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第七十三話 封呪箱再び(肆)

綾乃の意識が、ゆっくりと戻っていく。


重い瞼を押し上げた瞬間、鼻を掠めたのは湿り気を含んだ古木の匂い。

視界に広がったのは、崩れかけた木造教会の跡地、広い聖堂の片隅だった。


天井の梁は何本か抜け落ち、月光が斜めに差し込んでいる。

遥か奥、かつて祭壇であったであろう場所には、墨で三つの丸が二段に書かれた大きな布が掲げられていた。そしてその布の下で、四人の坊主が石の台座に向かい、途切れることなくお経を唱えていた。


その不気味な韻律が、まるでこの空間全体を呪縛しているようだった。


隣を見ると、

縄でぐるぐる巻きに縛られた夜叉と蛇楽の姿。


「……ッ、ぐ……!」


綾乃が身じろぎした途端、自身の体にも縄が食い込み、動きを封じ込めているのを知る。


「こ、ここは……どこだ!? 一体……な、にがっ!」


後頭部の奥で、脈打つような痛みが爆ぜる。

歯を食いしばると、散乱していた記憶が次々と連なっていく。


大蜘蛛との死闘。

寸胴縄に絡め取られた瞬間、地面に叩きつけられた衝撃。


「……!!」


腰に手を伸ばす。

けれど、そこにあるはずの短剣はない。


(縄に巻かれた時、あの草むらに!)


悔しさが、喉の奥で熱となって膨らむ。


「どうやら、目が覚めたようね」


穏やかな声がすぐ隣から届いた。

夜叉が縄のまま体勢を整え、綾乃に柔らかな微笑みを向けていた。


「とりあえず……無事でよかったわ」


「ぶ、無事じゃないわい!!」


蛇楽が今にも泣き出しそうな声で叫ぶ。

その顔は恐怖でひきつり、唇が震えている。


「も、もうすぐわしらは……こ、殺されるんじゃろ!? ……!」


そう叫んだ瞬間、蛇楽の顔から血の気が引いた。

過去の影が、濃く深く蘇っているのが分かる。


三年前

謀反の疑いで家族ごと拘束され、

家族は皆、理不尽に殺された。

自分だけが助かったのは、斬黒が救い出してくれたから。


蛇楽の睫毛には涙が滲み、月光に濡れて煌めいた。


「な、なんでじゃ……なんで斬黒はここにおらんのじゃ……」


その悲痛な震えは、綾乃と夜叉の胸の奥を鋭く締めつけた。


ーーーー


「綾乃、あれを見て……!」


夜叉が顎で示した先、

崩れた祭壇の中央に据えられた石の台座。


綾乃が目を凝らした瞬間、息が凍りついた。


「……っ!?」


台座の上には、“骨”があった。

いや、ただの骨ではない。


人間の形に組み上げられた白骨。

そのあちこちに、赤く白い筋の入った新鮮な肉片がまとわりつくように張り付き、

その肉片は、まるで生き物のようにピクッ、ピクッと痙攣していた。


そして。


胸郭の奥

肋骨の隙間には、真新しい心臓が脈打っている。


ドクン……ドクン……!


石造りの聖堂全体が、その鼓動に合わせて震えているようにさえ感じられた。


「な、なんだ……あれは……!!」


綾乃の声が裏返る。


「そして、お経を唱えている僧侶、あの四人の僧侶の手元を見て!」


夜叉の言葉に、綾乃は祈り続ける僧侶たちの手を見た。


そこにあったのは!!


「……呪い箱……!」


僧侶たちが抱える木箱の表面からは、黒い靄のような“呪詛”が立ちのぼり、

まるで生きた触腕のように蠢きながら、台座の骨へと吸い込まれていく。


僧侶のお経が高まるたびに、呪詛は勢いを増し、

痙攣していた肉片はさらに大きく脈動した。


「な、何のために……こんなことを……!」


綾乃は、声を震わせながら問いかけた。


夜叉は唇を噛み締め、低く答える。


「……私たちがここに連れ込まれてから、すでに数時間。

見ていたけれど……あの骨の“肉”は、徐々に、増え続けているの。」


「……増え……?」


「あれは、ただの死体じゃない。

何かが……“生み出されている”」


夜叉の声に、綾乃の背筋が氷のように冷たくなった。


蛇楽は震えが止まらない。

「嫌だ!嫌だ!」


その時だった。


ギィ……ギィィ……。


古びた聖堂の扉が、外から押し開けられた。

冷たい夜気とともに、三つの人影が音もなく歩み入ってくる。


最初に姿を現したのは、

あのいやらしい笑いの蜘蛛使いの男。


続いて、猫目の女が

しなやかな所作で入ってきた。


そして!!!!


最後に入ってきた影を見た瞬間。


綾乃の心臓は、握り潰されたように高鳴った!


「……っ!」


それは、袈裟をまとった大きな体の“僧”だった。


だが、普通ではない。


一歩踏み出すごとに空気が歪む。

闘気というより、もはや“地獄の圧”そのものが聖堂を満たしていた。


皮膚がひりつく。

呼吸ができない。

目が合ったら、その瞬間に魂ごと燃やされる

そんな錯覚すら起こす、圧倒的な異形の存在。


夜叉でさえ、低く息を呑んだ。


蛇楽は声にならない声を漏らし、完全に怯えきっていた。


そして綾乃は、ただ、悟った。


(……ああ……だめだ……)


自分たちはもう、逃げられない。


あの怪僧の前では、抵抗することさえ無意味。


胸の奥の灯火が、ひと息で吹き消されたような絶望だった。


怪僧が、台座に横たわる“生きる死体”を、

ゆっくりと、まるで自分の作品を見る芸術家のように眺めた。


そして、微笑んだ。


その顔は、仏の姿をしていながら


中身は、深淵の悪鬼そのものだった。



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