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シーヴァの憂鬱


シーヴァは、マリオンと共にテーブルの席に着き、ジャガイモの皮を剥いている。美しい顔を最大限に歪め、玄関先で客人と話し込んでいるイアンの後頭部を睨みつけながら。

「なぁ、イアン。たまには俺達の飲みに付き合えって」

 つい十分程前、近所に住む靴職人のアブナーがイアンを飲みに誘いに来たのだ。

 イアンはシーヴァから放たれている、凶悪な殺気を背後で痛い位感じ取っているため、返事に窮している。

「アブナー……、お前らのことだから、どうせ飲みだけで終わらないだろう??」

「そりゃ、そうさぁ。飲んだ後は女を買うに決まってるだろう??」

 二人は、シーヴァとマリオンに会話の内容を聞かれないように声を潜めて話す。そのコソコソした態度が、シーヴァの怒りに益々火をつける。隣では、マリオンが怯えながらチラチラと横目で彼女の機嫌を伺いつつ、包丁を動かしていた。

「すっかり枯れているように見えるけど、お前も男だから溜まるもんも溜まってるんじゃないか??」

「おい、そんな露骨な話するなよぉ……。シーヴァに聞こえる……。飲みには付き合うが、俺は女を買わないからな……」

 イアンは恐る恐る振り返って、シーヴァに伺いを立てる。

「シーヴァ、ちょっと今からアブナー達と飲んでくるけど、良いよなぁ??」

 シーヴァは憮然としたまま、『行きたかったら行けば??』と冷たく返した。

「許可が下りたから、付き合うよ。……飲みだけな!」

「分かった、分かった。じゃ、行くぞ」

 アブナーと共に外へ出ようとしたイアンは、シーヴァとマリオンに向かって「じゃ、ちょっと出掛けてくる」と声を掛ける。

マリオンは、行ってらっしゃい、と笑顔で見送ってくれたが、シーヴァはイアンに包丁の刃を向けながら、ゆっくり唇を動かしてこう言った。

『女なんか買ったりしたら……、……削いでやる!!』

「どこをだよ?!」

 今時の若い娘は何て恐ろしいんだ……、とブツブツ言いながら、イアンはそそくさと出て行ったのだった。


 ⑵


 玄関の扉がパタンと音を立てて閉まる。

 途端にシーヴァは、おもむろに肩をガクッと落として俯く。

「シ、シーヴァ。大丈夫だよ、イアンさんはきっと、約束通りに酒場で飲んだら帰ってくるよ……。ねっ、ねっ??」

 マリオンが必死になってシーヴァを慰めるが、シーヴァは落ち込んだままだ。

『私……、イアンから見たらそんなに子供なのかなぁ……』

 イアンと一緒のベッドで毎晩共に眠るようになってから半年が過ぎたと言うのに、寝る前にシーヴァが彼に必ずキスをすると言うのに、イアンは何事もなかったかのようにそのまま寝てしまうのだ。

「もしかして……、あれから何にも変わってないの??」

 マリオンの問い掛けに、シーヴァは力無く頷く。

「うーん、せっかく僕と部屋を交代したのにね……。イアンさんの野暮っぷり……、もとい、我慢強さも大概だなぁ……」

『こうなったら、もう寝込みを襲うしかないのかなぁ……』

「多分、上手に躱されてうやむやにされそうだけどね……」

『マリオンもそう思う??』

「うん……」

 シーヴァは、長い溜め息を吐く。

 その様子を見ていたマリオンが、何故かニコニコと微笑んでいる。

『何で笑うのよ』

「ご、ごめん!ただ、シーヴァって、イアンさんの事が本当に大好きなんだなぁ、って思ってさ」

『大好きなんてものじゃないわ』

「えっ??」

 シーヴァにとって、イアンは神様――、神様すらも相手にならない、彼女の全てと言っても過言でない程の揺るぎない存在だ。だから、彼か自分のどちらかが死を迎えるまで、ずっと傍に居たい、傍に居て欲しいと常に願っている。

『……何でもないわ。マリオン、ジャガイモの皮剥き手伝ってくれてありがとう。残りは私がやっておくから、先にお風呂入って来て』

「う、うん。分かった」

 マリオンはシーヴァが一瞬見せた暗い表情が気になったものの、言われた通りに風呂に入ることにしたのだった。



 ⑶


 シーヴァがジャガイモの皮剥きを終えた頃に風呂からマリオンが出て来て、入るよう促された。

 入浴が一人終わるごとに、大鍋で沸かした湯を数回に分けて桶に汲み、便所の隣にある、小さな空き部屋に置かれた座浴槽に湯を入れる。今は夏場の暑い時期なので良いが、冬場はすぐに湯が冷めてしまうことと、手間が掛かることが難点だ。

 風呂の用意が出来るとシーヴァは衣服や下着を脱ぎ、髪を洗い、お湯で濡らした布で身体を拭いた。彼女の陶器のように白い肌には所々、丸い痣のような火傷痕が薄っすらと残っている。これは、身を売っていた時に客から煙草の火を押し付けられて出来たものだった。

 シーヴァは身体を拭きながら、自身の身体つきを確認するかのようにまじまじと眺めてみる。特別大きい訳でもないが、かと言って決して小さくもない、程良く膨らんだ乳房、脇腹から尻にかけて、なだらかな曲線を描く腰つき。やや線は細めだが、充分女らしいといえる体格だ。

 しかし、シーヴァ自身はもっと胸や尻が大きい方が良いのに……、色気が足りない、と不満気だった。もしかしたら、もう少し豊満な体格であれば、イアンは自分を求めてくれるのだろうか、と、湯に浸かりながら悶々と考えていたら、玄関の錠が開く音がした。イアンが帰ってきたのだ。思っていたよりもずっと早く帰ってきてくれたことに、シーヴァは安心すると同時に、すぐさま風呂から上がった。

『おかえりなさい。随分早かったわね』

「誰かさんに散々脅されたからなぁ。早く帰って来ざるを得んだろ……」

 シーヴァはイアンの傍に寄ると、彼のシャツを引っ張って臭いをくんくんと嗅ぐ。

『酒くさっ!!でも、女の臭いはしないから許す』

「お前は犬か!!」

 イアンはシーヴァの、洗ったばかりの長い黒髪をわしゃわしゃと乱暴に撫で回す。

『ちょっと!髪が乱れる!!』

「ささやかな仕返しだ」

 してやったりとばかりに、悪戯に成功した腕白坊主のような笑顔を向けてくるイアンが何だか可愛くて愛おしかった。

「最近は触っても怒らないんだな。前はうっかり触ろうものなら、物凄く怒ったのに」

『別に……、本気で怒ってた訳じゃなくて……。照れ隠しみたいなものよ』

「照れ隠しで脛を蹴飛ばすのか……」

 呆れ返りながらも、シーヴァの髪を弄り続けているイアンに向けてぽつりと呟く。

『私が触られても平気なのは、イアンだけだよ』

「…………」

 イアンは、弄っていたシーヴァの髪から指先を離すと、「風呂入ってくる。湯はお前が使っていた分の残りでいい」と言って、居間から風呂場に行ってしまったのだった。

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