第六十五話 静川村(捌)
静川村の中央広場。
いつもなら子どもたちの笑い声が響くその場所に、その日は異様な静けさが漂っていた。
広場の中央には、粗末な木の台座が据えられ
その上に、三つの首が並べられている。
又次郎。
文六。
源助。
矢で頭を貫かれ、虚ろな眼を空に向けたまま、二度と動かぬ顔だった。
「……う、嘘だろ……」
最初に声を上げたのは、又次郎の妻だった。
そのまま足の力を失い、首の前へと崩れ落ちる。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
泣き叫ぶ声が、堰を切ったように広場に広がった。
子は父の名を呼び、母は地面に爪を立て、老人は歯を食いしばって天を睨む。
怒りは、やがて一つの声になった。
「……ゆ、許せねえ」
拳を震わせ、若い村人が叫ぶ。
「こうなったら……殿様に、この事をお伝えするしかなるめえ!」
「そうだ! それしかねえ!」
「静川村は、ここまで虐げられてきたんだ!」
人々は口々に声を上げ、ついに立ち上がった。
絶望の中に、かすかな希望が灯った、そのはずだった。
しかし。
その輪の中に、ただ一人。
目を伏せ、黙したままの男がいた。
密通者。
その夜、男は村を抜け、闇に紛れて走った。
ーーー
翌日。
静川村に、朝は訪れなかった。
炎が、空を赤く染めた。
武装した兵たちが押し寄せ、家々に火を放ち、逃げ惑う村人を容赦なく斬り伏せる。
「逃げろぉ!!」
「子どもを連れて!」
叫びは、刃に断たれ、火に呑まれた。
女子供であろうと、例外はなかった。
剣は振り下ろされ、血が土に染み込み、命は無造作に踏みにじられる。
そして、夕刻。
そこに残ったのは
焼け落ちた家屋と、黒く焦げた大地。
人の気配の、完全に消えた村だった。
静川村は、この地から消滅した。
ーーーー
夜叉は、綾乃の背に添えていた手を、そっと離した。
その瞬間。
夜叉の纏う空気が、はっきりと変わる。
鋭い眼光で、頼重を睨みつける!
「……ぎっ」
頼重は、思わず一歩、後ずさる。
「お、お主ら……!」
声が、わずかに裏返った。
「邪悪な亡者共の声に、グブッ! ま、惑わされるでないぞ!!」
プチュ!ブチュ!!
唾を飛ばし、必死に言葉を重ねる。
「や、奴等は……ぐふっ……!
う、嘘が得意じゃ!!」
胸を押さえながら、なおも叫ぶ。
「何を吹き込まれたかは知らんが……冷静になるんじゃ!!」
その必死さを、綾乃は見逃さなかった。
「亡者は、嘘をつかない」
「皆、生前の強い想いを抱いたまま……此処に留まっているからだ」
綾乃の瞳から、涙が一筋、頬を伝った。
「奪われた命も、焼かれた村も……
すべて、お前が引き起こした現実のことだ!」
「……っ!」
頼重の顔が、みるみる青ざめる。
「ま、待て……!
それなら……どうじゃ!!」
突然、声色が変わった。
「ほ、報酬の話じゃ!!」
縋るように、両手を広げる。
「あの蔵の……半分の財産を、お前らにくれてやる!!」
夜叉と綾乃の視線を、必死に追い回す。
「そこの……面の娘!」
頼重は、夜叉を指差した。
「お前は、あの反物を欲しがっておったな!!」
引きつった笑みを浮かべ、早口でまくし立てる。
「あれはどれも、有名な織元の逸品じゃ!
都でも手に入らぬ代物ぞ!!」
夜叉は、涙を拭うこともせず、はっきりと言い切った。
「そんな……そんな、人々を踏み躙って作り上げた財など」
「絶対に、絶対に欲しくはありません!」
夜叉は、無言で一歩、綾乃の隣へ並ぶ。
そして、二人は同時に、頼重から距離を取った。
ざわり、と空気が震える。
張られていた結界が、徐々に、頼重から離れていく。
「な、なにを……!」
頼重が叫ぶより早く、足元の光が途切れる。
彼は、守りの内側から、弾き出された。
「ひっ……!」
頼重の身体が、結界の外へと晒される。
そこは、夜闇よりも濃い怨念の領域。
静川村で命を奪われた者たちの、強すぎる想いが渦巻く場所だった。
亡者達は、一斉に頼重に、群がる!!
「ウギャ!!ウギャ!!!ウギャアァァァァァァァァ!!!」
ーーーー
翌朝。
薄曇りの空の下、綾乃と夜叉は、再び、かつて静川村と呼ばれた場所を訪れていた。
焼け跡の匂いは、まだ地面に染みついている。
風に揺れるのは、焦げた柱の残骸と、名もなき沈黙だけ。
その時だった。
ぬちゃり、と。
不快な音が、二人の足元から響いた。
視線を落とすと、そこにいたのは
膿を撒き散らしながら、地面をのたうち回る、一匹の小さなイボ蛙。
「ゲゴ、グゴ、ゲッコロッ!!」
その背中のイボは膿み、腹は不自然に脈打っている。
「……これは」
夜叉が、眉をひそめた。
「頼重殿、ですか?」
綾乃は、蛙を真っ直ぐに見据え、低く言い切った。
「頼重の、なれの果てだ」
蛙は、ひくり、と跳ね損ね、再び地面に落ちる。
その腹が裂け、内側から、また小さな蛙が、這い出そうとしていた。
「……蛙は、死んでも」
綾乃の声は、震えていない。
「また腹の内から蛙が蘇る。
永遠に、この苦痛を味わい続けるのだろう」
それは、逃げ場のない呪い。
自らが与えた苦しみと、同じだけの報い。
だが、綾乃は、唇を噛みしめた。
「……けれど」
「このままでは、また
あの館のように、周りの人々へ呪詛を撒き散らす事態になってしまう」
夜叉は、何も言わず、頷いた。
二人は、黙々と地面を掘り始める。
深く、深く、怨念が、二度と地上へ這い出ぬように。
やがて、蛙は穴の底へと落とされ、土が被せられた。
その上に、拾い集めた石で、簡素な祠が組まれる。
綾乃は、印を結び、静かに結界を張った。
呪詛が、逃げぬように。
「……綾乃は、何かと器用ですね」
夜叉が、ぽつりと呟く。
綾乃は、少しだけ微笑んだ。
「私の育ての親、膳槽様の教えだ」
綾乃は一瞬だけ、今は亡き膳槽に想いを寄せた。
祠の前で、二人は一礼する。
赦しではない。
同情でもない。
ただ、これ以上、怨みを広げぬための始末。
風が吹き、灰の匂いが遠ざかっていく。
静川村には、もう声はない。
だが、その因果だけは、確かに、地の底に封じられた。




