第八十八話 帰還(中編)
三日後。
綾乃たちが清蓮神社へ戻った、その夜から、清正は、一睡もしていなかった。
祈祷殿の中央。
そこには聖別された薪が厳かに組まれ、青白い浄火が、音もなく、しかし絶えることなく燃え続けている。
炎の只中に焚べられているのは、夜叉がかつてその身に纏っていた、呪われた能面。
清正の唇は乾き、目の下には濃い隈が落ちていた。
「……やはり、祓えぬ、か」
掠れた声が、祈祷殿に落ちる。
荒くなった呼吸を必死に整え、額を伝う汗を、震える手で拭う。
三日三晩。
一度も眠らず、坐禅を組み、真言を唱え続けた。
喉は焼けつくように枯れ、脚は感覚すら曖昧で、ただ座っているだけで精一杯だった。
それでも。
能面は、燃えなかった。
炎に包まれているにもかかわらず、面の表面には、黒く粘つく怨嗟の膜がまとわりつき、
まるで火そのものを拒むかのように、不気味に揺らめいている。
『ギギャ……ギギギギギッ――!!』
「……っ!」
それは、耳を塞いでも鳴り止まない。
清正の脳裏に直接叩きつけられる、声とも、叫びともつかぬ呪いの囁き。
頭蓋の内側で反響し、精神を削り取るように、絶え間なく鳴り続ける。
「……ぬぅ……!」
視界が、揺れた。
炎の揺らぎに紛れ、
能面の細く切れた眼が、こちらを睨み返したようにも見える。
あるいは、血のように赤い唇が、嘲るように歪んだようにも。
「……惑わされるな……」
清正は歯を食いしばり、己の弱り切った心を叱咤する。
「私は……決して、あきらめぬ」
掠れ切った喉を無理やり震わせ、祈祷の声を、さらに強めた。
真言が、祈祷殿に反響し、浄火が一層激しく燃え上がる。
「夜叉……!」
その名を呼ぶ声には、祈りと、誓いと、そして覚悟が宿っていた。
「必ず……必ず、その呪いを断ち切ってみせる……!」
たとえ、この身が尽きようとも。
たとえ、この魂が擦り切れようとも。
清正は、ただひたすらに祈り続ける。
呪いに抗い、夜叉を救う、その瞬間を信じて。
ーーーー
薄暗い焚き火の炎が、ぱちりと弾けた。
その頼りない光に照らされ、四人の影が地面に長く揺れている。
綾乃、獅子丸、斬黒、蛇楽。
死線をいくつも越えてきた者同士だからこそ、言葉を失った沈黙は重かった。
やがて、その沈黙を破るように、綾乃が口を開いた。
「……まずは、《呪い箱》の話をしよう」
焚き火越しに、綾乃の瞳が過去を見つめる。
「私が初めて呪い箱を目にしたのは、安芸・備後国の山中……洞窟の奥だった」
その声音には、拭いきれない嫌悪と痛みが滲んでいた。
「ひとつの呪い箱を精製するために、たくさんの子供たちの魂が抜き取られていた」
焚き火が、ぐっと低く唸る。
「そして十日前……私たちが捕らえられていた、あのアジト」
綾乃は、ぎゅっと拳を握りしめた。
「中央の台座を囲むように、無数の呪い箱が並べられていた。
その中心には……白骨化した骸骨が、一体」
斬黒が、わずかに息を呑む。
「その骸骨に、呪い箱から噴き出す邪気が流れ込み、
その邪気が、死体を、再生しかけているみたいだった」
一同の背筋を、冷たいものが這い上がる。
斬黒「なんだってぇ!!
つまり……そいつらは、子供たちの命を犠牲にして精製した呪い箱を複数所有し、
それを使って“転生術“を行っているってことか?」
「誰がそんな、ひでぇ事を!」
その時、蛇楽が思い出したように声を上げた。
「そ、それを仕切ってる親玉みたいな、デカい坊さんがおったんじゃ!
周りの悪党どもは、そいつを、“清海”って呼んでおった……!」
その名が焚き火の上を転がった瞬間
獅子丸の表情が、凍りついた。
「……清海?……」
低く、押し殺した声。
蛇楽は気づかず、さらに続ける。
「他にも名前を聞いた!!
その坊さんは、復活させとる骸骨の事を“鎌之助”って呼んでおったんじゃ!
ほんと、めちゃくちゃ気味悪かった!!」
次の瞬間、
「清海に鎌之助……だと……!?」
獅子丸の声が、焚き火を震わせた。
その顔色は、明らかに変わっていた。
獅子丸の拳に、ぐっと力がこもる。
「そして、俺が倒した八雲。
あいつは“伊賀封じの術は、俺の義兄・霧隠才蔵に教わった”と口にした!」
斬黒「おい!おめえ……その三人、知り合いなのか? お前ら忍は交友関係が濃すぎるぞ」
獅子丸「知っているのは、才蔵兄者だけだ。
しかし、他の二人は恐らく、三好清海、由利鎌之助。」
獅子丸はゆっくりと言葉を落とした。
「真田十勇士の面々だ。」
斬黒「なんだって〜!!
あの“大阪の陣”で徳川を苦しめた、豪傑どもか!!」
焚き火が弾け、火の粉が宙に舞った。
斬黒「そうか〜……ようやく封呪箱との関連が見えてきたぞ。
戻り橋でおいらが鬼どもに襲われたあの館、あそこには墨で“六個の丸”が書かれていた。
な、蛇楽!」
蛇楽「えっ、そ、そんなの見てないけど?」
綾乃「いや!。私たちが捕らえられていた聖堂にも、同じ印が掲げられていた。
……ねぇ、蛇楽?」
蛇楽「あ、あぁ……? そ、そんなの知らんわい!」
斬黒「おめえ、ほんとになーんも覚えておらんのか!!」
蛇楽「うるさいっ!! で、その六つの丸は何なんじゃ!」
斬黒「それはな!!」
獅子丸が被せてくる。
「真田幸村の家紋、“六文銭”だ。」
六文銭、その名が落ちた瞬間、場の空気が一変した。
焚き火が、まるで意思を持つかのようにバチリと弾け、四人の顔を赤く照らし出す。
その揺らめきは、胸中に渦巻く不穏な予感までも映しているようだった。
綾乃「真田幸村……。
なら、あの者たちは……幸村の配下、“十勇士”が……何かの術で蘇生されているということなのか?」
獅子丸「断言はできぬ。
だが“清海”という名、そして“鎌之助”。
さらに八雲が才蔵兄者の名を口にした以上……その可能性は限りなく高い」
焚き火の光に照らされた獅子丸の横顔は、怒りと戸惑い、そして決意が交差していた。
斬黒「そこで問題になるのが“呪い箱”よ」
斬黒の低い声が、場をさらに重くする。
斬黒「六文銭ってのは、六地蔵の象徴とも伝わっている。
六道を渡るための銭、つまり“死と再生”を司る印って事だ」
綾乃「では……封呪箱は、その“六道”そのものに干渉する呪具……?」
獅子丸「考えられる。
俺たちが見た邪気の流れ、台座で再生しかけていた骸骨……。
あれは死者の魂を無理やり引き戻し、肉体を再構成する、禁呪の類だ」
蛇楽「そ、それ、冗談じゃなくヤバすぎるやつじゃん!!
死んだ豪傑どもが、邪気の力で、めちゃくちゃ強くなって蘇ってきたら、この国はどうなっちゃうんじゃ!!」
斬黒「どう計算しても、今のおいら達が、正面から勝てる相手じゃねぇ」
焚き火がふっと弱まり、ぱちりと火の粉が弾けた。
まるで四人の未来を暗示するかのように、影が地面に深く沈んでいく。




