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「……であるからして、天使も悪魔と同じく、人間の命を狙う危険な存在であり、両者を併せて天魔と言う。天魔を倒せる唯一の存在が撃退士であり、君達は天魔を倒すため撃退士養成学校である、ここ久遠ヶ原学園で訓練を受けているという事だ。ここまでで何か質問はあるか? ……じゃあ次回は天使と悪魔の違いについての授業だから、予習しておくように」
そろそろ4時限目のチャイムも鳴るという時間。皆が昼休みに向けて落ち着きなく、授業が終わるのを待っていた。
花音もまた窮屈な机と椅子から早く飛び出したくて、うずうずしていた。
この学園には制服もあるが、改造したり、他校の制服を着たり、私服を着用したりと、かなり服装は自由だ。花音もまた改造組の一人だった。しかも男子の制服のズボンを大幅にカットして、太股もあらわなホットパンツにしている。
そのまぶしい足を机の下で組んだり、戻したりとせわしない。
「えー。最後に授業のプリント作りの手伝いを、誰か昼休みに手伝ってくれないか?」
教師の言葉にしんと静まりかえる教室。誰もが貴重な昼休みを浪費したくないが、誰かが引き受けなければ決まるまで昼休みが始まらない。
誰かに押しつけてさっさと昼休みにしてしまいたい。そんな空気が流れていた。花音はその日和見的な空気が嫌で自分から立候補しようと口を開きかけた。
すると花音より先に窓際の席から、おずおずと挙手の手が上がった。
「先生。わたくしでよければお手伝いしますわ」
「おお。ありがとう斉。じゃあ昼ご飯終わったら職員室に来てくれ」
斉と呼ばれた生徒は、優等生的な微笑みを浮かべて頷いた。銀色の柔らかな髪、宝石のような赤い瞳、クラスで一番背が低くて華奢な少女はいつだって率先して雑用を請け負っていた。
それが花音には申し訳なくて仕方がなかった。まるで弱い人間をこき使って虐めているような気持になるのだ。
斉凛。その涼やかな呼び名が似合う少女は、いつだって大人しく窓際の席でたたずんでいた。見えない壁が周りに存在するがごとく、近寄りがたい空気を醸し出していて、そのせいか、いつも一人だった。
花音は今日こそは話しかけようと立ち上がり斉の方へと向かおうとした。
「花音さん。一緒にお弁当食べましょう」
「ずるい。花音ちゃんと一緒に食べるのは私よ」
昼休みに入った途端、花音は女子生徒達に囲まれてしまった。花音の美少年風の外見と気さくな人柄が女子生徒にモテているのだ。花音が彼女たちに気を取られている間に、いつの間にか窓際にいたはずの斉は、教室から姿を消していた。
まただ。彼女はいつだって逃げるのが上手だ。一度見失うと探し出すのも容易ではない。花音は諦めてため息をつくことしかできなかった。
花音が入学してすでに二ヶ月が立っていた。親元を離れての寮生活、新しい学校、撃退士の訓練。それらにやっと少しだけ慣れてきて、季節もまた秋から冬の気配を感じさせる頃になった。
久遠ヶ原学園は初等部から大学部まであり、初等部からの持ち上がり組もいて、彼らはすでに学園の中に溶け込んでいた。しかし花音はまだ慣れることで精一杯で、溶け込むほどなじめずにいた。
今までの学校では、小学生離れした身長、抜群の運動能力、少年の様な言動が学校で浮くこともあった。だがこの学園においてはそれらは全く特別な事ではなく、むしろ平凡なぐらいに馴染んでいた。
撃退士としての適性があり、アウルに目覚めると髪や目の色が変わることすらある。斉の人間離れした真っ赤な瞳を思い出す。あんな綺麗な瞳の色もこの学園では特別ではなかった。
花音自身はアウルに目覚めても黒髪黒目のままだったから、少しあの綺麗な瞳の色が羨ましい。
花音はいつの頃からか、斉の事を意識し始めていた。一人でいることが当たり前のように、穏やかな微笑みを浮かべながら雑用をこなす少女。外見が幼く、か弱く見える分、余計に庇護欲に襲われる。
誰かが彼女を守ってあげなきゃいけないんじゃないか?
「その誰かに僕はならなきゃ」
花音は決意を胸に小さく呟いた。
とある日の放課後。教室の掃除当番の少年が斉に話しかけていた。
「なあ。今日掃除当番代わってくれない? 俺用事があって忙しいんだ」
斉が頷く前に、花音は二人の間に割って入った。
「この前も、その前も、毎回そう言って彼女に掃除当番押しつけてただろう。弱い物いじめだぞ。やめろ!」
「なんだよ。響には関係ないだろ」
「関係ある。僕は彼女の友達だ」
花音はそう言って斉の顔をのぞき込んだ。あっけにとられたような、驚きの表情を浮かべていた。彼女のそんな表情を見るのは初めてだった。
花音は斉の腕をとって、強引に教室から連れ出した。廊下を駆けて外へと飛び出した所でやっと立ち止まる。急に走り出したから少し呼吸が乱れた。
「ごめん。勝手な事言って。でももう見てられなかったんだ」
斉はその赤い瞳を、こぼれんばかりに見開いて花音を見つめていた。そして愛らしく小首を傾げると口を開いた。
「どうして? 響さんは私と関係ないのに……」
「僕は君と友達になりたい。友達の事は助けたい。駄目かな?」
「ともだち……。それが響さんの願いですか?」
願い。そう言われて花音は居心地の悪い気分になる。友達って頼んでなるものじゃない。自然となるものだ。自分勝手に舞い上がって彼女の気持を考えていなかった事に気づいた。
「駄目……かな?」
「いいえ。響さんが友達になりたいなら、いいんじゃないでしょうか」
なんだか引っかかる言い方ではあったが、花音はほっと一息をついた。
「じゃあまずその呼び方を変えよう。花音でいいよ。凛って呼んでもいい?」
「どうぞ。貴方のお好きなように」
こうして二人の奇妙な友情関係は始まった。