四年後
⑴
――四年後――
シーヴァは、この街の中心を流れているヨーク河の氷上市に足を運んでいた。
大陸の中で比較的北方寄りのこの国は冬の寒さが厳しく、冬の間は湖や河は氷結してしまう。そのため、都市部では氷結した河の上で氷上市なるものがしばしば開催されていた。
氷の上で楽しそうにボーリングに興じる人々や、食い入るように人形芝居を観ている子供達を尻目に、シーヴァは河南岸沿いで開かれている市場に向かう。
「おや、シーヴァ。買い物かい??」
荷車でウイスキー、ウォッカ、ジン、ラム等を販売している、近所に住む酒屋の主人が声を掛けてきた。シーヴァは、コクン、と大きく頷く。
「新しいスコッチが入ったんだが、イアンに一本どうだい??」
シーヴァは少し困ったように笑い、首を横に振る。イアンは夏場の暑い時期にビールを飲むくらいで、普段は左程酒を口にしないからだ。
酒屋の主人もそのことを知っていて声を掛けたのか、シーヴァの反応に対して苦笑いを浮かべていた。
酒屋の主人に軽く会釈をすると、シーヴァは引き続き買い物を続けた。
氷の上ということもあってか、ひんやりとした冷たさが靴底から伝わり、全身に巡る。シーヴァは寒さに身を震わせ、反射的に首元のマフラーの端を握りしめた。 この濃い灰色のマフラーは、六年前のクリスマスイブにイアンに貰ったものだった。
どの店の食材が安く、かつ、新鮮なのか。市場を歩き回りながらシーヴァは思案する。そんな彼女が横を通り過ぎると、大半の人が振り返った。
背中を流れる、漆黒の柔らかく長い髪、切れ長のハシバミ色の瞳、雪のように白く、氷のように透き通ったきめ細かい肌、そして、異邦人を思わせる、やや彫りの深いエキゾチックな顔立ち。現在十六歳になったシーヴァは個性が強いものの、人目を引く美しい少女に成長していた。
思案の末、シーヴァは野菜売りの店でジャガイモを十個買った後、肉屋に立ち寄る。
「おっ、シーヴァか。いらっしゃい」
シーヴァがベーコンと羊肉のどちらにしようか、再び考えていると、肉屋の主人が声を掛けてきたのでそれらを指で指し示し乍ら、『これ、いくら??』と口をゆっくりゆっくり動かして、尋ねた。
主人はシーヴァが何を言っているのかまでは分からないものの、値段を聞いているのだろうと気付き、啓示する。値段を聞いたシーヴァが、うーん、と神妙な顔をしながら首を捻り、直後にチラリと上目遣いで主人を見つめた。
シーヴァに見つめられた主人は一瞬たじろぎ、目を泳がせて逡巡した後、「しょうがないなぁ……。シーヴァは可愛いから、まけてやるよ!他の客には内緒だぞ??」と咳払いをしつつも、羊肉とベーコンの値段を下げてくれたのだった。
シーヴァはペコペコと主人に頭を下げて感謝の意を伝えた。
(……よし!これで今日は、イアンとマリオンに肉を食べさせてあげられる!!)
二人が喜ぶ顔を思い浮かべながら、シーヴァはやや浮足立って家路に向かったのだった。
⑵
「マリオン、そっちのダボを打ち込んでくれ」
イアンは枠組みした板の側面に木のダボを打ち込みながら。マリオンに反対側もダボを打つよう指示する。マリオンは「はい!」と返事をした後、言われた通りにダボを打ち込んでいく。
「ダボのはみ出た部分は俺がのこぎりで削るから、お前は表面を鑢で削ってくれ」
イアンの指示にマリオンは素直に従う。
二年前から、イアンは棺桶造りをマリオンと共に行うようになった。
マリオンの方からイアンに、棺桶造りを手伝わせて欲しいと頼んできたからだ。
最初は、想像以上に不器用なマリオンの手つきにハラハラしたものだが、今ではイアンの片腕のような存在にまでなり、非常に助かっている。
「マリオン、残りの仕上げは明日にして、今日はここまでにしよう。葬儀屋が来るのは明日の昼頃だし、朝一番に二人で一気に仕上げれば時間までには余裕で出来る」
イアンは、作業部屋に掛けてある壁時計に目を移す。時計の針は、六時を過ぎていた。
「それに、もう飯の時間だ。早く行かないと、飯が冷める!とシーヴァが怒るしなぁ」
イアンとマリオンは顔を見合わせて笑い合うと、素早く後片付けをして作業場から離れる。
台所ではシーヴァが竈の前で鍋をかきまわしていた。
『二人共、丁度良かったわね。今出来たところなの』
そう言うと、シーヴァはマリオンに皿を人数分持ってくるよう促し、マリオンはササッと三人分の木皿を彼女の元まで持っていく。シーヴァはスープを付け分け、マリオンがそれぞれの席へと木皿を運んでいく。
(こいつら、本当に姉弟みたいだよなぁ……)
二歳違いの二人が阿吽の呼吸で食事の準備をする様を、目を細めて眺めていたら、『イアン、ボサッとしてないで匙を並べてよ』とシーヴァに注意されてしまった。
「おいおい、仮にも親みたいな俺をこき使うなんて。今時の若い娘は……」
『いいから黙って並べる!』
「へぇへ」
シーヴァに言われた通り、イアンは木皿と同じ戸棚の中から三人分の匙を取り出し、テーブルの上に並べる。同時に三人はそれぞれの席につき、神に祈りを捧げた後に食事を始めた。
「ん??今日のスープ、羊肉が入ってる!」
マリオンが嬉しそうにスープを口に運ぶ。
『ヨーク河の氷上市で買ってきたのよ。たまには滋養が良いもの食べて欲しくて、ちょっと奮発しちゃった』
「でも、高くなかったか??」
イアンが心配そうに尋ねる。
『そうでもなかったよ。肉屋のおじさんが値段をまけてくれたから』
「肉屋のおじさんって、ジムのことか??あいつ、ケチだから中々値段まけないって有名だぜ??」
すると、シーヴァはフフンッとせせら笑いながら答えた。
『簡単よ。ちょっと上目遣いで懇願するように見つめたら、あっさり値段を下げてくれたわ』
「…………」
イアンは呆気に取られて、思わず匙を手から取り落としそうになった。
「シーヴァ……。俺はお前を、そんなしたたかであざとい女に育てた覚えはないぞ……」
「僕もたまにやりますよ。と言っても、僕はおかみさんの時ですけど」
マリオンまで全く悪びれもせず、ニコニコと爽やかな笑顔を浮かべている。
シーヴァも美少女だが、マリオンもサラサラとした銀髪に、高級な猫を思わせるコバルトブルーの瞳に品のある整った顔立ちをしていて、美少年の部類だ。それに加えて、彼は血筋も良く、本来ならばイアンやシーヴァのような一般庶民は口を利くことさえ憚られるような存在なのだ。
マリオンは、この街で一番大きな製糸工場の経営者であるメリルボーン氏の愛人の子供だった。彼の母エマは、元々ファインズ男爵家のメイドとして働いていたところを屋敷に出入りしていた氏に見初められた。しかし、その時、エマはすでにマリオンを身籠っていて、始めの内、メリルボーン氏は堕胎するよう言っていたが、腹の子の父親の名を聞くと途端に産むことを許したのだ。
マリオンの実の父親はダドリー・R・ファインズだった。
そうは言ったものの、本当にダドリーの子なのか、メリルボーン氏は半信半疑だった。だが、マリオンが生まれ、成長するに従い、日に日にダドリーに似てくる彼を見ている内に嫌でも認めざるを得なくなったと共に、あることを思いつく。
ダドリーの落とし胤のマリオンを利用して、男爵家から何かしらの利益を得ようーーと。
本当はマリオンがある程度の年齢になったら事を起こそう、と考えていたメリルボーン氏だったが、マリオンが十歳になる頃にエマが亡くなったことで計画を実行に移した。すでに爵位を引き継いでいたダドリーに、「男爵様のお子です」とマリオンを引き合わせ、それまで彼を育てた礼金をたっぷり貰い受け、あわよくば自分の工場への資金を出資してもらおうということだった。
ところがダドリーは、「髪や目の色が同じで容姿が似ている程度では、私の息子だと言う証拠にはならない。エマなどというメイドのことも覚えていない」と、断固としてマリオンを実の子だと認めようとしなかった。
計画が見事に失敗に終わったメリルボーン氏は、用済みとばかりにマリオンを人買いに売り払い、あわや男娼として娼館に売られそうになったマリオンは隙を見て脱走したところ、イアンとシーヴァに出会ったのだった。
自分と同じ道を辿りかけたマリオンに同情したのか、その話を聞いて以来、シーヴァはマリオンを実の弟のように気に掛け、マリオンもシーヴァを姉のように慕い出した。
勢いでマリオンを引き取ってしまったものの、警戒心が強く、気難しい面のあるシーヴァと上手くやってくれるか心配していたイアンは、予想以上に仲良くしている二人にホッとしていた。
しかし、イアンは現在、それとは違う別の理由で、シーヴァについて人知れず頭を悩ませていたのだった。