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第六十七話 土佐の剣士と夜叉(弐)

挿絵(By みてみん)



夜叉は、興味深げな視線を投げ、若い浪人を値踏みするように眺めた。


「さあ……どっからでも、かかってこんがか?」


挑発とも取れるその一言に、酒場の空気がぴり、と張り詰めた。


「舐めやがって!! 三枚おろしにしてやるわ!!」


ごろつきが怒声を張り上げ、土間を蹴って踏み込む。

刹那、


シュバーッ!!


鈍く光るドスが弧を描き、一直線に若い浪人の脇腹を狙って突き出された。

完全に、命を奪いに来ている。

刃が空気を切り裂く、鋭い音が酒場に響く。


「てぃぃっ!!」


乾いた裂帛の気合。

バシッ!!


若者の一撃が、ドスを握る手首を正確に打ち抜いた。

衝撃に耐えきれず、刃は宙を舞い、甲高い音を立てて床へ転がる。


「とうっ!!」


間髪入れず、木刀が真っ直ぐに突き出される。

狙い澄ました一撃は、容赦なくごろつきの喉仏へ!


「ぐきゃぁぁぁっ!!」


声にならない悲鳴。

息を奪われたごろつきは、喉を押さえ、地面の上で無様に転げ回った。


――その瞬間!


背後から、さらに二人のごろつきが獣のような唸り声を上げ、襲いかかる。


だが。


夜叉は、その気配を察するや否や、涼しい顔で手にしていたものを放った。

ひゅっ、と短い風切り音。


おちょこ、とっくり。

それぞれが正確無比に、ごろつきたちの額へと吸い込まれる。


ゴッ! ゴンッ!


「がっ!?」


見事な命中。

怯み、動きが止まった!


その瞬間、若者の木刀が、火を噴いた。


「ていっ!! ていっ!!」

「やぁぁっ!! とうっ!!」


一人には眉間、続けざまに鳩尾。

もう一人には顎、そして耳元へと、容赦ない連撃が炸裂する。


鈍い衝撃音が立て続けに響き、二人のごろつきは為す術もなく、その場に崩れ落ちた。


酒場に残ったのは、荒い息遣いと

若い浪人の、微動だにしない構えだけだった。


「こっちよ! ついて来て!!」


夜叉は叫ぶや否や、若者の手を強く掴み、そのまま駆け出した。

躊躇は一瞬もない。


「っ!」


引かれるまま、若者も走る。

背後では、酒場の怒号と混乱がまだ渦巻いていたが、二人は振り返らない。


提灯が連なり、朱と橙の灯りが揺れる

京の川沿いの石畳。


ぱしゃ、と川面に灯が映り、夜の水がきらめく。

下駄と草履が石を叩く音が、一定の調子で夜気を切り裂いた。


風が袖をはためかせ、夜叉の黒髪が流れる。


揺れる提灯の光の中、

二人の影は、闇へと溶け込むように走り去っていった。


「ハハハハハハハッ!!」


夜叉は腹を抱え、その場にしゃがみ込んで笑い転げた。


「な、何がおかしいがじゃ!」

若者は困ったように眉をひそめ、夜叉を見下ろす。


「真に、無鉄砲な男子だこと」

夜叉は笑い涙を指で拭いながら、からかうように言った。


「命が惜しゅうはないのですか? 一人目は良かったにせよ、後ろから来た二人は、かなり危なかったですよ。」


「い、いやっ、おまんの助けがのおても、何とかなったがよ」


若者は視線を逸らし、不満そうに低く答える。


その一瞬の“間”に、夜叉の笑みがふっと薄れた。


「……なるほど」

口調は軽いが、目はどこか楽しげで、

そして、ほんの僅かに、嬉しそうだった。


「だが嫌いじゃない。

 そういう愚直さは、嫌いじゃないですよ。」


「……私は、夜叉。

あなたは?」


静かな問いかけだった。


「わ、わしは……っ

新十郎と申します!」


思わず背筋を伸ばし、名を告げる。

その瞬間、胸の奥が、どきりと跳ねた。


(なんじゃ……この女子は……)


新十郎は息を呑む。

土佐で生まれ育ち、これまで数多の女を見てきた。

だが、こんな女子は、見たことがない。


強さを隠そうともしない佇まい。

刃のように研ぎ澄まされた気配。

それでいて、どこか人を惹きつけてやまぬ、気高き美。


(強うて……気高うて……それで、美しい……)


言葉にならぬ感情が、胸に満ちていく。


夜叉と、新十郎は、清美寺の高い境内の上で夜空を見上げて、話していた。


「自分で言うのもなんじゃが……わしの住む土佐では、一対一の勝負で、負けたことは一度もない」


新十郎は胸を張り、誇らしげに言い放った。


「じゃき、こん京の都に腕試しに来たがよ」


その言葉を聞いた瞬間、夜叉は悟った。

――この男は、まだ“外の世界”を知らない。


井の中の蛙。

悪気はない。ただ、若さと成功が視野を狭めているのだ。


夜叉は静かに息を整え、穏やかな声で告げる。


「あなたが、がむしゃらに自分の理想を追いかけている事は、よくわかります」

「でも……時には、冷静な判断も必要ですよ」


新十郎は一瞬、言葉を失った。


「私はこれまで、数え切れないほどの豪傑を見てきました」

「その中には、あなた以上の実力を持つ男達も、決して少なくはありませんでした」


その言葉に、新十郎の顔が紅潮する。


「たまるか!!」

「でも夜叉殿は、まだわかっちょらん! わしの実力は、こんなもんじゃないがよ!!」


声を荒げるその姿には、若さゆえの驕りと、若さゆえの過信が色濃く滲んでいた。


やがて新十郎は、ふっと調子を変え、少し照れたように視線を逸らす。


「夜叉殿……土佐には、おまんのような、美しい女子はみたこちゅうない」

「お、おまんのような女子は、どんな男に心を惹かれるがじゃ?」


夜叉はくすりと微笑み、ほんの少し考える素振りを見せてから、ゆっくりと答えた。


「そうですねぇ……」

夜叉は、ほんの一瞬だけ視線を伏せ、やわらかな息を吐いた。


「私は、強い男が、好きです」


新十郎は、思わず息を呑む。

胸の奥を、何か熱いものが貫いた。


「私が背負う定めも、迷いも、恐れも……」

「すべてを捨て、安心して身を委ねられるほどの強さ」


夜叉は一歩も引かず、まっすぐに新十郎を見据える。

その瞳には、冗談も、媚びも、一切なかった。


「もし……そんな男が現れたなら」

「私は、きっと、その人を、心の底から愛するでしょうね」


その言葉は、甘美な約束であると同時に、逃げ場のない宣告でもあった。

優しく差し出された“理想”という名の試練。


沈黙を破ったのは、新十郎だった。


「……わかったがよ!」


拳を握り締め、強く言い切る。


「わしが、わしが、おまんに相応しい男になれば、ええがじゃな!!」


その声には、もはや虚勢だけではない。

初めて“本気で届かせたい想い”が、確かに宿っていた。

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