13
ホームルームが終わったばかりの教室。机に縛り付けられていた生徒達が、一斉に解き放たれた瞬間だった。
花音は凛の様子をじっと観察していた。彼女を一度見失えば発見は難しい。凛が荷物をまとめて立つのを確認し後をつける。
他の女子が花音の周りにまとわりつくのも振り払い、凛と距離を置いて歩いた。騒がしい廊下を抜け、図書室がある別館のある建物への渡り廊下で、辺りに人がいない事を確認してから、花音は思い切って凛に声をかけた。
「凛。話がある」
凛は振り返って花音を見た。相変わらず微笑を湛えていて、動揺のかけらもない。どうやら花音が後をつけていた事に気づいていたようだ。人気のないところで話す機会を狙っていた事も分かっていたのだろうか?
「どうしたんですの? わたくしの顔も見たくないんでしょ」
「そうだね怒ったよ。泣いたし、悩んだし、君のせいでめちゃくちゃだ。」
凛は余裕の微笑をくずして、苦しそうな表情を浮かべた。それを見た花音はほっとしたようだった。少なくとも人を傷つけてもうしわけないと思う罪悪感があるのだと。
花音はそこでいきなり凛に頭を下げた。凛は花音の思わぬ行動に驚いた表情を浮かべた。
「初めに謝る。ごめん」
「どうして……?」
困惑の表情を浮かべた凛は、呆然と立ち尽くした。そんな凛の反応を置き去りにするように、花音は言葉を続ける。
「僕君に何度も『凛は僕が守る』なんて言ってた。でも僕にあんな事言う資格なんて無かった。親のすねをかじって、守られてぬくぬくと生きて生きた僕に、自分の力で自立して生きてきた凛を守れるはず無かった。僕は自惚れてた。君を上から目線で見下してた。だからごめん」
「花音……」
名前を呼ぶ以外に凛は言葉を口にする事ができなかった。花音の言葉は凛の予測の遥か上をいっていて、返す言葉がすぐに出てこなかったのだ。
驚き混乱する中やっと出てきたのは問いかけの言葉だった。
「どうして……? 怒っていたのではないの?」
「怒ってたよ。僕の思い出を勝手に使って、ミシェルに協力までさせてあんな芝居を見せられた事はね。どうしてそんな事したの?」
花音は怒りを抑えて、冷静な表情で問いかけた。凛はやっと落ち着いてきた頭で、言葉を選ぶようにゆっくりと語った。
「花音のために……花音が喜ぶ事を何かしたかった。作り物でも思い出の人が現れたら花音が喜ぶと思って……本当に、そう思ったの。でもわたくしの考え方がおかしかったんですわね」
今度は花音が驚き言葉を失う番だった。あんな質の悪いだまし討ちを、凛は善意のつもりで行っていたなんて信じられないという気持ちだ。
互いに互いの行動に驚き戸惑う。それも仕方がないのかもしれない。花音と凛、二人の少女は同じ年でありながら過ごしてきた人生が全く異なるのだ。すぐに互いを理解し合うのは難しいかもしれない。
花音はそれ以上あの事に触れるのを止めた。あの温室での出来事を思い出すだけで、未だに心に痛みを伴う。
しかしその傷みをこえて凛と本当の友達になりたい、そう思ったはずだ。そして友達の危機は助けなければいけない。だから行動を起こして、今ここに来た。
「ねえ、最後にこれだけは言わせて。ミシェルが悪い事をしてるのは確かなんだ。どんな理由があろうとそれに加担なんかしちゃいけない。僕が出来る事は何でもする。だから主従関係とかやめて、僕の所に戻ってきて」
凛は口を開けて唇を振るわせながら何度も言葉を口にしかけた。しかしなかなか言葉にならない。やっと絞り出した言葉は短かかった。
「まだ……無理ですわ……」
「どうして?」
凛は花音の問いに言葉ではなく、首を横に振る事で答えた。答えられない事情がある。そう告げていたのだ。だが花音はそれでも諦める事ができなかった。
「わかった。君が答えられないなら、ミシェルに聞く。凛を解放してって言ってくる」
「やめて! そんな事したら花音が危ないわ。もう少しだけ、もう少しだけわたくしに時間を……」
今度は花音が首を横に振る番だった。またいつ犠牲者が出るともかぎらない。それは凛であるかもしれない。そう思ったら、ミシェルのそばに一秒たりとも長くいさせたくなかった。
「でも僕は君を危険な場所にいさせられない」
決然とそう言って駆けだした。花音は凛よりも足が速い。彼女がついてこられるはずもない。
ミシェルのいる場所なんて、当ては一つしか知らない。でもそこに行くしかない。花音は温室へ飛ぶように走って向かった。