてくれ……」

 娘の死因は、阿片チンキの過剰摂取による心臓麻痺だと医者は答えた。更に「阿片チンキの過剰摂取は健康を著しく損ね、時には命を奪うこともある。安く手に入るからと気軽に使う者が多いが、本来なら禁止されてもおかしくない程の危険な薬だ」と聞かされ、娘が死んだのは自分のせいだ、と妻は自分をひたすら責め続けるようになった。

 そして、イアンが離れの作業場で仕事をしている間に妻は首をくくって死んでしまったのだ。

 最も大切にしていた家族を立て続けに、しかもどちらも防ごうと思えば防げたはずの死――、イアンは自分を責めて責めて責め続けたし、何度二人の後を追って自分も……、と思ったことだろう。

 だが、例え後を追ったところで二人が戻ってくるわけではないし、結局は辛い気持ちから逃げようとしているだけだと気付いたイアンは、それでも生きていくことを選んだ。

 もう三年経ったのだから、新しく所帯を持ってはどうかと話を持ち掛けてくる人もいる。自分を気遣ってくれているのだろうが、イアンは今後の人生で新しく家族を持つ気は露ほどにもなかったし、自分にはそんな資格がない、とすら思っていた。

 しかし、シーヴァと出会ってから、もしも許されるのであれば、父親に近い存在として彼女を見守っていきたいと思うようになってきたのだ。

 ふと、シーヴァに目をやると、困ったような、申し訳なさそうな顔をしていた。

「私、イアンにしてもらってばかりで、何にもお返し出来ない」

「んーー、別に気にするこっちゃないさぁ」

「イアンが気にしなくても、私が気にする。今日だって、私は何も贈り物持ってないし……」

「そうかぁ、そんなに言うんだったら、一つお願いしてもいいか??」

「何??」

「『お父さん』って呼んでみてくれないか」

 口に出してはみたものの、我乍ら馬鹿なことを言っている気がしてきた。シーヴァも明らかに戸惑っている。

「……私のお父さんは、もっと若かったし、がっしりした身体つきでかっこよかった……」

「……へぇへ、どうせ俺は無駄に背がデカくてガリガリで、くたびれた三十歳ですよっと」

「えっ、イアンって三十歳なの?!」

「あーー、老けてるって言いたいんだろ……」

「うん」

「即答かよっ!」

「イアンの場合、その鬱陶しい前髪と無精髭をなんとかして、もう少し肉つけたら、それなりになると思うけど」

「そりゃご忠告どうも……」

「どういたしまして、お父さん」

 イアンは吃驚して思わずシーヴァの顔を凝視すると、シーヴァは悪戯めいた表情でニヤニヤ笑っている。

「お前……、大人をからかうもんじゃないっ」

 急に照れ臭くなったイアンは、シーヴァのニヤけ顔から必死で目を逸らしたのだった。


(続く)

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