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後半に残酷描写が出てきます。
ご注意下さい。
今日もあそこにいるだろうか? 花音は気になってあれ以来何度も薔薇園に足を運んでいた。いつも会えるわけじゃないけど、会えただけで、話が出来ただけで嬉しい。
ミシェルは紳士で優しくて、とろけるように甘い言葉を囁いてくれる大人の男だった。花音はそんな男性に初めて出会った。
落ち着かない気分が、花音の歩くスピードを早足にしてしまう。それでも弾む足を押さえられないほど、花音はミシェルに会うのが楽しみでしかたがなかった。
花音の視界に薔薇園が見えてきた頃、その薔薇園の扉が乱暴に開けられるのが見えた。中から一人の女生徒が飛び出してくる。最後に温室に向き直り口を開いた。
「もう貴方の協力なんてしない! どうなっても知らないんだから。ミシェルなんて大嫌い!」
女生徒の悲鳴のような叫び声があたりにこだまする。そのままその女生徒は花音の方に向かって歩いてきた。
すれ違いざまに見た彼女の目は真っ赤で、涙がこぼれ落ちていた。ふっくらとした唇と、その近くに色気を漂わせたほくろがある、花音より年上の大人の女性だった。美しい女性だったので、泣き顔がなおさら痛々しい。
修羅場何だろうか? しかもミシェルって……。花音の胸がずきっと痛んだ。もしかしてあの人の彼女とか?
名前も知らないあの女性を追いかけて話しかけるのは怖かった。もし恋人だったら嫌だ。花音は見知らぬ女性に密かに嫉妬の炎を燃やした。
しばらく迷って温室に向かう事にする。温室の中では、ミシェルがテーブルに座って優雅にお茶を飲んでいた。
やっぱりさっきの女性と喧嘩していたのはこの人だったのか。花音のそんな困惑に気づいたようだ。ミシェルは眉をひそめて花音に話しかけた。
「どうしたんだい。そんな暗い表情で」
「えっと……。さっきここからでてきた女性とすれ違って……。彼女泣いてました」
ミシェルは頷いて花音に優しい言葉をかけた。いつもと変わらない低音の甘いささやき。
「ああ。彼女は友達なんだけど、ちょっと喧嘩してしまってね。大丈夫すぐに仲直りできるよ」
「友達?」
「そうただの友達だ。君と違ってね」
花音はただの友達ではない。特別な存在なのだ。そういうニュアンスを含んだ言葉だった。その言葉の甘さに花音はさきほど感じた不安を一時的に和らげた。
僕はこの人の特別なんだ。そう言われる事は最高に嬉しかった。
「一緒にお茶を飲まないか? お菓子もあるんだ」
まるで子供をあやすようにミシェルは花音にお茶を勧める。先ほどの女性がミシェルのただの友達と信じたわけではなかったが、花音はミシェルの言葉を信じ込もうとした。その方が花音にとって幸福だったからだ。
「早くお友達と仲直りできるといいですね」
花音は心にもない言葉を紡いでミシェルの話に合わせた。花音らしくない行動だった。しかし花音は恋という名の病にかかって、その目を曇らせていた。見たくない事実に目をつぶり、聞きたくない真実は耳を塞いで、都合のいい言い訳にすがる。ただの弱い女の子だった。
口元にほくろのある女生徒が、夜一人で人気の少ない校舎裏にきていた。彼女の視線は不安げに辺りを彷徨い、両手を体にまといつかせるようにしっかりと抱いていた。
「どうしてこんな所に……」
彼女自身もこんな所に来たくなかったに違いない。不安が口からこぼれ落ちた。しかし彼女の不安に、安らぎを与えてくれる者はここにはいなかった。口に漏らすと余計に不安が募るばかりだ。
月明かりのみが照らす暗闇の中、彼女はふいに嫌な予感がして振り向いた。ばさりと音を立ててカラスが舞い降りてきたのはまさにその時だった。
否、ただのカラスではない。その証拠にカラスはすぐに人間の女の姿に変化した。悪魔の眷属ヴァニタスだ。女の姿をとったヴァニタスは露出度の高い姿で、蠱惑的な微笑を浮かべ、舌なめずりまでしていた。
「あ、悪魔の手先……」
慌ててはいたが、彼女も撃退士として訓練は受けている。ネックレスを手に握ると、その手のひらに本が現れた。
だが彼女が出来た抵抗はそこまでだった。彼女が呪文を唱えるより先にヴァニタスは飛びかかって牙を剥いた。
彼女はダアトであったから、普段は前線の剣士達に庇われて、後ろから魔法をかける戦いしかしてこなかった。1対1で、しかもディアボロではなくヴァニタスと戦うのは無謀としかいえない。
本を持つ肩に噛みつかれ、思わず本を取り落とす。牙の食い込む傷みと血をすする音が間近に聞こえ、恐怖で震えが止まらない。
必至に振り払おうとしたが無駄な抵抗にすぎなかった。どさりと自分の片腕が落ちた瞬間、彼女の恐怖は最高潮に達した。
「きゃぁぁぁー! いやぁぁぁー!」
狂乱する彼女の声すらヴァニタスを楽しませる遊戯にすぎない。死にかけた獲物をいたぶる猫のように、ヴァニタスは彼女を最後の最後まで弄び、いたぶってそして殺した。死に際に奪い取った魂は恐怖一色に染まっていて、主人たる悪魔にいっそう甘美な味を味あわせるであろう。
彼女だったモノはディアボロ化することもなく、無残に食い散らかされその辺りに屠られた。美しい女生徒だっただけにその姿は余計に無残だった。