第八十一話 再会、獅子丸(肆)
崩れ落ちた骸骨武者の残骸の、その向こう側に、
一人の男が、静かに立っていた。
目以外の部分を黒装束に覆った、人間の男。
男は、風磨の倒れた方角に一瞬だけ視線をやり、
低い声で告げる。
「……すまぬ」
「連れの男を、救ってやることが出来なかった」
夜叉の胸が、強く締めつけられる。
黒装束の隙間から覗く、整った眉。
澄み切った瞳。
長い睫毛。
均整の取れた肢体。
そして、
たった一撃で“死そのもの”を砕いた、圧倒的な力。
夜叉は、その美しさに、全身の力を奪われていた。
胸の奥が、熱を帯びる。頬が、じわりと火照る。
心臓の鼓動が、やけに大きく響いているのが分かった。
「……あ、ありがとうございます……!」
声が、わずかに震える。
「風磨には、とても悲しい結果になりましたが、私は命を救っていただきました。
せめて、お礼がしたい……ですから、お名前だけでも……!」
必死に言葉を紡ぐ夜叉を、
黒装束の男は、ほんの一瞬だけ見つめた。
その澄んだ瞳には、情も、迷いも何も映らない。
「……その必要はない。お前は、その男の分まで強く生きろ!」
それだけを告げると、
男の身体は、まるで霧が薄れていくように、音もなく掻き消えた。
夜風だけが、そこに残される。
「……あ……」
伸ばしかけた夜叉の手は、
何も掴めぬまま、宙で止まっていた。
――そして、今。
「……間違いない」
夜叉は、そっと静かな息を吐き出した。
「この闘気の色……あの眼差し……」
夜叉の心は、深い感謝に満たされる。
「仏様、どうかお導きくださいましたこと、感謝いたします。私の命の終わりに、獅子丸殿と再会できたことを……」
あの時の黒装束の男は、間違いなく獅子丸殿、だったのだ。
その確信は、静かに、確実に、胸の奥へと落ちていく。
もはや、驚きも、動揺も、すべてを超えている。
夜叉は、その真実を、誰にも語らず、ただ静かに胸の内にしまい込むことを決めた。
(……これから、死にゆくこの身には)
(彼に伝えるべきことなど、何もないのだ)
そう思うと、心は不思議と穏やかになる。
(ただ……)
(最後に、もう一度だけ)
(あの勇士の姿を、この目で見ることができたなら……)
(それだけで、どんなに幸せなことでしょう)
それは、恋とも、憧れとも、
あるいは、救われた魂の記憶とも言える、
淡く、儚く、決して届くことのない想いだった。
ーーーー
昨夜、
綾乃、獅子丸、夜叉の三人は、
夜叉の死が迫っているという“真実”を、
蛇楽には伏せたままにすると決めた。
妙に鋭い勘を持つ娘ではあるが、
今回はどうやら、気づかれずに済んだらしい。
「夜叉!!
一時は、本当に心配していたんだよ!!」
声と同時に、蛇楽が勢いよく飛びついてくる。
細い腕だというのに、
そのしがみつく力は妙に強く、逃げ場がない。
「ほ、本当に……
死んじゃうかと思ったんじゃからな……!」
声が震えている。
あまりにも素直な心配に、少しだけ胸がむず痒くなる。
「お、お前は……童ですか!
蛇のように締め付けるでない!
息が……苦しいではないですか……!」
夜叉は必死に蛇楽を引きはがしながら、
助けを求めるように、綾乃へと視線を送った。
「ところで、蛇楽。
今、いくつになったのですか?」
突然の問いに、蛇楽はびくりと肩を震わせ、
頬を赤らめて答える。
「……せ、先月で、十六になった」
「な、なんでじゃ?」
「十六ですか……」
夜叉は、どこか懐かしむように微笑んだ。
「そろそろ、その人見知りも、直さないといけませんね」
その瞬間。
「っ!?」
蛇楽は、まるで雷に打たれたかのように固まり、
見る見るうちに顔色が青ざめていく。
「や、やめろ夜叉!!
わしは、人の悪意が恐ろしいのじゃ!!」
「だから無理!
わ、私は今のままで良い!」
そう言って、再び夜叉にしがみつく。
「そ、それに……」
「ざ、斬黒にも……
他人の前では、感情を殺せって言われておるし……」
その名を聞いた瞬間。
「……あいつか!」
綾乃が、ぎりっと拳を握りしめた。
「余計なことを吹き込みおって……
帰ったら、とっちめてやらねばならんな!」
「ひ、ひぃっ!?
や、やめてくれ綾乃!!
余計なことになりそうで怖い!!」
慌てて手を振る蛇楽を見て、
夜叉は、静かに首を横に振った。
「蛇楽は、確かに臆病なところはありますけど……」
夜叉は、優しく言葉を選ぶ。
「人の悪意に屈するほど、
弱い心の持ち主では、ありませんよ」
「……ほ、本当か?」
上目遣いで尋ねる蛇楽の頭を、
夜叉はそっと撫でた。
「もちろんです。
わたしが保証します。
ね? 綾乃」
「ああ、本当だとも!」
綾乃は胸を張る。
が、次の瞬間。
「蛇楽はな、
極度の人見知りのくせに、
内弁慶だからなぁ!」
「内弁慶ーーー!!?」
怒号と同時に、
蛇楽の背後から幻蛇がぶわりと湧き出し、
次々と綾乃へと襲いかかる。
「うわっ!?
い、痛い痛い痛い!!
や、やめんか蛇楽ーーー!!」
ぐるぐる巻きにされ、
のたうつ綾乃。
その光景を見て、夜叉は、
「ハハハハハ!
確かに、内弁慶ですねぇ、ハハハハ!」
腹を抱えて笑った。
「も〜〜!!
夜叉まで言うなぁぁ!!
誰か助けてくれぇぇぇ!!」
夕暮れの風に、
三人の笑い声と悲鳴が混じり合い、
穏やかに、空へと溶けていった。
この日常が、永遠に続いていくかのような、幸せな一時であった。




