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第八十五話 八雲(中編)

「し……獅子丸……っ。

 し、獅子丸……す、すごい……!!」


かろうじて命の灯を繋ぎ止めている夜叉が、震える喉で、絞り出すように呟いた。

今にも崩れ落ちそうなその身体とは裏腹に、瞳だけは異様なほどの光を宿している。


――まるで、魂そのものが、燃え上がっているかのように。


夜叉の肩を支える綾乃もまた、言葉を失っていた。

剣閃が走るたび、空気が震え、地を裂く。

それは戦いというより、もはや“圧倒”だった。


胸に湧き上がるのは、純粋な感動。

だが同時に、人の域を超えたものを目の当たりにした時の、僅かな恐怖。


「……っ」


息を呑むしか、できない。


その一方で。


「獅子丸!!!

 やばい! すごい好きかも!!」


場違いなほど真っ直ぐで、屈託のない声が、夜気を切り裂いた。

蛇楽は頬を紅潮させ、拳を握りしめて叫んでいる。


その声を背に、夜叉はふらりと頭を垂れた。

震える手で腹部を押さえ、深く、浅く、息を繰り返す。


五年前

黒装束姿の、獅子丸の勇士。


そして今。

月光の下で躍動する、獅子丸の勇士。


二つの光景が、夜叉の中で重なり合っていく。


「……良かった……」


かすれた声が、夜に溶ける。


「今日まで……命を繋いできて……

 本当に……良かった……!」


声は弱々しい。

だが、その奥に宿るものは、疑いようもない歓喜だった。


夜叉は、痛みに歪む腹を押さえながら、なおも言葉を紡ぐ。


「私が……この激痛に耐え……

 ここまで……生きながらえてきたのは……」


一拍、息を整え。


「この……“輝き”を……

 どうしても……見たかったから……なのです……」


「や、夜叉……!」


思わず、綾乃がその身体を抱き寄せる。

折れてしまいそうなほど細い肩だった。


夜叉は、ゆっくりと顔を上げ、綾乃を見た。


そして

月明かりの中で、そっと、微笑んだ。


それは、苦痛を忘れた笑みでも、覚悟を示す笑みでもない。

ただひたすらに、満ち足りた、救われた者の微笑みだった。



「私は……いずれ死に……魂は、この面に封じられる定め……」


小さく、しかし確かな声で続けた。


「でも……この、この輝きを見られたのなら……

 たとえ狭く、永遠の暗闇であろうと……きっと……きっと耐えられる気がするのです……」


ーーーー


 大蜘蛛をすべて斬り伏せた獅子丸は、血飛沫の中を、まるで獅子が獲物へ歩み寄るかのように、

 一歩、また一歩と、静かに八雲へ距離を詰めていく。


 八雲と二人の従者も、忍の道を極めた者。

 背を見せた瞬間、死が確定することを理解していた。

 だからこそ、後退ることさえできない。


 追い詰められた八雲の脳裏に、一つの噂が閃く。


「そ、そうじゃ……聞いたことがある……! 伊賀に“獅子の気”をまとう若き忍がいたと!!」


 八雲は絶望と確信が入り混じった声で叫んだ。


「そうか……! お前は伊賀の抜け忍か!!

 ならば、いい手がある!」


 八雲は怒涛の勢いで叫ぶ。


「壱の蜘蛛! 笛じゃ!!

 弐の蜘蛛は、その護衛につけ!!」


 従者のひとり、“壱の蜘蛛”と呼ばれた男が懐から横笛を取り出す。

 次の瞬間、場を震わせる怪音が響き渡った。


 ――ヒュ〜……ヒュラル〜ラル〜……


 その音色は、空気をねっとりと染め上げるような、不吉な響きを帯びていた。

 弐の蜘蛛は前に立ち、クナイを逆手に構え、獅子丸へと睨みを据える。


 広場が、奇妙な濁音に満たされていく。


「なるほど……なかなか良い策じゃ」


 獅子丸は、歩みを止めず、淡々と呟いた。


「その音色は、伊賀が裏切り者を封じるための秘術。

 伊賀では、忍となったその日に、絶対服従を余儀なくさせるため、この笛の音色を聞けば、

 金縛りにあったように動けなくなるよう、強力な暗示を仕込まれる」


八雲は勝利の笑みを浮かべかけた。


 だが


「……だが、残念だったのう」


 獅子丸の声が冷たく降り注ぐ。


「オレはその暗示を破るために、この山で……人知れず、修行を重ねてきたのじゃ」


「な……なんだと……!」


八雲の顔から血の気が引いた。

笛の音は虚しく空に溶け、万策尽きたことを悟る。


それでも、壱の蜘蛛は震えながらも笛を吹き続けていた。

僅かでも、何か起きるかもしれないと信じて。


「ぬ、ぬかったわ……

 敵の力を見誤ったこと……これが、わしの一生の不覚よ……!」


八雲は歯をガチガチと鳴らし、気が折れかけていた。



「だが……」

獅子丸は、刃を静かに構え直した。


「お前たちを斬り伏せる前に……一つだけ聞かねばならぬことができた」



「伊賀にとって、その音色の秘術が漏れるのは致命的なこと……

 それを何故、甲賀のお前が知っておる!!」


 その問いに、八雲は突然、目を見開き……


「そ、そうじゃ……そうであった……!

 そうであったぞ!!!」


そして、狂気じみた笑い声を上げた。


「ガハハハハハハハッ!!!」


 声が枯れるほど笑い続け、八雲は指を突きつける。


「思い出したわ!!

 伊賀の獅子丸!! お前は伊賀の獅子丸じゃ!!」


「それがどうした!!」


「この禁術を我らに教えたのは……

 お前の兄であり師匠、霧隠才蔵様よ!!」


「なにっ!!?」


 獅子丸の瞳に、雷が落ちたような衝撃が走る。


 自分を置き去りにし、里を出た兄、霧隠才蔵。

 大阪夏の陣で消息を絶った、あの才蔵の名が、

 ここで出るなど、誰が想像しただろうか。



その瞬間だった。


獅子丸「……しまっ!!」


強靭な気をまとい、敵を圧倒していた獅子丸の精神に、

ひと筋の“隙”が走った。


その隙間を、まるで毒蛇のように“音”が滑り込んだ。


キィィイイイイイイ……ン……


抜け忍を封じる、忌まわしき呪笛の音色。

耳ではなく、魂に直接突き刺さるようなその音が、獅子丸の内側を侵す。


グアァァァァ!!!!!


獅子丸の身体が、ピタリと硬直した。

金縛り、いや、“気”そのものを凍りつかせる禁呪であった。


八雲「ガハハハハハハハハ!!!!」


暗闇の中、八雲の哄笑が響く。


八雲「見たか!!

   御仏に感謝する……天は我らに味方したわ!!!」


振り上げられる鎖鎌。

憎悪に染まった狂気の叫び。


八雲「一瞬たりとも逃すな!!

   今が好機!!次はない!!全身全霊で獅子丸を殺せッ!!!」


笛を奏で続ける壱の蜘蛛。

八雲と弐の蜘蛛が、影のように地を蹴り、金縛りの獅子丸へ迫る!


「デヤーーーーーー!!!!」


ガチィ!! ガキンッ!!!


闇の中で火花が散り、砂埃が舞い上がった!!


――八雲の視界に、二つの影が飛び込んだ。


綾乃「させるかァァァァ!!」


夜叉「はぁ、はぁ、その…………その刃は、絶対に、通すものですか!!」


八雲達の意識の外から滑り込んだ綾乃と夜叉が、獅子丸の前に立ち塞がり、迫り来る刃を弾き返したのだった。


――その背中は、命を削りながらも、強く、美しく輝いていた。

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