表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/89

第七十八話 再会、獅子丸(壱)

「はっ……! はっ!!」


夕日が山際に沈みかけ、世界を紅に染め上げる。

その燃えるような空を背景に、男が一本の細長い木の枝、地上から二十尺はあろうかという高さの上で、軽やかに素振りを続けていた。


風を裂く音。

筋肉がしなるたび、枝はしなり、しかし男の足元は微動だにしない。


「たぁッ!!」「はっ! はっ!!」


獅子の威厳と、どこか神々しさをまとったその男、獅子丸。

彼は、ふいに刀を振るう手を止めた。


懐かしい“気”が、確かに風の中に混じったのだ。


「……!? 綾乃、か?」


そして、


「おーーい!! 獅子丸ーーー!!」


遠くから、聞いた事のある少女の声が跳ねてきた。


獅子丸「っ!! やはり……この声は!!」


獅子丸の瞳が一瞬で輝きを宿す。

刀を背の鞘にひとつで滑らせるように納めると、彼は枝の上を“舞う”ように跳んだ。


ヒョイ、ヒョイッ。


隣の枝へ、さらにその隣の枝へ。

軽く蹴るたび、獅子丸の身体は風のように移り、枝の葉がさらりと揺れた。


そして最後の一跳びで、柔らかく地上へと降り立つ。


夕日の光を受け、獅子丸の髪と瞳が宝石のように煌めいた。


「綾乃〜〜!!!」

獅子丸が豪快に手を振り、まるで森じゅうに響き渡りそうな声で呼びかけた。


夕日の光を背負って立つその姿は、まさに山の王者。

綾乃は、肩に寄りかかる夜叉を支えながら歩き、後ろでは蛇楽が心配そうに二人の背を押していた。


獅子丸は三人の様子を見て、思わず眉を上げる。


「おいおい……久しぶりに訪ねて来てくれたと思ったら、

 なんだ、今日は客人がご一緒か?」


その口調は軽いが、目は鋭い。

夜叉の状態、綾乃の疲労、蛇楽の焦り、すべてを一瞬で見抜いた“戦士の目”だった。


その隣で、夜叉は綾乃の肩に身を預け、荒い呼吸を必死に整えていた。

立っているだけで精一杯のはずなのに、


その瞳だけは、獅子丸を捉えて離さなかった。


(……力強く、それでいて不思議と心を落ち着かせる優しい眼差し。……)


以前どこかで会ったことがあるような、奇妙な既視感が胸をよぎる。


夜叉は喉を鳴らし、かすれた声を絞り出した。


夜叉「……あ、綾乃……」

   「こ、この殿方は……どなた様……です、か……」


綾乃は即座に答える。


綾乃「彼は獅子丸だ!」

   「私の命の恩人で、剣の師匠でもある!」


その言葉を受け、夜叉の視線が、ほんのわずかに揺れる。

獅子丸の立ち姿、纏う気配、眼差しの奥、

それらを確かめるように、夜叉は改めて彼をじっと見つめた。


(……やはり……)


言葉にはできないが、胸の奥で何かが、静かに噛み合っていく感覚がある。




後方の蛇楽は、初対面の男を前に、いつもの饒舌さが嘘のようにピタリと固まっていた。


「……」


無表情。無反応。

だが、頬だけが、ほんのりと桃色に染まっている。

(な、なんか……かっこいい……)



獅子丸「まぁ良い。話は後じゃ!

   まずはその女性を、小屋の中で休ませなければ!」


ーーーー


獅子丸は、藁床にそっと夜叉を横たえると、綾乃から事の経緯を静かに聞き終えた。


「……!! ま、まさかとは思うが」


脳裏に、かつて忍びとして修めた“ある禁術”が閃く。


獅子丸はゆっくりと膝をつき、夜叉の方へ向き直った。


「夜叉殿……すまぬ。傷の具合を見ねば、手当もできぬ。

 どうか、刺された箇所を……見せてもらえぬか?」


夜叉は、かすかに目を伏せた。


「……殿方に、醜くただれた肌をお見せするなど……。

 恥ずかしいことですわね」


そう言って、ほんの少しだけ寂しげな微笑を浮かべた。


「どうか……気分を悪くされませんよう、お願いいたします」


夜叉は指で着物の裾をつまみ、そっと持ち上げた。


露わになった肌は……。


獅子丸の表情が一瞬だけ強張る。


(やはり……これは……!)


刺し傷の周囲は赤黒く腫れ上がり、紫色に変色していた。

そこからは白い膿と赤黒い血が混ざり、じわり……と滲み出している。


獅子丸は無言で手拭いを取り、膿を丁寧に拭き取っていく。

痛みが走るたびに、夜叉の肩がかすかに震えた。


きれいになった傷口に、痛み止めと殺菌効果のある薬草を貼り、

麻布を巻き終えた頃には、夜叉の表情から緊張が和らいでいた。


「……おかげで痛みが少し和らぎました。

 ありがとう、獅子丸殿」


「殿はいらん。獅子丸でよい」

 そう言って、彼は優しく笑った。

「その代わり、俺も“夜叉”と呼ばせてもらう」


夜叉は、少し照れたようにまばたきをし、ふっと微笑んだ。


「……わかりました。獅子丸。よろしくお願いします」


「おう!」


獅子丸は軽く頷くと、次に視線を移した。

夜叉の隣で正座し、背筋を伸ばしすぎて震えている蛇楽。


獅子丸はにっ、と笑うと、ためらいなく蛇楽の頭をぽんっと撫でた。


「!!?」


蛇楽はまるで雷に打たれた猫のように肩をすぼめ、身体をビクッと跳ねさせる。


「それで? お前は名をなんと申す!」


「……あ、あわ……あわわ……」


「“あわわ”か?」


獅子丸が首を傾げると、綾乃が慌てて口を開いた。


「す、すまぬ獅子丸。この子は....」


その瞬間!


「じゃ、蛇楽じゃ!!

 わ、わしは……蛇楽と申すっ!」


顔を真っ赤にしながらも、蛇楽は絞り出すように自分の名を告げた。


その場の空気が、一瞬止まる。


綾乃も夜叉も、同時に目を丸くして蛇楽を見つめた。


「「……え?」」


夜叉「こ、心を深く許した者にしか口をきかない蛇楽が……しゃ、喋った!!」


綾乃「お、驚きだ!!

   私なんか二ヶ月以上、一緒におっても……声すら知らんかったぞ!!?」



「い、いいではないかっ!!!」

蛇楽は真っ赤な顔のまま、手をブンブン振り回して二人の言葉を遮った。


「ふ、二人ともいらぬ事を言っちゃダメ!!

 し、喋っただけで大騒ぎするでない!!」



獅子丸はそんなやりとりを見て、腹を抱えて笑った。


「はははっ! そうか、そんなに貴重な声だったのか!

 光栄なことよ、蛇楽!」


蛇楽はさらに真っ赤になって、藁の上に倒れ込むのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ