幸せになるべき人
⑴
「ま、待ってくれ!ミランダ!!」
「イアンさん」
混乱に乗じて用心棒の手からようやく逃れたイアンが、ミランダの後を追って二階にやってきた。
「ミランダ……」
次の瞬間、イアンが出た行動にミランダは驚き、思わず琥珀色の大きな猫目を見開くこととなった。
イアンがミランダに跪き、床に額をくっつけるかの勢いで頭を垂れて土下座をしてきたからだ。
「俺の一生の頼みだ!!シーヴァを、俺に引き取らせてほしい!!金は、一生掛けてでも払い続ける!!だから……」
「やめてください!イアンさん!!」
ミランダは珍しく語気を荒げる。
「お願いだから、顔を上げてください」
イアンはまだ頭を垂れている。
ミランダは小さく溜め息を吐くと床に膝をつき、イアンの細い顎を掴んで強引に上向かせる。
「言われなくても、私は貴方にシーヴァを渡すつもりだから、安心して」
「……!!……」
「シーヴァを幸せに出来るのはイアンさんしかいないもの」
イアンはホッとして気が抜けたのか、両手を床についてはァ――――と、長い長い息を吐いた。
「その代わり、ただでは渡せないわ」
「な、何か条件でもあるのか……」
「そんな身構えないで。大したことじゃないわ」
「??」
ミランダはイアンの目を真っ直ぐ見据える。
「私を一晩買ってくれない??」
⑵
イアンはベッドの中で、情けないくらいに放心していた。
「満足していただけたかしら??」
下着だけを身に着けたミランダが、髪を梳かしながらイアンに笑い掛ける。
「えぇ、そりゃ、もう……」
伊達に、ファインズ男爵を虜にしていただけのことはあるーー、と言い掛けたものの、おそらく彼女の気分を害すだろうと思い、慌てて飲み込んだ。
そんなイアンの心境を知ってか知らずか、ミランダはイアンの腰のないダークブラウンの髪を撫で上げる。
「イアンさんって、よく見ると結構男前よね」
「そりゃどうも。お世辞とはいえ、嬉しいね」
「あら、お世辞じゃないわよ。今更貴方にお世辞言う必要なんかないもの」
「あのなぁ……」
何で、俺が関わる女は揃いも揃って歯に衣を着せない奴ばっかなんだ。イアンの気を知ってか知らずか、相変わらずミランダは彼の髪を弄り続けている。
「イアンさんって、少しだけリカルドに似ているのよね……」
「リカルド??あぁ、もしかして、お前さんの恋人だったっていう男の事か??」
「えぇ、そうよ」
「どんな奴だったんだ??」
ミランダは一瞬押し黙ったが、すぐに口を開いた。
「歳は私より六歳上だから、イアンさんと同じくらいね。背格好は中肉中背で、少し猫背気味だったわ。とても綺麗なグリーンの瞳をしていて、ギターがとても上手な、穏やかで優しい人だった」
「俺とは全然違うじゃないか」
「外見はね。でも、とても純粋で真っ直ぐな心を持っているところがすごく似ているのよ」
「俺が純粋で真っ直ぐだって??」
イアンはフッと噴き出した後、声を立てて派手に笑い出した。
「……ミランダ、俺の事を買いかぶり過ぎだ。俺は自分の家族を、自分の無知や不注意で立て続けに死なせてしまうような、とんでもなく馬鹿で最低な男だぜ??」
「そうかしら??最低な男だったら、そんなに苦しんだりしないんじゃない??」
「…………」
「それに貴方は、苦界に堕ちた一人の女の子を必死で救おうとしていた。私は五歳の時からこの世界で生きてきたけど、貴方程、娼婦相手に真剣に向き合おうとした人は見たことがないわ」
「…………」
「だから、貴方にはもっと前を向いて生きて欲しいのよ」
「もしかして、俺にそれを言いたいがために自分を一晩買ってくれと言ったのか??」
「そうよ」
「……そうか。それはありがとう。ただ、俺からも一つ言わせてくれ」
「何??」
イアンはベッドから起き上がると、ミランダの癖のないプラチナブロンドの髪に触れながら、言った。
「お前さんが俺に言いたかった言葉を、そっくりそのまま返す。ミランダも、もっと前を向いて生きてくれよ。お前さん自身は感情を捨て去ったつもりかもしれないが、自分には何の見返りがないと言うのに、他人の為にあんな大金を惜しげもなく差し出すなんて、誰でも出来る事じゃない。真に優しい人間だから出来るんだ。だから、そんな優しいお前さんは幸せになるべきなんだ。少なくとも、俺とシーヴァはミランダが幸せになることを望んでいる」
ミランダはイアンの言葉に対して返事をする代わりに、弱々しい微笑みを浮かべたのだった。