10
職員室を出た後、教室や今日行った場所すべてを探したが、どこにも書類は見あたらなかった。最後に寮に戻って探したが、やっぱりない。
「どこにいったんだ……」
せっかく海原先輩が命がけで調べた証拠だったのに。そう思うと申し訳なくて辛かった。その時ふとひらめいた。
凛はあの書類を見ていた。花音だけではなく、凛も一緒に証言したら、信じてもらえるのではないか?
でも凛はどこにいるんだろう? 寮にはいない。普段ならもう帰っていてもいい頃なのに……。ふとテーブルの花瓶を見ると、薔薇が枯れ始めていた。
もしかしたら薔薇を摘みに、温室に行っているのかもしれない。花音ははやる気持ちで寮を飛び出した。
外は梅雨の長雨で、地面がぬかるんで水たまりを作っていた。激しくなる雨は傘だけでは防ぎきれず、少なからず花音の体を濡らしている。しかしそんな事は今の花音にとっては、どうでもいい事だった。
早く温室に行かなきゃ、凛に会わなきゃ。その事で頭はいっぱいだった。
やっと温室が視界に入ってきた。雨に濡れた温室は視界が悪く、外からは中がよくわからない。ただぼんやりと人影が見えた。
その時になって気がついた。温室にいるのが凛とは限らない。もしもミシェル先輩だったら……。自分にとって不都合な人間を殺させていた人なのだ、気をつけなくてはいけない。
花音はそっと温室に近づき、中の人間に気づかれぬよう、少しだけ扉を開けてのぞき込む。
その瞬間花音は驚きのあまり傘を取り落とした。見たくない、でも目を離せない。相反する感情で花音の頭は混乱した。
温室の中心でミシェルは椅子に座っていた。そしてそのミシェルの膝にまたがるように、凛が乗っていたのだ。
大人と言ってもいいミシェルと幼女のような凛の組み合わせは、どこか背徳的で危険な香りがする。二人は仲むつまじそうに、ミシェルがつまみ上げた菓子に凛がかぶりつく。ミシェルの指についた菓子のくずまでなめとる凛の姿は、淫靡で淫らな光景だった。
凛はミシェルの首に細い腕をからめ、胸にしなだれかかり後ろを振り向く。その時一瞬花音は凛と目があった気がした。凛が笑みを浮かべる。蠱惑的で男を誘うような、子供とは思えない笑い方。それはまるで花音をあざ笑っているかのようだった。
それを見た瞬間、花音はそれ以上その場にいる事ができず、逃げるように飛び出していった。
雨は容赦なく花音に降り注ぎ、濡れ鼠になった花音はとぼとぼと歩いていた。しかし今の花音は濡れた不快感など感じる余裕すらなかった。
ただショックから逃げるように必至で考えていた。
凛とミシェルのあの親しそうな様子。あれは昨日今日の仲なはずがない。だとしたら……海原先輩の書類を盗んだのは凛だ。同室の彼女ならいつでも機会はあった。
それだけじゃない。自分はあんなに仲よくしておきながら、黙って僕が先輩に舞い上がっている所を見てたんだ。
ミシェル先輩が犯人だったと知った時以上に、その事実は花音の心を深く傷つけた。
友達だと思っていたのに……。花音の心の中は凛への憎しみであふれかえっていく。それはまるで真っ白な紙に、黒い墨が落とされてあっという間に黒く染まっていくようだ。
憎しみは怒りへと転じ、その熱で雨の冷たさなど感じられないほどに、花音は静かに怒っていた。火照った体を冷ますように、しばらく彷徨い歩いてから花音はゆっくりと寮に戻る。
部屋の扉を開けると凛がいた。
「花音、お帰りなさ……。どうしましたの? そんなに濡れて」
慌てたように凛はタオルを取り出す。心配そうな表情の凛はいつもと何も変わらなくて、それが余計に花音を腹立たしくさせる。差し出されたタオルをつかんで、花音は床に叩きつけた。
「もう止めてよ、そういう友達ごっこ。僕は全部知ってるんだから……」
「どうしましたの? 何を言ってるのかよくわかりませんわ」
困った様な微笑を浮かべた凛に、花音はさらに苛立ちを感じる。
「いつからミシェル先輩とつきあってたの? 書類を隠したの凛でしょう。」
凛の顔色が変わった。顔から表情というものが消えたのだ。しかし凛はすぐに立ちなおったように、余裕の微笑みを浮かべた。
「付き合っているわけではないわ。ミシェル様と私は主従関係で、金で雇われているだけなの。ごめんなさいね。隠していて」
「書類を隠したのは否定しないんだ。僕の気持ちを知ってて心の中で笑ってたんだろう!」
「笑ってなんていないわ。花音が思い出の人にどれだけ憧れてたか、私知っていましたもの。だからミシェル様にお願いしてあげたんですのよ」
凛に言われた言葉に、花音は頭が真っ白になりそうな程衝撃を受けた。ミシェルとの劇的な出会い。思い返せばあまりにできすぎていた。そして昔撃退士に助けられた話をしたのは、学園で凛だけ。
「……もしかして、ミシェル先輩が昔僕を助けてくれた人って、嘘?」
「花音が気づかなければ、嘘ではなく美しい思い出に出来たはずでしたのに……」
花音は反射的に凛の頬を平手打ちしていた。凛が思わずよろけて床に倒れるほど、強い力のこもったものだった。
「花音……」
凛は信じられない物を見るように、目を見開き、驚いた表情で花音を見上げた。
「君なんて友達じゃない! 君の顔なんて二度と見たくない!」
花音の叫びが部屋にこだまする。凛はただそれを呆然と受けいれていた。
「わかりました。わたくしこの部屋をでていきますわ。だから花音。シャワーを浴びていらっしゃい。そのままでは風をひきますわよ」
こんな時でさえ冷静すぎる凛の態度が、花音は腹立たしくて仕方がなかった。