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花音が温室の前で泣き顔の女性を見かけてから数日後、同じ教室の女子が新聞部が作った新聞を教室に持ち込んだ。
「見て見て、花音! 例の悪魔襲撃事件。ついにこの学園内で起こったんですって、怖いわねぇ」
先日の温室での件を未だに引きずっている花音は、それどころではなかった。それでも押しつけられた新聞に義務感から目を通す。
「……え!」
驚いたのはその襲撃の犠牲になって殺された生徒の顔写真だった。忘れもしないあの薔薇園から泣き顔で出てきた女性だった。あの時の事は目に焼き付いている。印象的なふっくらとした唇とその近くにあるほくろ。ずっとあの人の事が気になっていた。だから見間違えるはずがない。
しかも襲撃されたのは、花音が出会ったあの日の夜の事だった。
あの時追いかけてついていけば、もしかしたら助けられたかも……。そう思うと花音はやりきれない思いに駆られた。
嫉妬から彼女を見殺しにしてしまったんじゃないだろうか? 罪悪感に押しつぶされそうになり、彼女を助けられなかった分、せめて次の犠牲者をださないために何かできないか? そう思い始めていた。
「花音? 顔色が真っ青ですわ。大丈夫ですの?」
気づけば凛が側にいて、心配そうな顔で花音を見上げていた。彼女に甘えたかったけれどどう説明していいかわからなかった。ミシェルといわくのあった女性。そう説明するのも嫌だ。
どうしよう? そう思っていた時ふと新聞記事が目に入った。この記事を書いた人なら、もっとこの事件について詳しく知っているかもしれない。情報がなければ何もできない。
思い立ったらすぐ行動。それがいつもの花音だった。
「ありがとう。凛。大丈夫。僕は新聞部へ行ってくるよ」
突然の発言に凛は不思議な顔をしたが、花音の袖をつまんで言った。
「わたくしもついていきますわ」
花音は凛のその申し出を断らなかった。彼女が積極的に関わるのは珍しいからだ。きっと花音を心配しているのだろう。
新聞部の部室は雑然としていて、埃とコピー機のトナーが舞う空気は汚く、息苦しい空間だった。そんななか平然と机に向かって一人の少年が何かを書いていた。くせっ毛の髪がみだれてもじゃもじゃしている。
「すいません。この記事の事でお聞きしたくてきたんですけど。」
もじゃもじゃ頭の少年は、回転椅子に座ったまま、くるりと振り向いて花音達をみた。タレめぎみの細い目の下には濃いクマが浮かんでいる。
「ああ、それ俺が書いた記事。何?」
「この被害者の女生徒なんですけど……」
花音はミシェルの名はふせて、最後に見た彼女の様子を伝えた。ミシェルの事を黙っていたのは、彼にあらぬ疑惑をかけて迷惑をかけたくなかったからだった。
「なるほど……。殺される直前に痴話喧嘩ねぇ……」
ただでさえ乱れた髪に、手をいれてぐしゃぐしゃにかきまわす。もはや少年の髪は鳥の巣のように絡まり合って、収拾がつかない状態だった。
しばらく悩んだ後、にやりと笑った。
「面白いな。悪魔襲撃事件を追ってたけど、悪魔側に情報を売る人間のメリットが今までよめなかったんだよなぁ」
「メリット?」
「そう。撃退士情報を悪魔に売ってるわけだけど、悪魔が金をくれるわけないし、売っている人間もこの学園の生徒だろ? なぜわざわざ悪魔と手を組むのかとね。でも自分にとって目障りな人間を悪魔に売ってるんだとしたら?」
それではあの時女生徒を泣かせていた、ミシェルが犯人だと言われているも同然だった。花音は慌てて別の意見を口にした。
「その喧嘩が事件に関係あるとは、限らないんじゃないですか? もっと別のメリットがあるとか……」
「どんな?」
「えーっと……。例えば撃退士の情報を売る代わりに、悪魔側の情報をもらうとか。ほら悪魔って天使と違って階級制じゃなく、力があればのし上がれるしくみだから、ライバルになる悪魔のゲート出現位置とかをもらして、そこで手を組んだ撃退士に襲わせるとか。事前にゲートの出現位置がわかっていれば、撃退しやすくなるから、撃退士は格段に勝率があがるでしょう」
なるほどとつぶやきながら、少年はまた髪の毛をくしゃくしゃとかき回した。どうやらこの仕草は彼が考え事をする時の癖のようだった。
「そうだとすると、天使戦より悪魔戦の方が格段に成績がいい人間が怪しい。過去の襲撃事件が起こった時期と照らし合わせれば、ある程度特定できるかも……」
少年はにやりと笑って花音を見た。
「ありがとう。やっと何かつかめそうだよ。俺は高等部2年の海原修三だ。何かわかったら教えるから、有力情報を掴んだら教えてくれ」
「はい」
花音と海原のやりとりを、凛は一言も漏らさずにじっと見つめていた。まるで空気であるかのような存在感の無さだった。