第11話 部下の失敗を奪わないでください
第11話 部下の失敗を奪わないでください
備蓄計画が承認された翌朝、王太子府へ毛布商から一通の確認書が届いた。注文数は三百枚。避難所で必要とされる五百枚より、二百枚少なかった。
アガーテは書類を三度読み返した。注文欄には「三〇〇」とあり、その横にはネリーの署名がある。確認者の欄は空白で、紙の端には羽根ペンを押しつけた丸い跡が残っていた。
「ネリーを呼んでください」
アガーテの声を聞き、近くにいた文官が椅子から立ち上がった。机の上には朝食の茹で卵が残され、殻を半分むいたところで手が止まっている。白身には細かな殻がいくつも貼りついていた。
「すぐにお呼びします」
「毛布商へ馬車の用意も頼んでください。私が直接向かいます」
「アガーテ様がお出かけになるのですか」
「冬まで一か月しかありません。手紙を往復させる時間はありません」
アガーテは葡萄色の仕事着の上へ、青灰色の外套を羽織った。鞄へ発注書、契約書、備蓄計画書を詰める。表紙の黒い染みから作られた花は、茎を上へ向けたまま乾いていた。
木箱の隅には、ネリーから借りた胡桃が置かれている。手に取ろうとしたが、今は握って待っている場合ではないと考えた。失敗を直さなければ、冬に二百人が毛布なしで眠ることになる。
「お呼びでしょうか」
ネリーが息を切らして入ってきた。若草色の制服の上に、青い毛糸の肩掛けを巻いている。襟の糸菊は五輪に増えたが、最後の一輪は中央だけ縫われ、花弁がなかった。
「これは、あなたが作成した発注書ですね」
「はい」
「必要数は五百枚です。なぜ三百枚になっているのですか」
ネリーの顔から血の気が引いた。発注書を受け取り、三〇〇の文字を指でなぞる。羽根ペンの軸を前歯へ運びかけたが、今日はペンを持っていなかったため、空の指だけが唇へ触れた。
「最初に確認した修道院の収容人数が、三百人だったからです。そのあと、村の集会所二か所が加わって……」
「計画書の変更を、発注書へ反映しなかったのですね」
「申し訳ありません。すぐに追加注文を出します」
「冬までに二百枚を織れると思いますか」
「毛布商へ確認します」
「私が行きます。書類を渡してください」
アガーテは発注書を取り上げた。ネリーが両手を伸ばしたが、紙は彼女の指先を離れ、アガーテの鞄へ入った。以前、予算表を取り上げたときと同じ動きだった。
「アガーテ様、私が――」
「あなたが交渉している間に、冬が来ます」
「まだ何も確認していません」
「確認しなくても分かります。織物工房の一か月の生産数は、多くて百二十枚です」
「近隣の工房にも頼めば――」
「品質と寸法が揃いません。避難所で扱いにくくなります」
「でも、私の失敗です」
「ですから、これ以上の失敗を防ぎます」
アガーテは鞄を持ち、扉へ向かった。廊下へ出る直前、ヘルミーネが立っていることに気づいた。黒に近い紫色のドレスを着て、両手には湯気の立つ芋の包みを持っていた。
「どちらへ行くのですか」
「毛布商です。注文数に誤りがありました」
「誰が間違えたのですか」
「ネリーです」
「では、なぜあなたが行くのですか」
「私が交渉したほうが早いからです」
ヘルミーネは包みを窓台へ置いた。焼いた芋の皮が一部めくれ、黄色い中身から甘い湯気が上がっている。朝から何も食べていなかったのか、指先には黒い灰がついていた。
「発注書をネリーへ返してください」
「二百枚不足しています。研修のために放置できる問題ではありません」
「放置しろとは言っていません」
「では、何をしろとおっしゃるのですか」
「彼女に対処させてください」
「間に合わなかった場合、毛布なしで眠るのは避難した人々です」
「だからこそ、ネリーは自分の失敗がどこへ影響するのか知る必要があります」
「失敗を理解させるために、避難者を危険にさらすのですか」
アガーテの声が廊下へ響いた。近くの部屋から、何人かの文官が顔を出す。ヘルミーネは声を落とさず、アガーテの鞄を指した。
「あなたが解決すれば、ネリーは失敗した人のままです」
「私が解決しなければ、失敗したうえに、さらに問題を広げます」
「それを止めるために、見守る者がいるのでしょう」
「私に見ていろと?」
「いいえ。どこまで任せ、どこから助けるかを、本人と決めなさい」
ネリーは、二人の後ろで立っていた。肩掛けの端を両手で握り、青い毛糸を引き伸ばしている。アガーテは自分の鞄へ目を落とした。
中には、長い右袖を持つ人形の服が入っていた。母は間違った袖をすべて縫い直し、幼いアガーテから針を取り上げた。自分も今、同じことをしている。
アガーテは発注書を鞄から出した。紙の端に皺がついている。指で伸ばそうとしたが、完全には戻らなかった。
「ネリー。どこまで、ご自分で対処できますか」
「毛布商への謝罪と、追加で何枚用意できるかの確認はできます」
「不足分については?」
「近隣の織物工房へ連絡します。毛布で用意できない分は、厚手の外套か、敷物で補えないか確認します」
「品質が揃わなくなります」
言ったあと、アガーテは口を閉じた。否定から入らない練習を、昨日したばかりだった。
「品質が違っても、寒さを防ぐ方法を探すのですね」
「はい。ですが、契約条件の変更には自信がありません」
「では、毛布商と工房から回答を得るところまでは、あなたがしてください。契約を変える前に、案を二つ以上、私とエーミル文官長へ見せてください」
「分かりました」
「今日中に、最初の回答を得られますか」
「やってみます」
「やってみる、ではなく――」
アガーテは途中で言葉を止めた。できると断言させたいのは、自分が安心したいからだ。ネリーが約束どおり進められるかは、今の時点では誰にも分からない。
「今日中に難しい場合は、正午までに途中経過を知らせてください」
「はい」
ネリーは発注書を受け取った。紙の皺を見てから、二つ折りにせず書類板へ挟む。羽根ペンを取りに執務室へ戻る途中、ヘルミーネの焼き芋へ目を向けた。
「一つ、いただいてもよろしいですか」
「これは私の朝食です」
「二つあります」
「昼食の分です」
「お昼までに冷めますよ」
「冷めた芋も甘いのです」
「毛布商へ行く前に、何か食べておきたいのですが」
ヘルミーネは、太いほうの芋を自分の手元へ残し、細い一本をネリーへ渡した。ネリーは礼を言い、熱い皮を左右の手へ移しながら歩いていく。曲がり角で皮を一枚落とし、慌てて戻って拾った。
「私より、ずいぶん甘いのですね」
アガーテが言うと、ヘルミーネは芋の先を折った。
「あなたにも差し上げましょうか」
「結構です」
「否定から入りましたね」
「お気持ちはありがたいのですが、朝食は済ませました」
「少しは上達しましたね」
午前中、アガーテは部署間調整官として、薬と薪の備蓄を確認した。しかし目は何度も時計へ向かった。ネリーが毛布商へ到着したころ、交渉を始めたころ、返事を受け取ったころを頭の中で数える。
十一時を過ぎても報告は来なかった。アガーテは羽根ペンを置き、外套へ手を伸ばした。毛布商まで馬車なら二十分で着く。
「どちらへ?」
エーミルが、焼いた林檎の皿を持って入ってきた。林檎の中央には干し葡萄が詰められ、蜂蜜が皿の縁まで流れている。紺色の上着の肘には、娘が縫った白い星が残っていた。
「毛布商です。報告が遅れています」
「正午までは、まだ四十分あります」
「すでに交渉が難航している可能性があります」
「順調だから、報告することがない可能性もあります」
「その判断は楽観的です」
「では、あと四十分、焼き林檎を食べながら待ちませんか」
「なぜ二人分あるのですか」
「妻が、私の分とアガーテ様の分を包んでくれました」
「私がここにいると、どうして分かったのですか」
「最近は、引き出しを開けているか、時計を見ているかのどちらかだと話しました」
「ご家庭で、私の行動を報告しないでください」
「娘は、アガーテ様の机の引き出しに何が入っているか知りたがっています」
アガーテは外套から手を離した。焼き林檎を匙で切ると、柔らかな果肉から湯気が出る。干し葡萄が一粒、皿の外へ転がった。
「薔薇模様の紅茶缶、予備の手袋、硬くなった砂糖菓子、古い観劇案内です」
「今度、娘へ伝えておきます」
「その情報に、何の意味があるのですか」
「八歳の子どもは、他人の引き出しに興味があるのです」
「自分の引き出しを見ればよいでしょう」
「自分のものは知っているから、つまらないそうです」
二人が焼き林檎を半分まで食べたところで、ネリーが戻った。頬は冷たい風で赤くなり、肩掛けには細かな木屑がついている。毛布商だけでなく、織物工房にも寄ってきたらしい。
「毛布商は、追加で八十枚なら用意できるそうです」
「残り百二十枚ですね」
「東の織物工房で六十枚、西の工房で四十枚。ただし、寸法と厚さが違います」
「残り二十枚は?」
「毛布には間に合いません。代わりに、大人用の厚手の外套を四十着貸し出せる工房があります。一着を二人で掛ければ、二十枚分になります」
「貸し出しということは、返却が必要ですね」
「はい。泥や水で汚れた場合の弁償条件を相談したいです」
「あなたの案を見せてください」
ネリーは二枚の紙を机へ置いた。一つ目は、王宮が外套を買い取り、災害後に村へ配る案。二つ目は、貸出料と洗濯代を王宮が負担し、使用不能になった場合だけ買い取る案だった。
アガーテは一つ目を選びかけた。買い取れば返却時の争いが起こらず、手続きも単純になる。しかし外套は毛布より高く、予備費を大きく使う。
「ネリーは、どちらがよいと思いますか」
「二つ目です。外套は工房の冬の商品です。買い取れば、避難所で使わなかった分まで王宮の倉庫へ残ります」
「汚れの判断で揉める可能性があります」
「返却時に工房と村の代表が一緒に確認し、記録を残します」
「誰が洗濯しますか」
「王都の洗濯組合へ相談しました。災害時は通常料金の半額で引き受けるそうです。ただし、一度に二十着までです」
「残りの二十着は?」
「二日に分けます」
アガーテは次の欠点を探した。湿った外套を保管する場所、運搬する馬車、貸出期間、虫食いの確認。口を開きかけるたび、ネリーが先に補足した。
「よく調べましたね」
「何度も、アガーテ様なら何を聞くか考えました」
「私は、それほど質問しますか」
「一つ答えると、三つ増えます」
「必要な確認です」
「はい。今回は役に立ちました」
アガーテは二つ目の案に印をつけた。エーミルも契約条件を確認し、異論はなかった。毛布と外套を合わせ、必要な五百枚分を確保できる見通しが立った。
「では、契約書を作成してください」
「私が作ってよいのですか」
「あなたが交渉した内容です。ただし、確認欄を二つ作ってください」
「正担当と副担当ですか」
「いいえ。発注数を確認する者と、計画書の必要数を確認する者です。同じ誤りを二人で見過ごさないためです」
「アガーテ様のお名前も入れますか」
「私が毎回確認すれば、また私がいなければ処理できなくなります。担当者は、その都度決めてください」
ネリーは頷き、発注書を胸元へ抱えた。朝には歪んでいた紙の端が、書類板の間で平らになっている。完全には戻らず、斜めの皺だけが残っていた。
夜、アガーテはヨアヒムの執務室を訪れた。窓の外では北風が吹き、雲の間から細い月が見える。暖炉の前には、濡れた手袋と靴下が干されていた。
「殿下のものですか」
「警備隊の伝令のものだ。帰るまでに乾かしたいらしい」
「執務室で靴下を干す王太子は、あまり聞いたことがありません」
「暖炉が空いているから、構わないだろう」
「香油の匂いと、濡れた羊毛の匂いが混じっています」
「窓を開けるか?」
「寒いので、このままで結構です」
ヨアヒムは二人分の紅茶を注いだ。今日は塩と砂糖を間違えず、蜂蜜を小匙一杯ずつ入れる。アガーテのカップには、茶葉が一枚だけ浮いていた。
「毛布の件を聞いた。必要数を確保できたそうだな」
「はい。ネリーが対処しました」
「君は手伝わなかったのか」
「契約内容の確認だけです。朝は発注書を取り上げましたが、返しました」
「よく返せたな」
「ヘルミーネに止められました」
「では、褒める相手はヘルミーネか」
「それでは、私が何もしていないようではありませんか」
アガーテは言ってから、自分で少し笑った。何もしないように見えることを、まだ気にしている。ヨアヒムも口元を緩め、紅茶の茶葉を匙ですくった。
「私は、部下を信用していなかったわけではありません」
「分かっている」
「いいえ。私自身が、分かっておりませんでした」
アガーテは、鞄から人形の服を取り出した。左右の長さが違う袖には、母とほどいた糸の跡が残っている。白い刺繍の花は、緑の茎を上へ向けていた。
「待てなかったのです。間違えるところも、悩むところも、覚えるまでの時間も。失敗しそうな人を見ていると、その人が困る前に終わらせなければならないと思っていました」
「君が困らせたくなかった相手の中に、私もいたな」
「殿下は書類をためすぎでした」
「それは否定しない」
「私が片づけるたび、殿下は私を褒めました」
「ああ。君に任せたつもりだった」
「任せたのではなく、預けただけです。終わった結果を受け取るだけでした」
ヨアヒムは紅茶を机へ置いた。暖炉のそばで靴下が一足、紐から外れて床へ落ちる。拾おうとしたが、アガーテが先に立ちかけたため、二人とも途中で止まった。
「これは、どちらが拾うべきでしょう」
アガーテが尋ねた。
「落とした本人に任せるか?」
「伝令は、まだ戻りません」
「では、私が拾う。私の執務室だからな」
「私は、場所を教えます。椅子の左です」
「それくらいは見えている」
ヨアヒムは靴下を拾い、暖炉の前へ戻した。濡れた羊毛の匂いが少し強くなる。アガーテは椅子へ座り直し、人形の服を膝へ置いた。
「私も、君が仕事を抱えるのを止めなかった。任せたのではなく、君一人に甘えていた」
「では、殿下も研修を続けてください」
「婚約を再開してもか?」
「婚約を再開するかどうかとは、別の話です」
「厳しいな」
「厳しいのではありません。結婚後、私がまた全部を引き受ければ、同じことになります」
「そのときは、どうする?」
「私が『全部やります』と言ったら、どこまでなら無理なくできるのか尋ねてください。殿下が『任せる』と言ったら、何を引き受けるのか確認します」
「子どもが生まれた場合は?」
アガーテは、すぐには答えなかった。靴紐を結ぶのが遅い子ども、卵の殻を落とす子ども、左右の長さが違う袖を縫う子どもを思い浮かべる。待てずに手を出す自分の姿も、簡単に想像できた。
「今は、できるとは申し上げられません」
「何が?」
「失敗するまで待てるかどうかです。ですが、待てないときに一人で決めず、あなたへ相談します」
「私も、正しいことを言うだけで君へ任せないようにする」
「お父様と同じことをなさらないでください」
「何の話だ?」
「長くなります。次の休みにお話しします」
窓の外で、細かな雨が降り始めた。雨粒は硝子に当たり、北風に押されて斜めに流れていく。ヨアヒムは濡れた靴下を暖炉へ少し近づけたが、焦げない距離で手を止めた。
翌朝、ネリーは新しい発注書を持ってきた。下部には二つの確認欄があり、一人目の署名の横へ、二人目が必要数を読み上げた印をつける決まりになっている。表紙には、複数の工房から届いた布見本が縫いつけられていた。
灰色、焦げ茶色、深緑色、古い葡萄酒のような赤。色も厚さも異なり、一枚の見本帳としては不揃いだった。ネリーは余った布をつなぎ、小さな敷物を作ったという。
「机の下へ敷いてください。冬は足元が冷えますから」
「これは、仕事の備品ですか」
「私からのお詫びです」
「個人的な贈り物は、受け取れません」
「では、王太子府の試作品です。使い心地を報告してください」
アガーテは言い返しかけたが、ネリーが先に敷物を机の下へ滑らせた。靴底へ柔らかな毛織物が触れ、冷えていた爪先が少しずつ温まる。
「温かいですね」
「はい。色は揃っていませんけれど」
「避難所でも、色は問題になりません」
「では、試作品として合格ですか」
「まだ一日使っていません。明日まで待ってください」
ネリーは笑い、羽根ペンの軸を一度だけ噛んだ。アガーテは注意せず、足元の敷物を見た。異なる布を縫い合わせた中央には、茎を上へ向けた白い花が一輪、刺繍されていた。




