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第七十二話 封呪箱再び(参)

三日月の光が揺れる森。

その中央で、地を震わせる咆哮が響いた。


キィィィィ……!!!


大蜘蛛の八つの瞳が、一斉に赤く灯る。

その殺気が夜気を震わせ、森の生き物たちが一斉に黙り込んだ。


綾乃は息を吸い、短剣を構える。

その指先は震えていない。

恐怖より、今は集中がすべてだった。


(獅子丸との修行を思い出せ! 闘気だけを……見ろ!)


蜘蛛の全身から噴き出す殺気が、風向きのように脳裏へ流れ込んでくる。


「右!」


地を蹴った瞬間、墨のように黒い糸が雨のように降り注ぐ。


ビシャァァッ!!


綾乃の影を裂き、地面に大穴を穿つ粘糸。

その光景を横目に、綾乃はすでに次の動きに入っていた。


「次……左!」


白刃のように鋭い糸の奔流を、髪一筋の差で躱す。

月光に照らされた綾乃の体が、風に乗る羽のようにしなやかに揺れた。


大蜘蛛は、苛立つように脚を構える。


ドンッ!!!


太い脚が一本、木を折るような勢いで振り下ろされた。

地面が衝撃で跳ね上がり、土煙が爆ぜる。


綾乃は、その脚の“闘気の流れ”を読み取ると、逆向きに滑り込む。


「まだっ……!」


避けながら、短剣を一閃。

大蜘蛛の脚に浅い裂傷が走る。


キシャァァァ!!!


怒り狂った大蜘蛛が、さらに二本の脚を同時に打ち下ろす。


「左! 跳躍!」


ズシャッ! ドガァッ!!


綾乃は左に避け、次の攻撃を跳躍で交わした!!


(一番、殻の薄い場所……

 私の短剣が、確実に届く場所……!)


綾乃は瞬きすら忘れ、腹下の闇を凝視する。

大蜘蛛の巨体の内側を走る闘気の流れが、

ふっ…… と一カ所だけ、途切れるように見えた。


そこだ。


大蜘蛛の腹中央、足と足の間。

殻が繋ぎ目でわずかに“たわむ”一瞬。

闘気が薄く、まるで空洞のように沈む場所。


(あの一点……!

 あそこなら、私の短剣が……届く!!)


大蜘蛛が脚を振り上げたと同時に、

綾乃は腹下へ飛び込む。


月光に照らされた腹のつなぎ目が、一瞬だけ白く光った。


剣先に、確かな確信が宿る。


「蜘蛛の弱点は……ここっ!!!」


振り上げた短剣が、

光線のような軌跡 を描きながら突き刺さる。


ブシュッ!!!


甲殻を破り、粘る黒い体液が飛び散った。


大蜘蛛の八つの瞳が、一斉に見開かれる。


ギシャアアァァァァ!!!!


絶叫とともに、巨体がのけぞった。

その脚が大地を叩き割り、森が揺れる。


綾乃は短剣を更に押し込みながら叫んだ。


「命に...届け!!」


その瞬間!!


「綾乃ッ!! 危ない!!後ろ!!」


夜叉の叫びが刺さった。


ヒュン!!


闇に潜んでいた何かが、風切り音とともに飛来する。

寸胴のついた捕縛縄。


避ける暇など、ない。


バチンッ!!


縄が綾乃の胴に絡みつき、凄まじい力で引き倒した。


ドシャァァッ!!


背中から地面に叩きつけられ、

後頭部に衝撃が走る。

息が詰まり、声にならない悲鳴が喉で震えた。


「綾乃ッ!!」


夜叉と蛇楽が反射的に綾乃へ駆け寄る!

その、ほんの一瞬の隙だった。


バサリ、バサリ、と。

張り巡らされた“蜘蛛の巣”の所々が、まるで生き物のように裂ける。


その裂け目から、闇そのものが弾けるように飛び出し、

一斉に襲い掛かった。


シュシュッ……!


冷たい金属の気配。

鋭い刀と槍の切っ先が、

綾乃たち三人の喉元へ押し当てられた。


そして.....

落ち葉を踏みしめる「ザリ……」という乾いた音が、

夜の森に妙に大きく響いた。


その足音とともに、

寸胴縄を放った男が、闇の帳を裂くように姿を現した。


「ふぅ〜……危ねぇ危ねぇ」

男は肩をすくめ、舌で歯を鳴らす。


「もう少しで、俺様の使い魔をひとつ……失うところだったぜ」


月光が彼の纏う紫の着物を照らし、

黒々と絡み合う謎めいた刺繍文字を妖しく浮かび上がらせる。

鋭い双眸。

そして唇の端に刻まれた、悪意を含んだ薄笑み。


その男“蜘蛛使い”は、倒れた三人を値踏みするように眺めた。


「おやおや……いいねぇ。実にいい」


喉の奥で、獣じみた生臭い音を転がしながら、にたりと笑う。


「女が三人。どいつもこれまた……めんこい顔してやがるじゃねぇか」


その背後から、すっと影が伸びた。

静かな足取りで一歩前に出たのは、猫のような目をした女。


月光が差し込むと、彼女の姿が淡く浮かび上がる。


金の刃のような吊り目。

墨色の小袖に、ちらりと揺れる白絣。

細い腰を締める紅の帯が妖艶に光り、

その立ち姿は、まるで夜を徘徊する猫が人の形を取ったかのようだった。


女は細い唇をわずかに吊り上げる。


「……此処で、掻き殺すか?」

甘やかに落とされる声とは裏腹に、その言葉は氷の刃のように冷たい。


蛇楽が思わず身を震わせ、夜叉の肩にも緊張が走る。


「いや、まだだ」


蜘蛛使いはふと片足を上げ、転がる綾乃の頬を爪先で軽くつついた。


その仕草は、まるで品物の鮮度を確かめる猟師のように無造作で、ぞっとするほど悪意がなかった。


「こいつらの目的、まだ聞いてねぇからな。

 殺すのは、それからでも遅くはねぇだろう」

その仕草は獲物の鮮度を確かめる猟師のようだった。


「……まずは“館”へ運ぶとしようや。

 ご主人様も、ちょうど退屈してた頃だ」


蜘蛛使いの顎の合図に、手下たちが無言で動き出す。


夜叉は倒れた綾乃の体を抱き寄せた。

気絶している綾乃の体温が腕に伝わる。


「……綾乃……!」


震える蛇楽は、夜叉の後ろにしがみつき、必死に唇を噛みしめている。



だが夜叉の瞳だけは、鋼だった。


(……大丈夫。綾乃、蛇楽……私が必ず……必ず、機を見て逃がしてみせる)


敵に囲まれながらも、その決意は一点の曇りもなく輝いていた。





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