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 風呂から戻った部屋はやけに広く、がらんとしていた。短時間のうちに凛は荷物を纏めて出て行ってしまったようだ。いつも一緒の黒猫の「にゃんたさん」もいない。

 憎しみと怒りが治まった今、花音は寂しくてたまらなかった。例え猫でも側にいてくれるぬくもりが欲しい。切実にそう思った。

 枕を抱え込み、声をあげて泣く。涙が枯れて、疲れ切って眠るまで、ひたすら泣き続けた。


 花音はそれからの日々を抜け殻のように過ごした。凛は寮を出て行ったが、教室では毎日のように顔をあわせた。凛の様子はまったく変わってないように見える。その事に苛立ちを覚えつつ、花音は凛の事を無視する事に決めた。

 凛も自分から花音に話しかけようとはせず、相変わらず周囲に見えない空気を作っていた。

 証拠もなく、自力であぶり出す力もない。誰かに協力を求めてまた海原のように犠牲者を出すのは嫌だった。それに凛の事が頭にちらつく。彼女のように僕を裏切るかもしれない。そう思うと誰も信じられない。事件は完全に行き詰まっていた。



 梅雨が明け、蒸すような暑さを感じ始めた頃、花音はいつものように元気なく寮へ帰宅した。すると寮の入口で、寮母の鞘野が声をかけてきた。


「ああ、ちょうどいい所にきた。斉さんにお客さんがきてたんだけど、どこに転寮したのかわからず困ってたのよ。響さん知らない?」

「知りません……」


「そうなの……。どうしたらいいかしら」


 困った表情の鞘野の後ろから、一人の男性が出てきた。姿勢がよく、物腰優雅な紳士という感じの年配の男性だった。灰色の髪と瞳をしていて、スーツをきっちりと着こなしている。銀縁の眼鏡ごしの瞳を細め、花音に向かって柔らかな笑顔を浮かべた。


「あなたはリーンのお友達ですか?」


 発音は外国人特有の癖があったが、言葉遣いは流ちょうな日本語だった。友達と言われてそうだと答える事が、今の花音には出来なかった。どう返事したらいいか迷っている間に、鞘野が話をしてしまう。


「この前まで斉さんの同室だった子ですよ。響さん。こちらイギリスから斉さんに会いに来たお客さん。よかったら、斉さんの事話してあげて」


 謎の英国紳士は綺麗にお辞儀をして言った。


「初めまして。私はレイモンド・エヴァンスといいます。お会いできて嬉しいです。お嬢さん」

「初めまして、響花音です」


 どうやら凛の話を避けて通れなさそうだった。せめて鞘野から離れた所をと思って、共有スペースの談話室に異動した。そもそもこの寮は古くて人気がないので、入寮者も少ない。談話室には誰もいなかった。

 談話室の味気ないパイプ椅子と折りたたみテーブルは、英国紳士風の男性との間に違和感を生じさせていた。

 レイモンドと向かい合って座るものの、何を話していいか困り、花音は黙ってしまう。


「リーンは。いえ、もう斉凛というのでしたね。彼女は学校で上手くやっているのでしょうか?」


 レイモンドから問いかけられて言葉につまる。問題をおこしているわけではないが、周囲との壁を作る凛を上手くいっているといえるのだろうか?

 花音の微妙な表情の変化に気づいたのか、レイモンドは眉間に皺をよせてため息をつく。


「まあ、あの子がそう簡単に学校に馴染むとは思えませんでしたが……。やはりそうでしたか」

「あの……レイモンドさんって凛とご家族か何か何でしょうか?」


 見た目も似ていないし、名前も全然違う。どういう知り合いなのか気になった。


「お話ししていませんでしたね。失礼。私はイギリスのレッドフォード男爵家の執事をしております。凛はそこでメイドをしていました。ですから仕事仲間だったという事です。今回は旦那様のいいつけで凛が日本の学校でうまくやっているか見に来たんですよ。手紙だけでは様子がわからない、心配だと旦那様がおっしゃって……」


 饒舌に話し続けるレイモンドの言葉を遮るように、花音は口を挟んだ。


「メイド? だって凛はまだ子供なのに。それじゃあ家族は……」


「凛にはもう家族はいません。5才の時に天魔に襲われ、村一つが滅びたそうです。生き残ったのは凛だけでした」


 その後淡々とレイモンドが、語り始めた凛の過去に花音はうちのめされた。花音は何も知らなかった。いつだって微笑んでいた凛がどんな過去を背負っていたのか。そしてそんな彼女の前で自分はいかに無神経に振る舞っていたか。

 花音は思い出した。花音はたびたび家族の愚痴を言ったり、不満を口にしたりした。そのたびに凛はやんわりと花音の両親の事を庇っていた。その時凛はどんな思いでいたのだろう。

 凛から見れば花音は、親に甘え平和にのんきに暮らしてきた、幸せな子供に見えただろう。その無邪気で悪意のない態度に、彼女が傷つかなかったとは思えない。

 それでも凛は笑ってた。なんでもない顔をして花音の側にいた。その事実に花音は深い罪悪感を感じた。

 友達だなんていいながら、僕は凛の何も知らなかった。知ろうともしなかった。僕達はやっぱり「友達」じゃなくて、「友達ごっこ」をしていただけなんだ。


 花音は凛への嫉妬と、罪悪感と、そしてまだかすかに残った親愛の情の狭間でもがき苦しんだ。

 それでも花音という少女は、深く思い悩み続ける事が似合わない少女だった。凛の裏切りと罪悪感を相殺して、最後に残った友情の欠片だけを信じる事にしたのだ。今はまだ友達と言えないかもしれない。でも友達になりたい。その信念だけで次の行動に移った。

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