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第八十七話 帰還(前編)

清蓮神社の境内を、冷たい風がさらりと渡っていった。


綾乃たちが有馬へ旅立ってから、すでに半月。

神社の空気は、彼女たちが出発したあの日を境に、どこか色を失ったように感じられた。


「斬黒、何かわかったか!」


拝殿の奥から清正が現れ、焦りを隠さない声で問いかける。


斬黒は腕を組み、眉をひそめながら報告した。


「全っ然ダメです。

 わざわざ有馬まで行って、依頼人達にも聞き込みしたんですが……」


「……どうだった?」


「三人とも事件を解決して、宿で一泊し予定通り帰っていった……

 情報は、それしか得られませんでした。」


斬黒の報告に、清正の表情が強ばった。


予定通り任務を完了した、ならば、帰路の途中で何かがあったということか。

でも、今わかっているのは、たったのそれだけだった。


「うぅ……! 仕方ありません……明日、私も捜索に向かいます!

 斬黒も同行してさい!」


「お、おいおい待ってくださいよ!」


斬黒は慌てて手を広げ、清正を押しとどめた。


「そんなことしたら、この神社は誰が守るんですか!?

 さすがに無茶がすぎますよ!」


「し、しかし……!」 

  


その瞬間だった。


澄み切った空気の中、清蓮神社の結界がふっと震え、まるで水面に波紋が広がるように“気”が走った。


清正の全身がびくりと震える。


「……っ!? こ、この気は……!」


強く、優しい、懐かしい気配、

綾乃と蛇楽。二人の“気”が、はっきりと、清正の胸に飛び込んできた。


「か、帰ってきた!!」


その叫びと同時に、清正は弾かれたように走り出した。

袴の裾が大きく揺れ、石畳を蹴る足音が境内に鋭く響く。


「ま、待ってください! 清正様!!」


斬黒も慌てて後を追った。

普段は飄々としている彼でさえ、この瞬間ばかりは顔をゆがめ、全力で清正の背中を追いかける。


朱に染まる夕日が、鳥居の向こうを照らしていた。

その光の中に、三つの影が揺れている。


「綾乃……? 蛇楽……? そして……もう一人……」


清正の足がわずかに鈍る。

そこに立つのは、確かに綾乃と蛇楽。だが、三人目は....夜叉ではない。

見知らぬ剣士の男だった。


「ざ!! ざくろぉぉぉ〜〜!!」

次の瞬間、蛇楽が駆け出した。


タタタタタタ!!


涙に濡れた顔で、斬黒に飛びつくように抱きつき、腰のあたりに腕を回し、ぎゅっとしがみついた。


「蛇楽!! 何をしとったんじゃお前は!!

 めちゃくちゃ心配したじゃないか!!!」

斬黒も、驚きつつも、いつになく優しい声音だった。


「ざ、ざくろ……!! 夜叉がっ……夜叉が〜〜!!」


蛇楽が泣き崩れる。

その震える声を聞いた瞬間、斬黒の背筋に冷たいものが走った。


「……え? 夜叉が……?」


同じく清正も、息を飲んだ。


二人の視線が自然と鳥居の向こうへと向かう。

夕日が作る長い影の中に、夜叉の姿だけが....ない。


胸の奥に、黒い墨のような不安がじわりと広がっていく。


「……清正様……」

ぐじゅ、と鼻をすする小さな音。


振り返ると、綾乃が肩を震わせながら、両手で何かを包み込むように抱えていた。

涙で濡れたその手が、そっと清正へ差し出される。


夜叉の能面だった....。


「ま、まさか……」


清正の手が震える。

触れた瞬間、冷たい。

あの夜叉が、まるで己の一部のように扱っていた能面。


「や、夜叉は……死に……

 ...た、魂は……その能面に……」


「っ?!!!!!」


清正の喉から、悲鳴にも似た声が漏れた。

膝が崩れ、そのまま尻餅をつくように地面へ座り込む。



その場の静寂を、突然鋭い怒号が引き裂いた。


「お前ら、ふざけるな!!」


斬黒だった。

怒りの熱に包まれた声は境内に反響し、木々を震わせるほどだった。


「おいら達の中で最強だった、あの夜叉が……!

 命を落としただと!? ありえねぇ!!」


怒号は、拒絶であり、恐怖であり、ただの叫びだった。


「絶対にある訳ねぇだろうがぁぁぁ!!」


拳を石畳に叩きつける。

乾いた音が響き、地面がわずかに震え、斬黒の拳から血が滴り落ちる。


だが、綾乃も蛇楽も、ただ涙を流して肩を震わせているだけだった。


反論しない。

否定しない。


その沈黙こそ、残酷な現実を物語っていた。


「あ……れ……?」


威勢よく怒鳴っていた斬黒の声が、徐々にしぼんでいく。


視界が滲んだ。

頬をつたう熱い涙が、止まらない。


「な……なんで、おいら……泣いて……」


斬黒は戸惑っていた。

夜叉は、自分たちの仲間で……

そして斬黒にとっては、どんな時でも後ろから支えてくれる“最強の背中”だった。


その背中が、もうどこにもないという現実が

胸に、鋭い痛みとなって突き刺さるのだった。



清正は、震える指先で能面を胸に抱き締めた。

まるで壊れ物に触れるように、そっと目を閉じ、深く深く意識を沈めていく。


静寂

その裏側で、能面からは黒い潮のような邪気が、うねりを上げて押し寄せている。


暗闇。

冷気。

呪詛にも怨嗟にも似た、ざらついた呻きの渦。


清正は目に見えぬ“闇の層”をひとつ、またひとつと掻き分けるように進んだ。


そのはるか、そのずっと奥底、


荒れ狂う呪詛の波間に、

ひときわ弱々しい光が、ふらり……ふらり……と漂っていた。


それは、まるで今にも沈みそうな、小さな小舟。

触れれば消えてしまいそうなほど儚く細い、夜叉の魂の気配だった。


「……っ!!」


清正の身体に反射的に震えが走る。

呼吸が詰まり、握る手が強ばった。


ぽたり、ぽたり

涙が能面へと落ち、静かに染み込んでいく。


「……や……夜叉……

 夜叉よ……!」


その声は痛みに掠れ、ただ懇願するように震えていた。



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