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嫉妬

 ⑴


 ミランダは今、自室でとてつもなく屈辱的な状況下に置かれていた。

 裸になって目隠しをされた状態でベッドの上に跪かされ、両腕は後ろ手できつく縛られている。

「へっへっ、良い眺めだなぁ……」

 テカテカに脂ぎった顔をニヤつかせ、豚のように肥え太った全裸の中年男がよだれを垂らさんばかりにミランダの姿を背後から舐めるように眺めた後、彼女の小ぶりの尻を厭らしい手つきで撫で回す。

「おっ、この背中の傷は何だ??」

 それは以前、マダムに鞭で叩かれた痕だ。

「ははぁ、お前もそういう趣味があるんだなぁ。逆に都合が良いなぁ」

 すると、男は手にしていた教鞭をミランダの背中に打ち振るう。

 叩かれた痛みに加え、まだ治りきっていない傷の痛みにより、ミランダは小さく呻く。

「おっと、静かにしろよぉ??娼婦に無体なことを働いたことがバレでもしたら、ここに出入り禁止になっちまうからなぁ!!」

 男は狂ったような笑い声を上げながら、ミランダの白い背中に教鞭を打ち続ける。マダムに叩かれた時は衣服越しだったけれど、今は素肌に諸に鞭が当たるのでその分痛みも強まり、傷も深くなる。

 ミランダは男に言われるがままに息を漏らす程度で声を抑えていたが、次第に我慢の限界が訪れると「……痛いっ!!」「もうやめて……!!」と、涙交じりに悲痛な声で悲鳴を上げるようになった。

 しかし、それでも男は止めようとしない。それどころか、ミランダの苦しむ姿を見て悦に入っていた。

 やがて、痛みの余りにミランダは膝をガクッと落とし、ベッドに突っ伏した。

「おぉっと、ここで気絶されちゃ困るぞぉぉ」

 そう言うと、男はミランダの腰を掴むと唐突に後ろから突っ込んで来た。

「……っっつ!!」

「痛いだろうなぁーー。だって全然濡れてないし」

(……そんなの当たり前よ!この状況であんたみたいな変態でない限り、無理よ!!)

 背中の痛みの他にまた新たな痛みが加わり、事が終り切るまでミランダは何度か気絶しかけながらも、何とか仕事を切り抜けたのだった。


 ⑵


 一夜明け、ミランダが休憩室で煙草を吸いながら、ラム酒を瓶ごとラッパ飲みしているとフェイが話し掛けてきた。

「ミランダってば、随分疲れた顔して。せっかくの美人が台無しねぇ。まぁ、大変だったみたいだから、無理もないわ。私の部屋まであんたの悲鳴が聞こえてきてさぁ、ダンテが一体隣の部屋では何が起きているんだって、しきりに気にしていたし」

「……それは悪かったわね。色々と邪魔したみたいで」

「いーえ。とりあえず、ダンテがマダムにあの変態男のことを密告したみたいだから、もうあんたの所には来ないと思うわよ」

「……そう。お気遣いどうも……」

 ミランダは、酒瓶に映る自分とフェイの姿を見比べる。

 きちんと身なりと化粧を整え、明るい表情を浮かべているフェイに対し、下着の上にガウンを羽織っただけで化粧は崩れ、髪も乱れたまま、冴えない表情をしている自分。

 元の顔の造作は自分の方が遥かに優っているはずなのに、こうも変わるものなのか。

 フェイを見ていると、かつての自分を思い出す。

 五歳の時に母に売られ、十歳の頃から身を売る生活をしていたミランダは、フェイと同様に金持ちに身請けされてこの世界から抜け出そうと必死に生きてきた。そして、ダドリー・R・ファインズ男爵(当時はまだ爵位は継いでいなかったが)専属のお抱え娼婦となり、苦界からおさらば出来るものだと信じていた。

 だが実際は、住む世界が百八十度違うダドリーの傲慢で冷徹な人間性に不信感と恐怖心ばかりが募っていき、彼と一緒にいると自分が意思を抑え込まれた人形のような気分に陥るばかりだった。同時期に、ある青年と生まれて初めての恋に落ちたことも手伝い、ミランダは金持ちに身請けされることが本当の幸せに繋がる訳ではない、ということを知った。

 それに、高級娼婦ではない、ただの一介の娼婦など金持ちからしたらただの珍しいペット同然なのだ。だから、飽きたら最後、いとも簡単に捨てられるのがオチだ。

 結局、一度娼婦に身を落した女は一生娼婦として生きるしかないのだ。

 だから、ミランダは必死になることを止めた。

 わざわざ自ら命を絶つつもりもないが、かと言って、生きることに大して執着もないから、ただ目の前にある物事を淡々とこなすのみ。それだけの話だ。

 きっとフェイはまだ若いし、本気でダンテに身請けされたいと頑張っているのだろう。

 別に止めるつもりはサラサラないが、ミランダは無駄骨に終わりそうな気がしてならなかった。

「そうそう、イアンは元気――??」

「何で私に聞くのよ。彼は私じゃなくて、シーヴァの客なんだけど」

「だって、シーヴァはオシだから、話が出来ないもの」

 フェイの言葉の中に、どこかシーヴァを侮蔑するような雰囲気を感じ取ったミランダは内心腹を立てた。それでなくても、ミランダはフェイのことが苦手だった。

 一見、気風が良くサバサバした体だが、その実、得体のしれない粘着質な部分を感じるからだ。

「まぁ、いいわ。もし、イアンと関わる機会があったら、たまには私を買ってよ、って言っておいて」

 フェイは席を立つと右手をひらひらさせて、休憩室から去って行った。部屋を出る直前、ゴホゴホと妙な咳をこぼしながら。

 二本目の煙草を吸い終わった後、ミランダは仮眠を取るべく二階の自室に戻ろうと階段を昇っていく。すると、一番上の手すり付近に若い男が立っていた。

 あれは、フェイの上客であるダンテだ。

 ミランダは軽く会釈を交わして前を通り過ぎようとしたのだが、ダンテは「まっ、待ってください!!」と、彼女の手首を掴んだ。

「すみません!!ぼ、僕、一度貴女と話したかったんです!!」

「……はぁ……」

 ダンテは金髪碧眼で、いかにも育ちの良さそうな、品のある整った顔立ちをしていて、こんな薄汚れた娼館には不釣り合いなくらい爽やかな雰囲気の青年だった。

「僕……、以前、大学の学友に誘われて歓楽街の飲み屋に出掛けた時、貴女の姿を見かけて……、一目惚れをしました。調べたら、ここの娼館の方だと知って、貴女に会いたくて来たんですが……」

 ダンテはミランダから目を思い切り逸らしながら、頬を真っ赤に染め上げつつ、尚も続ける。

「如何せん、僕は極度の恥ずかしがりで貴女を買う勇気がなかったんです。それで、この際、誰でもいいやと思って、たまたま買ったフェイの隣の部屋が貴女の部屋だと知って……、少しでも貴女の声が聞きたくて、この娼館に入り浸るようになったんです!!」

 ミランダは開いた口が塞がらないとばかりに、思わずポカンと間の抜けた顔になった。そうする以外、どんな反応を返せばいいのか分からなかったからだ。

(……要するに、フェイは体よく利用されていただけだったのね……)

「……そうなの……。じゃあ、機会があったら、今度は私を買ってね」

「それは出来ません!!」

 ダンテはきっぱりと言い切った。ミランダはますます混乱する。

「僕は、僕だけは貴女を汚してはいけない!!と思っているんです!!例えば、昨夜貴女に酷い事していた下衆な輩と同等になりたくないんです!!」

(やっていることは違えど、貴方がフェイにしていることも充分下衆よね……)

 喉まで出掛った台詞を何とか飲み込むと、ミランダは無理矢理作り笑顔を浮かべる。

「貴方のその気持ちだけで、私は充分嬉しいわ。ありがとう。でも、この話はフェイには絶対言っちゃ駄目よ??彼女が傷つくわ」

「あの女の図太い神経が傷つくことってあるんですか??」

 きょとんとした顔でミランダの顔を見つめるダンテに、無性に腹が立つ。たまたまかもしれないが、何故、富裕層の男と言うのは人を人と思わない、傲慢な生き物なのだろうか。

「彼女だって人間ですもの、傷つくこともあるでしょ。とにかく!貴方がフェイを差し置いて、私に声を掛けているところを誰かに見られでもしたら、私が困ることになるから、フェイが戻る前に早く部屋に入って頂戴」

「す、すみません!」

 ミランダに諭されると、慌ててダンテはフェイの部屋に入っていった。

「あぁ、面倒臭い坊やだわ……」

 ミランダは溜め息をつきながら、自室に戻った。

 そんなダンテとミランダのやり取りの一部始終を、便所の扉の隙間からフェイが覗き見ていたことを、二人は知る由もなかったーー。


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