すれ違う二人
その日は、夕食後もイアンとマリオンは作業部屋で仕事を続けていた。
「イアンさん、この棺は粗方完成したし、残りの面取りや研磨は僕がやっておきますから、先にお風呂に入って下さい」
いつもならば、「いや、俺が最後までやる」と断るイアンだったが、昼間の件もあり少々気疲れしている部分もあったので、「そうか。じゃあ、後は頼んでいいか??」と素直にマリオンの言葉に甘えて、作業場を後にした。
風呂で疲れを取り、濡れた髪を拭きながら寝室に戻る。
妻と自分が使っていた部屋は現在、自分とマリオンの二人で使い、娘が使っていた部屋はシーヴァが使っている。三十も後半を過ぎた男と思春期真っ盛りの少年が同室ということで、シーヴァがこの部屋を掃除しに入ると必ず『……男臭い……』と、露骨に嫌な顔をする。確かに、部屋の扉を空けるとむわっとした臭いが籠っているので、イアン自身もげんなりすることがしばしばだ。
しかし、今日はいつもの臭いの中に混じってほのかに甘い匂いが鼻をくすぐった。
不思議に思いながらも、ベッドに近づいたイアンは吃驚して素っ頓狂な声で叫んでしまった。
「うおぁぁぁ?!何でお前がここにいるんだ!!」
ベッドの中で毛布にくるまって眠っていたシーヴァは、目をこすりながら起き上がり、『イアン、うるさい。近所に聞こえるわよ』と睨んできた。
「お前なぁ……、これが俺じゃなくてマリオンだったらどうするんだ」
『別に??悪いけど、今日は私の部屋で寝てちょうだい、って言うだけの話よ』
「と言うより、今日に限って、何で俺とマリオンの部屋で寝てるんだ」
『何となくそうしたかっただけよ。文句ある??それとも、私がここで寝てたらまずい訳??』
「そりゃ、色んな意味でまずいだろう……」
血の繋がりのある実の父娘だって、こんな大きい娘と同じベッドで寝るなんて大っぴらに言えることではない。ましてや、イアンとシーヴァは親子ではないので尚更だ。
『まさか、変な気になるとか??』
「あのなぁ……。二十も年下の、それも娘同然の女に、今更欲情なんかするかよ」
『よ、欲情って……。最低っ!イアンの助平親父!!』
顔を真っ赤に染めて怒るシーヴァに構わず、イアンはベッドの中に潜り込む。
「おい、シーヴァ。ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと中に入れ」
イアンが毛布を捲り上げて手招きすると、シーヴァは遠慮がちにその中へ身体を滑り込ませ、二人は向かい合った状態でベッドに横たわった。
『懐かしい。昔は、よくこうやって一緒に寝てたよね』
娼館にいた時だけでなく、この家にやって来た時もしばらくの間、シーヴァとイアンはずっと一緒に寝ていたが、マリオンがやって来た頃には彼に遠慮してか、シーヴァは一人で寝るようになった。
シーヴァは見掛けによらず、淋しがりやな部分がある。
ひょっとすると、急に、昔みたいにイアンに甘えたくなったのかもしれない。
(やれやれ……、しょうがない奴だ……)
イアンはシーヴァの長い黒髪を撫でようとした。
が、久しぶりに間近で見た彼女の寝顔が思いの外、大人びて艶っぽいものだったため、思わず手を引っ込めてわざと寝返りを打ち、シーヴァに背を向けた。すると、彼女がイアンの背中にギュッと抱き付いてきたのだ。
(……こ、これ、は……)
背中から伝わる、シーヴァの温かい体温と甘い香り、そしてまだ未成熟ながらも、女としての魅力を持つ身体。イアンが思っているよりもずっと、シーヴァは「女」へと変貌を遂げていた。
「シーヴァ……、これは一体、何の真似だ??」
動揺を隠しつつ、イアンがシーヴァの方を振り向いた時、彼の唇に柔らかいものが触れる。
「……!?……」
シーヴァがイアンの唇に自身の唇を重ねている。
これは子供の頃に『おやすみなさいのキスだよ』と言ってきたような軽いものではなく、狂おしいまでの熱情を込めたものだった。
シーヴァが自分に対して、肉親以上の気持ちを抱いていることには薄々勘付いてはいた。だが、イアンはそのことにずっと気付かない振りをし続けていた。
彼女の気持ちに応えることは簡単だ。だが、イアンはそうしなかった。
イアンは、シーヴァを無理矢理自分の身体から引き離し、ベッドから起き上がる。つられてシーヴァも身を起こす。
「シーヴァ、俺にとって、お前は娘のような存在なんだ。だから、女として見ることはどうしても出来ない」
シーヴァは明らかに傷ついた顔をして、目に涙を溜めてイアンを見つめる。
「女としてのお前に恥をかかせたことは悪かった。でも、俺の気持ちも汲んでくれ」
『……ないで……』
「何だ??」
『……嫁に行け、なんて言わないで……。私は……、どんな形でもいいから……、イアンの傍に、ずっと居たいの……』
シーヴァは、大粒の涙をポロポロとこぼしてイアンに懇願する。
『……マリオンのことは、好きだけど、弟としか思えない。マリオンだって、私のことは姉としか思ってない……』
「俺だって、出来ればお前をずっとここに置いておきたいさ。でもな、どう考えても、シーヴァよりも俺の方が先に死ぬんだ。マリオンだって、いくら俺の後を継ぐとはいえ、いずれは自分の所帯を持つだろう。そしたら、お前の傍に誰が残るんだ??ちょっと浅はかだったかもしれんが、一番良いのはお前とマリオンが所帯を持つことが最善と思ったんだよ」
『…………』
俯いたまま、涙を流し続けるシーヴァを宥めるようにイアンはそっと抱き寄せる。
「悪く思わないでくれ、シーヴァ。俺は、お前に成るべく辛い思いをさせたくないだけなんだ」
いつまでも泣き止まないシーヴァを持て余しつつ、イアンは自分自身に言い聞かせるかのように呟いたのだった。