14
温室の扉を乱暴に開けると、ミシェルが優雅に座っていた。まるで花音が来るのを待っていたかのように。
「やあ久しぶり。どうしたのかな? そんなに息を切らせて」
「凛を自由にして。貴方みたいなひどい大人に、二度と指一本触れさせたくない」
ミシェルは穏やかな笑みを歪ませて、醜く笑い始めた。
「ああ。もう王子様ごっこは終わりか? やっと面倒なのから解放されるな」
ミシェルは余裕の笑みを浮かべていた。自分の絶対的優位が揺るぐはずがない、そういう自信に満ちた態度だ。
「貴方が悪魔と取引をして、邪魔な人間を殺させてるのは知ってるんだ。凛を自由にしないなら、学校中にそれを言って回ってやる」
めちゃくちゃな要求だったが、ミシェルの笑みをわずかでも曇らせる事ができたようだ。ミシェルは糸のように目を細めたかと思うと、一転刺すような鋭い目つきで花音を見た。
「やれやれ。君はどうして自分が俺に始末されなかったのか、その理由がわかっていないようだね」
「理由?」
「凛が言ったんだよ『花音の動きは自分が封じて、他の人間に漏らさないようにするから、花音の命だけは助けて欲しい』ってね。そのために俺に媚びへつらってきたって言うのに」
ミシェルのその言葉を聞いて、花音はショックを受けた。僕は凛にずっと守られていたのだ。彼女は懸命に僕を助けようとしてくれていた。
「だったら今度は僕が凛を守る番だ。凛は絶対に助ける」
花音は左腕のブレスレットを光らせたかと思うと、右手を添えてそこから魔法のように剣を取り出した。そして左手の甲をミシェルに向けるとブレスレットを中心に光の盾が出来上がる。
「本当に馬鹿な子供だな。この身の程知らずが!」
ミシェルはそう叫びながら立ち上がり、指環から剣を取り出して構えた。そして跳ねたかと思うと一気に花音に飛びかかった。
花音はその攻撃を盾で受け止めたが、あまりの勢いに温室の外まではじき飛ばされてしまう。
「こうなったら君を始末しちゃってもしょうがないよね」
花音の側までゆっくり歩みを進めつつ、ミシェルは舌なめずりをしそうなほど、余裕の笑みを浮かべている。
花音は焦っていた。今の一撃だけでもミシェルと花音の実力差は歴然としていた。その上ミシェルは悪魔と取引をしている。
でもここは絶対負けられないんだ。勝って凛を取り戻さなきゃいけない。決死の覚悟で花音はゆっくりと立ち上がった。
立ち上がって構えたものの、花音は勝てる気がしなかった。それでもなお戦いを止める事が出来ない。震える花音を見てミシェルは笑った。
「怖いのに強がって、ほんと、バカだね」
「怖くても、勝てなくても、そんなの関係ない。僕は凛の友達だ。友達のために戦うんだ!」
花音は盾を振り払って消し、得意の両手剣で構えて、勢いをつけて突いた。花音らしいまっすぐで気魄のこもった突きだった。しかしミシェルになんなくかわされる。そして振り向きざま花音の背に向けて、ミシェルは剣を振り下ろそうとした。
その時どこからともなくナイフが飛んできて、ミシェルの手に当たった。それは傷つける程ではないにしても、ミシェルの攻撃を躊躇わせるだけの効果はあった。
花音が周囲を見回しナイフの投げ手を探すと、離れた位置に凛がいた。
「凛!」
花音は凛が自分を助けにきてくれた。それがたまらなく嬉しかった。そして同時に怖かった。彼女もまたこの男によって傷つけられてしまうのではないかと。
「凛逃げて。僕は大丈夫だから」
「花音。心配する事はありませんわ。わたくしも貴方を助けたいの」
凛はこんな時だというのに、余裕の微笑みを浮かべて花音を励ました。そしてミシェルの方を向くと、優しい微笑みから、邪悪な笑みへと変貌させる。
「花音には手を出さないで下さいませと言いましのに。お約束を破られましたわね。それでは主従契約も反故にさせていただきますわ」
「ふん。おまえは便利ではあったが、俺の数ある中の手駒の一つにすぎん。それが刃向かったところで痛くもかゆくもない」
凛は高笑いをあげてミシェルをあざ笑った。その不気味なまでの余裕にミシェルも違和感を覚えたようだ。
「わたくしがなんの備えもなくここにきたと思いまして?」
「な、何を……」
「わたくしが盗んだ新聞部の調査資料も、貴方の交友関係の中の被害者リストも、その他諸々、わたくしは手許に保管していましたのよ。こういう時のためにですわ」
今度はミシェルが追い詰められる側になった。顔を蒼白にさせて凛に対峙する。
「凛! お前ごと証拠も始末してやるわ!」
ミシェルは凛に向かって走っていった。しかし凛は揺るぎもしない。
「遅かったですわね。チェックメイトですの」
凛がそう宣告するのと同時に、周囲がざわついた。
「ミシェル・ロイド。利敵行為、殺人幇助により逮捕状がでた。君は完全に包囲されている。大人しく投降せよ」
周囲をぐるりと囲む人垣。その中から指示を出したのは神崎だった。
「すでに証拠は提出済みですの。それに海原先輩も生きています。わたくしが保護していましたの」
いいカモでしたわ。ミシェル先輩と凛は呟いた。最後に名前を呼んだ時の凛の笑顔は最高に凶悪だった。
武装した撃退士達に囲まれ、己の敗北を悟ったミシェルに出来る事は、膝をつきただ呆然とすることだけだった。
花音が辺りを見渡すと人垣の中に、見慣れた癖毛の少年がいた。海原先輩が生きていた。それは花音にとってたまらなく嬉しい事だった。